第6話 脱走 その5
外に出ると、顔に湿った風がふわりと当たる。
昨日降った雨の残り香も、少し鼻についた。
本日は雲一つない晴天。とはいえ、雨が降った痕跡はまだ残っているようだ。
眩しさには、すぐに慣れた。
しかし、朝日に顔を照らされて、また眩いと感じた。少し顔を顰める。
そんな私などお構いなしに、白い大きな門のどっしりとした姿が、目に飛び込んできた。
一番内壁に位置する門であり、王宮の正門でもある大門――『百花門』だ。
そして、この門の両側からは王宮を囲むように、緩やかな丸みを帯びた白い石壁が続いていた。
門全体には、枝葉のついた金色の牡丹が咲き乱れ、模様となって装飾されている。
外から見れば、その模様が朝日に照らされキラキラと輝いているはず。
昨日の雨が朝露のように残っていれば、無数の小さな光の粒となって、輝きは更に増しているだろうね。
百花門は横長の門だ。高さもあるが、横幅の方がやはり若干広い。
その幅も、門口が三つあるので、かなり大きくなっていた。
この門口の数は、外壁門までにある全ての門に共通している。
正門以外の内壁にある門は、内層と中層の境に東西南北で一つずつ。
同じく中層と外層の間にも、東西南北に一つずつ。そして、南に外壁門が一つある。
これらは姿形に違いがあれど、皆三つあるのだ。
門口は真ん中が一番大きく、主に馬や馬車が通っている。
馬車を七、八台くらい並べて走らせても、余裕で入れるだろう。
ただ、緊急時でもない限り、馬車の並走は片側三台ずつ、計六台まで。
馬も馬車一台分として見做される。
そして左側通行。この左側通行ってのはトゥアール王国だったらどこでも同じ。一応ね。
これらが、ここで馬車を走らせるための取り決めとなっている。
坂道になると、また違って来るんだけどね。
ちなみに、私が乗る馬車は、緊急時云々関係なくど真ん中を通ってもいい。
これは王族の特権だ。
左右の門口は、同じものが小さく一つずつあり、馬車二台がギリギリ通れるくらいしかない。
でも、こっちは人が通れればいいので、これで十分。
この三つの門の内、どれでもいいから一つ選んで通り抜ければ、外に出れる。
そしてその後は、内層、中層を順々に通過し、外壁門を目指してどんどん南下していくことになるのだ。
先は長いが、この百花門さえ越えればこちらのもの。気を引き締めなおして頑張ろう。
「人が少し多くなっているな……。馬車もそれなりに来てるのか……」
百花門をくぐってきている馬車も、その両脇に人の列も遠目に見えた。
人の数は、遠くなるほど多いみたい。
正面玄関と百花門の間にある長い石畳の大路が、所々斑点のようになっていて、色を濃くしているのも分かる。雨上がりにはよくある風景だ。
人の列は、そんな石畳の上を切れ切れになりながら、正面玄関前の階段を上り、ここまで続いていた。
馬車は、縁石に挟まれた真ん中の道路を、二、三台程がゆっくりと行き来している。
目線を手前にずらせば、そこは馬車の発着場を兼ねた、百花門より横長の大きな広場。
幾つもの馬車が停まり、人が降りている様子を見て取れた。
そして、人を降ろした馬車が、縁石に沿いながら円を描くように通り過ぎ、徐々に進路方向を変えて、そのまま百花門に向かって走っていく。
正面玄関前では、縁石が丸く敷き詰められているんだ。
馬車の発着がしやすいように、そうなっているんだよ。
「シビアナいないな……」
周囲を警戒しつつ、階段の上からさりげなく辺りを一望した結果、彼女達の姿を確認できることはなかった。
私は、百花門に向かって右へ逸れながら、出入り口から扇状に広がっていく階段を下り始める。
ふーむ。
ここまで来ても、奴の姿が見当たらないって事は……。
イージャンの情報は本当に正しかったのかもしれないな。
シビアナ、今家を出たくらいじゃないか?
そうであることを切に、切に願う。だが、先程のテオルンとシトエスカの例もある。
どこで遭遇するか分からないから、用心していくことに越したことなし。
とはいえ、お尻のおかげもあって、左側は今も相変わらずの死角。
見れる範囲は限られたままだ。だけど、大広間の時のように、体を振るのは流石に憚られた。
外だから周囲も明るい。動きも目につきやすいし、右腕で顔を隠しても限度がある。
振り向き様に見える顔だって、見分けやすくなっているだろう。
状況がさっきとは違うのだ。
せっかくここまでバレてないんだから、今度こそ余計な事なんかしたくない。
ただ、このまま死角がある状態で、百花門まで行く気もない。
手はあるのだ。迂回したこの先にね。ふふふふ。
テオルン達の騒動のおかげか、私の心にも余裕が出来た。
シビアナの恐怖には、まだもう少し耐えられるであろう。
これが限界にならない内に、さっさとここをおさらばできる手なのだよ。
さらに、だ。
私には、追い風も吹いている。
「来た……」
途切れ途切れになった人の列が一つの塊となり、私のすぐ側を通り過ぎていく。
今までで一番近い距離だ。でも――。
――よし、じっと見ている視線も感じない。足を止めたような気配もいない。
驚きの声を上げる者もいない、な。
どうやら、どれだけ近かろうが、難なく危険を回避できているみたいなのだ。
よくて一瞥ぐらいなんじゃないかな? だーーれも気に留めないんだもの。
私の予想以上に、この作戦は上手くいっていた。
顔が見えないってのは、やっぱり大きい。
でもね、私の変装技術も素晴らしいと思うの。
ほら、歩くこと一つにしたってさ、その技術に含まれるわけじゃない?
女性の侍従官に見せる歩き方とかさ。あるわけよ。
侍従官に変装するという事は、その役を上手に演技するという事。
そのためのコツがあるのだ。
私、いつもよりちょっと内股になりつつ、恭しくしなやかに歩いてるの。
膝からではなく爪先から前に出すって感じ?
これだけでもね、かなり雰囲気が変わってくるわけ。
いい塩梅で醸し出されてるんじゃないかなー?
侍従官の風格ってやつがさ。
そう思うな。えへへ。
私としては、シビアナとシトエスカを足して二で割った感じだと自負している。
しかし、仮にテオルン成分を入れていたとしたら、この作戦は即座に破綻していただろう。危ないところであった。
いやー。私の変装技術ってホンット捨てたもんじゃないわ。
ササレクタが、異常過ぎるんだって。
私の変装を簡単に見抜く、あいつがおかしいんだよ。うんうん。
あいつは例外、例外なのさーん。はははは!
気を良くした私は、自信を既に取り戻し済み。予期せぬ収穫である。
まあ、だいたいにして、王女がこんな朝っぱらから侍従官の格好してるなんて、誰も思わないよねえ。
それが私の変装技術も相まって、ただの侍従官がただ荷物持って歩いてるなってくらいにしか意識させないのさ。違和感を抱かせない程にね。
いやはやホント冴えてたわ、私。
イルミネーニャにも感謝だね。この子何あげよっかな? うーん。
私は、彼女の臀部を見ながら考えを巡らす。
そういえば――。レイセインが行きつけの店で、良い弓が入ってたって言ってたな……。
他にも、矢とか矢筒。矢は良い羽使ってるって言ってたし、矢筒も可愛いのがあるらしい。
それ纏めてでいっかな? 奮発しようじゃないか。ふっふっふ。
一度、レイセインも連れてその店に行ってみるとしよう。
そもそもイルミネーニャがいなければ、有り得なかった作戦だ。
邪魔なこのお尻の分を差し引いても、彼女は十分私の役に立ってくれていた。
この後も役立ってもらうつもりだしね。
だから当初の予定通り、ご褒美はちゃんと用意したい。
ただし、この作戦が成功したら、だけど。これも当初の予定通りだ。
「さてさて……」
階段をゆっくりと下りつつ、お目当てのものをじっくりと眺める。
私の視線は、馬車が到着しているその先――。
馬が二列になって六頭繋がれている、側面が長い大きな箱のような馬車だ。
御者席は、前方のその先に。車輪は左右に四つずつ。屋根はついている。色は黒。
ここからじゃその屋根で見えにくいが、窓もあって、側面の上半分に縦長のが並べて五つずつある。
そして、馬車の前後にある出入り口から、何人もの人間がぞろぞろと降りてくる様子を見ることが出来た。
今停まっているのは、あの一台だけか……。
これもう少しすると、この馬車の数も多くなるはずなんだけどね。
後方からも、もう一台来ているみたいだ。
同じような馬車が走っているのが、小さく見えた。
あれは、乗合いの馬車だ。駅馬車ともいう。
東西南北には、内層から外層までそれぞれの門を、まっすぐ繋ぐように伸びる坂になった大路がある。
道は石畳で、幅は百花門と同程度。
南は、外壁門まで一直線だ。
他は王宮の周りを一周している大路に繋がっていて、そこから百花門の前で合流できるようになっている。
路線は、その東西南北の大路に一つずつ。そして、屋根の色でどこの路線か分かる様になっている。
東は白。西は青。北は黒。南は赤だ。
この馬車の屋根は黒だから、北行きの路線であるのは一目瞭然。
うむ。分かりやすいのは良い事さ。
馬車の停まる駅は、外壁門から王宮にかけていくつもある。
そこを順々に通り人を乗せながら、この王宮にやって来るのだ。
わざわざ駅で待たず、走っている馬車に飛び乗る者もいるけどね。
もちろん、飛び降りる者もいる。
でも、この馬車は無料だから、支払いをする必要がない。
どこで乗ってどこで降りようが構いはしないんだ。他人の迷惑にならないなら、後は自己責任で問題なしさ。
それから、馬車が坂を下る時には、大きく蛇行させるように走らせている。
つまり、極力勾配を作らないようにしてるってわけ。
うちの王宮は、基本緩やかな坂と平地が交互に続く丘の上。
山の傾斜のように急な坂ってのはない。だから出来る芸当なんだろうね。
馬車ってのは、坂道が苦手だ。
上り坂は、ここの坂くらいなら、まあ真っ直ぐでも行ける。我が国の馬は、他国に誇れるほど屈強だからね。
だけど、下り坂となれば話は違ってくる。
緩やかな坂とはいえ、馬車の速さがどんどん増して止まれなくなるんだ。
人が多く乗ってれば乗ってるほど、止まりにくくなる。
大勢乗り込む乗合馬車ともなれば、尚更だ。
停車用の歯止めにも限界があるんだよね。
馬にだって負担となるし。
でもここの丘は、速度に勢いがつきすぎる前に、平坦な道になるから大きく蛇行してれば大丈夫だ。
平地で速度の調整ができる。そして、また次の坂で蛇行運転。で、平地で調整。その繰り返しだ。
ササレクタとかだったら、そんな配慮は関係なしだな。
力づくで止めたりできるだろうね。
けど、あんまり速すぎると馬車の方が駄目になるし、石畳で出来ているその道も損壊する恐れがある。
ま、それは兎も角として。
私は、この馬車を利用して百花門を抜けるつもりなのだ。
上手い事乗りさえすれば、後は門の外までまっしぐらさ。
これも運が良いよね。ここに停まっているんだもの。
いなければ、少し待つ必要があったな。
皆が王宮へ向かっている中、そこで立ち止まり続けるという目立つ行為は極力したくない。
だから、あまりにも待つようなら、最悪右の門を歩いて抜けることも考えていた。
でもこれだと、どこかでシビアナの恐怖に負けて振り向いていただろう。
それに、向かって来る者達の視界にも入りやすい。ずっと先から私の姿が見えてるわけだし。
さらに門の外では、兵士達が王宮に入って来る者達を監視している。
出ていく者には注意がいきにくいとはいえ、そこを歩いて進むとなると、馬車とは違って長いこと後ろ姿を晒すことになる。
それをずっと見られているのだ。
すれ違うのとはわけが違う。
荷物を抱えて歩く私の姿は、やはり目を引きやすいはず。
記憶にも残りやすいだろうし、見張りの兵士ともなれば訝しむ者は訝しむ――かもしれない。
そうなったら、私に待ったがかかることになるだろう。
「あーちょっとそこの君、どこの子? こっち向いてみて」
「え、いやその……」
「怪しいな……。早くこっちを向きなさい」
「は、はい……」
「ええ!? 姫様!? し、失礼しました!! どうぞお通り下さい!!」――みたいな?
もちろんその後は、シビアナに一報が入るであろうことは言うまでもない。
「あの……。なんか姫様、侍従官の服で外に出て行かれたのですが……」――的な?
この可能性は捨てきれないよね。
それに、そのまま確保される可能性だってある。まあ逃げるけど。
でも、その時点で作戦失敗だ。同じようにシビアナへと知らせが飛ぶ。
故に、徒歩で門を抜けるのは悪手と言えよう。
だから、馬車が停まってて良かったってわけだ。
ふふん。追い風が、さらに強烈になっている気がするわ。
「降りる人間がいなくなったな……」
馬車の中にいた人間は、階段を下りきったあたりで全員降りていた。
まあ、そうなるよう歩調を意図的に調節していたんだけどね。
王宮へ上って来る乗合馬車の終点駅は、もちろん正門である百花門の外だ。そこで一旦、皆下りる。
降りた者は、百花門の左右の門口をくぐって王宮へ向かうことになる。
乗客を降ろした馬車は、王宮から外に出るものを乗せるため、この正面玄関までやって来る。
下りの始発駅は、ここになるのだ。
今、馬車から降りている者達は、百花門を通過した乗合馬車にもう一度乗り込んだ者達だ。
走っている馬車に飛び乗った、歩くのが面倒くさいっていう連中さ。
百花門から王宮まで、それなりに距離があるからね。
だから結局、始発終着駅はこの玄関前になってしまってるのが現状だな。
その横着者達が、ぞろぞろと私の死角を通り過ぎ、人の列に加わりながら階段を上っていく。
だがやはり、私の事に気付いたような者はいない。けっけっけ。余裕余裕。
この馬車に乗り込もうとする者も、見当たらなかった。
立ち止まっている者はおらず、皆留まることなく正面玄関に向かっている。
早朝だし出勤する時間だから、降りる者はいても外に出ようとする方は、逆に珍しかろう。
しかも丁度いい具合に、人の列が途切れている。
停まっていた馬車も、目の前にある分はもう走り去った後だ。
これで、広場を横切っても私の顔を見る者はいない。
まさに絶好の機会。我が追い風、吹きすさぶ嵐の如し!
乗合馬車の前方にいた御者が、動きを見せる。
後ろを振り返り、馬車の中を確認し始めた。
――そろそろだな。
そう思っていると、案の定「はっ!」という叫び声と共に鞭を入れる音が鳴り、馬車がゆっくりと走り出した。
すかさず私は、その馬車の進む先に合わせるよう歩き寄る。
よおし、絶妙な距離だ!
走らずとも、これならばっちり!
狙いどおり、馬車は正面玄関へ差し掛かった辺りで、目の前に現れる。
私は、すれ違いざまに後ろの出入り口にある手摺を掴んだ。馬車の速さに合わせ、少し足取りが早くなる。
ここは焦らず慎重に、と――。
あまり急に中へ入ろうとすると、馬車の速さが変わるかもしれないからね。
誰かが乗ったのかと違和感でも覚えられて、御者を後ろへ振り向かすのは避けたい。
その御者の様子を窺いつつ、ゆっくりと体重を馬車へ移すようにしながら、体を引き寄せる。
そして、音を立てないよう出入り口の床に降り立った。
御者は、手摺を掴んでからここまで、こちらに振り向くことは一切ない。
私は、そのままするりと馬車の中に潜り込んだ。
完璧。
見事、誰にも気づかれることもなく、馬車の中へ到達した。
ふふふふふふ……。ふははははは!
よおおし!! よおおし!!
あとはこのまま百花門の外まで、馬車に揺られてやり過ごすのみよ! わはははは!
馬車の中は、座席が周りを囲むように備え付けられている。
私は、体を屈めながら左側の一番手前の席まで行き、その下へ御者の死角になるようにイルミネーニャを寝かせる。
そして、そのまま身を潜めるよう床にしゃがんだ。
これで、外からは私の姿は全く見えない。
死角も気にしなくても良くなった。
しゃがみ込んだままではあるが、辺りをぐるっと見渡せるようになったのだ。
これだけ見れれば、シビアナの影に怯えることはないさ。
あとは、御者と前後にある出入り口を、注意しとけばいいだけだ。
御者が後ろを向きそうになったら、私も座席の下に隠れよう。
問題は、この馬車に乗って来る者がいるかもしれないってことだが――。
その場合は、甚だ不本意ではあるが、先生直伝、極み当ての餌食になって頂こうか。
素晴らしい夢の旅路へ、王女様が直々に誘って差し上げますわ。おほほほ。
外壁門から一直線の南に向かう馬車でなくて良かった。
あそこはどうしても人通りが多い。一際賑わいのある通りなのだ。
元より人気の少ない道に逸れるつもりだったから、こちらの方が都合がいい。
とはいえ、北に向かう馬車ってのは忘れないようにしなければ。
そんなに長くは乗らないよう注意が必要だ。
百花門の外には哨戒している王宮兵士がいる。
その姿が見えなくなる辺りまで、乗っけてもらえばいいかな。
その後は、さっさと馬車から降りよう。
そして、先生の研究所を目指すのだ!
私は決意を新たにすると、念には念をとばかりに意識を希薄して静かに気配を消す。
乗合馬車は、玄関前を曲がり終えると、速さを増し百花門に向けて走り出した。
イージャンは、もしかしたら乗合馬車で来たかのかもしれないな。
あいつ、ふらふらだったし。
シビアナん家も馬車を持っているけど、そんなに使ってないみたいなんだよね。
歩いて来たり、馬車で来たり、まちまちだ。
ああでも、私が昨日乗っていた馬車があるのか。
それで来た可能性もあるな。イージャンでなければ、シビアナが乗って来るのだろう。
そんな事を考えながら、百花門を通り過ぎるのを、私は息を潜めて待っていた。
すると、辺りが暗くなる。門の中に入ったのだ。
聞こえている蹄や車輪の回る音が籠り始めた。似たような音も幾つも響いてくる。
やっぱり、最後の時って緊張するな。鼓動が早くなる思いだ。
「ふうぅぅー……」
逸る気持ちを吐きだそうと、自然と息が深くなる。
そのおかげか、落ち着いてはいた。それでも、少しだけ緊張が残っている。
私はただじっと待つ。まあ待つしかできないのだが。
でも、何かに身を委ねるだけで、自分は何もできないってのはもどかしいもんだわ。
外から響いてくる馬車の音が、やけに耳につく。だが、それも思っていた以上に早く消える。
辺りがまた明るくなった。百花門を通り過ぎたのだ。
抜けた……。遂に抜けたぞ! ふははははは!
よっしゃああああああああ!!
私は心の中で両手を掲げ、雄叫びを上げる。
しかし、油断は禁物。馬車が、百花門を離れるまではこのままだ。
飛び出したい衝動をぐっと堪える。
それから、百花門から十分に距離が取れたと思った頃。
――そろそろ降りよう。
私は意を決するとイルミネーニャを引っ張りだし、脇に抱えた。
そして、後ろの出入り口に向かうと、身を潜めながら辺りの景色を眺める。
さて、どのあたりを走っているのかな? 確か東に曲がったよな……。
私の乗っている馬車は、王宮の周りを囲む道を走っていた。
この馬車の屋根は黒。恐らく東から北へ向かう馬車なのだろう。
その北とは逆の南に目を向ければ、王宮とその大路を挟んで、貴族の大きな邸宅が並んでいた。
いわゆる貴族街と呼ばれている場所だ。クロウガルの邸宅もあるが、こことは逆方向。西側だ。
邸宅と邸宅の間には、馬車二台が行き来できる程度の道がある。
一応大路以外は、馬車が坂道下るのは危ないって事で禁止されているんだが、通れるようにはなっていた。
そこに入り込めれば、脇道を使って内層と中層にある門まで行ける。
その脇道が見えてきた。人の数は疎らだ。
皆王宮に向かっている者達の様だが四、五人程度。大路の貴族街側にある歩道をぽつぽつと歩いている。
しかも、この馬車が脇道に差し掛かる頃には、遠くに人が見えるのみになりそうだ。
イルミネーニャを右肩に担いで顔を隠せば、何ら問題ない。その者からは、私の顔は見えなくなる。
「よし、頃合いだな」
私は、周囲に人がいない事を確認すると、イルミネーニャを右肩に担ぎ馬車から飛び降りた。
そして、極めて自然な足取りを装い、そのまま脇道に入り込む。
早朝であってか、その脇道には人っ子一人いなかった。
「ふううー……」
中間報告。
我、百花門を誰にも悟られず、無事通過。
王宮内に自身がいるよう錯覚させることに成功せり――。
私は、とうとうこの作戦の最難関を突破したのであった。
「ふふ……」
自然と口がにやけ、笑いがこぼれる。
ふふ、ふふふふ……。ははははは……。はーっはっはっは!!
よっっっしゃあああああ!! 勝った! 勝ったぞおおおおお!!
更に顔がにやける。頬のあたりのお肉が上がっていくのが分かった。
はーっはっはっは!! 心ウキウキ、心晴れ晴れ!
全てが解き放たれていくぅぅー! わっしょおおおおい!!
テオルンではないが、私も小躍りを披露したい心境である。うはははは!
しかし終わってみれば、実に呆気ないものだった。シビアナの事を除けば、順調であったといえよう。
そして今となっては、それすらも詮無きこと。
シビアナ? 誰それ? みたいな? はーっはっはっは!
いや、むしろ順調すぎたといっていい!
何故か? それは私が凄すぎるから。
どんな事でも完璧に成し遂げる力! 変装技術! 度胸! 冴え渡る知性! そして運!
いよっ! この完璧王女! 憎いねえーこのおお!
いやあ持ってるなあー。私持ってる。
何を? 全てだよおおおお!! は-っはっはっは!
自画自賛。私はこれまでの鬱憤を晴らすかの如く、自分を褒めちぎった。
そして、興奮収まらぬ中、イルミネーニャを起こす準備を始める。
はっはっ、まあ私にかかれば造作もない事よ。
よおし、このまま外壁門まで突っ切るぞ!
「おはようございます、殿下」
「ぎょお゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!?」
背後から突然、声が聞こえた。今一番聞きたくないあの声だ。
私の体は過剰に反応し、咄嗟に後ろを振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。
邸宅の塀と塀に挟まれたこの脇道と、馬車が走っていた大路の丁字路が見えるのみ。
「はあ、はあ、はあ……。え……?」
えええー……。嘘おぉー……。だ、誰もいないじゃない……。
幻聴なの……? ううっ私は何処まで――。
まるで、調子に乗った私を嘲笑うかのような出来事。
そして、シビアナの恐ろしさが、骨の髄まで染み込んでいるかのような反応を見せる私。
あの、これ超恥ずかしんですけど……。
良かった、人いなくて……。
だが、そんな訳はなかった。幻聴なわけなかった。
私の死角なっていた邸宅の塀の陰から、ゆっくりと人の顔が見えてくる。
「ぎゃあああああああああああああああああ!?」
私はその顔を見て、お腹の底から二度目の絶叫を上げた。
シ、シ、シシシシシシシシビアナああああ!?
シビアナが、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
その美しい顔に氷の微笑みを湛えながら。




