第5話 脱走 その4
正面玄関の出入り口は、幅は中央廊下と同じくらいだが、高さはその半分くらいだ。
その姿が、徐々に迫ってきている。
歩いた距離は半分を過ぎ、残りは恐らく三分の一くらいだろう。
入って来る通行人の数は、幾分か増えた印象を受けるが、その中に知り合いの姿があることはなかった。
誰かに声を掛けられるようなことも、未だに起こっていない。
行路は極めて順調。
このまま事もなしに、外へと出たいものだ。
しかし――。
「ううっ。怖いよお……。あいつ、いるんじゃないの……?」
肝心の私が、再びシビアナの恐怖に苛まれていた。
五度目の。そう五度目……。
『シビアナの姿がないかを確認して、ほっとする』
『余計な動きをして、バレる危険性を無駄に増やさない』
相反するこの二つを天秤にかけた結果――。
保身を愛する我が乙女心は、今までの主張を覆し、シビアナの恐怖をかき消す方へかくんと傾いたのだ。
「どうしてですか、保身様!? 何故ここに来て、その様な事を仰るのですか!? 一度目はいい! あれは別だ! 必要な行為でした! しかし、これ以上は――!」
「状況が一変したのだ……。私はこれより、シビアナの姿がないかを確認してほっとする……」
「何という馬鹿な事を……! こんな事を繰り返せば、この作戦は失敗します!」
「ええい! 黙れ、この愚か者が! これでも喰らえー! そりゃー!」
「あーれー!」
こんな感じのやり取りが、私の中でもう既に三度も勃発。
そして、三回も体を振り回すという醜態を晒す羽目に……。
一番初めを入れれば四回になるね……、とほほ。
しかし、シビアナの姿を確認したいという内から沸き起こる脅迫じみた衝動に、どうしても勝てなかった。
こんな私を、笑いたくば笑うがいいさ。
でも、怖いの! 滅茶苦茶怖いんだよ!
あいつ本当にこういう状況を、嬉々として楽しむ性質なんだよっ!
だから、私が一番損害を受ける時を、虎視眈々と狙い澄ましているの!
そんな気がしてならないんだよおおお! うわああああん!
アホみたいに疑心暗鬼に陥った挙句、心が勝手に憔悴していた。
この作戦は、そもそもが失敗だったのではないか――。
そんな弱気の言葉も、私を掠める。
いや! そんな事はない!
頑張れ私! 負けるな私! 出口までもう少しだ!
気を使い過ぎているだけかもしれない。
幸いにも、私の事はバレてないみたいだから、今までの愚行も帳消しにできる。
状況は決して悪い方へ向かってはいないのだ。
――だから、最後にもう一度だけいいんじゃないかな……?
これ見たら、もうやらないから!
終わりにするから! ねえ、いいでしょ!?
お酒に溺れた者が口にするようなことを考えながら、私は自身の正当化を謀リ始めた。
そして――、
「おりゃ……!」
自身が葛藤する間を与えないようにと、すかさず体を後ろに振り向ける。
すると、そこにはやはりというか何というか、シビアナの姿はなかった。
は、ははははは……。いない……。いないな……。ううっ!
また、やっちまった! 馬鹿、私の馬鹿ー! びえええん!
後悔先に立たず。私は五度目の愚行を繰り返しただけであった。
しかし、それでも得るものはある。それは、安らぎ。心の安寧。
例え仮初のものであろうとも、シビアナに蝕まれた私の心を癒していく。
ま、やっちまったもんは仕方ないよね。えへっ。
それよりも、状況を確認できるこの機会を、有効に使わなきゃね?
再び気分が前向きになった私は、周囲の様子を見ようとこなれた動きで目を凝らす。
「――ん?」
すると、出入り口に随分と近づいたせいか、気付いた。
出入り口の丁度真上には、最近新しくなった丸い窓がある。
その大きさは、出入り口がすっぽり入るくらいだ。
この窓にも、もちろん色彩硝子がはめ込まれており、他の窓と同じように朝日を受けて、斜めに降り注ぐ色鮮やかな光の筋をつくっている。
そして、その光が差す先を目で追いかけていくと、大広間に入って来た者達が次々と照らされていた。
照らしているには、いるんだよね……。でも――。
少し妙だ。何やらその光を避けるように、皆迂回している。
何でそんな事をする? 眩しいのか? いや逆光だから別にそんな事は――。
「あれ?」
通り過ぎていく者達の隙間――楕円となって映し出された鮮彩に光る床の中心。
そこに、黒っぽい塊のようなものが見えた。
何だろう……? 誰かが、荷物を置いたのか?
疑問に思った私は、首を傾げる。
そして、その正体は何かと視線を凝らせば、そこには逆光で暗くなった一人の女の子の姿が。
ただ、黒く見えにくくなっていても、そこまでではない。どんな女の子であるかくらいは、分かった。
胸元まで伸びた緑色の髪を、三つ編みにしたおさげ。
そして、顔からはみ出しそうな丸い眼鏡が、彼女一番の特徴だ。
口許はよく見えないが、いつもなら確かぶつぶつと何かを呟いていたはず。
その彼女は出入り口を背にし、片膝をついている。
そして、程よく実った自分のおっぱいの前で、両手を上下に大きくすり合わせ、時折手拍子しながら交互にその手を天井へ向かって伸ばしていた。
これは彼女独自の姿勢。
聞けば、己の中に神を降ろす儀式だとか。何じゃそりゃ。
――って。
あの子、テオルンじゃないかよ!
最悪はいなかったが、私の侍従官を見つけてしまった。
しかも、よりにもよってテオルンだ。
ていうか、何時からそこにいたんだよ……。
私全然わからなかったんですけど。
相変わらずの出没自在っぷりを、所構わず披露してくれるな、お前は。
彼女は私の侍従官――、変人筆頭。
「私の侍従官の中で一番変な子は誰?」と聞かれたら、すぐに彼女の顔が浮かぶ。
彼女の実家は、代々王都で花火職人をしているんだ。
それが影響しているのか、芸術肌な子でいつも色んなことをしている。
絵描いたり、石像彫ったり、新作の花火を考案したり、他にも色んな実験や発明したりと、まあ色々だ。
ちなみに、テオルンの後ろにあるあの丸窓は、彼女作だったりする。
ただ、失敗も多くてね……。
私も何度か巻き込まれたっていうか被害を被った。
数々の問題行動を起こす彼女は、常に私を悩ませてきたのだ。
まーでも、あの子がいないと困るんだよね……。凄い技術持ってんのよ。
そんな彼女が、また何かやってるようだ。まあ神様降ろしてんだろうけど……。
彼女曰く、あの儀式が成功すると、新しい閃きが訪れ素晴らしい作品が作れるんだって。
でもさー……。私は、テオルンの周りに目をやる。
あーほら、通り過ぎていく奴らが、呆れた顔してんじゃん……。
皆、まるでアホの子を見るかのような目をして歩いていくのだ。
これは如何なものか。
あれ子供がいたら、「あのお姉ちゃん何してんの?」って絶対指差されるわ。
そんで、その子は母親に「見ておきなさい。あんな大人になってはいけないっていう良い例よ」って絶対教訓にされるわ……。
ていうかさ! 何か私も恥ずかしんですけど! 私まで居た堪れないんですけど!
段々、見ているのこっちが辛くなってきた。非常に痛々しい。
しかもこれ、私の評判に関わってくるんじゃないかよ!
監督責任はシビアナにあるわけだが、私にもその影響は勿論あるわけだ。
なんたって私の侍従官だし。「また、殿下の侍従官が……」って陰口を叩かれるのだ。
それに、彼女は悪い意味での有名人。
ある事件により、その悪名が広く知れ渡ってしまったのだ。
爺にもすぐ伝わるだろう。
そうなると答えは一つ。
シビアナは何も言われないんだぞ! やめてくれよおお! また私が代わりに怒られるじゃんか!
ってことにもなるのだ。
「テオルン! こんな所で何してるの!?」
この声――!?
私が苦悶していると、ここにいる皆の声を代弁してくれる者が現れた。
出入り口の方から走って来た彼女は、人込みを掻き分けてくる。
そして、その中から見える聞きなれた声の持ち主は――。
「テオルン! 聞いているの!?」
やっぱりシトエスカだ!
現れたのは、ちょっと焦った様子のシトエスカだった。
どうしてあの子がここにいるんだよ!? 片付けしてたんじゃないのか!? 厨房は王宮の奥だぞ!?
ていうか、やっばいわ、これ……!
ここに来て要注意人物が、二人も現れてしまったのだ。
私は体を元に戻すと、早く出入り口から外に出ようと先を急ぐ。
ただせめて、彼女たちの会話は聞こうと、意識を集中させた。
私に気付けば、その会話の中で何らかの反応があると思ったからだ。
でもやっぱり、見えないってのは痛いな。対処が後手後手になる。
何とかこちらに気付かないで去ってほしいが……。そう願いながら耳を澄ました。
「テオルン!」
シトエスカがテオルンに呼びかけている声は、雑踏が響く中どうにか聞こえてくる。
そして、その声が少しずつより鮮明に聞こえてきている気がした。
出入り口が近づくにつれ、私と彼女たちの距離が縮まっているせいだろう。
しかし、どうやら私の事は見向きもされていないようだ。
テオルンの名を呼ぶ叱責の声が、辺りにこだまする。
シトエスカの注意はテオルンに向かっているのだ。
「テオルンってば!」
「――ちょっと待って。今いいとこ」
「ええ!?」
「来そう……。来そうなの。神様がこっち見てる。ちょっとこっちチラ見してる」
やっぱり神を降ろす儀式で間違いなさそうだ。
でも、そんな所ですんなよ。お前には羞恥心というものがないわけ?
「ここでそんな事していたら、他の人に迷惑よ! いいから早く立ちなさい!」
ホントその通りだな。
シトエスカ、すまんが頼むわ。
さっさとそいつを、この場から撤去してくれ。私はシトエスカに念を送る。
「テオルン!」
「――ああん、もう! 折角いい所だったのに! もう少しで両足掴んで引きずり込めたのに!」
引きずり込むって何だよ……。
そして、お前の神様に対するその態度は、本当にそれでいいのか?
いや、何を信仰しているかは知らんけどさ。
まあいいから、早よ行け変人筆頭。
「あなたは何を言ってるのよ……? いいからほら、立ちなさい」
「ちえっ。分かったわよ……。ったくもう少しで――、あっ……」
「え……? ど、どうしたの?」
おい、どうした? ホントにどうした?
何やら不穏な空気が漂ってきてるんですけど。
テオルンの様子がおかしい気がする。
私聞こえたからね。あの子「あっ」って言ったからね。
「来た。来たわこれええ……! 神様来た! 飛び込んできたあああああ! 罠とも知らず餌に食いついたああああ!!」
「えええええー!?」
おーーーい! 入っちゃったのかよ!?
これ碌な事になりそうにないんだが……。
「やったよ、シトエスカ! やった、やった、やったったああ!」
「ちょ、ちょっと、テオルン!? お、落ち着きなさい! 落ち着いてってば! お願いだから!」
うわあ……。シトエスカが物凄く恥ずかしそうだよ。声だけでもよく分かるわ……。
テオルン何してんだろ……。小躍りしてんのかなあ……。
でも、あの子の動き独特だからなあ。
人目の付くこの場所では、さらに恥ずかしいだろう。主にシトエスカが。
まあ、拍車がかかるだけにしかなるまいて……。
以前見たものは、酷かった。
体を仰向けにして手と足で弓なりに反ったまま、かさかさと周囲を徘徊していただけだったのだ。
あの子、それをこの前の舞踏会で、黙って披露しようとしてたからね。
内緒にしてビックリさせたかったらしい。
でも、あんなんされたら引くわ。驚くどころの騒ぎではない。会場の全てが凍りついてただろう。
訝しんだシビアナが、予行演習として事前にやらせたのは本当に正解だった。
ちなみに、テオルンはそのまま引き摺られて、シビアナの説教部屋行き。
その後、虚ろな目をして帰って来た。
「唐突なまでのこの閃き! これがあるから、やめられなーい! 止まらなーい! 最っ高だああああ! ひょーーーーう!!」
「こ、こらあ! テオルン! 踊るの止めなさい!」
やっぱり踊ってんだ……。今度はどんなのやら。
――あっでも、そっちの方が私にとっては有難いのか! 私はテオルンの利用価値に気付いた。
ここら辺りから、人との距離がぐっと近くなる。
しかし、テオルンの暴走が周りの注意を引きつけた。
あいつが独り占めしてくれてるわけだ。
これは使える!
許せシトエスカ……。今この作戦を成功させる事が、何よりも優先されるのだ!
よし! 思う存分やるがよい、テオルンよ! 行け行けー!
私はそう応援しつつ、そそくさと出入り口に向かった。
「はーっはっは! いつだってそう! 不意に訪れるこの瞬間が、私の至高の喜び!」
「テオルン! 私の話を聞きなさい!」
「そして、この喜びは私の作品として芸術となり世に誕生するのよ! わっしょい!」
「きゃあああ!? もういい加減にして!」
何だろうあの叫び……。一体どんなことが起こってるんだよ。
私は気になってしょうがない。
そんな私を余所に、彼女たちの恥ずかしいやり取りは、まだまだ続いていく。
テオルンの気分が落ち着くまで、終わることはあるまいよ。
「シトエスカ! 一緒に踊ろう! ほらほら!」
「ちょっと私に抱き着かないで! 止めなさい! どこ触ってるの!?」
「良いではないかー良いではないかー」
「こ、この――!」
「はーはっはっは! 芸術は――暴発だあああああ!!」
暴発させんなって。
また言ってるよ……。なに? 座右の銘にでもしようとしてんの?
でも、それ言ったらお前の家族全員に「やめろ!」って頭叩かれてたじゃんかよ。
お前ん家、花火扱ってんだから、その言葉は普通に不謹慎なんだって。
花火職人の中では禁句なんだ。
この子が言った暴発とか火事、爆発――火に纏わり事故につながるような言葉は、口に出さない。
火事と家事は同じ『かじ』だから、家事は『いえごと』って言ったりして『かじ』という言葉を避けてるんだよね。
「よおし、これであの秘められた内面を引きずりだし、白日の下に晒すことができる! そして、私の絵は遂に完成へと至るのだ! うひゃひゃひゃひゃ!」
怖い事口走ってんなあ、おい……。やめたげなよ……。
いや、お前の絵って確かに上手いけどさ。その口振りからは、嫌な予感しかしな――。
「殿下の肖像画――、これでいける!」
私!?
おい、ちょっと待て! 何描くつもりだ、お前!?
どうやら、彼女の絵の対象は私だった模様。
確か、白日の下に晒すとか言ってたな……。
てめえ……いい度胸だ……。
「もう! またそんなこと言って! 叱られるよ!」
おう、言ったれ言ったれ。
頭叩いてもいいぞ。私が許可する。
そして、憎ったらしいその口を塞ぎ、首根っこを押さえてそのまま連行せよ。
執務室に着いたら、椅子に座らせ縄で拘束し、鞭打って馬車馬の如く働かせるのだ!
出入り口はもう目と鼻の先。テオルンの利用価値は、既になくなっていた。
さらばテオルン。
ちゃっちゃと執務室へ行くがよい。
「いいじゃん、いいじゃん! こんなとこに殿下いないって!」
いるわ、ボケ。
「違います! ――シビアナ様によ……」
「う゛っ!?」
う゛っ!?
シトエスカの低い声から発せられた『シビアナ』という言葉に、私までビクついてしまった。
今の私には、奴の名が禁句だな……。
「私が言ってるのは暴発のことよ……。あなた、この前も怒られてたでしょ?」
「ね、ねえ、シトエスカ。言わないよね? シビアナ様には言わないよね?」
「はあ……、私が言わなくても手遅れです……」
「ええ!? どうして!?」
「分からないの!? もう……! ここでこんな事してたら、すぐに噂が広がるでしょ!?」
「そんなあー……!」
シビアナの名前が出た途端、テオルンの様子が急に大人しくなったように感じられた。
そして、徐々に彼女たちの声が遠のいていく。
どうやらテオルンは、シトエスカに連行されていったようだ。
シトエスカは――、災難だったな。お疲れ様。大変だったね。
だが、テオルンが起こした騒動のおかげで、私に注意が向くことは無かっただろう。
故にあの子には、一応感謝の気持ちを贈ろうじゃないか。良くやった、テオルン!
ただ、お前の絵については、後日、日を改めてお話ししようか?
王女様の検閲が如何に厳しいか、その体に嫌という程叩きこんでくれるわ。
こうして私は、正面玄関を無事に抜けることができた。




