第三七章 「Pursuit PhaseⅢ」
ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前15時27分 ノドコール中部 第1攻撃ヘリコプター群
『――全機始動!』
「始動! 高度500縦列!」
復唱と同時に、二等陸尉 蘭堂 健太郎は第1エンジン始動スイッチに触れる指に力を込めた。先駆けて稼働させていた補助動力装置に暖められたTS-2Bターボシャフトエンジンが覚醒する。鋼の猛禽が、今日も戦場の空に解き放たれる。
合金と複合材から成る無機的な塊が、ボタンひとつで有機体の様に鼓動を始める。それが生み出す人智を越えた暴力的なエネルギーの奔流を、APUが生み出す電子の手綱と鞭が奔馬の如くに制御する。こうしてAOH-01「グリフォン」攻撃ヘリコプターは一個の飛行体として覚醒し、兵器として飛翔する。
「ペットショップ3……回転計101……第2エンジン始動……Nr異状なし……地上電源切断よろし」
『――電源切断』
淡々と交信しつつ、操縦席から臨む眼前、機付長 根間 遥二等陸曹が、機の周囲に配された部下に喉を掻き斬る仕草をしているのが見える。地上電源ケーブルの切離しを地上員に命じているのだと判る。
その根間機付長は、普通科隊員と見紛うばかりの重装備に身を固めている。前線から比較的遠いロギノール飛行場ですら銃器所持が義務付けられていたから、そこから更に北への前進を果たせば、必然的に身に付ける装備の質は一変した。前進拠点となったこの場所の地面は、ロギノールの様なコンクリートブロック敷でもなければ日本本土の様なアスファルト敷ですら無い。北海道の牧草地の様な青々とした平原に、見渡すばかりの一帯が覆われている。
根間二曹の背後、いち早く電源切離しを終えた地上電源車が、軽やかに走り去る。それを見送る機上の健太郎の脳裏で、本土の演習場で繰り返した、屋外展開訓練の情景とそれが重なる。
『――ブルータワー、ペットショップ、離陸準備完了。単縦列陣形で集合、高度500で航過する』
『――ペットショップ、ブルータワー、風向20風速12 離陸方向北西 離陸を許可する』
「ペットショップ」編隊長 「ペットショップ1」今川三佐が、「ブルータワー」こと野戦管制班と交信するのが聞こえた。編隊は個々の判断ではなく、編隊長の統括する一個の「飛行体」として管制班の可搬式レーダー画面の中で扱われ、課せられた任務を実施する。海空自の航空部隊の様に、常時施設の揃った飛行場を拠点に作戦行動を実施することを陸自の飛行隊、特にヘリコプター部隊は前提にはしていない。
『――ゴング離陸する!』他編隊の交信が続けて聞こえる。それも「ペットショップ」に先行する意思表示であった。前進拠点となったこの広範な敷地の反対側に拠点を置いた攻撃ヘリ中隊だ。先日に本土から展開してきたばかりで、気が急いていると思えた。健太郎自身、戦地での飛行経験を重ねた結果、内心に余裕が生まれているのかもしれない。
ペットショップ1に続いて2が浮揚し、それは離陸出力に転じたローターが生む烈しい風圧となって風防を小刻みに叩く。電源ケーブルに続いて切離しを終えたインターコムのケーブルを巻き取った根間二曹が、風圧に踏ん張りつつ、親指を立てて健太郎に示した。自ずと漏れた微笑と敬礼で彼女ら地上要員に応え、「ペットショップ3」のコレクティブレバーを押し上げる。離昇――魁偉な外見と重武装に似合わない、軽やかな上昇に機首転向操作を重ね、「ペットショップ」編隊は一糸乱れぬ単縦列となって北の空を指向した。
その横――草原に佇む邸宅に、健太郎は一瞬目を奪われた。四階建、リゾートホテルと見紛うばかりに壮麗なローリダ様式の建物が、未完成の痕を残しながらも健気に聳えているのを見る。
攻撃ヘリ隊の前進拠点となったそこが開戦前、植民地及びローリダ本国の富裕層専用の狩猟場として造成されていたことを、健太郎たちは後になって知った。
「――我々の任務は、撤退するKS地上軍の残存戦力を掃討し、地上戦の早期終結を図ることにある」
出撃前のブリーフィングにおいて、今川編隊長はそう語り部下の奮起を促した。初出撃の時、東部山岳地帯に展開した友軍支援のために実施した掃討が、それから一週間が過ぎた今となっては、地上戦を終わらせるための掃討に性格を一変させていた。いわば追撃であった。
追撃は、戦線そのものの移動を意味した。会戦に敗北し、かつ中部の要衝イェリカドの救援にも失敗したKS地上軍主力、攻勢限界点に達し、キズラサ国の首都キビルの方向――北東方向――へと後退を始めた彼らを追撃し、その撃滅を容易ならしめるべく、PKF陸上自衛隊 ノドコール派遣統合航空旅団もまた作戦拠点の前進に迫られたのである。
特に攻撃ヘリ部隊にとり、大量の兵装を提げて反復攻撃に従事する以上、前線への接近は急務であった。前線に近い拠点を確保できれば、それまで増槽に占められていたハードポイントに武装を提げることが適う。それだけ攻撃ヘリ単体の攻撃力も増すのは自明の理である。拠点に相応しい土地の確保が旅団本部にとり至上命題となるのに、時間は掛からなかった。そして友軍の地上軍に、確保に廻す兵力上の余力は残されてはいなかった――旅団本部から上がった要求がPKF司令部に達し、そして司令部は要求の実行を本土の情報本部に「丸投げ」した。
情報本部の命を受けた現地情報隊「特務班」により、「野戦飛行場」が確保されたのは、健太郎たちが進出した前日のことである。
「野戦飛行場」と呼称されてはいたが、それらは開戦初日に海自潜水艦の撃った巡航誘導弾により地上設備も含めて完膚なきまでに破壊されており、それでも残されていた民兵主体の僅かな守備隊は、急進した特務班と彼らの率いた独立軍により短時間で駆逐――否、駆除された。
そこは本来は軍用ではなく、狩猟場に来訪する「利用客」専用の、いわば民間飛行場であったという。飛行場こそ使用不可だが、その広範な敷地内にヘリの離発着に必要な平地が残されていたことが、JABがこの地を野戦飛行場に再設定する動機となった。ロギノールから野戦管制班と航法機材がCH-47輸送ヘリコプターで輸送され、そこに陸路で支援隊が追従することで即製の航空基地が造営された。当の造営指揮官が驚く程の速度と手際の良さであったという。支援隊の護衛と飛行場の修復に予備自衛官主体の特設普通科連隊まで動員されたことが、PKF司令部の焦りの反面、こうした「後方支援」に精鋭部隊を宛がわない「余裕」の、相矛盾した感覚を伺わせた。
健太郎が発進の間際に目にした「邸宅」は、建設途上で放棄された迎賓館で、そこは現在奪取作戦に従事した独立軍の宿舎及び野戦病院として使われている。
必然的に健太郎たち飛行隊の隊員は幕舎住まいとなったが、もっとも、撤退時に敵が残していったであろう罠の存在を考えれば、飛行隊としては積極的に迎賓館を占有する気にはなれなかった。事実迎賓館では、占領後の捜索で数個の仕掛け爆弾が発見されたという情報が飛行隊には達している。
ただし日本でいうリゾート地を占領したことについて、飛行隊に余禄が無いわけではなかった。独立軍が迎賓館の食糧庫からローリダの食物や酒を持ち出して、「友軍」たる健太郎たちにおすそ分けをしてくれる。隊規上酒は飲めないが、友軍からの補給という形で俄然、飛行隊の食卓は豊かになった。それでも娑婆っ気の抜けない特設連隊の隊員の中には勧められるがまま酒に手を出し、懲罰の対象になった者も出ている……
「――ロメオの連中、こんな美味いもの食ってるんですね」
健太郎機の銃手、石森准尉などは夕食に出た燻製肉のローストを頬張りつつ、感心した様に頷いていたものであった。特にクリームと卵のたっぷり入った菓子などは、その甘味と物珍しさから女性自衛官の間で取り合いになっているとも聞く。健太郎はと言えば、缶詰のホワイトアスパラガス(に外見も味も似た野菜)がお気に入りだったりもする……と同時に思う。これらは所謂「庶民」の食べ物ではないのだろう、とも。そしてこれら施設の規模も調度も、明らかに「一般市民向け」ではない……
懲罰——と言えば、健太郎にとり気になる情報が部隊内では流れていた。過日、KS軍によるPKF隊員及び現地人大量虐殺の痕跡が発見された際、麾下の隊員にこう言明した普通科中隊長がいたというのである。
「――これより我が中隊は、一切捕虜を取らない!」
果たして、発言は上級司令部に達するより先、中隊隊員個人の私物たる通信機器を通じ、SNSにより日本中に拡散して国内を震撼させた。中隊長の一等陸尉は即座に任を解かれて本土に召喚されたが、それでも騒ぎは収まらず、ネット上では中隊長を批判する側と擁護する側に二分した論戦が始まり、それは政界にまで波及している。
「――斯くの如き蛮行を繰り返す連中が、我々と同じ人間である筈が無い。連中は人の形をした、『人ならざる何か』である。その様な『何か』に、貴重なる血税と人員を割き人間に準じる処遇を与えるのは如何なものか? 政府には現状の捕虜の処遇に対し再考を願いたい」
「――我々がローリダ人にならないためにも、政府としては敵兵に対し苛烈なる処遇は、断固として拒絶するものであります」
「――『魔族』に情けを掛ける勇者が何処にいるのか?」
「――その頭のつのを仕舞ってから出直して頂きたい」
「――愚弄するかっ!?」
「――頭を冷やせと言っている!」
前日、国会に於いて繰り広げられたという官房長官にして父、蘭堂 寿一郎と共和党幹事長 三杉 八尋の論戦を思い返しつつ、健太郎の意識は機上、グリフォンの操縦と任務に傾注する。
今となっては、先駆ける様に離陸していった「ゴング」編隊と並ぶ位置であった。その「ゴング」編隊の一機、胴体の日の丸と機番号が見える距離にまで「グリフォン」が近接づいている。その機首に刻まれた飛行隊章の勇ましさに、健太郎は思わず口元を綻ばせた。
母衣を背負って疾駆る騎馬武者をあしらった部隊章——「ゴング」編隊のそれは黄色く、「ペットショップ」編隊のそれは黒い。攻撃ヘリ隊が前線で「母衣衆」と呼ばれていることをネット伝手に知った国内のゲーム製作会社が、至急にデザインして防衛省伝いに送ってくれた意匠であった。云わば戦意高揚企画である。それでも馬上から槍を奮って敵陣を割り、逃げる敵兵を逐う騎馬武者という題材は、攻撃ヘリの性格によく似合う。
『――「ペットショップ」全機へ、「トリフネ7」より要請、攻撃目標は橋梁及び防御陣地。方位287』
「3……287!」
復唱し、フットバーを踏んだ。操作に反応しグリフォンは滑る様に旋回する。単縦陣は崩さない。整然とした編隊そのものが巨大な昇龍の様に、「連接」した無人偵察機の待つ方位へ向かう。戦線各地を飛ぶ中小型の無人偵察機、それらが捉えた地上軍の障害たる敵陣、敵車両、移動式レーダー他を選択し、何から先に叩くか決めるのは編隊長の専権事項である。
「ペットショップ」編隊は、完全に「ゴング」編隊と別たれた。機上データリンクが受信した戦術情報が更新される。健太郎が被るHMDのスクリーン上に地上目標を示す指標が投影ぶ――それも複数。ローター天頂のミリ波レーダーを起動させる暇は無かった。
『――全機へ、目標を分配する。使用火器ASMMPM! 捕捉し次第射撃せよ。散開指示あるまで待て!』
「3!……射撃準備よし!」
健太郎が声を上げるのと前後し、僚機からも「射撃準備よし」の応答が上がる。『――4! 射撃準備よし!』ともに分隊を組む「ペットショップ4」を、健太郎は反射的に顧みた。生熊一等陸尉の操縦するグリフォン。過日の山岳戦で被弾不時着し、負傷した日高二尉に交替る形で本土から補充された操縦士。健太郎より一回り年上、ヘリコプター乗りとしての年季もまた今川編隊長に迫るかもしれない。ただし攻撃ヘリ操縦士としての「旬」が、とうに過ぎている……彼の柔和な表情から、健太郎はその様な印象を受けた。
「4、編隊を乱さずに。今は自分のケツだけ見てればいいですから」
『――4了解……』挙動の乱れを指摘するのに、少しの勇気が要った。
『――声、テンパってますね』石森准尉が、囁く様に言った。『――大丈夫かな?』
「――オレ……あと三か月で除隊なんだよね。再就職先も決まってるし……ここに来て前線行きなんて困っちゃうよねえ」
「分隊長」健太郎に初めて引き合わされた時、生熊一尉は苦々しさを隠そうともせずに言い、今川編隊長は健太郎に彼の長機を命じた。今川三佐も生熊一尉と同じく操縦学生出身だが、分隊長指名にあたり、総飛行時間よりも戦場における飛行経験を重視したのだと当の健太郎にも理解る。それでも、難しい課題を押し付けられたという感慨は拭えなかった……もう少し「やる気」のある操縦士は、本土にいなかったのだろうか?
『――1、目標視認!』
今川編隊長の声と同時、多機能表示端末の一角、機体情報表示が戦術情報表示に切り替わる。統合ヘルメット照準装置のスクリーンガラス上、脅威圏接近まで投影され続けていた目標指標の矩形幾つかが、円形に切替わる。追尾指標――健太郎の獲物であった。
「3、目標視認! 追尾する!」
報告と同時にコレクティブのスロットル環を回し開く。急上昇――ほぼ同時に上半身に荷重が圧し掛かる。異次元に跳躍するかのような加速だと思えた。それでも僚機の報告を聞きながら、健太郎の眼は端末上で距離を詰める攻撃目標を見定めていた。
「石森、トラックナンバー013、015から攻撃する。攻撃後左旋回で離脱」
『――了解!』
「4、3は攻撃後左旋回、続航せよ。送れ」
『――あ……4!』
無線交信ではあっても、声が上擦っているのははっきりと聞こえた。健太郎の内心で余裕が不安に席を譲る。目標との距離が更に詰まる。MFDが、先行するUAV「トリフネ7」が写し出す地上目標を拡大表示した――白黒、だが明瞭な赤外線画像――機関銃の弾幕を撒くトラックと、無反動砲の塹壕陣地がそれぞれひとつ。遅滞戦術を展開するのに十分な戦力を、ローリダ人はなおも残していたということか……
『――目標捕捉、テッ!』
石森准尉が声を上げた。左右のスタブイングから一基ずつ。空対地中距離多目的誘導弾が赤い噴煙を上げて飛翔だ。銃手が撃った誘導弾が、白い軌条を撓らせつつ地表へと刺さる。後席操縦席の健太郎は、HMD上でそれらが目標を貫く瞬間までを注視する――不意にHMDに浮かぶ「×」表示――離脱指示の促すまま、健太郎はフットペダルを左に踏みこんだ。機首偏向に連動し右に流れ始めた目標示標、うち誘導弾を放った示標がふたつ、「HIT」の表示と共に消失した。『――013、015撃破! 撃破!』弾んだ報告を聞きつつ旋回を続ける健太郎の横、キャノピーの強化ガラスに外の光が反射する。
「4やめろ! フレアーは未だ早い!」
『――しかし敵地だろ?』
携帯地対空ミサイル射程外からの、不用意なフレアー投射を咎めた健太郎の耳に、それは明らかな不服となって聞こえた。フレアーの搭載量にも限りがある。防御手段の浪費は避けるべきだ。健太郎とて、それは今回に先立つ幾度かの出撃で経験があった。『――4、目標攻撃まだか?』既に攻撃を終え、再度の攻撃針路に入りつつある今川隊長の声がそこに挟まった。『――4、再攻撃!』攻撃を報告するのと同時、誰かの明らかな狼狽が、通信回線に重なった。
『――3、前方ミサイル! 回避! 回避!』
「……っ!」
まずい!――舌打ちと同時に健太郎はコレクティブを絞った。放熱を殺してMANPADSに備える。出力と浮力を失ったグリフォンが自転同然の旋回と急降下で低空を滑る。操縦桿が小刻みに振動して失速を健太郎に警告する。その間も健太郎は冷静なまでに、目標の位置を目で追っていた。
3を追い抜く形で前のめりになったペットショップ4が、全速を維持しつつ攻撃針路から逸れた。4に引き付けられたミサイルが、歪に旋回りつつも逸れて、あらぬ方向に飛んでいく。その一方、機上の生熊一尉が攻撃のタイミングも、速度を絞るタイミングも失したのは明らかであった。
『――トラックナンバー014、09捕捉!』
『撃て!』石森准尉が報告し、健太郎と同時に叫んだ。撃たれたASSMPMはまた二発。スタブウイングを離れたそれらが、直進から歪な旋回に入るのが噴煙となって見える。白煙を曳きつつ加速したそれらは、対処の遅れた地上目標を寸分違わずに直撃した。
撃破燃料車1、工兵作業車1――見届けた健太郎は愛機のコレクティブを押し開く。急降下の底から弾みの付いたグリフォンは猛然と上昇した。そこに――『――3! どうすればいい?』長機からはぐれ、驚愕とも戦慄とも付かぬ4の声が、イヤホンに掛けられる。
「攻撃と索敵に専念せよ! まだ敵はいる!」
『――……』
「4、応答しろ!」
『――りょっ了解!』
『――まったく……イライラさせる』前席、石森准尉の声が苛立っている。
『――3、4、編隊に戻れ! 急げ!』
「3、編隊に戻ります!」
『――4!』
今川編隊長に急かされる。踏み込んだフットペダルに反応し、HMD上の方位指標が目まぐるしく旋回る。多機能表示端末の地形表示上、不意に脅威示標が複数浮かぶ。示標名「MP」――携帯地対空誘導弾の有効射程圏に迫っていることを教えていた。今や編隊は横一線に拡がり、今川編隊長がそれを修正する兆しも見せない。間隔を開いて横一線で進撃し、敵が編隊の前に現れ次第に撃破する――指揮官たる彼がそれを企図しているのは明らかであった。ローラーで地面を均す様なものだ。
「上昇する! 高度3000。目標携帯地対空誘導弾。使用火器ハイドラGW!」
『――了解!』石森准尉が声を弾ませた。
「4は現高度を維持しつつ回避機動。敵の注意を惹き付けろ。携帯地対空誘導弾はこちらで掃討する」
『――よ、4!』
命令したところで健太郎は気付く――「新人」には酷な指示だったかと。
「安心しろ! 滅多なことでは命中らない!」
『――了解! 4回避機動!』
低空を飛ぶ4に敵の注意を惹き付け、照準を始めたところを3が狙う――健太郎の目論見はシーカーに補足された警報となって的中した。自動的に撒かれたフレアが燃え、機体を禍々しく彩る。フレアが効果を発揮する以前に、敵の照準にはまだ距離がある。MANPADSのシーカーが起動しても、完全に目標を捕捉するのには難渋する距離だ。敵は此方をより近くに惹き付けてから狙いを定めるべきであった。あの山岳地帯の戦闘の様に――雉も鳴かずば撃たれまい。焦っているのか?
『――トラックナンバー31、32捕捉!』
「撃て!」
誘導レーザー照射と、それに続く初弾発射――セミアクティヴレーザー誘導装置付き弾頭に換装されたハイドラ70ロケット弾が、滑る様な音と共に虚空を切って躍り出る。数秒の後、HMD上の目標示標に斜線が重なって消失えた。二基目も即座に後を追う。よく命中る。目が覚める様な手際の良さであった。
『――4攻撃替わる。3000まで上昇』
『――了解!』
フレアーを撒きつつ、黒い機影が上昇する。4と入れ替わり、健太郎は「ペットショップ3」を2000メートルまで降下させた。耳障りな警報音が耳を劈いて背筋を震わせた。生き残ったシーカーが此方を探っている音だ。だがやはり、完全な捕捉には程遠い。イヤホンに入るトーンが弱いからそれが判る。性能が良くない上に戦術も拙い。頭上から迫る脅威、それに対する恐怖を制御できないまま、敵はMANPADSを此方に向けている。
「3回避機動!」
叫ぶのと同時、フレアーボタンに指を掛けた。機外に弾き出たフレアーが、花火の様に機体の周囲を照らす。『――ミサイル接近!』石森准尉が叫ぶ。向かって左。地上から歪に曲がって上昇する白煙を見る。横転と急降下を駆使し、針路を交差させて回避する。ロメオのMANPADSの運動性が良くないことを、健太郎は知っていた。距離を置いて両者は行き違い、ミサイルは獲物を逃した。睨んだ通り、射手の技量は高くない。そして地上の敵は、頭上の狩人に対し再びその所在を暴露した。
『――ASMMPM発射!……テッ!』
ペットショップ4だ。その様なものを使う重目標ではないのに、気が急いたのだろう。高空から太い白煙を曳いた誘導弾が、地表へと延びて行く。
「石森、機銃を使えるか?」『撃破』の示標を見つつ、健太郎は聞いた。回避機動は続けていた。
『――目標指示願います!』石森准尉が言った。グリフォンが25mm機関砲を使うに足る距離にまで、敵陣と近接っていることの、それは何よりの証明であった。気が付けば、地平線の各所が黄色く瞬いては爆炎を吹き上げる。僚機の攻撃が戦果を拡大している。地上戦における大敗の結果、只でさえ薄くなった防衛線が、攻撃ヘリという鉈の刃により切り拓かれる光景だ。
それにしても――健太郎は思った。地上に敵影がいない。
敵軍がいないのではない。彼らローリダ人が、今次攻勢において最終目標たるベース‐ソロモンの奪回とイェリカドの解囲を完遂するべく、これら拠点の集中するノドコール中部に投入し得る全ての地上戦力を投入したことの、それは証明なのであった。健太郎たちが攻撃しているのは、失敗した攻勢に生き残り、貴重な残存戦力から僅かな退路を確保するべく割かれた、より貴重な敵の精鋭だ。彼らを空から追撃き、撤退する敵軍をやがては友軍が包囲する。そうでなければならない。
「――敵軍の追撃はそこそこに、我が軍主力はこのまま西進しキビルを目指すべきではないのか?」
ノドコール派遣統合作戦部隊司令部の幕僚の中には、そう意見する者も少なくない。KS軍主力への痛撃に成功した以上、兵と装備の大半を喪った彼らは、今後のPKFの任務遂行にあたり脅威とはなり得ない。逃走するKS軍の追撃と掃討は解放軍に任せ、早期のKS掃討とノドコール解放を完遂するためにも、首都キビルもしくはその周辺まで、兵を進攻めるべきではないのか?
「――それは解放軍の義務だ!」
強い口調で、別の幕僚が反論する。かつての王都たるキビルの奪還は、現地人の手によってなされなければならない。戦役全体の帰趨が定まった以上、なおキビル周辺に残る健在な守備兵力と交戦し、徒に損害を出すのは控えるべきである。自軍に甚大な損害を被ったキビルのKS指導部をして、降伏を申し出る可能性も現状では高まっている。拡大した戦線の整理と隷下部隊の再編を進めつつ、PKFはそれを待つべきではないのか?
裁可を下すべきノドコール派遣統合作戦部隊司令官 陸将 江角 垰は、即座に決断した。二分された意見のいずれかに寄った決断ではなく、多分に折衷案の性格を持った意見であった。キビル首都圏への攻勢は軍事施設への空爆と揚陸展開した重地対地誘導弾による攻撃に留める。それ以上の決断と状況打開は、東京の政府により為されるべきであろう……
江角司令官による報告と打診は、東京へと投げられた――東京の回答は、未だ無い
司令部と政府間の意思統一が形成途上である現状は、前線の末端にあって敵地上軍追撃に従事する健太郎たちも把握するところであった。その間も戦線は動き続けていた。動き続ける戦線の中で、健太郎たち攻撃ヘリ部隊は敵地上軍の追撃に従事し、戦果を拡大し続けている。
『――二時下方友軍、戦車!』
「……!?」
石森准尉が報告する方位に、健太郎は首を傾けた。回避機動から復しても、急加速の余韻が未だ肉体を苛んでいた。攻撃ヘリ隊が過る眼下で沸き起こる砂煙が、機甲部隊の全速前進を網膜に灼き付ける。一個大隊分はいるだろうか?――10式戦車の一群が各個前進から一斉に横隊に転じ、そして彼らは戦列歩兵の一斉射撃の様にその主砲を瞬かせた。
『――すげえ!』石森准尉が唸るのをインカムに聞く。砲口から放たれた赤光の矢が、直線から放物線に転じ、地平線の先でほぼ同時に弾着するのが機上からは見えた。操縦桿を握る健太郎とて、知らず息を呑んでいる。
『――「ペットショップ」全機へ、ジャリアー統合部隊より緊急支援要請。目標北西40キロ先の橋梁!』
「3!」編隊長に応答するのと同時、操縦席の広角HUD上に進入経路が曲線と化して表示される。コレクティヴレバーのボタン操作で、多機能表示端末画面を戦況要約図表示に切替える。
先行する無人偵察機の捉えた目標の画像、同時に付与された命令が目標の「破壊」であることに、健太郎は眦を険しくした。同時、前線の遥か後方かつ高空から監視と索敵を継続する航空自衛隊、E-1J早期警戒機のシャープな機影が脳裏に浮かんだ。前線に在って戦闘機を統括しているであろう機体。そこに、戦闘機部隊たるJFJからの「緊急支援要請」――
『――橋梁攻撃中のジャリアー一機が被弾墜落。搭乗員二名の脱出を僚機が視認した。現在救難隊が急行中。収容完了まで火力支援を要請します』
早期警戒機搭乗の戦術管制官と思しき女性の声が聞こえた。『――全機針路330。散開し北上する!』今川編隊長の指示がそこに追い縋る。『――全機、当該区域に到達し次第各個に捜索と乗員の安全確保を実施!』
「3了解!」
コレクティヴのスロットルを押し開く。目指す場所を視界に入れたくて、自ずと高度が上がる。高度が上がれば、それだけ地対空ミサイルの照準に入る確率もまた上がる――ただし、KS軍に健在な地対空ミサイルが残っていれば……の話だが。
『――3、高度を上げるのか?』と不意に聞かれる。4を与る生熊一尉だ。語尾が困惑っていた。年若い長機を窘める口調には聞こえなかった。
「3より1へ、レーダーの使用許可求む」僚機に回答する代わりに、健太郎は言った。
『――3、レーダー使用許可する。4は3を援護』
「了解!」
『――……了解』
4番機の応答が沈むのを、健太郎ははっきりと聞いた。ただしそれを咎める気分を、今の健太郎は持っていない。
『――全く……やる気あるのかよ』と、石森准尉が小声で毒付く。それは聞き逃せなかった。
「終盤だからな。そんな局面で死にたがる者は普通はいないよ」
『――自分は何処までも健さんにお供しますよ?』
「……」
窘めた筈の石森准尉にきっぱりと言われ、愁眉が啓く思いを健太郎は抱いた。階級を越えた呼び方に関しては、「健さんなんておっさん臭いから止めてくれ」と、地上で石森准尉に頼んだことが、急に思い出された。胸が擽られる感触すら不意に湧いた。「馬鹿野郎……!」照れ隠しに出掛かった罵声を、喉奥で辛うじて押し殺す。
『――二尉、何か?』
「何でもない。脅威の把握に専念しろ」
『――了解』
新たな示標が多機能表示端末の地形表示に点滅して浮かんだ。救難信号を示す示標であった。そこに早期警戒機からの報告が追い縋る。
『――脅威情報。自走対空砲二両。首都圏から急派されたものと思われる。射撃統制レーダー搭載型。ジャリアー隊の接近までレーダーを切っていたものと思われる。KS軍、現在煙幕を展張中。所在と規模が把握できない!』
「……っ!」
絶句し、それでもコレクティヴのレーダー起動ボタンに指を触れた。走査は一回。多機能表示端末の地形表示が更新され、救難信号の位置と併せ、橋梁を廻るKS軍と陸自、彼我の配置を書き換える。同時にスロットルを絞り高度を下げた。癇に障るミサイル警報音がそれに重なった。ヘリにとりノドコールの低空は、未だ安住の地ではない。
『――前方! 回避!……回避!』
「くっ!」
呻くのと同時に、健太郎は操縦桿を押し下げた。再び吐き出したフレアーが操縦席を禍々しく照らし出す。降下させるだけでは間に合わず、横転からさらに加速して旋回を続けた。血流が上下に乱れて意識が薄くなる。キーン……と耳に異音が奔る。それらを、故意に呼吸を荒げて失神という破滅寸前で堪える。白煙を曳いた恐るべき何かがふたつ、一瞬操縦席の前面に飛び込んで、直ぐに頭上を越えた。携帯地対空誘導弾だと察した。それらから回避れ得ても、警報は猶も続いている。これは――
『――3! レーダー照射されている!』
『――妨害装置起動! 起動!』
銃座を与る石森准尉が叫び、妨害装置を起動させた。『――全機! 安全圏まで退避! 散開しつつ攻撃!』こちらは今川隊長だ。『――健太郎! よくやった!』歯を食い縛り、健太郎は姿勢を安定させようと操縦に専念する。甲高い警報音が、潮が退く様に消えて行く。
「4! 回避したか!? 無事か!?」
『――カチカチ!』
応答は無いが、無線ボタンを押す音だけは聞こえた。余裕がないのだと察した。彼に関してはすぐに前線に出すのではなく、ロギノール上空の警戒飛行から開始るべきであったと思える。
『――全機へ、東だ。東に回り込め! 味方前線から橋梁上空に進入する!』
短距離近距離に対空火網を形成できる自走対空砲、その存在を軽視したツケが今になって出た。指揮所付の情報幹部によれば、希少であることと首都圏防空を重視していることを理由に、これら対空車両が前線に出張る可能性は低いと攻撃ヘリ隊に見られてはいたが――思考に囚われかけた健太郎の視界の隅を、太い飛行機雲が二条、反航するように前方から後方へと突き抜けていく。接近警報が一瞬、計器を光らせつつ烈しく鳴った。
「……!?」
敵弾ではない?――地対空ミサイルの新手かと思ったが、違った。飛燕の如き機影が小柄で、それが航空自衛隊のT‐4改「ジャリアー」攻撃機のそれであることに思い当たる。と同時、二機のうち一機がそのエンジンから酷く黒煙を曳いていたことも――
『――攻撃隊離脱。救難ヘリ「ヘリオス11」が到着した。現在地上部隊が回収支援中! 攻撃ヘリ隊は――』
『――ペットショップ、これより合流する!』
早期警戒機と今川隊長の交信が聞こえた。やるべきことを理解し、即座に反応したのだと察した。こういう指揮官にこそ、生命を預ける価値がある。
『――1より全機へ、各機レーダー照射許可する。ASMMPMを使用し橋梁の敵を各個撃破せよ!』
「こちら3、ディブレ川方向より北上する! 許可願います!」
『――挟撃か? おくれ』
「そうです!」
思わず健太郎は具申し、その意図を今川隊長は即座に察した。健太郎の分隊二機が計画通りにディブレ川を遡上し、橋梁を守る敵の注意を惹き付ける。今川隊長の率いる残余四機が、東方向から迂回し、持てる火力を投じて救出任務を支援し、橋梁を守備する敵を叩く。
『――3! やってみろ! 4は3を支援!』
『――4了解!』
「たのんだぞ! おわり!」と今川隊長は最後に言った。健太郎に対してではなく、その列機たる生熊一尉への檄であった。新たに離脱を命ぜられるまでも無く、健太郎の駆るグリフォンの機首が川面に向かう。4には低空飛行を命じた。危険な飛行に付き合わせるのが躊躇われたのもそうだが、危険を背負う者は最小限に抑えるべきで、それは言い出しっぺの自分が負うべきだ。レーダー照射が効果的な高度を維持し、健太郎はグリフォンを疾駆させる。敵に生きている可搬式対空レーダーがあれば――あるいは、そんなモノをローリダ人が持っていれば――話は早いと言うべきだ。
「4へ、これよりレーダーを起動させる。表示る限りの敵を叩いてくれ。頼んだ!」
『――4!』
健太郎が指示を出し、生熊一尉が了解した。ローターマスト天頂部のミリ波レーダーを再度起動させる。ローリダ人の対空火網に逆探知システムが付随していれば、彼らは当然健太郎の高度に弾幕を張るだろう――「レーダー起動!」一声と同時、多機能表示端末に橋梁とその周辺の敵配置が示標となって浮上る。フットペダルと操縦桿を動かす頻度が目に見えて増した――回避機動を続けつつも、高度は下げなかった。
『――オイ生熊っ! 早く撃て!』銃座の石森准尉が怒鳴った。前方から迫る弾幕の量が目に見えて増えて行く。機首より臨む地平線の端が、異様なまでに瞬いては弾幕を送り込むのが見える。そこまで距離は迫っていた。炸裂が生む衝撃波と破片が、機体の各所に無形の爪を立て始める。レーダー照射警報が再び鳴る。やはり捕捉されている。弾幕に引き裂かれるという恐怖が、操縦桿を握る健太郎に今更の様に圧し掛かり、若者は唇を噛み耐えた。
「4! 射撃は!?」思わず健太郎が叫び、間を置いた回答は彼の目算を容易に裏切った。
『――……4! こちら4! 火器管制装置が停止した!……再起動中!……』
「――っ!」
絶句と同時に、操縦席ガラスに罅が入るのを間近に見た。弾幕が、こちらを撃墜す意思を持っていることを、健太郎は今更に自覚した。戦慄――反射的にスロットルを絞り高度を下げた。『――畜生!』石森准尉が叫ぶ。彼を宥める必要、自身を奮わせる必要を健太郎は感じた。
「石森撃て! 狙わなくてもいい!」
『――健さん!?』
「撃て! 全弾撃て!」
直後、巨大な金槌で打たれた様な衝撃が、グリフォンを烈しく揺るがした。同時、MFDが機体状態表示に切替わる。画面の中で左エンジンが禍々しい赤に染まり、点滅を始めていた。「被弾」「炎上」表示が交互に生まれ、操縦桿を握る健太郎の心胆を削る。
「左エンジン切断!」
『――ファンネル発射! 発射後ロックオンに切替えます!』
窓の傍で空気が抜ける音が生まれた。エンジン出力低下を重量物投下で補う様に、残ったASMMPMが空に放たれる。それらは意思を持つ矢束であった。MFDの火器管制表示、投げ放たれたそれらに番号が割り振られ、飛翔の途上、その全てに「目標追尾」の表示が生まれて重なる。見渡す周囲に炸裂弾の黒く赤い花が咲く。破片が散り、胴体を幾度も烈しく叩く。その度に吸う空気にキナ臭い、喉を擽る何かが混じり始める。観念した様に健太郎は機首を下げ、回避に移行した。
『――3、こちら2、ファンネルは此方で管制する。後退しろ! よくやった!』
今川隊長の僚機の声が聞こえた。此方を心配し、より援護し易い位置にまで前進していたのだと気付く。当然今川隊長も承知の上であろう。
『――あの野郎! 帰還ったらブチ殺してやる!』
前席の石森准尉は憤懣やるかたない様に見える。火器管制装置と一体化した地形表示が、目標にいち早く到達するファンネル群を映し出す……そこを、地上に在って戦う友軍が誘導を修正する手筈であった。
『――ハンターよりペットショップへ、誘導移行いつでもいいぞ』
『――ペットショップ3、ファンネル群をレーザー誘導に移行切換える。カウントダウン……3、2、1……切替いま!』
『――ハンター、目標視認……捕捉……照射いま!』
前線で攻める友軍と、ペットショップ3との交信を聞く。その間に徐々に、圧が下がったかのように周囲の弾幕が少なくなり消えて行く。対空砲が被弾したこともそうだが、彼らの銃口の廻る先が、接近するASMMPMに移ったのだと察した。やがてMFDの戦術情報表示から、把握し得る限りの脅威リストに「撃破」表示が重なり、そして抹消されていった。
『――ヘリオス11、要救助者を収容完了! これより離陸!――』
『――ペットショップ、全機前へ。追撃部隊への火力支援を継続する! 3は安全圏まで退避、帰還しろ。4は編隊に合流。おくれ』
『――……』生熊機の応答が、一瞬遅れた。
『――4、どうか?』今川隊長の誰何には、躊躇う者を許さない響きが聞こえた。
『――……4! これより合流します!』
『――行くぞ! 編隊はこれより橋梁周辺の残敵を掃討する。それと健太郎』
『――3!』
『――寄り道するなよ。今度は真直ぐ機体を持って帰還れ。おくれ』
「了解……!」
『――おわり』
微かに、石森准尉が笑いを押し殺す。データリンクで健太郎機の被弾状況、生熊機の残弾まで把握した上での指示であるのには違いなかった。今川隊長の指示を前に、声を上ずらせながらも生熊一尉が従うのを健太郎は聞いた。事実、連接表示を探れば、生熊機にはなお十分な弾薬が残されている。火器管制装置が不調でも、それに対処しつつ戦闘を継続する訓練も受けている筈である――遠い戦歴を回顧し終えた後の様な疲労が、今になって肩に重くのしかかるのを健太郎は自覚しつつ、機首を帰投針路へと重ねた。
『――大丈夫かな……』
石森准尉が言った。先刻の悪罵を忘れたかのように、或いは呆れたかのようにそれは聞こえた。
「友軍の拠点を探す。そこに着陸よう」
『――了解!』
機体情報表示を見る限りでは、片肺でも前進基地まで飛行べる様にも思えた。過日の山岳地帯制圧任務で、烈しく撃たれたときよりは状態はマシだ。それでも機体の様子は注視する必要があるだろう。航法システムは順調に稼働しているが、眼下の川を手掛かりに健太郎は南下を決めた。前線の南には前進基地も、そしてロギノールも在る。「まさか」が起こったことに備えた対処は、幹部操縦課程の頃から口を酸っぱくして教えられている……
「……?」
ディブレ川の周囲から、硝煙の影が消えた。
それ故に不意に視界に入った煙は、健太郎の柳眉を微かにだが、険しくした。西岸から地平線に跨る荒野の、やはり地平線よりの遠方に、奔る影を健太郎は認めた。
「石森、二時下方。下方赤外線監視装置で見れるか?」
『――……?』
怪訝な素振りで応えつつも、石森准尉の指がサイドコンソールに走る。それを補佐しようとしてレーダーを起動したとき、それが稼働しないことに気付く。「未接続」の表示――反射的に見上げた先で、ローターマストに付いている筈のレードームが何処かへ吹き飛んでいることに、健太郎は今更ながら仰天した。
『――トラックです。護衛車両らしきもの二両……あれは、連中の救急車ですかね』
「……」
聞き慣れない言葉に、画像表示に切替えた。前席で石森准尉が覗く風景を、健太郎も操縦操作を続けながらに見詰める――白地に赤いキズラサ十字を描いた旗を、車体に張った小型車が一両。まるで逃走するかのように慌ただしく走行するその後を、装甲も銃座も備えた軍用車がやはり、濛々と砂煙を立てて疾駆る……
「……?」
困惑すら胸中に抱き、健太郎はデータリンクで共通状況図を呼び出した。多機能表示端末に彼我の配置と戦況が拡がる。そこに、乗機の位置と飛行方向とが重なる――
「――石森、あいつ何処に走ってるんだ?」
『――敵の戦線……向こうには無いですよね?』
「……」
困惑が、胸騒ぎに席を譲る。自分たちが帰還する場所さえあれ、敵が自機と同じ方向に疾走る道理など無い筈であった。
『――どうします?』と、石森准尉が聞いた。健太郎の意思を拒否する素振りでは、それは無かった。それが健太郎の背を推した。
「機銃を使う。このまま接近する」
『――了解!』
石森准尉のヘルメットに連動し、機首25ミリ機関砲の銃身が起動く。フットバーを踏み、エンジンの回転を計器で監視しつつ健太郎は横跳びに、あるいはゆっくりと跨ぐ様に川の支流を越えた。その間も機関砲の照準が、疾駆る救急車を捉え続けているのが、健太郎には理解る。
「……!」
車列のうち二箇所が、不意に光り、曳光弾が撓って空を斬るのが見えた。自機より遠い。被弾るとは思えなかった。挙動を乱さず、接近を健太郎は継続けた。
弾幕が止まない。それでもなお、接近に徹する。スロットルを絞り、高度も徐々に下げるよう努めた。片肺と自重故か、高度が下がる速度は存外早いと思えた。修正を続けた弾幕が徐々に、だが確実に機体に迫って来る。躊躇の時間は、拍子抜けするほど短く過ぎた――攻撃された。故に反撃せねばならない。
「目標護衛車両、撃て」
『――目標護衛車両!』
「待っていた」とばかりに石森准尉が撃った。一連射で一両が吹き飛び、二連射目でエンジンに当てて止めた。停まりきらない内、車上の敵兵が飛び降りて四方に散った。それらを置いてきぼりに、救急車はなおも走り続けた。地面にタイヤを取られつつも、それは逃げる様に走行る。「停まれば攻撃しない」と呼びかけたいところだが、そのための装備も知識も、グリフォンにも健太郎たちにも無かった。
「鼻先を狙えるか?」
『――今やります』
言うが早いが、石森が再度撃った。弾着がボンネットを掠めるのが見えた。蛇行――否、回避機動でそれから逃れようと疾走する車の車台、幌が捲れて人影を独つ暴露す――
「緊急回避! 携帯地対空誘導弾!」
『――あんなの救急車じゃねえ!』
スロットルを全開に、フレアーボタンを連打し回避を試みた。いまの謙太郎にとって、距離を詰め過ぎた後悔が、地上の敵に対する怒りに変換るのは容易であった。ミサイルが車上から躊躇なく放たれ、反動に耐えきれなかった射手が車上から転げ落ちる。それを無視し、救急車はなおも疾走る。
「――っ!?」
白煙を曳いた矢が、蛇の様に荒々しく機上に迫る。命中する?――同時に現在この瞬間に至る人生の全てが、走馬燈の様に廻る――死への覚悟と同時、毒蛇と軸線を併せまいと藻掻く。操縦桿を折損る積りで傾ける。本能でフットバーを左に蹴り、テールローターの回転を絞る。間に合え!――人生でこれまでに願ったことも無い程に、健太郎はそれを熱望した。
警報が割れ鐘の様に鼓膜を打つ。
左に傾斜した地平線と大地が、その輪郭を増した。
前席――石森准尉の叫ぶ声が聞こえた。
白煙を伴った鏃が、操縦席すら震わせて前から後に過る。
不意に、警報が消えた。
『――抜けた! 抜けて行きました!』石森准尉の報告が、健太郎の把握よりも早かった。
それと同時――
「……!」
眼前に迫る大地に、墜落を連想する。
連想するや否や、スロットルを推し開く。
反応が悪い――単発――出力が間に合わないと戦慄する。
上昇れ!――気が付けば、水平に復した機首が地上を舐めている。
低空飛行――前方、救急車が蹴立てる砂埃を浴びつつ、グリフォンは尚も飛行でいた。
徐々に上がる高度――操縦桿を復た傾け、横目にそれを追い立てる。
『――撃ちますよ!』
「当てるなよ!」
撃つなとは、健太郎は命じなかった。追尾しながらにただ一連射、機関砲が咆哮する。再度前方を掠めた積りの一連射が、車の鼻先に当たってバンパーごと前輪を弾き飛ばすのが健太郎には見えた。つんのめる様に地上を滑り、あらぬ方向に曲がってそれは停まった。
「着陸するぞ!」
逃がせない――その一心が健太郎としてそれを決心させた。動かない救急車を横目に、主脚タイヤが接地した途端に機体が振動する。このような路面で降りる想定など、演習はおろか設計の段階でも為されていなかっただろう。それでも健太郎は、降着することに決めた。バウンドに続き、不快で破滅的な滑走が一通り続く、両者の距離も、更に近くなる。回転を絞られてもなおメインローターに巻き上げられた砂礫が、傷付いた機体も外の敵をも、容赦なく打ち据えた。自分から作り上げた嵐の真只中で、やがてグリフォンのエンジンはその鼓動を止めた。ただし補助電源装置は再始動に備えてそのままに――
「――よかった!……APUは生きてる! 蘭堂が見て来る。石森は機上で待機!」
「ラッキーでしたね! おれも行きます!」
完全に静寂が戻った機内で、石森准尉が声を弾ませた。機内通話をいち早く切り、大声で応答した時点で、彼が同行を強く望んでいるのは明らかであった。それを抑える道理を、いまの健太郎は持っていなかった。
ヘルメットを脱ぎ捨て、取り上げた89式カービンライフルの銃床を伸ばしつつ、健太郎は下界に飛び降りる。着地時に足許を崩しつつも起き上がり、槓桿を引きライフルを構えながらに救急車に迫る。今更ながら、纏っている防護服の重さが両肩と背中に圧し掛かる。更にそこに、カービンライフルのアイアンサイトを立てるのを忘れていたことに気付く……それでも、接近いて撃てば命中るのだと彼は割り切った。すぐ傍に、石森准尉の気配も感じた。
「接近する!」
「あの野郎! もう知らねえぞ!」
怒りもそのままに、石森が言った。散々梃子摺らせた敵に対する、それは殺意であったのかもしれなかった。揃って向けられた銃口の先、運転席のドアが軋みを立てて開き、同時に頭から一人が落ちる様に地面に降りた。起き上がろうとしたそれを、健太郎は空に一発撃って制した。
「降伏しろ!」
「撃つな……撃つな! 降伏する!」
聞いたことのあるローリダ語で、その意図をやや遅れて健太郎は理解した。戦前の座学で多少のローリダ語は学んだが、完全な意思疎通には最後まで自信が無かった。同乗する石森准尉からしてもそうである。さらに接近――ひっくり返ったまま両手を上げたローリダ人の頭から、血が流れていることに気付く。
「何故逃げた?」
「負傷者を乗せている。お前たちこそ何故攻撃した?」
弾ける様な銃声が、健太郎の耳朶を即座に打った。石森准尉の銃撃、それも至近からの銃撃が、やはり至近弾となってローリダの兵士を委縮させた。
「てめえが攻撃したからだろうが!」
「石森准尉!」
名を呼び、健太郎は荷台に回るよう石森准尉に命じた。血気に逸る部下を、敵兵から遠ざける必要を彼は感じた。石森も心得たもので、本職の普通科隊員の様な身のこなしで、構えた銃を廻らせつつ後尾へと歩を急がせた。
「負傷者は何名だ?」と健太郎は聞いた。
「い……一名、一名だけだ」と兵士は答えた。妙に断言を避けている様な口調は、日本語であってもはっきりと聞き取れ、それに健太郎は疑念を抱く……と同時に眼前の兵士が、生涯二人目に会ったローリダ人であることに、健太郎は思い当たった。荷台に回れば、更に多くのローリダ人に出遭えるだろう。
捕虜を座らせ、彼に対する警戒を続ける。その間――三年前、防衛大学校4年生徒であった頃、市井が空前の対外戦争の勝利に湧いていた時分、父 寿一郎に引き合わされたローリダ人、それも自分と変わらない年齢の青年に、震える手で敬礼した記憶が健太郎には思い出された。前線視察中に戦闘に巻き込まれ、海上自衛隊に収容されたローリダ人だと、父は彼について言っていた。
「――蘭堂 健太郎と申します」
「――ロルメス・デロム・ヴァフレムス 色々とあって君の父上の世話になっている」
「――軍人で、いらっしゃるのですか?」
「――元老院議員……云わば君の父上と同じだ」
「蘭堂二尉!」
「――!?」
呼び掛ける石森の声が、少なからず慌てていた。「そこにいろ」強いる様に捕虜に命じ、健太郎もまた荷台へと廻る。硬い表情でロルメスに敬礼したあのときの自分、そして現在、自分 蘭堂 健太郎はパイロットスーツ姿で実銃を構え、新たなローリダ人とこうして遭遇っている。
「降りろ! 降りろって!」
怒鳴りつつ、89式カービンライフルの銃口を翳して石森准尉が怒声を吐く。彼に怒声を浴びせられたローリダの士官が、車内へと通じる狭い後部乗降口を塞ぐようにして、銃口に直面しながらも血相を欠いて頭を振っていた。階級は大佐だと、その襟の階級章から健太郎は推し量った……しかし、蒼白な顔を除けば、五体満足な外見からしてこの車の「患者」ではない。一連射をタイヤに向けて撃ち、その結果車体が不穏に傾いた。逃走防止と威嚇を兼ねた射撃だ。タイヤの破裂と同時に、姿勢を崩した大佐が出口から足を滑らせて落ちる。
「やめろ!……」
言い掛けた大佐を、石森が持ち換えた拳銃の銃口を突き付けて黙らせた。普通科部隊お下がりの9㎜拳銃だ。製造から半世紀以上が過ぎているであろう「骨董品」で敵を威嚇するには、石森も健太郎もまた勇気を必要とした。閉所――車内に踏み込む寸前で、健太郎もまた得物をカービン銃から拳銃に持ち替える――普通科部隊でも無いのに、自分でも冷静にそれらを為していることに、健太郎は内心で驚愕した。
「蛮族風情が、礼儀も弁えずこの儂の前に立つか?」
薄暗い奥から話しかけられ、健太郎は反射的に引鉄の指に力を込めた。撃たない。
「負傷兵か?」
聞くのと同時に、薄暗さに馴れ始めた眼が、毛布を巻いて蹲る男の姿を捉え始めた。老人――外にいる大佐よりも明らかに歳上だと見えた。
「動けるか?」
抑揚の無い、子供が話す様なローリダ語で、健太郎は話し掛けた。老人は、話さない。
「此処から出ろと言っている」強いる様に言い、拳銃を構え直した。老人が負傷兵であるという先入観は、完全に消えた。
「それはローリダ語か? ニホン人?」
「……?」
本気で聞いていない。発音を揶揄われているのだとすぐに気付く。途端に、若い怒りが健太郎をして、車内の更に奥へと踏み込ませた。車体が軋む。同時に老人の毛布が剥がれ、拳銃を握る手が現れた。そして二人は、互いに拳銃を向け合う身となる。撃つ気が無いのを察知された?
「……っ!」引鉄に力を籠めつつ、健太郎は内心で焦った。自分が老人に挑発され、老人の術中に嵌ったかのように思われた。眼前の老軍人が頑なで、融通の利かぬ類の人間であることは、その態度からも眼光からも察せられた。
「駄目だ……」思わず、健太郎は呟いた――父さん、おれはローリダ人と理解り合えそうもない。
「汚らわしい蛮族め、銃を下ろして去れ。寄らば撃つ」
「逃げられないぞ。包囲されている。応援も来る」
「……」
目を見られていると健太郎は察し、態と目を怒らせるようにした。嘘を気取られるわけにはいかなった。眼は逸らせない。
無限に続くかと思われる沈黙――老人の舌打ちと、捨てられた拳銃が床に落ちる音がそれを破った。億劫そうに立ち上がる老人を背後から見張る間、健太郎は彼の階級章が佐官ではないことに気付く。ただし彼の階級そのものは、健太郎の知識では判らなかった。暗がりに馴れた眼が、青天の下で漂白される外界に堪えられず、健太郎は思わず目を細めた。拳銃を向けた先を歩く老人もまたそれは同じ様で、手で目を庇う様にしている……余裕を見せている様にも見えるその様に、健太郎は一種の「虚勢」を感じた。
「閣下……!」
「……?」
反射的に顧みた先で、先刻の大佐と兵士が老人に目を見開いていた。「喋るな!」拳銃の銃口を翳し、石森准尉が声を荒げた。困惑を赴くまま、健太郎は老人に聞く。軍服に付けたままの階級章は、おそらくは将官のそれであるのかもしれない……
「姓名と階級、所属を教えてもらおうか?」
老人の嘆息――
「――ジョルフス……エイギル-ルカ-ジョルフス。共和国軍元帥。ノドコール共和国軍北方軍司令官。ロゼキール条約に基づき、地位と階級に相応しい処遇を要求する」
「……!?」
健太郎と石森は、距離を置き互いに顔を見合わせた。健太郎が目配せするより先、石森が捕虜を放り出してヘリに駆け出した。告白より一転、羞恥に顔を赤らめたジョルフスらを集めて座らせつつ、健太郎はそれが夢でも見ているかのように思えてならなかった。夢ではないことは、三人に向けたままの拳銃の重みと、烈しさを増し始めた寒風の、頬に当たる痛さが教えていた。
『――第一攻撃ヘリ群所属、ペットショップ編隊所属機より司令部へ、われ捕虜を三名確保せり!……うち一人!……うち一人はジョルフス! ジョルフス司令官と自称! 聞こえますか? おくれ!』
唖然――イヤホンの中で石森准尉の声が、まるで敵に包囲まれたかのように焦って聞こえ、そして健太郎の脳裏に反響した。
ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前16時55分 ノドコール中南部 ロギノール湾南方海上
『――ヘリオス11、安全圏まで到達。要救助者二名軽傷と認む』
「……」
救難ヘリの報告よりも、つい五分前に編隊を解いた列機のことが気掛かりで、思わず姿勢を傾ける。
操縦士たる准空尉 諏訪内 航が顧みた雲海の果てで、ロギノールの海岸線と同じく、機首を翻した黒い軌条が未だ目に入った。上層雲から射しこんだ陽光に包まれた結果、風防ガラスに露わになった細かい傷が、このジャリアーで飛行だ年季を想起させた。初めてこいつの座席に腰を下ろした時には、このまま飛ばすのが躊躇われる程の新品、処女を抱く様な躊躇すら抱かせたのに……
『――ヴァルキリー201、滑走路まで15海里を通過』
『――ヴァルキリー201、ロギノール管制隊、第2滑走路に着陸を許可する。|風向030から010《ウインド30アット10》』
『――よかった、スロットル開度30。右エンジン異状なし』
平静を装った交信、だが実際には左エンジン停止、右エンジンもまた被弾損傷により完調には程遠い。ヴァルキリー201を操縦する編隊長 一等空尉 長浜 智章のスロットルを握る手が、緊張に震えていることぐらいは航にも容易に想像が付いた。戦線北西、ディブレ川に架けられた橋梁とそれに付随する対戦車陣地攻撃の結果がこれであった。決戦と目した地上戦に敗れ、総退却するキズラサ国軍の退路を断つべく実施された航空攻撃は、橋梁を守備る敵が対空機銃と携帯地対空誘導弾を巧妙に隠蔽していたことから、母艦より勇躍発艦したジャリアー隊にとり、当初の楽観を裏切った文字通りの苦闘へと装いを変えた。
無人機による偵察監視を徹底させるべきであった。そうで無くとも、地上に在って追撃する友軍の偵察を徹底させ、彼らの誘導に従い安全圏より攻撃するべきであった。これら事前の準備不足と、ディブレ川を北上しつつ不用意に高度を下げて攻撃態勢を取った結果、地上からの待伏せにより201編隊は4機中2機が被弾し、1機を喪失した――戦闘地域上空での脱出を強いられた乗員二名は、救難航空隊のヘリにより救出された。救難任務支援と不徹底に終わった敵陣攻撃は、陸自の攻撃ヘリ隊が引き継ぐことになり、そしてヴァルキリー204こと諏訪内 航もまた、乗機が損傷した長浜編隊長の指名により、事後の任務を「引き継いだ」……
後席――戦術航空士 准海尉 菅生 裕が告げた。
『――ワタル、間もなく会合点』
「了解……それにしても――」
「何も言ってこないな」という一言を、航は固唾と共に呑み込んだ。主翼を傾けたままスロットルを絞った。高度が徐々に下がる。ジャリアーの孤影が下層雲に入り、そして海原を睥睨する高度にまで抜ける。海自だけあって、菅生准尉の航法には万全の信頼を寄せていた。何よりも彼とは所属の枠を超え、開戦前から背中を預けてともに飛んだ戦友だ。
それでも気が急いた。何より残燃料の限界が迫っていた。戦闘地域から離脱したヴァルキリー204は、回帰不能点に達しつつある。その間の空中給油は無かった。多機能表示端末の戦況要約図上、海上の一点で示標と化して点滅を始めたPNRに、前席に在って操縦に専念する航ですら柳眉を険しくした。海岸線からはすでに100海里を越えた。長浜一尉が命じた「会合」が叶うか、あるいは燃料欠乏で墜落るか――主戦場たるロギノール湾とその周辺からここまで離れていては、脱出したとしても迅速な救助は到底、期待できたものでは無かった。
いや――航は少し、考えた。
「此処で墜落ても。US-2なら救助けてくれるかな?」
『――ああ、余裕だよ』
緊張を解す積りで航は語りかけ、菅生もまた口元を綻ばせて応じた。同時に年長者らしい、余裕のある態度であるようにも航には思われた。ロギノール飛行場に、海上自衛隊のUS-2 救難飛行艇が進出しているという話が航空護衛艦DCV-102「かつらぎ」にも先日より広まっていた。事前の取り決めでは、損傷あるいは故障により操縦不能となった乗機を捨てる際、地上での脱出が推奨されていた。
ヘリによる救難飛行任務を円滑ならしめるために、被弾した乗機を持って来るべき脱出地点――あるいは空域――まで指定されていたほどだ。救難ヘリに回収された航空要員は、海上に展開する大型の護衛艦、あるいは病院船機能を有する事前集積船に運んで治療する。その様な想定では、海上に脱出した航空要員の救助回収に特化した救難飛行艇の出番は、皆無に近い筈であった。
『――ロギノールを経由して、他の国に展開くって話もあるな』
「……?」
情報通らしい、菅生准尉の言葉が、航の注意を惹いた。こんな時勢に親善飛行か? それとも共同訓練か?――困惑と不穏が内心で交互に点滅する。それは程無くして、機上より臨む鏡の如き海面を疾走る、真白い航跡を目の当たりにした驚愕に席を譲った。
「眼下に艦影。艦番号181! 日の丸も見える!」
『――ワタル、あいつだ』
ロービジュアル、グレースケールの国籍表示を標した長大な飛行甲板は、航が本土で最後に彼女を目にした時よりずっと広さを増している様に思われた。改装の結果として、「あかぎ」型の様な長方形に迫っている様にも見える。高度と距離が詰まる。そうなって初めて、飛行甲板に四機のジャリアーが並ぶのがはっきりと見える。いずれも航たちと同じく開戦以来ノドコールで作戦飛行に従事してきた機体だ……迷宮で仲間と再会したのにも似た安堵は、長くは続かなかった。
『――着艦れるか?』
「……」
験す様に菅生に聞かれ、航は愁眉を寄せた。改装を経たとは言え、DDH-181「ひゅうが」の飛行甲板は、「かつらぎ」のそれよりも短く狭い。それでも四機は着艦ている。先刻に編隊を解き、エンジンから黒煙を吐きつつ遠ざかった「ヴァルキリー201」の機影が、「ひゅうが」の孤影に重なった。
『――ワタル、お前が着艦をやれ。頼んだ』
別れる間際、ヴァルキリー201こと長浜編隊長は航にそう告げた。飛行継続不可となった彼に代わって「ひゅうが」に着艦し、新たな任務に就くに相応しいと見込まれた自信が、あまりに狭い飛行甲板を前に揺らぐ。決断する時間は、残されてはいない。言い換えれば躊躇する暇も無く、覚悟もまた決まる。
覚悟――大きく息を吸い込んで吐き、航は告げた。
「ヴァルキリー204よりオーシャンフェニックスへ、着艦を要請」
『――……』
後席の息遣いが、安堵したように航には聞こえた。菅生准尉と同じく、航の決心を待ち構えていた様に、眼下の母艦から通信が来る。
『――OPよりヴァルキリー204、着艦を許可する。風向050から20ノット 母艦から距離20海里を超えたら報告せよ』
「204!」
「了解」の意思を籠めて、航は声を弾ませた。広角HUDのスクリーンに、新たな線が表示され、眼前に迫る飛行甲板の中心に重なる。着艦誘導用のラインだ。それはまた、「ひゅうが」の着艦誘導/支援システムを構成する着艦誘導用レーダーが、スロリアを離れた最後の一機を捕捉したことを示していた。航は導かれた。
着艦が可能るようになっていることに、今になって内心で驚く。
出撃前、彼女のノドコール沖通過を知らされたときには半信半疑だったのに――
『――ワタル、姿勢このまま。すぐオンコースする』
「甲板に嚙り付いてでも、着艦てやるさ……!」
軽口――或いは虚勢――をあしらうかのように、「かつらぎ」以上に狭く短い飛行甲板が、徐々に迫る。
スロットルを絞る手――減速――失速寸前の領域に差し掛かったジャリアーが、己が手と同様、小刻みに振動えるのを航は体感する。失速警報が、機械的な女性の声を借りてイヤホンに満ちる。
無理か?――いや、やる!
編隊を解く前――お前なら出来ると、長浜一尉は航に言った。
そうだ――出来なければ、ならなかった。
何故なら――
その出撃前――「ひゅうが」はデルエベを目指すのだと、長浜一尉は言っていたから。




