第三六章 「Pursuit PhaseⅡ」
ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前10時52分 ノドコール中部要衝 イェリカド市
『――「アレシア」より包囲部隊の撤収を確認。包囲部隊は第9師団を残し全軍が北西に機動中。KS軍追撃に参加する予定。なお第9師団は――』
ヘリコプターのローター音が、一時通信を妨げた様に聞こえた――錯覚であった。
『――麾下各隊を掌握しつつ、補給のためロギノール方面に後退中……終わり』
「……」
流しっ放しの共通回線。UH‐60JAG 特殊戦航空群仕様ヘリコプターの、決して広くはない機内で、雑音交じりの交信が流れて終わる。雑音は、つい三時間前まで戦場一帯を支配していた友軍の電波妨害の余韻であった。それでも状況報告を行う通信幹部の声に、躊躇う響きを誰もが聞いた。雑音では隠せなかった。
『――こちらグレイセブン、統合前進指揮所、9Dとイェリカドの距離はどれくらいか? 送れ』
『――指揮所、最も近い部隊で直線30キロ。送れ』
『――グレイセブン。JFC情報感謝する。終わり』
交信が終わった。
「……聞いたなてめえら。これよりイェリカドは無菌状態だ」
頭に巻いたバンダナを締め直しつつ、「コブラ」――二等陸尉 鷲津 克己は言った。同席する男たちがそれぞれに異なる眼差しで、かつ図った様に激しさを増した眼光で彼らの指揮官を見返した。つい二時間前に、本土から進出したての増槽付きUH‐60JAG 通称「特殊戦仕様機」でロギノール飛行場を経った七人の男たち――陸上自衛隊特殊作戦群 第二小隊D分隊の、仕切り直しとも言える任務の始まりだ。
「デルタへ、装填を許可する。友軍の目を気にする必要はねえ。これより我らは影となり、敵を撃つ……!」
隊員其々の手にした得物、実包装填の後に槓桿が引かる。それらが凶器として覚醒するべく機関部の響く音がキャビンに満ちる。刀の鯉口を切る響きだ。眼下、荒地の薄茶色が、市街地の灰色に染まり始める。
特殊戦仕様機の機首が下がり、加速もまた付いた。
地上から機体を伺う脅威を示す警報は、未だ鳴らない。
「……!」
開けっ放しのドアから臨む眼下、変わる風向きの中で視界の片隅に不意に飛び込んできた気配に、一瞬ではあるが気を取られた隊員は多かった。何より銃座に付いて5.56mmミニガンの銃身を地上の混濁に向ける機上整備員の張り詰めた挙動が、百戦錬磨である筈の彼らをしてそう仕向けた。
「『グレイゴースト』も、ビビる位の戦場ってわけか?」
「……」
鷲津 克己の揶揄を防護服越しの背中で聞いても、銃手の挙動に変化は見えなかった。彼個人の練度というより、「特殊戦仕様機」に乗務することを許された精鋭としての矜持と使命感に、今の彼の態度は突き動かされている様に、鷲津二尉の傍に座る「キリコ」――二等陸曹 高良 俊二には観察た。
「『投石機』……?」
眼下――外の光景に思わず呟きかけて、踏み止まる。
半壊したローリダ式建築の陰から、不意に飛び出した火が赤い軌道を描いて中に昇り、前へ飛んだ。
燃える放物線が遠方、一戸のローリダ式建築の屋根を貫き、そして烈しく燃え上がる。
それが合図であるかのように、次には火球が驟雨の様に注がれて「面」を燃やし尽くす――それが恐らくは浸透を果たしたこの街、イェリカドの各所で繰り広げられている破壊の正体であることは、厳冬の蒼天を汚す黒煙の棚引きから容易に想像できた。試射一発に続く本射、投石機ではあっても撃ち方が「本職」じみていると俊二には思えた。現地人に混じり戦術指導に当たっている特務班員の影が、彼の脳裏にはちらついた。
そして街の構造――二階建て以上のローリダ様式の街並と、平屋主体のノドコール風の並び――それらは併存している様に見えて、小路や垣根、小川の流れで絶妙に……否巧妙に別たれている様にも俊二には観察た。
「あの『導師』が、現地人を指導して自作らせたって聞いた」
「慧眼ってやつだな。大砲と違ってその辺の木材で作れる」
「金属部品とタイヤチューブを、中古自転車から流用したんだってな……日本じゃ使い処の無い中古品を――」
対面――三人の同僚が言葉を交わす。「ヤクロー」と「ブレイド」、そして「トウジ」の三人。D分隊結成時から転戦を続け、与った職掌の遂行に最善を尽くしてきた歴戦の特戦群隊員。傍目からも強烈な個性と印象を押し出して止まない男達だ。
「――しかしグレイゴーストも投入ですか。東京は相当切羽詰まってますね」
俊二の隣で「ケンシン」――三等陸曹 伏見 憲伸が言った。
彼らD分隊が現在、機上の客となっているUH‐60JAG「グレイホーク」、それを全自衛隊で唯一配備する部隊のことを、未だ二十歳を出ていないこの若者は言っていた。彼らの知る限りでは、「グレイゴースト」こと陸上自衛隊 第一ヘリコプター団隷下 第102特殊作戦ヘリコプター群の所属機は、別任務で日本本土を進発したヘリコプター護衛艦に収容され、ノドコールではない、ノドコールより更に西の「何処か」へと海上移動の途上にあった筈である――その一機が先行し、こうしてノドコールの戦場上空を飛行でいる。
「陸自のヘリも数量が無いし、丁度この近海を通過るから渡りに船と考えたんだろう。素人のオレが見てもヤバそうな任務だが、『グレイゴースト』の操縦士ならやってのける」
『――お褒めに与り光栄だな』
機内回線に男の声が割り込んだ。不穏な気流を往なしつつUH‐60JAGを操縦つる機長だと、聞こえた瞬間に判った。軽口を叩きながら重いヘリを己が手足の様に操り、そして七名の刺客を戦場奥深くへと移送ぶ。この機長がいる限り、此方も地上までは安心して軽口を叩いていられる。
「渡りに船……誰がよ?」ケンジンがまた聞いた。ぶっきら棒な口調だが、それを咎める気風は特戦群には無い。
「決まってる。うちの素子ちゃんよ」
まるで自分の恋人か愛妻を友人に語る様に、鷲津 克己は言ってのけた。二時間前に実施された緊急ブリーフィングの後にD分隊を送り出した「特命監理官」、今や平和維持軍の一大拠点と化したロギノールに秘匿開設された特殊作戦自衛隊‐統合前進指揮所を統括する村雨 素子の怜悧な容姿と態度が、会話を又聞きする形となった俊二の脳裏にもまた浮かぶ。彼女の決断の速さと権限の大きさの結果として、D分隊は目標の所在を捉える翼を得た。大きな権限――それも自衛隊という「組織」の更に上、日本国の意思そのものとも言える存在から賦与された権限だ。
『――搭乗各位へ、まもなく着陸地点。下方を警戒せよ』
「……!」
機長の指示に意識が反転し、死地に臨む戦士のそれへと変わる。ローターの回転が徐々に緩み、グレイホークは速やかに、だが滑り落ちる様に降下した。速度が速過ぎる様に俊二には思われたが、不思議と恐怖は感じなかった。機長の技量の良さを確信した。
空地が見える。だが周囲を廃墟に囲まれた、瓦礫と燻りが地面を覆う「空地」。それも広くはない「空地」――ローターの風圧で微細な礫と塵を巻き上げつつ、グレイホークは着陸――否、地面から僅か1メートルを残して浮上静止する。
『――キリコ、ケンシン、先導しろ』
鷲津二尉が命じた。それが降着の命令であった。言葉が無線を通じて俊二の脳髄まで響く。64式改小銃の銃口を突き立て、迷わずに俊二は着地た。身を屈めて着地の衝撃を回避し、タクティカルシューズが荒地を蹴る。着地から体幹を乱さずに疾走――同じく舞い降りて疾走るケンシンの体幹にも、乱れは見えなかった――『――キリコ、周辺に敵影なし』『――ケンシン、クリア』
『――先導交替る』言われるのと同時に、俊二の肩が叩かれた。風の様な気配、89式カービンライフルを構えて進み出た鷲津が俊二を追い抜き、やはりケンシンと交替ったハットリくんと並んで先導を占めた。分隊は足早に瓦礫を踏み、倒壊しかけた家屋を両脇に路地に入る。速い上に迷いも無い。戦場に着地った七名そのものが、一体の有機体たるを思わせる動きであった。
『グレイセブン、上昇。一時給油のため戦域を離脱する。再進出予定時刻1230。D分隊、健闘を祈る。おくれ』
ローターの爆音と風圧が勢いを増して特戦群の背中を圧した。開かれたコレクティブに地上までもが反応し、一層に烈しく巻き上がった瓦礫はUH‐60JAGの機体を烈しく叩く。当然、一時離脱を企図して操縦桿を握る正副二名に緊張を強いた。空中給油用ブロープを槍の様に突き出し、ヘリの黒い腹が特戦群の頭上を追い越した。遅れて機影が過る。上昇――そして爆音もまた遠ざかる。
『――D降着完了。グレイセブン支援感謝する。おわり。立ち止まるな。歩速8以上を維持しろ』
『――了解』
二時間前――ロギノール 統合前進指揮所での遣り取りを、俊二は脳裏で反芻する。
「――AC‐130は来援いんですか?」目標の把握と任務伝達が大方終わったところで、ケンシンが口を開く。
「――自衛隊の航空戦力は西側の支援に全力投入よ。恐らく今日いっぱいはこの調子」
「――無人機は?」
「――やはり主戦域と、西で掃討戦やってる海自特殊部隊の支援に掛かりっ切りね」
「――じゃあ、どうする?」験す様に、鷲津が聞いた。
「――コブラには不本意だろうけど、日本から増援をポート‐パラに前進させてる」
「――キリがねえな……」忌々し気に、ヤクローが言った。「戦役」が、多くの兵力と物量を吞み込みかけている。それも一月も経たない間に……である。
「――ドローンなら特戦群にもあるし、ザルキスを殺った時みたいに、おれ達単独の強行突破で行ってもいいと思うけど」ブレイドが、周囲の反応を確かめるようにして言った。満更という風でもない――端末の傍で分隊と対面する素子の横顔が、静かに頭を振った。
「――貴方達は政府が択んだ貴重な戦力。ノドコールの戦闘はもうすぐ終わるけど、私たちの任務には、まだ『次』がある」
「傷つけたくないのだ」ということを、村雨 素子はその語尾に籠めた。俊二にはそう聞こえた。
半地下、照明は無い。
作戦開始以前はローリダ軍の航空機格納庫であったという空間の中で、日本より持ち込まれた仮設照明とノートPC、その他電子機器のLED光のみが男たちの網膜を灼く。
D分隊の作戦地域たるイェリカドの位置と区割り、敵味方の分布を示す電子地図の隣、彼らD分隊の目標となる男の容姿と素性もまた平面ディスプレイに表示されている。小柄な中年男、だがその顔の老け方に比して違和感を覚える程の、子供のそれとも見紛う短躯――そのような人間が、ディスプレイ表示の写真や動画の中で、ローリダ共和国内務省高官の制服に身を包んで部下に傅かれ、部下に指示を飛ばしていた。
その場の誰もが直ぐに気付く。文官武官を問わず部下の誰もが、上官たる彼よりは頭ひとつ以上に背が高い。このような小男の下で、ノドコール植民地総督府という巨大な組織が稼働く――否、つい最近まで稼働ていた――その事実が、俊二には滑稽を通り越して不気味にすら感じさせた。
セルディナス‐ナ‐ルタス――ローリダ語で資料に追記された小男の名を、俊二はやはり、その脳裏で諳んじる。あのガーライルとの関連は未知数だが、今次の「独立闘争」が惹起した混乱の、その罪科は彼にも支払わせるべきであった。この男に関し、状況が許せば捕縛。それが適わざれば――方針が明確である様に見えて、その実任務部隊の指揮を執る内閣は決めかねている。命令の文脈からはそれが察せられた。
「――まるで乳児だな」と、俊二の隣席を占めるトウジが言った。
「――じゃあ、これからあいつを『赤ん坊』と呼ぼう」と俊二も相槌を打った。
「――ロメオ野郎の名前は覚えにくいからな」トウジが低い声で哄笑った。
「――そこ、勝手に盛り上がらない」
村雨 素子が俊二を指差して言った。哄笑が大きくなり伝播する。静謐であるべき指揮所が、一瞬だが賑やかになった。
前線――
『――……ちょっと梃子摺りそうですね』
『――一応航空支援はあるそうだが、此処で役に立つかは未知数だな』
『――無人機廻してくれるんですか?』
『――素子が廻さないって言ってたろ』
先導を占める鷲津が、釘を刺す様に言った。銃口を頼りに男たちの疾走は続いた。
廃墟に、硝煙の臭いと死骸の山が混じり始めている。火の鎮まらない建物すら、周囲には見え始める。市街戦の帰趨が決して間もないとは聞くが、実は未だ継続いているのかもしれない――死の副産物たる臭気と熱気が、マスク越しに鼻と肌を刺すのを俊二は自覚する。
『――接敵! 前方、敵性工作員4!』
指示と同時に銃火が瞬いた。圧倒的な投射量と反応速度であった。展開された弾幕を前に、伏撃の積りか廃墟から姿を出した敵影が悲鳴も無く斃れた。軍服姿ではない上に火器の統一も無い。
皆が撃つ。俊二は撃たない。
ただ探る――敵影の更に奥、廃墟の陰に揺らぐ影が光学照準器に収まる――二度引鉄を引いた。廃墟から滑るように、骸と化した狙撃兵が斜面を転がって落ちる。『――クリア!』鷲津二尉の声が、回線に弾んだ。
「まだ!」反射的に叫ぶや、俊二は更に二度引鉄を引いた。7.62㎜高貫通弾が遠方、戦場の冷気を白く裂いて更なる敵影に刺さる。気配と殺気を併せて感じ取ったことが、俊二に射撃を択ばせた。直後に轟音と白煙が天に昇り、あらぬ方向の廃墟を穿って弾けた――倒した敵は、携帯対装甲ロケット弾の射手であった。
『――オイオイ、掃討は粗方終了ってるんじゃなかったのか!?』
制圧射撃を続けつつケンシンが毒付いた。独立戦争を戦うノドコール人の報告ではなく、彼らに随伴し「助言と連絡」を実施する情報科員、特務班員の報告であった。味方の不手際を疑ったのは、この若者だけではない。半壊したローリダ風の家屋の屋根、そこから吊るされた恐らくは家族であろう複数の骸を、俊二も隊員たちも一瞥して進む。生きて新たな任務に臨むためにも、感傷を捨てるべきであった。
不意に進むべき前方が明るさを増した。飛び交う曳光弾が跳ねているのも見えた。D分隊に弾幕は流れて来ない……それゆえか、鷲津二尉の前進は停まらない。
『――D停まれ』
停まるのと同時に、分隊の気配まで掻き消す様に消えた。
より濃さを増した硝煙が、前方から流れて周囲を包んだ。鷲津二尉が手信号で散開を命じた。迎撃の態勢だと俊二は察した。廃墟がその足元から崩れた。不快な轟音と共に噴煙が生じて地上に拡がる。雑音塗れのその中に、先刻より数の多い気配が、敵意を持たぬまま迫る――それを、俊二は64式改小銃を構えつつ感じた。
硝煙と粉塵の織り成す白濁の壁、その向こうから歩み寄って来る人影が、両手を上げた。『敵意は無い』
『――撃ち方やめ』
「D分隊か?」
日本語が聞こえた。砂風を遮るノドコール風の長衣の下で、陸自仕様の戦闘服と旧型の防護服が見え隠れする。そのまま、両者の距離がゆっくりと詰まる。
『――「ハウル」か?』鷲津が言った。
「――そうだ。コブラはあんたか?」
ふたりの遣り取りを無線で又聞きし、綽名を使ったそれが滑稽なものに俊二には聞こえた。誰かの失笑も回線を通じて伝わる。縫い包みショーの様な滑稽さだと、俊二は気付いた。
濁った風を縫い、複数の人影が分隊の周囲に廻り、包囲むようにした。殺すためではなく護衛るための布陣——それらがこれから共闘するノドコール人であることを知った今、張り詰めた空気が徐々に緩み始めるのを肌で察知する。俊二をはじめD分隊の誰もが緊張を覚えなかった。「ハウル」による「教育」が行き届いていることも、彼らの動作から察せられた。
「現地情報隊の前は戦闘管制隊にいたんだ。助教だった」
「ハウル」は、皺の増えた目尻を微笑わせて言った。階級は二等空尉。歳の頃は四十代も半ばと見えた。短躯だが、その体幹が堅固であることは一見で判別る。
「ひょっとして、小松救難隊にいた?」
「あんたも、整備隊で見た顔だな」
鷲津が先に言い、ハウルも応じた。気まずい、だが奇妙に温い沈黙が二人の間を流れるのをD分隊の男たちは見た。特殊作戦群隊員の数だけ存在する異色な経歴の一筋に、ハウルも絡んだ人間であることだけは、その短い会話の間から即座に察せられた。
状況説明を先に促したのも、鷲津の方であった。同時に、ハウルが現地情報隊に「招待」された理由も判る。戦闘の熟練者、そこに戦闘指揮が取れかつ教育が出来、通信もできる上に医療もできる、というわけだ。
歩きながら、ハウルが言った。
「ルタス総督の存在に関する情報は、ローリダ民兵の捕虜から得た。もっとも……彼が捕虜で居られたのは尋問に要した三十分の間だけだ」
「気にするなよ。此処では最後まで自衛隊が面倒を見ろとは命令されてない。そうだろ?」
「そうだな……捕虜に留め置くかどうかは、ノドコール人が決める」
戦前でも関係者の間で揉めた問題だが、捕虜を取るかは「解放軍」に決めさせることに最終的に決した。特務班はあくまで平和維持軍との連絡と調整、解放軍兵士の教育、戦闘時の助言の三つに徹する。それ以上の支援に必要な人材と資源を、ノドコール人に宛がう余裕が無かったのが、彼らの任務が制限された理由であった。
そして現状、解放軍には捕虜を管理するノウハウも、人員もまた不足している……ややもすれば、憎いローリダ人を捕虜にしてまで生かすという発想すら、解放軍は最初から持っていない様にも思えるとハウルは鷲津に言った。圧政と搾取に対する、当然の反応と言えばそうでもある。だが……
「……さも有らんが、良くない傾向だな」それだけを、鷲津が言うのを俊二は聞いた。
ハウルが聞いた。
「我々が要求した航空支援は?」
「本土から何機か支援機がスロリアに前進している」
「戦闘機か?」
「それは、期待しない方がいい」
「爆弾くらいは落とせるんだろうな」ハウルの言葉が、苦笑った。
「その点は大丈夫」鷲津が請け合った。「おれが空自を辞めた頃だったかな……航空救難隊に支援火力を付けるべきって話が現場まで降りて来たのは」
「オイオイまさかそれ……」ハウルが目に宿した興味が、そのまま驚愕に変貌る。
「あんたも聞いた話か」
一群はほぼ同時に残骸の杜を抜けて大通りの終端、包囲陣の一角をその眼前に見出した。
「停まれ!」ハウルが叫んだ。部隊を解散させ、「…あとは此処だけだ」と鷲津に向き直る。
「市庁舎ってやつか……」
鷲津の言葉を聞きながら遠景を見上げ、そして俊二は唖然とする。同時にまた、遠景に煙と銃声、着弾の音もまた重なり始めた。
「……これでも市庁舎の防衛兵力はだいぶ減った。都市自体の防衛と、PKFへの反攻で溶けたんだ」
ハウルが言う間、幾つも組まれた投石機が、その長い腕から火球を城壁に投げ付ける。一方でそれらを投げ付けられる城壁――解放軍が包囲み、攻略ているのは明らかに城郭であった。投石機に混じり、恐らくはローリダ軍から鹵獲したのであろう野砲も咆哮しているが、その砲列は疎らだ。照準も上手くない。
火球と石礫、そして砲弾が城壁を砕き、あるいは城壁を乗り越えて向こう側に着弾して黒煙を吹き上げる。現代戦の風景とは、到底思えなかった。それでも破り、崩した城壁に民兵が蟻の様に殺到し、その際銃火もまた近接しているのが、辛うじて文明の残滓を分隊に覗かせてくれている。
「中世ヨーロッパって言ったところか」誰かが唖然を隠さずに言った。ケンシンであった。
「お前があそこに突っ込むんだぞ? 先頭をやってもいいんだが?」
「冗談だろ」
ヤクローの冗談に、ケンシンが目を剝いた。「それで、これがロメオの最終防衛線ですか?」
ハウルが頷いた。「そうだ、今となっては援軍の来る宛ての無い、最後の抗戦拠点だ」
西壁はすでに崩れ、そこから解放軍が多数浸透していると、ハウルは教えた。そこから先の抵抗が烈しく、解放軍は幾度も撃退されている。ただし、市中に残っている守備軍の残滓もまた、これを援ける力を失くしつつある。
「トウジ!」鷲津が声を上げた。
「ハウルと一緒に高所に上がれ。支援機の誘導と照準を頼む。ブレイドも一緒に行け。ブレイドは狙撃配置」
「了解」ふたりが、同時に応じる。
「配置に付いたら報せろ」
「いい観測場所を知っている。指導者にはおれが話を通しておく」ハウルが言った。直後、分厚い雲間を突き抜け、ターボフロップの爆音が甲高く頭上に響く。戦争映画で見たような、旧態依然としたプロペラ機の機影が急降下から機首を引き起こして地上の戦場を過り、再び雲間に消えて行く。その翼下に吊り下げた兵装の数は、ジェット戦闘機に劣らず多かった。それははっきりと見えた。
「これが我が国の最新鋭機かね?」
「そうらしい」
皮肉を隠さずに、鷲津とハウルが話す。トウジが背負った広帯域無線機に、操縦士と思しき声が入ってきたのは直後であった。
『――紫電、Dチームへ、高度16000で旋回待機。目標指示を要請』
「こちらDチーム、PT、そのまま待て」応答しマイクを切ったところで、トウジが言った。「次期初級練習機……だっけか」
鷲津が前進を命じた。ハウルから話が通じているのか、解放軍の兵士が二個分隊ほど随伴し城郭に接近する。先導する中年のノドコール人が、案内を買って出た。
「おれの名はミガル。先週まで、市庁舎で厨房の下働きをしていたのさ」
「詳しいのか?」城郭内のことを、鷲津は聞いた。
「信じろ」とだけ、ザミアー小銃を前進方向に向けつつミガルという名のノドコール人は言った。「同じく下働きをしていたおれの妻が、将校の機嫌を損ねて殺された。仇を取って欲しい」
「……」
鷲津は何も言わない。随伴する俊二も沈黙を倣う。
尤も、ロギノール飛行場でのブリーフィングの時点で、衛星写真とハウルから齎された情報から、この市庁舎の配置と構造はDチームに把握されていた。
各階層の屋内配置もまた移動の間、携帯する電子地図を睨みシミュレートと共に脳裏に叩き込んである。言い換えれば、手に取る様に諳んじている。先導するノドコール人が侵入路として択んだ排水溝もまた、事前の検討で有望視された侵入ルートに重なる。
「……此処には徴用されたノドコール人兵士が詰めていた。その彼らは、おれの手引きで今は城の寄せ手だ」
「成程……」
解放軍によるイェリカドへの攻勢が始まるのと同時に、市内でローリダ人に従属していた現地人が一斉に反抗を始めたのは誤報ではないらしい――そこにPKFへの抗戦と希薄化した防衛線維持が加われば……敵への同情よりもむしろ、的確な対処に失敗した手際の悪さが先に立つ。思考を廻らせる俊二に、鷲津の指示が飛んだ。『――前方排水溝。城壁が崩れている……デルタ7、先導しろ』
「了解」
俊二はその得物を、64式改からUSP自動拳銃に持ち替える。暗渠の様に深く臭い排水溝、タクティカルシューズが滑る地面を踏み締める。先だって暗視装置を下ろしておくべきであった。先に下りた俊二が安全を確保し、そこにD分隊が続いた。
『――デルタ5、配置に付いた』
『――デルタ4、配置完了』
トウジとブレイドの声が、回線の中でくぐもって聞こえた。暗渠にも似た周囲が、明るさを増し始めた。出口が近いと肌で察する。そこに、鷲津の新たな指示が飛んだ。
『――デルタ6、ドローンを外に上げろ』
『――了解』
『――丁度いい、戦場の様子を覗くにはいい場所だ』
デルタ6――ケンシンが背部バックを開けて小型ドローンを展張した。クワッドローターの機体が籠から解放された羽虫の様に浮上し、外へと流れるように飛翔んでいく――頃合いを見計らい、ケンシンがVRグラスを装着した。操縦者と一体化したドローンの電子の目が、高度を上げるにつれてケンシンの視界に城郭内の銃撃戦を鳥瞰させた。それはまた、携帯情報端末を以て外界を伺う鷲津も共有するところだ。そこに――
『――デルタ4、照準鏡と連接完了。目標指示要請。おくれ』
高所に在って対物ライフルを構えるデルタ4――ブレイドの声が回線に割って入った。伏射姿勢の彼が覗く弾道計算機構付きスコープですら、ケンシンが操るドローンと連接している。
『――目標指命』
画面の一点を鷲津が指で抑えた。石壁に防護された後方、防衛軍の指揮を執るローリダ人に、ドローンから発振された不可視光が重なる。同時、ブレイドのスコープには、目標の方向と距離が投影表示される筈である――
『――4、目標捕捉……!』
『――やれ』
放たれた弾丸は、電光の様に指揮官の胸板を貫いた。肩から腕が千切れ、飛び散った鮮血に壁だけではなく周囲の衛兵も汚された。
『――指命した』鷲津の声が落ち着いている。端末の中で混乱する防衛線の只中、無反動砲の射手に鷲津の指が滑って延びた。
『――目標捕捉!』
『――やれ!』
対物ライフルから放たれた弾丸は二発、それは初弾で射手の頭を吹き飛ばし、次弾で積まれた弾丸を直撃した。引火は爆風すら伴い、それに直面した守備側のみならず攻め手をも動揺させた。その次に訪れたのは、防衛線の崩壊と解放軍の一転攻勢であった。グラスを被ったケンシンが、「すげえ……」と感嘆の声を漏らした程だ。
『――突入だ。解放軍のケツに付いて行く』
端末を収めた鷲津が89式カービンを構え直した。
『――デルタ5、予定通りだ。紫電改を使って城壁に大穴を開けてやれ!』
『――待ってました!』
トウジの声が回線に弾んだ。重目標をレーザー照射機と無線機で上空の攻撃機に伝え、市庁舎の敵に更なる混乱を惹起するのが彼の任務である。再び動き出したデルタ本隊、得物を拳銃から64式に持換えてそれを先導する俊二の耳に、攻撃機との交信が流れた。
『――デルタより攻撃機、目標照射まで30秒……20秒……10秒……照射いま!』
『――PTリーダー……PT全機編隊を解く。反射捕捉……目標視認……投下!』
「――っ!」
足元から、周囲の石壁と頭上が烈しく震えた。
それどころではなく空気の震えすら防護服越しに俊二は感じた。弾着!?――そう感じるより先、振動と着弾の音が連鎖して地上からここまで伝わって聞こえる。叩き込まれた爆弾ミサイルの類が、過剰な程多いのではないかとすら、俊二は駆けながらに困惑した。『――すげえな、プロペラ機とは思えねえ』ヤクローの声もまたした。亀裂の様な出口に光が迫る。マウントした暗視装置を跳ね上げ、俊二は分隊の先頭を切って外に出た。
「――!?」
タービンの咆哮が、矢の様な機影を伴って爆速で頭上を過る。硝煙渦巻く中で見上げた俊二の眼前で、それは航空自衛隊ATー10軽攻撃機の姿となって軽やかな上昇に転じた。次期主力初等練習機T‐10と並行して開発された、その軽攻撃機型だ。編隊の攻撃に、市庁舎を囲む城壁、その一角に聳えていた煉瓦造りの楼塔が勢いを付けて崩れるのが正面に見えた。爆撃に崩された城壁に、引き摺られた様な崩れ方であった。
直後に二発、光る矢が市庁舎の中心部に向けて刺さり、そして炸裂する。至近ゆえに、それは特戦群の男たちの足元を烈しく、かつ不穏に揺るがした。
「前方、統合滑空誘導爆弾!」反射的に叫び掛けて、俊二は地上に意識を向けた。着弾が生む、濛々と猛った黒煙が破片や塵と共に地上にまで降りる。その中で敵味方が入り乱れて怒声と銃火を交錯している。恐怖は感じなかった。ただ浸透に絶好の状況だと思えた。浸透しつつ目標を捜索し――そして今回は、拘束する。
「――っ!」
敵影を捉えたと察するのと同時に二度、64式改の引鉄を引いた。等倍ダットサイトの環中で、解放軍に抵抗するローリダ兵が頭を貫かれて斃れた。工場作業の様な正確さで、近距離での狙撃を繰り返しつつ俊二は早足で進む。銃口の遥か先で、ノドコールの群衆が不意を撃たれたローリダ兵の躰を押し倒し、あるいは踏み越えて本庁舎に向かう奔流を形成る。犠牲を払いつつ、全ての抵抗を押し流す彼らの勢いを利用し、予め決めた経路を求めて俊二たちは屋内に踏み入った。
「蛮族めっ!」
城壁の陰から突き出された銃剣の切先を、俊二は紙一重で回避した。回避と同時に防護服から引き抜いた「押刃」が、ローリダ兵の脇腹を捻りを付けてミシンの様に三度、躊躇なく刺す――伏撃からわずか三秒――腹を裂かれ倒れ込む敵兵の頭を、後続の鷲津が至近から撃った。それを当然の様に無関心を装い、俊二は先導を続けた。
『――後方より敵影!……3!』
ヤクローが叫ぶや、89式カービンを撃った。単射で形成られた弾幕に敵兵が怯む。『煙幕弾!』鷲津が叫ぶと同時に投擲た。内壁に跳ね返りつつそれは敵兵の方向で炸裂する。瞬間的な迅速さで持ち換えられた散弾銃が二発、発煙に怯む敵に続け様に散弾を吐き出した。消音機付きの改造銃だ。
『――後方クリア!』
「行け!」と鷲津が俊二の肩を推すように叩いた。前方、応戦しようと銃を向ける敵を、俊二は即座に倒し進む。それを幾度も繰り返して分隊は庁舎の深奥へと突き進む。悲鳴を上げて逃げ惑う女子供の気配も増した。此処で働く同胞が逃げきれていないのだと、ミガルがザミアーを撃ちながら言った。
『――方向転換!』言うが早いが、鷲津が先導を占めた。屋内を疾走り、砲撃に半壊した内壁を乗り越えて、D分隊は本庁舎内庭へと足を踏み入れる。
『――隠れろ!』命ぜられるまでも無く、俊二たちが物陰に頭を下げたのは血相を欠き走る敵影を見出したためだ。逃走とは思えなかった。正面から迫る解放軍への対処だと思えた。およそ正規兵とは思えない身形の、頼りない男たちが小銃を手に遺される――僅かな事前の情報通り、やはり守備兵が足りないのだ。
『――キリコ!』
俊二を呼び肩を叩くや、鷲津は残りを連れて内庭に走り出た。守備兵の注意が侵入者に向かう。声を上げようとした一人を狙撃で斃し、対処を躊躇った二人が鷲津達に撃たれて斃れた。もうひとり!――明らかな少年兵に、そう認識するまでも無く引鉄を引いた――顔の半分が砕け散り、弾かれた様に斃れる人型——咎める者はいない。
『――脅威なし! キリコは其処で待て』
監視――64式改を石壁で支え、俊二は伏撃の姿勢に転じた。内庭に立つ銅像の傍で、鷲津がヤクローに差配をしているのが見えた。そのビア樽の様な体格と顔には見覚えがあった。確かあいつの名は――
『――点火準備よし!』
『――退避!』
エドリクサスか――本土での教育でその名と素性を教えられた銅像の主を反芻しつつ、周辺への険しい眼差しは緩めない。
内庭を臨む内壁に、人影が複数飛び出して此方に気付く。銃を持った民兵が構えるより早く、俊二とハットリくんは応戦した。民兵が斃れ、それを埋め合わせるように奥から兵が現れる。銃火の交錯する中を、鷲津とヤクローが此方に駆けて来る。ハットリくんが89式カービンに装着した擲弾発射器の引鉄を引いた。民兵の集まる頭上で擲弾が弾ける。散弾と破片の雨を注がれ、悲鳴と怒声が上がる。抗える者はいなかった。ケンシンの操るドローンの照準もそこに続く。それでも、集団の気配が尚も衰えない。蜂の巣を突いたかと俊二の気も急く。
『――こちらからは狙えない。攻撃機にやらせる』トウジの声だ。
攻撃機が迫る間も、俊二とハットリくんは撃ち続けた。擲弾が爆ぜて弾かれた敵影が内壁から落ちる。応戦するKS軍制服の中に、少なからぬ割合で私服が混じる。中には防護服を着けている者も見えた。
『――点火用意!……点火!』
ヤクローが叫び、次に足元が揺らいだ。爆破!――巨像が足元からボキリと折れてその背後、上階の壁と窓辺を潰しながら寄り掛かって倒れた。宛ら上階に架けられた梯子であった。爆破に驚くより先、敷設位置と炸薬量、点火タイミングの絶妙さ――それらを短時間で導き出したヤクローの頭脳に俊二は絶句した。
『――PT……反射捕捉……目標視認……射撃!』
「伏せろ!」
鷲津が叫んだ。遮蔽物に頭を隠すのと同時、爆破よりも禍々しい、百雷が落ちたかのような衝撃と音が一帯を揺るがした。機関砲!――爆弾よりも低い威力を、その弾量と効果範囲でカバーする。その効果範囲の中で、応戦もできず殲滅されゆく人々――爆薬の臭いと城郭を構成していた土の崩落する臭いが、埃を伴って烈しく嗅覚を苛むのを覚える。堪えられずに誰かが咳き込む声もまた、聞こえた。
『――脅威なし! 上へ行くぞ!』
「……!」
上?――困惑するのと同時に、俊二たちの身体も動く。戦闘を疾走する鷲津が巨像を軽々と駆け上る。後背を固めつつ唖然とする俊二の眼前で、半壊した上階に差し掛かるや閃光手榴弾を放り込む。炸裂音を聞く頃には、彼は凄まじい手際の速さで得物を散弾銃に持ち換え、窓に穿たれた露壇に踏み込んでいた。散弾銃の吠える音がニ三度響く。隊列の最後に踏み込んだ俊二の眼前で、USP自動拳銃を抜いたヤクローが先頭に替わった。
「……」
ブーツに違和感を覚えた。柔らかい、粘着系の何を踏む感覚――死体を踏む感触だ。64式改に繋いだフラッシュライトの照らし出す先で、違和感は血の泥濘に倒れ伏すローリダ人の男女となって俊二の視界に入った。傍に銃器が転がっていなければ、その形は市井の民間人と変わらない。寧ろ彼らが武装し、抵抗したからこそ、特殊作戦群は彼らに対し躊躇なく引鉄を引くことが出来たというわけだ。彼らが熟練者か素人かは、敢えて考えなかった。
『――……グレイセブン、再進出。近接航空支援準備よし』
「……」
無線越しに、ローターの廻る音が聞こえた。存外早いと思えた。「このまま真直ぐ。突当りの左に執務室に繋がる階段がある」とミガルが言うのを聞く。聞くのと同時に前方、複数の影が突当りを奔って過るのが見えた。その幾人かは撃ちかけて来る……否、撃ちかけようとして即座に撃たれた。
『――接敵! 前方!』
「階段の方向だ!」とミガルが叫んだ。分隊の歩速が一気に上がった。先頭を占めるヤクローが突当りに閃光手榴弾を投擲た。壁に当たり向こうに跳ねた直後、一瞬の間を置き烈しい音と閃光が漏れる。角を占めたヤクローが即座に持ち換えた89式カービンを撃った。鷲津が前に出、散弾銃を三発撃った。『――脅威なし! 分隊前へ!』
角を越えた先には、当然の様に死体が転がっていた。それも一体ではない。
麓に達した長い、だが緩やかな階段を見上げ、ミガルが言った。
「……上った先は事務室だ。平時は二十人の幹部が詰めていた。あの奥に『死を運ぶ小人』がいる」
『――ウスピシャ?』
「ノドコール人はそう呼んでる。昔から伝わる、恐ろしい妖怪の名だ」
『――ふうん……』
誰かの声が聞こえた。
『――あの扉か?』階段を昇った先、固く閉じられた両開きの扉に銃口を向けつつ鷲津が聞いた。
「そうだ」
ミガルの声を、鷲津はもはや聞いてない。俊二たちとて同様であった――赤絨毯の階段を昇り切った先、切迫した気配が一気に侵入者に牙を剥くのを予見しなかったDの仲間たちはいない。案内人の声を、もはや聞く段階にはない。
『――グレイセブン、デルタ1、こちらの位置が判別るか?』
『――デルタ1……把握した。階段の先に多くの敵兵がいる。赤外線画像だが』
『――グレイセブン、敵情が把握るか?』
『――君たちを待ち構えている様だ。伏撃を用意していると思われる』
『――グレイセブン、そこに突入する。掃射できるか?』
『――デルタ1、上階全てか?』
『――一室だけだ』
『――誘導装置付きロケット弾を使用する。待機、待機せよ』
「……」
鷲津が俊二たちを無言で顧みた。この後に生起ることを、想像できない特殊作戦群隊員はいない。
狭い窓から覗く。文字通りに覗くという風に見下ろした一帯が、黒煙と銃声に満ちている。軽い音を立て窓ガラスに罅が入る。決して大きくはない音、だが至近の怒声以上にそれは、嘗て総督と呼ばれた男の心胆を震わせるに十分な音であった。
セルディナス‐ナ‐ルタスという「普通の」ローリダ人にとり、ノドコール植民地総督という肩書は、ニホンによるノドコール共和国侵攻作戦の開始と同時にその生涯を終えた。総督に替わり、ノドコール共和国民政局長官という新たな肩書が産声を上げてルタスの双肩に乗った――いち植民地の惣領が、いち独立国の閣僚となった。喜ぶべきか? 喜ばざるべきか?
言い換えれば、事実上の「留任」――それも、「独立」前より遥かに削がれた権力を持たされたままの、事実上の「帰国禁止令」――それが長年仕えた本国の命に拠ることにルタスは愕然とし、やがて驚愕は怒りに替わった。あの暴戻な蛮族ニホンの侵攻の矢面に立ったこの植民地の中で、もはや自分はこの土地において全権を振うことも無い。本国は自身を、ただ植民者たる同胞を「独立戦争」に協力させるべく調整に奔走せねばならぬ身へと堕したのだ……そこに民政長官としての権限はおろか強制力もない。事実上の閑職……否、降格ではないのか?
見下ろした先で、城外に弾幕を張る銃座に、赤い火球が飛び込むのをルタスは見た。恐怖に歪んだ大きな目の先で、銃座の兵士が火達磨となり転げ回るのを見る。野砲や迫撃砲ではない、それらよりずっと原始的な飛び道具が、原住民どもの反抗を勢い付かせている――それらは本国が本土の基地より爆撃機を飛ばせば、簡単に解決する類の叛乱だ。実際に四年前、首都キビルにて勃発した原住民叛乱にあたり、本国はそうやって事態を収拾しているのだ。
「話が違うではないか……!」
「閣下、なにか?」
独白と言うにはあまりに大きなルタスの声に応じ、呼び掛けた部下を、殺気立った猫の様にルタスは睨み付けた。生来の短躯であること、それに比して不均衡に大き目の嫌いがある頭と眼が、却ってこの男の怒りに迫力を与えていた。表情を消した部下が引き下がる。長身痩躯。前線で銃を執っていても違和感のない、若い官僚であった。南ランテア社傘下の、植民地幹部養成学校を二年前に出た若者。その父親が有力な元老院議員であることもルタスは知っている。生まれ付いた環境からして、上司たるルタスとは違う。
植民地総督――それは彼の部下の様に、生まれついて門地の無い小男には、過分なまでの地位であった。これまでのルタス自身の前半生を鑑みれば、そうなのであった。
あの「スロリア戦役」後に辞令を受けたルタス自身にも、当時からその自覚はあった。何よりも、この地位に至るまでに経験した労苦と舐めた辛酸を思えば、辞令を発した内務省長官にして元老院議員代理カルナス‐ダ‐ヨ‐エドリクサスの無表情が、慈愛溢れるキズラサの神のそれにも似て、さながら聖典物語に出て来る、神の祝福を受ける貧者の境遇に自らを重ね、当時のルタスは落涙すらした。共和国の正義を、その外交と植民政策に拠らない、別の角度からルタスは確信したものだ。
共和国の正義――ルタスにとりそれは、今となってはニホンの圧倒的な空爆と砲火の中に、蜃気楼の如く呆気なく潰えた。
何よりも、共和国に忠実ないち官吏として職責を一貫した自分に、この急展開はあまりに不条理に過ぎた。ニホンの干渉を排して独立戦争のお膳立てを成し遂げ、総督職を大過なく務めたルタスの、栄誉ある席の在処はこの戦地に在るべきではなかった。ニホンの追求をかわすためにも、本国は速やかに自分をこの島から離任すべきであった。
そこから更に募る憤懣――いまの自分の居場所は、凱旋を果たしたローリダ本国、当然首都アダロネス官庁街の内務省本庁舎であるべきではないのか? ニホンの大軍が迫る前に、本土からの迎えはおろか召喚の打診すら来ないとは、いかなる料簡の赴く処であるのか? 否、早急に本国に戻せとは言わぬ。此処から海を隔てた別の植民地なり権益地に自分を逃がし、知らぬ顔を決め込む段取くらいは為しておくべきではないのか?
「閣下、決別電を」
「は……?」
若い声に具申され、それが信じられなくてルタスは顧みる。それまでルタスと同じく現地人の叛乱に驚愕し、怯えていた筈の若者の顔から、人形の様に一切の感情が消えていることに気付く。そしてそれは、ルタスが初めて見る若い部下の表情であった。二年前の着任以来、彼にその様な表情も、視線も向けられたことがルタスには無かった。空虚――ただルタスを永遠の静寂に引き摺り込む空虚のみが、若い官吏の姿を借りて彼を静観している。そのことに気付いた時、去年まで総督と呼ばれていた男は、決壊しかかった堤防の様にその足元を慄わせはじめた。
「決別だと?……私に何と決別せよと言うのかね?」
「この部屋もいずれ破られます。閣下には、高等種族の威厳と名誉を守るべく、同胞に範をお示しあらんことを」
「わたしは自裁などしない」
「……」部下がルタスを見返したが、ルタスは動じていない様に見える。ただしその顔は土色に染まり始めている。恐怖と言うより自暴自棄の、それは兆候であった。
「生憎と私は貴種に生まれなんだ身だ。貴種には貴種の名誉。庶民には庶民の名誉がある。窮地を前に諦めるのではなく、出来得る限り逃げつつ戦い、死ぬまで抗うが庶民の名誉とわたしは思う」
「閣下……」
部下の驚愕に、自ずとルタスの口元が緩んだ――我が意を得たりという微笑。獅子には獅子の死に方、鼠には鼠の死に方がある。言い換えれば、死への抗い方だ。
「これより先、わたしはこの植民地の閣僚ではなく、栄誉ある共和国ローリダのいち市民として蛮族と戦い死ぬ。アイブリオス師と本国にはそう伝え給え」
机に置いた銃を、ルタスは取った。装飾の施されたヴォルキウス‐スペンシア銃。かつて総督として着任に当たり、本国内務省の元部下たちが資金を出し合って餞に贈ったものであった。逃走にあたりこれだけはと手許に置いていたに過ぎないのだが、今となっては銃自体の重さも射撃の反動も、小男が扱うには丁度いいとすら思える。感傷が、元総督としての矜持を呼び覚ます。矜持は勇気となってルタスに銃を執らせた。
「おい」同行を求めようと、ルタスは側近を呼んだ。彼だけは出来得れば、報告任務を与えて逃走経路を見つけて本国に帰す積りであった。若者の未来に無思慮というわけではない。
「……」
呼ばれても、若者は動かない。
「君は万難を排してキビルに戻り、アイブリオス師に状況を報告するんだ」
若者は、なお動かない。ただしそれは、ルタスに対する忠誠心の発露でも、人生に対する諦観の為せる業でもなかった。若者の内心を量るより早く、彼の視線が、ルタス自身すら想像しえなかった若者の真意に気付かせた。
「君、なにか……言いたいことがあるのか?」
敢えて部下に聞く声が、慄えていた。理性ではなく本能が、若者とこの場に居ること自体を危機として警告し始めていた。取り得る方策は、無かった。
静かに、そしてごく自然に若者の片手が上がり、拳銃が向けられた。「閣下、それでは困るのです」
「困るって……何だおまえ」大きな両目を、さらに大きく見開き、ルタスは銃口に驚く。
「ガーライルは望んでおられます。閣下が共和国ローリダの愛国者として、滅びゆくこの地に殉じることを」
「……っ!」
今や通信が絶えて久しい、共和国と己が人生を託した人間の名を持ち出された瞬間、精神の平衡が音を立てて軋むのをルタスは自覚した。隣室の護衛を呼び込むべく声を上げるべきだと思ったが、乾いた喉が引き攣ってそれが出ない。
「……おまえ何を言ってるんだ?」引き攣った声で、喉を震わせる。
「閣下、ガーライルの命により、私は貴方の最期を見届けねばなりません。そうならないときは聊か強引ですが……」
銃口が躊躇なく、駄目押しに突き出され、そして静かに引かれる――
『――射撃いま!』
スタブウイングから放たれた誘導弾頭付きハイドラGWロケット弾は二発。それらはUH‐60JAGの発振する照準レーザーの軌道を感知し、動翼で姿勢を修正しつつ市庁舎の深奥たる一室へと向かった。一発は石造りの外壁に刺さり、もう一発が長大な窓ガラスを貫き、その先でそれぞれに炸裂した。
「……!!?」
恐らく二発は、広さにして二十畳程の事務室を吹き飛ばすには、過分な威力であった。着弾で部屋に詰める武装兵全員を絶命させるだけでは飽き足らず、部屋一室では吸収できなかった火焔と衝撃波が部屋の床と天井すら破り、爆発の連鎖は防衛戦の指揮所が所在する城郭部ごと打ち崩した。それら烈しい爆発音と立ち昇る黒煙から、外に在って破壊の光景を目の当たりにした者もいた。彼らの驚愕は、周囲の攻防と阿鼻叫喚の暴風に掻き消され、中にはその生命すら散らす者もいた……
『――蹴破れ!』
鷲津が怒声を飛ばすや否や、先頭に転じたハットリくんの後ろ蹴りが指揮所に通じるドアを破った。爆風で建付けの歪んだドアに、彼の蹴りに抗う耐久力は残されてはいなかった。ハットリくんに替わり、俊二とケンシンが部屋の先にカービンを連射で撃った。牽制射撃――ドアと壁を隔てた先、まるで解体途上の廃墟ビルを思わせる荒廃に、そこに飛び込んで初めて息を呑む。床が割れて、下層階の赤絨毯と調度までがはっきりと見える。ひび割れた内壁と砕けたガラスに、血飛沫と赤い肉片が張り付いているのさえ目に入る。
「接敵! 前方二名!」走りつつ叫ぶや俊二は撃った。カービンが単射、空薬莢を弾かせて幾度か咆哮る。着弾を生き残った敵兵が立ち上がり、銃を向けようとしたところを即座に撃ち倒した。「敵影無し!」勢いに任せて雪崩れる様に残った床を疾走る。下層に敵兵が現れて上層の我方に銃を向ける――それらもまた、先導する俊二に有効弾を出す前に、援護する後続の射撃と手榴弾により沈黙した。
部屋を進んだ先、崩れ落ちた壁が更に崩れた。それに吊られる様に重厚なマボガニー材のドアが両開き、埃を立てて倒れ下層に滑り落ちた。土埃の幕に阻まれてはいたが、人間が一名……否二名、縺れる様に立ち上がるのが見えた。
「来るな!」
若いローリダ語が聞こえた。聞こえないふりをして赤絨毯の執務室に飛び込んだ。身形のいいローリダ人が子供を羽交い絞めにし、あまつさえ彼に拳銃を向けている――そこまで観察して、捕えられているのが子供ではなく、極端に背が低いだけの、れっきとした大人であることに俊二は気付く。続いて突入したケンシンが、USP自動拳銃を構えているのを気配で把握する。包囲は静かに始まり、そして完成した。
「こいつを殺すぞ!」
ローリダの若者が、両目を血走らせて叫んだ。現地の蛮族とは違う、表情の見えない異形の男たちが、未知の銃を構えて自分を包囲む――日本人ローリダ人の別なく、その様に平静で居られる常人などいない。その証拠に、小男の頭に向ける拳銃を握る手が、小刻みに震えているのが観察た。人質同然の小男はと言えば、一種の猿の様に大きな目を恐怖に引き攣らせ、青年と自衛隊、どちらが先に自分の生命を取るのか考えあぐねている様にすら見える。
爆音とともに、巨大な質量が空から接近る。遮る壁はもはや無い。浮かぶ質量は即座にUH‐60JAG特殊作戦仕様機の魁偉な姿となって男たちを睥睨し、それは当然、下界に吹き荒れる暴風も相まってローリダの青年を一層の恐慌に陥れた。
「おれを追跡な! あの化物を退かせろ! でないとこいつの命はないぞ!」
『――こちらトウジ、コブラ、ロメオ野郎が抱えているのはルタスか?』冷徹に銃口を向けつつ、俊二はイヤホンに交信を傍受く。
『――そうだ。狙撃てそうか?』鷲津が言った。
『――ヘリを遠ざけろとブレイドが言っている』とトウジ。
鷲津が手を上げ、手信号を送った。ローターの爆音が低くなり、そして徐々に遠ざかる。それに合わせる様に、包囲もまた後退という形で解消を始めた――少なくとも人質を取る青年には、そう観察た。緊張が僅かに緩み、それは青年の美貌に歪んだ微笑すら浮かばせた――
「――――ッ!」
閃光が横薙ぎに疾駆り、空気が震えた。
役者の様な美貌が柘榴の様に弾けて消えた。飛び散った肉片が小男を朱に汚す。小男が悲鳴と共にそれに気付くのに、数秒の時差を要した。
「…………っ!!!」
頭を喪った部下の腕を振り解き、セルディナス‐ナ‐ルタスは赤い穢れを拭い去ろうとして赤絨毯を転がった。表記不明の悲鳴を撒き散らす顔が、総督の正装が、一層に赤黒く染まって汚れる。そこにタクティカルシューズの跫が迫ってルタスを囲んだ。
「ルタス総督だな?」声を掛ける鷲津を、焦点の合わない目が見上げて怯える。「お……お前たちは誰だ?」震えたローリダ語が、辛うじて耳朶に届いた。鷲津の目配せを受け、背後に廻ったケンシンがルタスを後ろ手にして結束帯を巻き付けた。
「お前の死神だ。これより煉獄に連れて行き、地獄に値するか否かを審判する」
「蛮族風情が、わたしの何を審判すると?」声に、怒気が籠り始めるのが聞こえた。
「さあな。向こうでおれ達の神様に聞け」鷲津が言うが早いが、ケンシンが縛った腕を引き摺る。激痛に耐えかね、無理矢理立たされたルタスの頭上を、再進出したグレイホークの機影が過った。最上階に、回収に適した空間が残っていることを操縦士が伝えてきた。ただしそれが事実か否かは、特戦群が先行して確認するしかない。そのとき――
『――コブラ』
『――?』
統合前進指揮所に控える村雨 素子が鷲津の名を呼び、直後に交信が途切れた。不自然だが、機材のトラブルでは無いと俊二には思えた。注視する俊二たちの眼前で、イヤホンを抑えた鷲津の口が、何事も無かったように、覆面の下で微かに動いている――「秘匿通話」――単語一言を脳裏に過らせ、俊二は鷲津の行為をただ見守った。
『――コブラ、終わり』
交信を切るや、鷲津はケンシンとヤクローとハットリ君にルタスの移送を命じた。離脱の頃合いであった。それでも――
『――キリコはおれと残れ』
俊二に言い、鷲津はミガルに案内を命じた。三人と別れるのと同時、全身の肌を刺すような敵の気配が何時しか消え、戦闘とはまた趣の異なる熱気が屋内にも漂い始めていた。その理由は、完全にガラスの外れた窓から容易に察せられた。スポーツの国際試合の勝利を祝うかのような熱狂が、武器を持った群衆の姿を借りて要塞の敷地一帯に蠢いている。
「何と言っている?」
「……大地の神、戦の神を祝福してる……勝鬨だ。ローリダの城塞を占領したんだ」
崩れた城壁から見下ろし、ミガルが言った。そこに豆を炒る様な銃声が複数生じた。窓から臨む遠方、投降したローリダ人を壁際に並ばせ、彼らに向けられた銃口が一斉に瞬くのが見えた。勝利の歓声に敗者の悲鳴が混じる。それが今となってははっきりと聞こえる。先端に生首を刺した長槍が数本、旗竿の様に擡げられて激しく揺れた。奪回された街の各所で、かつての征服者に対する報復が始まっている証であった――怒涛を止める人数も、権限もいまの俊二たちにはない。
『――グレイセブン、貨物を回収確認。これより上昇』通路を震わす程の爆音を蹴立てて、機影が遠ざかる。
鷲津が拳を上げ、「前進やめ」を命じた。突当りの向こう、見知った気配が三つ姿を現す。それらが追及してきたハウルとトウジ、ブレイドであることに気付き、俊二は銃を構える手を心持ち緩めた。その傍ら、鷲津は敵でも見る様な冷厳な眼差しで、歩み寄るハウルを迎える――
「コブラ! やったな!……っておいっ!?」
声を掛けた瞬間、鷲津に懐に素早く踏み込まれ、ハウルは窓際に押し出された。空自隊員として鍛えられ、幾度も戦火を潜った彼であっても、鷲津の神速と膂力には抗えなかった。
拘束を回避しようとして、ハウルはすぐに止めた。上半身はすでに窓際の外、ハウルの喉元を掴む鷲津の片腕、窓枠を掴むハウルの両腕、それらの均衡がほんの少し崩れただけで、この特務班員は頭から加速を付け、二十メートル下の地上へ激突を強いられる筈であった。俊二が反射的に睨んだ先で、案内役のミガルはといえば、事態の急展開を前に為す術無く震えている。
「ジョーカーの差金か? この蝙蝠野郎!」
「ひ……!」
看破される恐怖が、突き落とされる恐怖に勝った様に傍観する俊二には思われた。一方で窓枠を掴むグローブが震えている。肉体的な限界もまた近いと見えた。それを加減することも無く、ハウルを突き落そうとする鷲頭の手に力が入る。
「……お、お互い様だろう?……向こうにはマスターがいる!」
「導師とは協働してねえよタコ」氷の様な殺意が、ハウルを更に射竦めた。
「作戦を調整する必要が!……必要があるだろっ……だから!――」喉を掴まれた息遣いが、必死なまでに粗くなる。
「おれたちは大物狙いだ。ルタスはついででしかねえ」
「し、知ってるよ!……ガーライルって言うんだろ?」
「……」
「でぃ、情報本部経由で知っちまったんだよ……海自が……だからさ!――」
「……っ!」
舌打ち――鷲津の手が躊躇なく動く。押された上半身が外にのめり、絶叫と同時にハウルの頭が外に落ちる。上を向いたタクティカルブーツの足首を、鷲津の手が握った。弾薬入りのボディーアーマーまで纏った男の落下を、腕一本の握力と膂力で停めた。
「――っ!」俊二は思わず息を呑む。握力といい腕を出すタイミングといい、細身の体躯の為せる業ではない。それがまた人外の域に迫っている。
「知ったうえで、特戦の任務に首を突っ込むのか?……どんな馬鹿なんだ」
呟き、鷲津は俊二に目配せした。「おまえが引き上げろ」という無言の命令であった。救助の一部始終を見守るトウジとブレイドの目にも、同情の色は無い。引き摺り上げられ、壁際に座り込み息を震わせるハウルを見下ろし、鷲津は言った。
「じゃあジョーカーと海自の誰かさんに伝えろ。特戦の仕事に手を出すな、と」
「……ルタス捕縛は報告したからな」困惑と怒りが、ハウルの眼差しに姿を借りて鷲津を睨んだ。
「成程、特務とあんたを動かしたお偉いさんの正体もいずれわかるって寸法か」トウジが言った。
「特務は既にひとり、ローリダの要人を捕らえた……情報の集積と共有が要るから、結局はおれたちは共闘する……! そうだろ!?」
「そして抜け駆けして海自特殊部隊にガーライルの首を取らせるってか?」ヤクローが言う。
「不安になったか? 流石の特戦も」
ハウルの視線に籠められた虚勢を、冷笑で睨み返す。
「一日で世界中に核兵器をばら撒いて、おれたちに一個旅団の刺客を差し向けて来た大魔王だぞ? 下手な作戦なぞ立案たらシールズなんぞ生卵の様に踏み潰されて、この世界が終わる」
『――コブラ、撤収を急いで、戦いが終わって地下に潜んでいた住民が一斉に表に出始めてる。貴方達の存在が露出する危険が高まってる』
素子の声が聞こえた。トウジが戦術情報表示携帯端末を鷲津に示した。出撃前に作成し、作戦中に修正を終えて完成させた、それは離脱経路であった。即座に各員への経路情報送信と「撤収」を鷲津は命じた。ノドコール人自身の手でイェリカドの街は解放され、ルタス元総督は行方不明――紆余曲折こそあれ、出撃前に作成した作成案通りに、全ては終わる。
足早に外へと向かう最中、最後尾を占めた俊二は残されたハウルを顧みた。既に立ち上がり、半ば呆然と特戦の撤収を見送る特務の男の唇が、微かに震えている。遺された彼が何を言いたいのかは、距離があって既に聞き取れなかった。
「核……兵器……?」
言い掛けたまま、口が閉じない。口にした単語の重大さに、ハウルの喉が凍った。




