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カミサマの虫退治




 とすっ、と。軽い音がした。

 脇腹に何かがある感覚があるのに、それが何かはわからない。

 膝に力が入らずに、べしゃり、と体が地面へと崩れ落ちた。

 さっきまで一緒にいたはずの竜胆が、何かを叫んでいる声がする。

 持てる力の全てで顔を上げれば、視界に入ったのは竜胆ではなく、馬鹿笑いをする一人の男。

 

 ああ、そうか、私は――

 

 そこでぷつり、と意識が消えた。




 *****


 


 女学校の裏庭にあるガゼボにて――


「ねえ、小夜。私を待っていてくれたのは嬉しいけれど、こんなところで寝ていたら、風邪を引くよ?」

「ぅ……ん? りんどぅ? ほんもの?」

「そうだよ、正真正銘、君の友人の竜胆だ。……おや? もしかして君、悪い夢でも見てたのかい?」

「え? なんで?」


 竜胆の問いを不思議に思い、そう問い返せば、だってほら、涙が出ているよ、と。目元を親指で優しく撫でられた。


「悪い、夢……」


 覚えていない、けれど、何となく脇腹の辺りがツキリ、と痛む気がした。


「多分、見てない……はず」

「そうか。それならいいけれど……ああ、肩に虫が付いているね」


 そう言うと、竜胆は私の肩に付いていたらしい虫を、地面へと払い落とした。それから、間髪入れずに虫に向かって右足を踏み落とすと、竜胆はローファーの踵で、踏みつけた虫を丹念に擦り潰すように動かした。


「なっ、竜胆!?」


 あまりにも竜胆らしからぬその行動に、竜胆の顔を見ればひどく無表情で。けれど、驚きの声を上げてしまった私に

 

「うん? どうかしたかい?」


竜胆はまるで何事もなかったかのように、いつものような綺麗な笑顔で微笑んだ。


「これでよし。さて、帰ろうか」

「……うん、そうだね」


 少しの疑問を残しながらも、こんな風に、私は作られた友情を演じている。


 私、こと三宅小夜のこの世界でのステータスは、大学教授の娘であり、十六歳の高等女学校の生徒である。大学教授の父と、在宅で翻訳の仕事をしている母と、それから十歳の弟。それが私の、この箱庭の中での家族設定だ。

 市街地から少し外れた郊外の住宅地にある、少し和を感じさせる造りの洋館が我が家である。とはいえ、カミサマの配慮なのかどうなのか、家の中には私以外の気配は感じない。感じないはずなのに、時間になれば食堂には食事が用意されていたり、洗濯済みの服が自室のベッドの上に畳んで置いていたりと、生活を送る上で何も問題は起きていない。でも、正直言わせて欲しい。これはちょっとしたホラーであると。


「ねえ、カミサマ」


 カミサマに呼びかけた。けれど、カミサマからの返事はない。


「――カミサマ? 聞いてる?」


 その日、カミサマの声を聞くことはなかった。


 ◇


 赤いリボンタイの付いたミモレ丈の白茶色のセーラーワンピースが、私の通う女学校指定の制服である。姿見の前でくるりと周り、身嗜みを最終確認してから、部屋を出た。


「やあ、おはよう、マイディア」


 玄関を開けたら、目の前にウィンクをする野生の竜胆が現れた。いや、落ち着け私、野生の竜胆ってなんだ。そんな竜胆の顔を見た瞬間、私は秒速で、力の限り玄関の扉を閉めた。


「おや? 小夜? どうかしたのかい?」


 ドンドン、と玄関を叩く音と、竜胆の不思議そうな声が扉越しに聞こえてくる。再び扉を開けて、竜胆におはよう、と返さなくてはいけない。だが、駄目だ。竜胆からの『マイディア』の破壊力が凄い。凄すぎる。しかも、ウインク付き。後光が差していた。朝から何処のアイドルのファンサだ、ありがとうございます。


「ねえ、キミって情緒不安定?」

「煩ぇですよ、カミサマ」

「そうだよ、カミサマだよ。ねえ、ボクってカミサマなんだけど、扱い悪くない?」

「今までの自分の行いを、胸に手を当てて考えてみてください」

「あー形のないボクに胸はないから、無理な話だねぇ、残念」


 屁理屈か。


「というか、カミサマいたんだ」

「ボクの存在、否定された……? 今更?」

「いえ、そうでなく。昨日何度も呼びかけたのに、返事なかったじゃないですか」

「ああ、そのこと。昨日はちょっと、ボクやることがあったんだよね」

「え……カミサマって私と喋る以外やることあったんですか?」

「実はあるんだよ。……なんかキミ、図太くなったねえ」


 しみじみと語るカミサマを無視して、カミサマのお陰で冷静さを取り戻した私は扉を開けた。


「おはよう、竜胆」

「ああ、おはよう、小夜。玄関を開けたと思ったら急に閉めて、何かあったのかい?」

「えっと……うん、ちょっと忘れ物が……」

「そうか、気付いたならよかった。ああ、そういえば、先程君のご両親に会ったよ」

「えっ!?」


 君は母君似なんだね、と言う竜胆のその言葉に驚いた。竜胆が娘の私が知らない、私の親の顔を知ってる……だなんて。ホラー味がなおさら増しているではないか。ホラーは嗜むが、リアルホラーはお呼びでないのよ、カミサマ!!


「それにしても、急にうちに来てどうしたの?」

「昨日君の様子がおかしかったからね。君と一緒に学校に行こうと、下の兄に通勤ついでに送ってきてもらったのさ」


 そう言う竜胆は、イタズラが成功した子供のように笑った。

 

 ◇


 路面電車に乗り込み、二人並んで吊り革を掴む。


「私昨日、そんなにおかしかった?」

「そうだね、なんだか消えてしまいそうに儚かったよ」

「儚いって……」

「ふふっ、事実だから仕方がないね」


 他愛もない会話をしているうちに、女学校最寄りの停留所に到着した。路面電車から降りようと一歩踏み出し地面へと足を付けた瞬間、心臓がドクリ、と強い鼓動を響かせる。頭の中がガンガンと鳴り響き、過呼吸のように上手く呼吸が整わない。ひどく息苦しくて、目には自然と涙が溢れ、視界が歪む。


「小夜っ!」


 そして、崩れ落ちそうな体を支えてくれたのは、後ろに立っていた竜胆だった。


「大丈夫かい?」


 停留所の木製のベンチに座り、隣に座った竜胆の肩へと凭れ掛かった。頭を優しく撫でながら問う心配そうな竜胆の声に、うん、と小さく頷いた。


「医者に行くかい? 連れていくよ?」

「ううん、大丈夫」

「本当に?」

「少し休めば、大丈夫だから。竜胆は、遅刻しちゃうから先に行ってて?」

「こんな状態の君を、一人にはできないよ」


 竜胆は優しい。そういう設定で作られたのだと分かっているのに、否、分かっているからこそ、縋りたくなる。カミサマの作ったこの世界は、私に計り知れないほど優しくて、そして、呆れるほどに残酷だ。


「……学校に行く」

「小夜、まだ休んでいた方が……」

「大丈夫。本当にもう、大丈夫だから」


 実際、竜胆に触れているうちに、多少気分は落ち着いてきている。竜胆から離れ、私はベンチから立ち上がった。

 それなら、せめて――と私の手から鞄を取ると、竜胆は二つの鞄を手に持った。


 停留所から女学校までは、徒歩で五分程である。二人並んでゆっくりと歩いていると、前方から一人の男が何かを呟きながら歩いて来る姿が目に入る。その男と、ふと目が合った、その刹那。男の口が、弧を描いた。


「――え?」


 右手に何かを光る物を持った男が、こちらに向かって駆けてくる。突然のことに反応できずにいる私へと、やって来る。伸ばした右手の鋒が、私に触れそうになったその一瞬


「小夜には、指一本触れさせないよ」


その腕を後ろ手に捻り上げ、地面へと押し倒す竜胆の姿があった。


 ◇


「右肩脱臼、複数箇所の打撲、擦過傷及び骨折――少しばかりやり過ぎかな?」


 あの後、私と竜胆は警察署に連れて来られた。困ったような表情を浮かべて私達を聴取をしているのは、柔らかそうなふわりとした黒髪に濃紺の仕立てのいいスリーピーススーツを着た、柔和なタイプのイケメン刑事さんであり、竜胆の下のお兄さんだった。

 

「でも柊哉(しゅうや)兄さん、制圧しなければ小夜に何かあったのかもしれないんですよ? ああ、小夜に何かあったら、私はっ!」

「竜胆、駄目とは言ってないよ。ただ、程度を考えなさい。揉み消すのにも、限度がある」


 ……今聞き捨てならない、というか、聞いてはいけない言葉が聞こえたような……うん、気の所為、気の所為。


「竜胆のお兄さんって、警察官だったんだね」


 ぽつりと呟いたその言葉に、竜胆は私へと視線を向けると、にこりと微笑んだ。


「そうだよ。下の兄で、名前は柊に(かな)と書いて柊哉だ。年は二十三で、独身。婚約者はなし。仕事が忙しいため恋人もいないし、性格は穏やかだ。それから警察の幹部候補で、妹の私が言うのもなんだが、とても優良株だよ」

「う……うん?」


 やけにグイグイときてませんかね? 竜胆さんや。


「小夜も婚約者はいなかっただろう? もしよければ私の義――」

「はいはい、そこまでだよ、竜胆」


 話の内容は別にして、お兄さんに止められて、むう、と膨れる竜胆は、普段と違ってなんだかとても可愛かった。

 ところで、ねえカミサマ、一つだけ聞かせて? カミサマはこの世界をどうしたいの? ……え? なるがままにって?


 ――それは、ホント?

 


 

 *****




 赤、紅、赭――その中に沈むあの子は紙のように白くて。

 代わりに、傍に立つ男は鮮明だ。


「うん? キミみたいな住人、ボクは作った覚えはないんだけど」


 あの子の声は聞こえないのに、耳障りな笑い声が辺りに響く。


「――ああ、そうか。キミは世界のバクか」


 なら――


 デバッグして、ロールバックしなきゃね。

 だって、この箱庭にはバグはいらないんだから。




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