第二十三話「悪役令嬢現る」
第二十三話「悪役令嬢現る」
ブランシュエクレールの城は自国の人間より他国の人間のほうが多くなっていた。
グレートランド皇国使者として、第三皇子オレンジ・アックス・グレート・オーランドと守護将軍のひとり、エレン・トワイライトラインを含む護衛。
北西の砂浜に難破した亜人たちと、それを保護した第一騎士団。
ロートヴァッフェの第一王女、ディートリンデ・ミツルギ・フォン・ロートヴァッフェとそのお付き数十人と魔道具の山。
そして人手不足から第四騎士団を呼び寄せたのである。
王宮内にある広場は大勢の人でごった返していた。
幸いにして第一、第四騎士団の助けもあって守衛などは特に問題もなく執り行われている。
あまりの来客の多さにシャルロット・シャルル・ブランシュエクレールは頭を抱えた。
彼女の執務室は普段は綺麗なのだが、今は資料が雑多に置かれている。
シャルロットは椅子に深く座り込んで大きく息を吐いて見たものの、これといって事態が変わるわけでも、妙案が浮かぶわけでもなかった。
「エルフと半獣人族は?」
「第一騎士団の老翁共に任せております」
シャルロットの問いにガエルは恭しく答える。
亜人は全てが女性ということもあり、好機な眼差しで見られているが警護は万全を期していた。シャルリーヌがすぐに手配をし、第一騎士団の老騎士たちが彼女たちの護衛をしている。
「問題はそこではありませんぞ」
「一歩間違えば一触即発なのだから、どうしようというの」
グレートランドもロートヴァッフェもブランシュエクレールに食量を欲してやってきている。そして両者ともにすでに広場で顔合わせをしており、両国の事情を知っているならばすぐに察するだろう。
両国の王家者たちは場内の客室に案内は済ませてある。どちらから会うべきか。そしてどう対処するのが自国にとって有利に運ぶか。
正式な申し出があったのはグレートランドだ。ロートヴァッフェのほうはほぼお忍びであり、通達があったのも西の港に着いてからだ。
調整のしようがなかった。
「おまけにエルフの姫様ねぇ……」
シャルロットは頭をかく。
北西の砂浜に難破した船は問題を抱えた船だった。今後のブランシュエクレールとグレートランドの仲を引き裂きかねないほどの爆弾だ。
その中にエルフ族の姫と名乗る人物がブランシュエクレールに保護を求めたのだ。彼女の出身は龍ノ峰島。
「ソラを今すぐに呼んできて欲しい」
「そのように手配しますが……」
ガエルの言いたいことを察したシャルロットは手で制する。呼んだとしても、ソラはすぐには来れない。
「時間はない。とにかくひとつひとつ潰していきましょう」
ガエルは恭しく頭を垂れた。
パッセ領から見て西にあるのがミュール領である。両領土を遮る山があり、陸路は多少迂回せねばならない。
そのため、南の港に近い領土でありながらその恩恵を受けられずにいた。
領土内は小麦や米などが主な収穫であり、また平原も広がっていることから、酪農なども盛んである。
シャルロットが頭を抱えている頃、ソラはミュール領を訪れていた。
彼は護衛にオスヴァルトとエヴラール、そしてエヴラールが選んだ数人の者たちだ。全員馬に騎乗して、散歩するように道を行く。
配置はソラを中心に左右をオスヴァルトとエヴラール。前面を若い者たちで固め、背後を一番の年長者にまかせている。
エヴラールに選ばせたのは不信感を抱かせないためだ。ソラやオスヴァルトたちは余所者であり、ソラがオスヴァルトたちにばかり頼ってしまえば、軋轢が産まれてしまうからである。すぐに起きなくともそういうのを未然に防ぐ必要があった。
オスヴァルトたちが真に仲間になれるのはまだ先である。
幸いにしてオスヴァルトたちもそれは重々承知しており、不平不満は無い様子だ。
それどころかエヴラールとは仲がよく、今も自分たちが経験した戦場の話をしていた。どうやって切り抜けたのか、どう対処したのかという、戦場で役立つ話ばかりである。ソラも傾聴していた。
「じゃあ、包囲されていた場合は?」
「一点集中突破で離脱だな。まあ、こちらが重装騎兵だったから出来る無茶だな」
「追撃のある場合は?」
「自分たちの身に着けている武具を一つでも投げつける」
さも当然といった様子だ。エヴラールは納得がいかないのか、眉根を寄せた。
「もったいないだろう」
オスヴァルトも頷く。だが、と彼は説明する。武具を拾おうとする奴らが出てきて、追撃の隊列が乱れると想定してだ。それだけではないと彼は言う。
「命あっての物種だ。特に経験を積んだ兵士を一人でも多く生かすのは、後々に活きてくる。武器の値段とひとりの経験値なんて比べるまでもない」
「なるほどな」
エヴラールは大きく頷く。
風に乗って牛や馬の排泄物の臭いが漂う。苦手な者は鼻をつまむだろう。実際にオスヴァルトは慣れていないのもあり、鼻をつまんでいた。
「くっせー」
「前に来たより強烈な気がする」
背後にいた年長者がつぶやく。
彼らが行く道を沿って、木で作られた柵が牧場を仕切っていた。彼らと並走するように牛の群れが歩いて行く。
「やる気が感じられんな。内乱が起きる前はぼーっとなんかしとらんかったぞ」
年長者の言葉に前にいたひとりの若者が同意する。
そんな言葉にソラは視線を巡らせ、牧場の中で座り込んでいる人を見つける。心ここにあらずといった面持ちをしていた。
「大丈夫かね? 若大将」
オスヴァルトはつまらなさそうにソラへ問う。対するソラは頭をかきながら困ったように笑う。
「あまりいい話は聞きませんからね。皆さんも気をつけてください。特に馬、金品などはしっかりと管理するように」
彼らが向かうミュール領は未だに荒れている。ミュール伯爵がパッセ侯爵に味方したことを、未だに領民は許せず、時折衝突していた。
「武力衝突だけは回避しているようですが、治安は悪いでしょう」
ソラの言葉に全員が緩んでいた気を引き締める。
「ですから、皆さんを頼りにしていますよ」
最後の言葉に各々やる気を滾らせた。
ミュール伯爵の屋敷は質素であり、黒いレンガの屋根に白塗りの壁。屋敷はパッセ領と同じく利便性を重視して、町のすぐ傍にあった。
ブランシュエクレールの貴族の大半は、広い庭の中にある大きな邸宅を好んでいた。ミュール伯爵も広い庭はあるものの、屋敷の裏手に広がっている。
故に高い壁で町と隔たりはあるものの、門を出ればすぐに町だ。
普段の町は市で賑わっている。米や麦、家畜の肉や骨、石鹸などが売買されておりブランシュエクレール領内の人ならば、ミュール領に足を運んで肉を買っていく者もいた。
だが、今はその商売の喧騒ではなく、抗議の喧騒で町は溢れかえっている。
ミュール伯爵の屋敷に人が殺到していた。門の前で罵声を飛ばし、酷い時は石を投げたりもしている。それでも彼らが踏み込まないのは、ミュール伯爵が文句を聞き入れているからだ。
町の一角には伯爵に文句を届ける代筆屋がおり、それらで彼に文句の書状などを届けられている。ちなみに代金はすべて伯爵持ちだ。それでなんとか抑えている状況だ。
そんな屋敷には、ソラより一足先に女性の客人が来ていた。
艶のある黒い髪は毛先を縦に巻いており、漆黒の瞳はつり上がって鋭い。白い肌は雪のようで目鼻立ちはくっきりとしていた。身につけているドレス濃い青。肘の上まで覆う手袋をはめており袖口に銀をあしらっている。歳は十六ぐらいだ。
そんな女性にミュール伯爵は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「いえ、わたくしのところも似たような状況です」
「いや、それもそうですが、お父上のトゥース公爵のことです」
「お気になさらずに。父は愚かだったのです。身の程をわきまえず、自分の度量を超えるモノを欲した。当然の結果です」
女性の父は先の内乱で亡くなっていた。アソー子爵討伐の折に、討ち取られたのだ。といっても彼女の言ったとおり、功を焦り突出したのが原因である。
彼女が言っていたようにトゥース領もまた、ミュール領のように治安が悪化していた。無論同じ理由なのだが、それに加えていくつかの潜在的な問題が表面化したのである。
「お厳しい言葉だ。耳に痛いです」
当然、彼女の言葉はミュール伯爵にも突き刺さる。生き残っているものの敗戦したのだ。結果だけで言えば、身の程をわきまえられなかった人間である。
女性は特に悪びれず、次は気をつけなさいと冷たく言う。
「で、要件はなんでしょうか?」
「外の貴族を何人かご紹介していただけないでしょうか?」
ミュール伯爵は顎に手をあて考える素振りを見せた。
「紹介できる方はおりません。ご存知だと思いますが、内乱で負けてからはグレートランドの貴族との交流が途切れてしまいまして」
正確にはパッセ侯爵伝にやり取りしていたので、その人物がいなくなれば紹介出来る貴族がいないのである。
昔からの付き合いもなくはないが、紹介できるところではなかった。
「やはりまずいですか?」
ミュール伯爵は、表面化した問題を問う。
「なんのことかしら?」
少女はしれっと躱す。
「いえね。風のウワサで庶子の子と、相続争いをしていると聞きましたもので」
ミュール伯爵の言葉に、少女の眉がわずかに動く。
彼女の名はマリー=アンジュ・トゥース。トゥース公爵の娘である。
今現在彼女は相続争いに身を投じていた。
「さあ、どうだったかしら?」
彼女はカップに手を伸ばし紅茶を一口含む。
マリー=アンジュは十になる頃には、父親の領地運用に疑問を抱き、それを口にする様になる。父親はその言葉を受け入れられなかったが、愛する娘の事もありトゥース領内の一部土地を渡し、マリー=アンジュの思った通りに管理させていた。
トゥース領は小さいながら、ブランシュエクレール内で一番肥沃な土地であり、米や麦の質はブランシュエクレールで一番であったのだ。
しかしそれは十年も前の話である。
土地はずっと肥えているわけではなく、定期的に手を入れなくてはならない。それを彼女の祖父の代から怠っており、ついに去年は不作に終わってしまった。
また、トゥース領は、ブランシュエクレールの領土で唯一隠し集落がない領土であった。
馬鹿正直な彼女の祖父は全て帳簿に計上し、税として収めてしまったのである。
それらを反面教師として、マリー=アンジュの管理している土地には隠し集落などがあり、裏帳簿もあったりするのだ。
「隠し集落もあると聞いています。そこに魔族を匿っているとも」
「魔族……ね」
そしてその隠し集落には奇妙な噂があった。魔が住まう集落を公爵令嬢が運営していると。
実際その通りで、彼女は自らの足でン・ヤルポンガゥの海上都市に足を運んでは魔族の農奴を買っては、隠し集落に住まわせていた。
だが、彼女は私服を肥やすためではなく、領地のためを思ってのことである。実際に不作に陥った年はマリー=アンジュの隠し集落から税収や食料不足を賄った。
それでもその事情を知らない領民は快く思っておらず、反逆を企てているだの、私服を肥やそうとしていると揶揄していたのだ。またマリー=アンジュ自身も取り繕うこともしなかったため、彼女に対して領民の間には、不信感が潜在的にあったのである。
領民は彼女のことを悪の公爵令嬢と揶揄していた。
そこに内乱で父の死。
彼女が順当に跡を継ぐと思われたが、待ったをかけた人物がいた。それはトゥース公爵の愛妾である。
愛妾とトゥース公爵の間には子供がおり、そちらにこそ公爵位が相応しいと、異議を申し立てたのだ。
もちろん普通ならばそんなことは出来ない。マリー=アンジュという正当な跡継ぎがいる以上、愛妾との子供には継承権はないのだ。
だが、領民たちが愛妾とその子供に味方をしていた。まだ半分も届いていないが、時間の問題である。
そしてそれをミュール伯爵は指摘したのだ。
「だから、なんとかしたいのでしょう。ですが、お力にはなれません」
ミュール伯爵は私が助けて欲しいくらいだと、肩を竦めて愚痴を零す。
「そうですか。頑張ってくださいまし。わたくしはただ自身の領地をより良きモノにしたいだけですわ」
扉が叩かれる。ミュール伯爵が声をかけると、屋敷の執事が部屋に入り、恭しく頭を下げた。
「彼らが来ました」
「そうか。通してくれ――トゥース公爵令嬢はどうなさいますか?」
マリー=アンジュは首を傾げる。
「どちらの方かしら?」
「今パッセ領の代官を務めている――」
「陛下の懐刀ですか」
伯爵は頷く。
「ご一緒させていただきますわ」
ミュール伯爵は執事に通すように指示を出す。そこで彼は気づく、外の喧騒が静まっていることを。
パッセ領の酒場で顔を青ざめさせた男がいた。ジャクソンである。目の前には傷だらけの男だ。
彼らはいつのも酒場で、奥まったところにある席で地図を広げて話し合っていた。
そこにひとりの男が駆け込んで、勢いそのままにジャクソンに掴みかかったのだ。
「聞いてないぞ! あんな化け物がいるなんて!」
「なにを……どういうことだ?」
ジャクソンたちは周囲の目を気にして声を潜めた。目の前の男にも声量を抑えるように手振りで伝える。しかし男はそれが癪に触ったのか、逆に声をはりあげた。
「いいか! よく聞け! 三十ミール(約三十メートル)! 三十ミールだぞ! 三十ミールのカラミティモンスターが出たんだぞ!」
その声に酒場は騒然となる。ジャクソンたちは顔をしかめて男を睨んだ。
彼はジャクソンに雇われた男だ。かつてパッセ領の兵士として戦っていたのだが、兵農分離に際し、兵役を離れたのである。
そこにジャクソンからいい話があると雇われて、カラミティモンスターを討伐に向かったのだ。およそ数は百人。しかし、生き残りは彼だけだ。
「おい! いい加減にしろ!」
ジャクソンたちは声を荒らげて男を黙らせようと威嚇する。しかし、男は腰にあった短剣を机に突き立てて、彼らを制した。
「この領地の問題だけじゃないって言っているんだよ! 仲間も全滅してるんだから、お前らの損得なんて知るか! 俺はこの事を代官に伝えるからな!」
「ま、まて! 待ってくれ!」
ジャクソンらは男を落ち着かせようとした。しかし、男は逆上し、そのまま屋敷に報告に走りだしてしまう。咄嗟にジャクソンは床を転がるように男の足に手を掴むが、他の客にそれは妨げられる。
「どういうことですかいジャクソンさん?」
「ちが……あの男のデタラメだ!」
酒場の男たちにジャクソンたちは取り押さえられてしまう。
「パッセ領で現在代官を務めさせていただいているソラともうします」
ソラの側にはオスヴァルトと、若者、そして年長者だ。その他の面々は屋敷の門番と共に外で待機している。
対するはミュール伯爵とマリー=アンジュである。彼女らにもおつきの人間がおり、側に控えていた。
「改めてよろしく頼む。私はユーグ・ミュール。彼女はマリー=アンジュ・トゥース公爵令嬢だ」
マリー=アンジュの名前にソラはわずかに反応を示す。しかし、それに気づいたのはオスヴァルトだけである。
トゥース領は王都の隣にあり、パッセ領の北西に位置する。頭の中でソラは確認して、改めてマリー=アンジュをさとられぬように観察。彼もまた彼女の悪評を知っていた。そしてその裏にある狙いもわかっている。
ソラは伯爵に手招きされて席に座った。白磁のカップに注がれた紅茶を口に含む。
「美味しいですね」
「それは良かった――それで話とは?」
「実は歓楽街を設けようと思いましてご意見をいただきたく参上しました」
「領主自ら運営に関わるというのか?」
ソラは頷く。それからこれまで調べたことや、兵農分離し、常備軍を用意したことを説明する。その常備軍には食事処や酒場で一部割安にするという特権を設けていた。
それらの話に二人は驚き、なんとか自分たちも出来ないかと思案を巡らせる。
「それで歓楽街を用意し、そこでも常備軍の兵士に割安で利用できるように考えています」
「人の行き来も激しいし、確かにあってもいいと思うな」
南の港を所有するパッセ領に、歓楽街を用意するのは自然と言える。
ユーグの隣でマリー=アンジュは頷いて見せたものの、かなり驚いていた。それがそのまま口を継いで出る。それはソラの言葉を遮った。
「それで――」
「兵農分離とは?」
語気こそ強いが驚きを孕んでいる。ミュール伯爵も頷く。彼らは収穫が減ってしまうことを懸念していた。
兵士と農民を分離させるだけの余裕が有るところは、パッセ領とアソー領、ブークリエ領くらいである。
「収穫は減るのではないか?」
ミュール伯爵の言葉にマリー=アンジュは頷く。
「減るでしょうね。でも、長い目で見ればすぐに元に戻るでしょう」
それよりも人を持て余してしまうことのほうが問題である。悪行に走ってしまう者や、路頭に迷う者が出てしまう可能性がある。とソラは言う。
その言葉にマリー=アンジュは同意して頷く。
「また徴兵されるよりも士気が高いです」
「徴兵はなさいませんの?」
ソラはいえとかぶりを振った。
「もちろんします。でないとマゴヤには勝てないでしょう。しかし、前線には出せないと思います。練度や士気が低いまま戦場に出しても、いくらも役に立ちません」
ミュール伯爵は徴兵した農民がろくすっぽ動けないのは身を持って体験している。故に今まで一番大きな頷きとなる。
「マゴヤの糞犬といえば、わたくしのところに寝返ろと使者を送ってきましたわ」
ソラはわずかに反応した。
「トゥース公爵令嬢のところもですか?」
マリー=アンジュはあらと二人を見つめる。
「お二人のところにも? わたくしだけが特別扱いかと思いましたのに」
彼女はつまらなそうに、顔をそむける。
「それがマゴヤのやり方ですからね」
ソラは説明した。マゴヤは使者を送って、寝返るように説得してきたのだ。それは彼らが伝統的に行ってきた戦争である。
内部に揺さぶりをかけて説得し、いざ合戦の時に裏切らせた。こういう手法をオオサカでもとっている。
「今の我々には強力だな」
「いえ、領民の監視がありますから、そうそう簡単に裏切れませんと思いますわ」
マリー=アンジュは正確に予想出来ていた。
彼女は裏切りに走った者は余程の馬鹿だろうと評する。その言葉にミュール伯爵は顔をしかめた。前回の内乱のことや、今回のマゴヤの事も少し考えていたのだ。
図星故に彼は無意識に口が開く。
「しかし、どうして愚かだと?」
「先の内乱の結果は領民を蔑ろにした。それ故にパッセ派閥は敗北したといえるでしょう」
マリー=アンジュは意図的にミュール伯爵に視線を向ける。受け取った男は、顔をいくばくかしかめた。
「しかし領民は我らの所有物じゃないか?」
マリー=アンジュは鼻で息を吐いて、伯爵を見やる。
「私達は心まで所有できるわけではないですわ? 明日の食事より彼らが誇りをとれば容易く私達に歯向かいますわ」
「経験者は語る――だな。さすがは悪の令嬢様だ」
「貴方のところもでしょう?」
ソラは紅茶飲みながら、居心地の悪さを感じて小さく身じろぐ。彼の耳元にオスヴァルトがそっと顔を近づけて囁く。
「なんかあらぬ方向に向いておりますな」
ソラは小さく頷いた。
彼らの話は本題から大きく離れているのだ。ソラは強引に話を変えた。
「それで、お二人に歓楽街のことの是非のご意見を伺いたく」
マリー=アンジュは即答する。
「答えるまでもないでしょう。領地のためになるのですから」
「私は歴史的背景を考えるとすぐには頷けないな。女神エクレールに対しての信仰があるのだから。それが女性の自立を強めている国だ。そういう仕事もあるのは理解していても、すぐには受け入れられないだろう」
ミュールの言葉に、ソラは補足する。
「外からの人を引き入れようと思います」
ミュール伯爵は首を捻ったが、マリー=アンジュは手を打った。
「他種族の半獣人種を引き込むのですね?」
ソラはええと頷く。
半獣人種は女性の遺伝が強く。そのほとんどが女性で占められている。故に酒の存続に他種の男性の遺伝子を取り込む傾向があった。
ソラたちは歓楽街を求め、半獣人種の人々は種族の存続を安定できる場所を求めているのだ。
「そうか。両者の利害は一致するし、女神エクレールの――繁栄せよ――との考えとも一致する」
上手く住民に説明できれば、心理的な弊害そのうち消えるだろう。そう伯爵は言う。
その言葉にソラは歓楽街を成功できると確信する。
彼が懸念していたのは、自分が余所者であるという点だ。
だから新しいことも出来るのだが、元々いる人との軋轢は産まれてしまう。もちろんそれを押してでもやらなくてはいけないこともある。
だが、そのまま折り合いがつけられないのでは独裁と同じだ。それではパッセ侯爵と同じである。
そして今回の歓楽街の一番の懸案は、追々住民と折り合いがつけられるかどうかという点だ。
そこばかりはソラでは判断できないし、地元の人間に聞いても首は横に振られるだけである。
故に近い立場で少し離れた人の意見を欲したのだ。
そこまで黙っていたマリー=アンジュが口を開いた。
「実際にこの国にはエクレール様がいた時代にバニーハイランダーがいたという記述もあります」
ソラは目を見開く。
「なんですって? それは本当ですか?」
ミュール伯爵も同じく驚きに顔を染めている。二人の様子にマリー=アンジュは二人を交互に見てええと素っ気なく頷く。そして最後にこう付け加えた。
「確か移民したはずです。その当時のパッセ侯爵と折り合いが悪くなり、全員で新天地に向かった――そういう風に我が家の書物にはありました」
マリー=アンジュは後日お貸ししましょうかと提案。ソラはすぐにお願いした。
「バニーハイランダー?」
ソラは咳払いしてから説明する。
バニーハイランダーとは半獣人種の中でもっとも繁殖に対して貪欲な一族である。
「つまりエッチなのか?」
「伯爵、言葉を選びなさいな」
元来は高地にいる種族なのだが、その繁殖に対する姿勢は人間にとって非常に利用しやすく。また具合がいいと、奴隷として非常に高価に売買されている。エルフと同等の価値だ。
「今もどこかの国の高地で匿われているという話も聞きます」
「その種族が大分昔ですが、一時期我が国にいたのですわ」
ミュール伯爵はなるほどと頷き、紅茶を口に含む。
また種族全体としてかなり戦闘に長けており、戦士としても優秀なのだ。
「半獣人種全体に言えることですが、バニーハイランダーだけで部隊を組む国もあるとか」
ソラの説明に二人はほうと声をあげる。
ユーグ・ミュールは話は変わるがと切り出す。
「飲食の割引に、歓楽街の割引か。よく考えたな」
改めてミュール伯爵は評する。
「協力してくださる飲食店には、少しばかり納税を免除しております」
伯爵はなるほどと呻くようにつぶやいた。
ミュール伯爵は人が移動することを懸念していた。もちろん自分の領地の領民だ。所有権は彼にある。それでも動いてしまうのは確実だろう。阻止したいと考えても歓楽街の副次効果で、自領地も豊かに出来るのではないかと、思考を巡らせる。
「それでですね。歓楽街の位置なんですけど。我々の領地の中心点というのはどうでしょうか?」
ソラは努めて意地の悪い笑みを浮かべる。
「いいですわね」
即答したのは悪の公爵令嬢だ。
「――そういうことを提案するということはなにかあるのかしら?」
「ええ、楽市を設けようと思いまして」
この時マリー=アンジュは、誰が見ても凶悪な笑みを浮かべた。
「わたくしに求めることはなんでしょうか?」
「待て待て、俺は了承してないぞ」
ミュール伯爵を蚊帳の外に話は進んでいきそうになる。慌ててユーグ・ミュールは制止した。
「そういえば、若大将」
口を挟んだのはオスヴァルトだ。彼はわざとらしい口ぶりで言う。
「外の連中は相当期待していましたな」
「はっ? なっ? なんだ……と?」
ミュール伯爵は言葉の裏を理解していた。理解してもなお、頭が納得しなかった。
外の野次はとっくに収まっている。不気味なほど静かだ。
「何をした?」
オスヴァルトはいえねと芝居がかった声で切り出す。
「うちの若大将が、これからミュール伯爵と、皆さんで自由に利用できる市場の話し合いに来たよって言っただけですよ。ねぇ?」
ソラは笑って応じる。
「ついでに建築の腕に覚えのある人、仕事の欲しい人は屋敷の前に集まって欲しいと言っておきました」
ミュール伯爵は深い溜息を吐いた。
「やるな。これでははいと言うしか無いじゃないか」
「嫌ですか?」
「なんの譲歩もなくはいとは言いたくなかっただけだ」
憮然とするユーグ・ミュール。
「港から通ずる道ですか?」
ソラはミュール伯爵が欲しているモノを的確に提示する。伯爵は額に汗をにじませた。眉根に出来たシワを揉みほぐす。
「勝てないな。そうだ道がほしい。できれば山を切り崩してだな」
「馬鹿ですわね」
割り込んだのはマリー=アンジュだ。
「迂回路で我慢なさい」
「どういうことだ?」
マリー=アンジュはわざとらしくため息を吐く。そして長い黒髪の毛先をいじりながら口を開く。
「この歓楽街と楽市は、トゥース領とパッセ領の間だけでもいいというお話だとわかりませんか?」
若き伯爵は声を上げて理解する。
彼の頭の中に地図が広げられた。ブランシュエクレールの王都。そして北にはアソー領。東にはトゥース領。その南にミュール領がある。
トゥース領の南東に位置し、ミュール領の東に位置するのがパッセ領だ。
王都までの最短距離に歓楽街と楽市は置けばいいのである。つまりこの話にミュール領は含めなくてもいいのだ。
「迂回路からでも十分人の流入は見込めますわね? 山を削らなくても大きく変わります」
マリー=アンジュは加えてと話を続ける。彼女は瞑目し歌うように言う。
「我々が協力して造り上げるのですから。我々の領民は楽市の使用料は免除。南の港に中央の歓楽街と楽市。これだけで、外の人の流入は大きく増えます」
「そうか。楽市に品を出せるし、外の人からは使用料を取れる」
だがそこでユーグ・ミュールは大きな疑問にぶつかった。
「ならば、なおさらパッセ領だけでいい話じゃないか」
歓楽街と楽市を港街付近に作れば済む話だ。それですべてパッセ領が美味しい思いを出来る寸法である。それをしようとしないのは不可解だ。とミュール伯爵は言う。
マリー=アンジュもそれを思っていたのか、視線をソラに向けた。真意を知りたいのだ。
「この国全体に利をもたらしたいのです」
ここに至って彼らは知る。目の前の少年は領地ではなく、国を見ているのだと。
「確かに他種族が営む歓楽街と楽市があれば、我が国だけでも活発にモノが動くでしょう」
「なるほどな。まあいい、せいぜい利用させてもらおう。で、どうすればいいのだ?」
ソラたちは細かい話を詰めていく。
アーノルドを送り出したバーナードたちだが、半日経ったところで事態は急変する。
彼らは窮地に立たされていた。カラミティモンスターが三体同時に現れたのだ。鎧熊が二体にオオヤマムカデ一匹だ。
オオヤマムカデはその名の通り、山のように大きいムカデだ。魔力障壁と硬い甲殻に覆われており、かつ素早い動きで人間を捕食することで有名なカラミティモンスターだ。
「鎧熊より厄介だ」
「硬いし素早い。そして罠にはめにくい」
ウェルダーの言葉にバーナードが補足する。
カラミティモンスターに対処できる面々とはいえ、複数を相手には厳しいのは当たり前である。だがそれ以上に。
「オオヤマムカデが出るなんて聞いてないぞ」
バーナードは苛立ちを隠さず叫ぶ。
「そんなこと言っている場合じゃないですよ」
ウェルダーがバーナードを引っ張るように下がる。
逃げ出すと、幸いにもオオヤマムカデは手近にいる鎧熊に飛びつき、体に巻き付いた。彼らを追撃してくるのは鎧熊一体だ。アオイは冷静に対処し、背後に穿孔撃を叩き込み、魔力障壁に穴を開けた。
バーナードは駆け出す。鎧熊に向かってウェルダーたちは手斧を投擲。障壁に阻まれて地面に力なく落ちる。だが、注意をそらすのには十分である。
バーナードが背後に回ると魔力で光の剣を創りだす。魔力障壁がない部分を狙って突き出し、鎧熊を貫いた。激痛に暴れ、バーナードは吹き飛ばされる。
それをウェルダーが受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「すぐに下ろしてくれ、恥ずかしい」
ウェルダーはバーナードをお姫様抱っこするように、受け止めていたのだ。
「これは失礼」
鎧熊の断末魔が響く。全員視線を向けると、オオヤマムカデに巻きつかれた鎧熊の頭蓋が砕かれる音が響く。
オオヤマムカデが勝ったのだ。彼らはそれを確認すると、すぐにその場を離れる。
「逃げてもすぐに追いつかれますよ」
「離れて準備することは出来るだろう!」
アオイは洞窟を指さす。
「あそこは?」
「ダメだ閉所は余計に向こうが有利だ」
その時、彼らは地面が揺れるのを感じた。それはさらに続く。
全員がその場で屈む。空を確認するようにあたりを見回す。
鳥の鳴き声が響き、一斉に飛び立つ。直後に木が折れる音。そして地面を打つ。
だが、彼らが感じる揺れは木が倒れた時の衝撃ではない。等間隔に、ゆっくりとそれは迫ってきていた。
「何かデカイやつか?」
「そんなの見たか?」
全員は口々に言葉を交わす。
「一体何なんだ?」
原生林の中を何か巨大な影がゆっくりと動く。その度に木が折れて地面が脈打つ。
「あれは……」
そして彼らの目の前に巨大なカラミティモンスターが姿を現す。常緑樹よりも頭ひとつでかい。
地面に手をつく形で歩く。頭は鳥のようで、長くでかいクチバシは地面につきそうなほどだ。
そのカラミティモンスターはオオヤマムカデを見つけると、摘み上空に投げ飛ばす。クチバシを開いて口中に収めてしまう。続いてオオヤマムカデが捕食していた鎧熊と、バーナードたちが倒した鎧熊を飲み込んでいく。
それが終わるとカラミティモンスターは迷うこと無く、バーナードたちに瞳を向けた。
彼らはそれだけで理解した。目の前にいるカラミティモンスターは自分たちを捕食対象として見たということを。
~続く~




