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第六章⑥

アンジュが言ったことをルッカは即座に信じられなかったけれど、アンジュの群青色の鮮やかさは、アヤコのそれに似ていた。ルッカの知っているアヤコの母は江戸城にいるが、彼女は魔女ではなかったし、アヤコのことを愛してはいなかったと思う。アンジュは細かいことを話さなかったけれど、もしかしたら本当にアヤコのママなのかもしれない。

 シデンのダウジングが指し示した場所はコプリ広場と呼ばれる場所だった。ビゲロ邸の東。距離はそれほど離れていない。濃い緑によって円形に縁取られた敷地は薄い緑の芝が広がっている。その北に背の高い教会が見える。鋭く空に向かって尖った屋根が三つ。その教会へ向かって南から幅の広い、白い石材によって舗装された道が伸びている。その途中、ちょうど広場の中心に当たる場所が金貨の形にくり抜かれていた。それを囲むように周りには桜が咲いていて、円周上には白く塗られた木製のベンチが並び、中央には形も色も地味な噴水が少ない量の水を空に向かって噴いている。

「綺麗な桜」ルッカは桜を見て、なぜか泣きそうになった。

 この気持の理由は、きっとノスタルジア。

 コプリ広場は賑やかだった。子供たちが広場を駆け回っている。絵描きがいる。鳥にパンを上げている人もいる。芝生の上に座り、ピクニックを楽しむ人達もいる。

 しかしなぜか。

 噴水の周囲に人はいなかった。

 通り過ぎる人たちはいるけれど、その人達は噴水を眺めることもなく、ただ通り過ぎていくだけだった。

 桜の下のベンチにも誰も座らない。

 風に堕ちた桜の花びらのピンクだけが、ベンチの上に見える。

「ココです、」シデンが噴水に近づくとL字の針金が左右に開いた。噴水を見上げ、シデンは歯切れよく言う。「ここ掘れ、わんわん」

「ああ、なるほど、」アンジュが顎に手をやり言う。「上手く隠していたんだ、ほら、水の魔女のあなたなら分かるでしょ?」

 アンジュに腕を引かれ、ガブリエラは噴水を見上げた。すぐにアンジュの言うことを理解したみたいだった。「……ああ、はい、……きっと、お祖母様ですね」

「え、どういうこと?」マロリィが聞く。

「上手く説明できないんだけれど」ガブリエラが言う。

「水のリズムがね、」アンジュが代わりに答える。「水が吹き出され、重力によって落ちる、水のリズムがこの噴水は特殊で、半永久的な魔法が編まれている、魔法によって、噴水は、この空間は世界から消えているの」

「的確です、」ガブリエラは感心したように言う。「それ以上の説明はありません」

「いや、え、消えているって、でも、」マロリィは噴水に近づき、石でできた縁に手を置いて、その感触を確かめている。「触れるし、見えているし」

「見ようとすれば、見えるし、触ろうと思えば触れる、確かにここにある、少しだけなの、少しだけ消えてしまっているの、個性と言えばいいかしら、噴水の個性を、とても地味に見えるでしょう? 消しているから、この噴水、綺麗じゃないでしょ?」

「うーん、」マロリィは腕を組み、噴水の底を覗き込み、考え込んでいる。「どういうこと?」

「あなたのお祖母様はコレ以上のリズムを編めなかったということ、」アンジュはガブリエラの肩に触る。「でも、私なら、もっと凄いリズムが編める、それこそ、触れないほど、見れないほど、恐怖を覚えるほどに」

「触らないで下さい」ガブリエラはアンジュを睨みつける。

 アンジュはガブリエラに微笑み返す。「あなたのお祖母様がこの場所を隠していたことを、あなたは知っていた?」

「いえ、」ガブリエラは否定した。「何も知らなかった、何も知りませんでした、でも、ここを隠していたということは、もしかしたらお祖母様の意思は」

「そうでしょうね、」アンジュは頷く。「おなたのお祖母様はファンダメンタル・ピュア・ゴールドの在り処を知っていた、けれど、誰にも見つけられたくなかったのでしょうね、だから、巧妙に隠した、誰にも伝えず、一人で秘密を抱え、天使になった、しかし、天使の意思と裏腹に、私たちは見つけてしまった」

「ファンダメンタル・ピュア・ゴールドとはなんなのですか? マーブル財団も、あなたもどうしてそれを欲しがるのです?」

「力だからよ、」アンジュはガブリエラの耳元で言う。「とても魅力的な、力」

「私はここを、」ガブリエラは額に手をやる。「守るべきだったのではないでしょうか?」

「そうかもしれないわね、」アンジュはガブリエラの頭を撫でる。「あなたがもっと賢くて、早くお祖母様の意思に気付いていれば、使命感強いあなただったら、ココを守っているべきだったのかもしれないけれど、ええ、でも、あなたはお祖母様とは違うでしょ、力を封じた時代とも今は違う、今は誰しもが力を持つ時代なの、ええ、あなただって、ファンダメンタル・ピュア・ゴールドに触れれば、ええ、ゴールド・ラッシュに触れれば、ガブリエラ、あなたのその名前のように、天使になれるわ」

「ゴールド・ラッシュ?」ガブリエラはアンジュを見上げる。「天使?」

「ええ、」アンジュはガブリエラに微笑み返し、ここにいる魔女の顔、全てを見た。「ゴールド・ラッシュによって、あなたたちは天使になれるわ、大連の父が作り上げた精錬方法をネイチャが知っている、ネイチャは編める」

 ネイチャは笑顔で頷く。「ママが魔導書に残してくれていたからね、最初はサッパリ分からなかったけれど」

「ファンダメンタル・ピュア・ゴールドがもっとチャイナで発掘されて、ゴールド・ラッシュがあればきっと、皆、天使になれて、チャイナはファーファルタウに支配されなかった、しかし、でも、ゴールド・ラッシュがあれば、私たちは、ファーファルタウの支配をどうにか出来るかもしれない、それほどのものなのよ、」アンジュは笑みを作り、皆を見回し言った。「ああ、これは提案なんだけれど、皆、天使になりたくはないかしら、そして一緒に大連に来ない?」

「天使って、」マロリィが高い声を出す。「天使って何?」

「そう呼ぶに相応しい魔女のことよ、別に羽根が生えるわけじゃないわ」

 アンジュはそこでとても愉快そうに笑った。目尻の涙を拭う。「別に、羽根が生えるわけじゃないんだから、でも、天使なの、天使」

「……サブリナはそんなこと、言っていなかったわ、」ソフィアが言う。「ゴールド・ラッシュのことなんて」

「サブリナが誰かは知らないけれど、ゴールド・ラッシュのことを知っている魔女はきっと、ええ、この時代、この世界できっと、私達だけよ、知らなくて当然だわ、大連の研究の成果だもの、新大陸になくて当然」

「……天使に興味はないけれど、」ソフィアは長い髪を払って言う。「ファンダメンタル・ピュア・ゴールドはどんな怪我でも治すのよね?」

 アンジュはソフィアに向かって頷き、噴水の方を向き、群青色を煌めかせ、人差し指を立て、くるりと回した。

 噴水の水が持ち上がり、高い空で白くて平たい雲になった。

 アンジュは渇いた噴水の縁の中に入り、爪先で底の石材を叩いた。「ルッカ」

 透明度の高い声に名前を呼ばれ、ルッカはドキリとする。

 どうやらルッカはアンジュに対して緊張しているみたいだった。

 その鮮やかな群青色に。

 いや、アヤコの本当のママかもしれないっていう気持ちがあるから。

「はい」ルッカは返事をした。

「あなた、」アンジュはルッカを手で招く。「シャベルを編んだ経験は?」

「何度も、」ルッカはシルバに煌めき、手を前に出し、甲を上に向けて、鋭いシャベルを編んだ。先端がその重みで底の石材に突き刺さる。「これが私のシャベルです」

「いいわ、優秀なのね」

 アンジュに微笑まれて、ルッカはなぜか、とても光栄な気分になり、照れた。

 アンジュはシャベルを触り、その冷たさを感じ、すぐに手を離して、ルッカを上目で見て言う。「テアビュは?」

「編めます」

「あなたが偶然にここにいてよかった、いいえ、」アンジュは小さく首を横に振り、アヤコに似た口元を動かして、凛と言う。「きっと、運命だわ」

 アンジュはルッカの肩に優しく触り、噴水から出た。

 ルッカは振り返る。気がかりはガブリエラだった。ガブリエラはルッカに向かって頷き、吹っ切れた顔をして、微笑んだ。「構わないよ、ええ、だって気になるもの、気になるわ、天使のこと、ファンダメンタル・ピュア・ゴールドのこと、気になるもの、それにここにお祖母様はいないし、私、お祖母様のこと嫌いだったの、小さな頃から厳しくって、私が魔女になってからも、厳しくって、よく叩かれた、いつか見返してやるって思って、そう思っていたら、簡単に死んじゃった、クラウンを守りなさいって、それだけ私に言い残して簡単に死んじゃったの、私の許可も得ずに、クラウンについての細かいことも話さずに、簡単に死んじゃったんだ、なぜかな、私は今は、思うの、思うっていうか、心が変わったわ」

 ガブリエラは水のなくなった噴水に近づき、見上げた。「クラウンのことなんて、どうでもいい、ビゲロ邸のことだって、所蔵されたコレクションのことだってどうでもいい、どうでもよくなった、そもそも私、ずっと家から離れたかったのに、なぜかお祖母様が死んでから守ることばかり考えていたんだ、でも、今の気持ちは全然違う、全然違うの、ルッカ、私、ゴールドが見たいの」

「呪いが解けたのよ」アンジュが言う。

「呪い?」ガブリエラは笑う。「ええ、そうかもしれません、ルッカ、呪いが解けたお祝いに、見せてくれない?」

 ルッカはガブリエラに頷き、噴水の中心の背の低い柱に歩み寄った。

 その柱を触って、よく見てみれば、そこに掘られた模様に見覚えがある。

 あの時の。

 ガラスケースに入っていた、クラウンの。

 あのクラウンに描かれていた模様だ。

 そういえば、あのクラウンには。

 天使がいた。

 天使。

 そう呼ぶに相応しい魔女。

 おそらくそれは、未知の世界。

 きっと。

 どう考えたって、あらゆることを逆さまに考えたって。

 思えるものではないのだろう。

 だから。

 何も思わない。

 シャベルを自分の足元に突き刺した。

 そして。

 銀色に輝く。

 目を瞑った。

 ワカバの顔が浮かんだ。

 待っていて。

 もうすぐだよ。

 緻密に編み込んだ。

 時間を掛けた。

 編み違いのないように。

 この繊細な作業に夢中になった。

 作業、完了。

 目を開ける。

 同時に発声。

「テアビュ」

 シャベルは強く発光。

 目にある世界を銀色に包み。

 空の果てまで響く音を出した。

 噴水を作り上げていた、白い石材が粉々に砕ける。

 煙が舞った。

 風が吹き飛ばす。ソフィアの風だろう。

 ルッカは目元を押さえていた手をどけた。

 噴水はソコから消えていた。

 ルッカがやったことに、ピクニックをしていた人たちは騒ぎ始める。

 魔女が一体、そこで何をしているんだろう、と集まり始めていた。

 ルッカは足元に視線を向ける。

 探しものはまだ見つからない。

 手応えは、なかった。

 それは分かっていた。

 ルッカの限界では、噴水の下に隠されていた、その直径の丸くて硬いものを砕けなかった。

 ルッカの下に広がる、鈍く輝くプレート。

 僅かに下に凹んでいたが。

 しかし貫通には至っていない。

 とても巨大で硬いプレートだ。

 もう一度、テアビュを編んだ。

 しかし、プレートがわずか数ミリ削れただけみたいだ。

 ルッカは振り返って、アンジュを見て首を竦めた。「どうやら私のシャベルでは」

 アンジュは顎に手を当て、首を捻った。「難しいようね」

「はい」ルッカは頷いた。

 あともう少しなのに。

 ルッカは下唇を噛んだ。

「どうしよう、」アンジュはプレートの上を歩きながら方法を考えている。「この場合の最善は、ルッカだったのにな」

「ねぇ、ルッカ、」声を出したのはマロリィだった。「ハンマ、編める?」

「ハンマ?」アンジュはマロリィを見る。

「え、うん、編めないことはないと思うけど、」ルッカは巨大な銀色のハンマを編んだ。「コレで叩くの?」

「ありがと、」マロリィはルッカのハンマを手にした。「おおう、街で売っているのと違って、軽いねぇ、コレ」

「う、うん、」ルッカはマロリィと視線を合わせずに頷いた。「軽いのよ」

 マロリィは軽々と純銀製のハンマを持ち上げ肩に乗せた。「もっと重みが欲しいけど、でも、まあ、いいか」

「ルッカ様!」

 どうやらシデンはマロリィがハンマを軽々と持ち上げたから、分かってしまったみたいだ。「ルッカ様、まさか、その人に、き、」

 ルッカの行動は素早かった。

 シデンの後ろに回り、口を塞いだ。

 シデンはルッカの腕の中で暴れる。

「どうしたの?」マロリィは何も知らない顔でハンマを軽々と振り回しながら聞く。「ルッカ、私に何をしたの?」

「何をしたっていうか、」ルッカは無理に笑顔を作る。「その」

「おお、確かに軽いね、」ガブリエラはマロリィからハンマを受け取り、地面を叩いた。「でも、軽いからかな、あまり意味ない気がするな」

 シデンはさらに暴れた。「ルッカ様、まさか、あの人にも!?」

「おっほん、」アンジュは大きく咳払いをした。「ルッカがマロリィとガブリエラに何をしたのかは知らないけれど、マロリィ、考えを聞かせて」

「ルッカ、シャベルをプレートに指して」

「う、うん、」ルッカはシデンを解放してシャベルをプレートに突き刺した。シデンは何も言わず、潤んだ目でルッカを睨んでいる。「……マロリィ、こ、これでいい? あ、シデン、あのね」

「何も聞きたくありません、」ぷんぷん、という感じでシデンは頬を膨らませた。「ルッカ様がそういうことをなさるのでしたら、私にだって考えがあります」

「一体この娘は何にそんなに怒ってるの?」マロリィはシデンに笑いかけながらシャベルがしっかりプレートに突き刺さっていることを確かめた。「よし、これならなんとかなりそうかも」

「ああ、」アンジュは合点がいったようだ。「それを叩くのね?」

 マロリィはルッカの手を引き、プレートの上から移動した。「ルッカ、私たちが最初に出会った時のこと覚えている」

「もちろん、ああ、もしかしてマロリィ・ハンマ?」

「正解」

 マロリィはルッカの手を離し、プレートの位置から距離を取り、振り返った。

 かなり距離を置いた。

 その先で。

 マロリィの髪の色はピンク色に輝く。

 ルッカのハンマも、ピンクに縁取られていく。

 マロリィはハンマを低い位置で構えた。

 日本的に言えば、居合の構え。

 マロリィは瞳を閉じて。

 集中する。

 ハンマの後ろにピンクが収束。

 破裂する準備が整う。

 マロリィは目を見開く。「ブースト」

 エネルギアが炸裂。

 噴射。

 マロリィは跳躍。

 物凄いスピードで迫ってくる。

 マロリィは体の重心をずらし。

 横に回転。

 そのスピードを上げていく。

 プレートに迫る。

 マロリィは回転の角度を変える。「マロリィ・ハンマぁ、」

 シャベルを叩く角度にして。

 高く飛んだ。

 そして。

「バースト!」

 その時だった。

 龍がマロリィの邪魔をした。

「え?」マロリィのハンマは龍を叩いた。

 耳をつんざく音。

 マロリィのハンマは龍の頑丈な鱗に弾き飛ばされた。

 マロリィも一緒に弾き飛ばされた。

 ハンマは中空で粉々になった。

「マロリィ!」ガブリエラが素早く飛んで、彼女を掬った。「大丈夫!?」

「……う、うん、でも、何なの、何なのよ!? どうしてこんなところに、急に、こんな巨大なドラゴンが!?」

 突如として姿を見せた龍。

 その気配はなかった。

 感じられなかった。

 それは。

 まるで、隠れていたみたいに。

 この世界から消えていたみたいに。

 龍の背後の空を見れば。

 先程まで青かった空に、暗雲。

 幾つもの層を持つ、厚みのある雲。

 龍の、咆哮。

 それに広場にいた人たちは、逃げる。

 恐怖にルッカは微動も出来ない。

 桜は揺れ、花びらを落とす。

 龍は長く、太い、その巨大な体躯をうねらせ雲に向かった。

 そして。

 高い位置から垂直に。

 アンジュの方へ向かって落ちていく。

 アンジュは悲鳴を上げることなく。

 龍に向かって。

 暗い空に向かって、手の平を広げた。

「イキシデイグレッション」アンジュは発声する。

 龍の頭に瞬間的に水が張り付いた。

 そしてその水は炎を産んだ。

 酸化しているのだ。

 龍の頭部は鈍い色の炎に包まれる。

 視界を失った龍はアンジュのすぐ横の地面に頭をぶつける。

 アンジュはゆったりとした動作で龍から離れ。

 何事もなかったかのように。

 アンジュは声を出した。「さあ、ルッカ、もう一度、マロリィのためにハンマを編むのよ」


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