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第六章④

マイコの思考は飛んだ。

 十二年前に飛翔。

 十二年前、マイコとアンジュは一緒にいた。

 一緒だったのだ。

 その時のアンジュは十五歳。

 マイコもまだ十七歳。

 アンジュは大連にある大学の学長の娘だった。その大学には多くの光の魔女が集まっていた。大学の専門の色はゴールド。アンジュの髪の毛の色は母親から受け継いだ群青色だったから、彼女は大坂湾に浮かぶ水上都市にある水上大学に留学していた。十七歳のマイコはそこに訪れた。目的は自分の力を確かめるため。自分の炎が水の魔女にどれほど通用するのか、という簡単で、可愛らしい理由だったと思う。とても若さに溢れた実験的な思考で、マイコは水上大学に訪れたのだ。水上大学は水の魔女の育成機関。ここには世界からヒステリックで優秀な水の魔女が集まっていた。

 水上大学のほとんどの魔女の炎を雲にすることにマイコは成功した。

 こんなものなの?

 この程度のレベルが、世界の頂点なの?

 この群青色が、そうなの?

 マイコは愉快になることもなく、落胆していた。

 マイコは、会いたかったのだ。

 自分よりも、素敵な色の魔女に。

 そう、思っていたら。

 アンジュが現れたのだ。

 数多くいた群青色の魔女の中で、彼女の群青色は空のように鮮やかだった。

 その色は、蒼い色と表現するのが、きっと正しい。

 そして美しかった。

 今まで出会ったあらゆる人の中で一番。

 いえ、きっと世界一。

 美しい。

 アンジュはマイコの炎を簡単に消し去った。

 マイコを水で包み込んだ。

 マイコはその水を全て蒸発させたが。

 マイコのエネルギアはその時にゼロになった。

 濡れた髪の色は悪く。

 これは、もう、負けだと思った。

 しかし、不愉快な感情は一切なかった。

 ヒステリックからは、とても遠い気持ち。

 アンジュの水に濡れたい。

 心から、そう思ったのだ。

 しかし、それ以上の水はマイコを濡らさなかった。

 アンジュはマイコをじっと見つめたまま、それ以上の魔法を編まなかった。

 アンジュはマイコに近づき。

 マイコの前で跪き。

 体を、顔を寄せ。

 水上大学という中世の西洋建築の屋上で。

 様々な群青色の魔女が視線を向ける中で。

 アンジュはマイコにキスをした。

 一瞬ではなくて。

 長く。

 噛み付かれたような。

 そんな激しいキスだった。

 チャイナ流かしら?

 なんて、思った。

 そして抱き締めて、まるでぬいぐるみを抱くように、強く、乱暴にマイコを抱いて。

 持ち上げた。

 部屋のベッドの上にマイコを座らせ、アンジュはマイコを自分のもののように扱った。

 その積極的な姿勢をマイコは拒まなかった。

 まだ若かったから。

 その夜。

 マイコはアンジュから頼まれた。

 あなたの国に連れて行ってほしい。

 断る理由はない。

 むしろ彼女を連れて行く理由を考えていたくらいだった。

 マイコはアンジュと一緒に、伊予宇和島の城に帰った。

 その年の七月を、二人、一緒に過ごした。

 楽しい時間だった。

 そして一緒に、天守から青空を見上げていた時。

 アンジュはマイコに告白した。

 とてつもなく、急に。

「マイコ様、私、実は、将軍様と、結婚するんです」

 マイコはアンジュが冗談を言っているのだと思った。しかし、アンジュの話を聞くうちに、それが真実であることを理解していく。以前、将軍が水上大学に訪れた際、アンジュは彼に見初められたのだという。正室として迎えると、言われた。アンジュはその場で肯定も拒絶もしなかったが、その話はアンジュの知らない場所で動き、結論が出されていた。大連の学長であるアンジュの父親はチャイナの皇族の血を受け継いでいる。アンジュも皇族の人間としての地位もある。日本とチャイナの舵取りを担う、それぞれの国の人間たちは、連携の機械を探っていた。迫る時代の変化に備えるため、時代の変化に遅れた国たちは考えていたのだ。とにかく、将軍とアンジュの結婚は決まっていた真実だった。

 天守から神尾式の花火を見上げた夜の次の日。

 アンジュは船に乗り、江戸に向かった。

 結ばれるために。

 素晴らしいセレモニィだったという。

 水面下では条約の締結に向けて、ごく少数の人間が動いていた。

 年が開けた冬、アンジュから手紙が届いた。

 妊娠した、と手紙に書かれていた。

 その年の梅雨にアンジュは出産した。

 それと時を同じくして、ファーファルタウとチャイナの戦争が始まった。

 日本とチャイナ間の条約の締結は、まだだったから。

 ファーファルタウの保有する巨大な武力を恐れた幕府の高官は、チャイナから届く支援要請を全て拒絶した。

 将軍とアンジュの婚約も解消され、アンジュは帰国を余儀なくされた。

 娘だけが江戸の城に残された。

 それがアヤコ。

 将軍は莫迦で無能だったけれど、娘のアヤコのことは愛していた。アンジュのことだっって愛しているのだ。彼の涙を見れば、マイコは分かった。マイコはそのことが分かったから、初めてアヤコを抱き上げた時、彼のことを蹴らずにいられたのだと思う。江戸城に火をつけなかったのだと思う。

 それからのアンジュのことは。

 ええ。

 何も知らなかった。

 戦争終結後、マイコは大連に訪れたが、そこに彼女を知る人間はいなかった。学長もアンジュの父親ではなくなっていた。彼は処刑された、と後任の学長を務める光の魔女が教えてくれた。彼女はファーファルタウ出身の魔女だった。チャイナはファーファルタウに支配され、何もかもファーファルタウに支配されてしまっていた。

 アンジュも処刑されてしまったのではないか。

 この世界のどこにも彼女はいない。

 マイコはそう思っていた。

 だからとても。

 信じられない。

 世界一美しいと讃えられた美貌、そのままに。

 今。

 彼女は近い上空に、鮮やかに群青を煌めかせているのだ。

「マイコ様?」リンプがマイコの顔を覗き込む。「どうなさいました? 涙が?」

「え?」マイコは自分の頬を触った。濡れている。「あれ、おかしいな?」

「あの、魔女を知っているのですか?」リンプはマイコの目元に柔らかい布を当てる。

「ありがとう、ええ、あの人はね、アンジュ、」マイコは鼻をすすった。涙はしばらく止まりそうにない。「十二年前、私が運命の人だと思った人よ」

「十二年前? 運命?」リンプはアンジュを見上げて言う。「どういうことですか?」

「綺麗でしょ?」マイコも上空を見上げた。

「そうでしょうか?」リンプは首を捻ってマイコを見つめた。「マイコ様の方が美しいです」

「マイコ様、説明して下さい、」ケンタロウも首を捻っていた。「十二年前の僕は、まだマイコ様に出会っていません」

 マイコはリンプとケンタロウにアンジュのことを短く説明した。ミゼットの運転席のアリスも聞いていただろう。

「なるほど、」ケンタロウは頷きながら言う。「彼女はマイコ様の運命の人の一人だったと」

「一人?」リンプが睨むような目をマイコに向ける。「一人って、どういうことですか?」

「ケンタロウ、私をそういう人みたいに言わないでよ」

「そういう人じゃないですか?」ケンタロウはニヤニヤしながら言う。

「リンプ、」マイコはケンタロウをキッと睨み、リンプに優しい視線を送る。「違うのよ」

 自分で言って、一体何が違うのだろうって思った。

「別に私は、」リンプは自分の足元を見ている。「そういうマイコ様でも、全然、平気です、考え用によっては、それはマイコ様を煌めかせる重要な要素ですし、爆弾で言ったらきっと、起爆剤のようなものですじ」

「ああ、その考えには、」ケンタロウは腕を組みながら頷く。「同感だ」

「もぉ、二人とも!」マイコの涙は既に渇いていた。

「そんなことよりも、マイコ様、」ケンタロウは腕を組んだまま空に向かって人差し指を立てる。「どうします?」

「アンジュも連れて帰ります、」マイコは即答した。「ルッカと、紅華と、アンジュを日本に持って帰ります」

「増えましたね、」ケンタロウは息を吐いて、口元だけで笑う。「どれも大変そうな仕事です」

「大丈夫です、」リンプは胸の前で拳をギュッと握りしめながら言う。「マイコ様に不可能なことはありません」

「あ、あの、」黙っていたアリスが前を向いたまま口を開いた。「マイコ様?」

「何、アリス?」

「空では何が起こっているのでしょう?」

 アンジュとネイチャとシデンが空に現れて、ソフィア、ルッカ、マロリィ、ガブリエラの四人はすぐに空に舞い上がっていた。

 そして何やらダーティなムードを上空から感じる。

「ここからじゃ全く分からないわね、でも、声くらいなら届くでしょう、」マイコはミゼットの上に立ち両手を口元にやり、叫んだ。「アンジュ!」

 アンジュはマイコの声に反応した。

 そして一度目を丸くして。

 マイコに笑って。

 冷たく笑って。

 それから。

 まるでマイコの存在を記憶から消去したように、視線を逸らした。

 ああ、やっぱり。

 悲劇は。

 魔女の笑顔さえも、変えてしまうのか。

「アリス、ミゼットを動かして」

「はい?」アリスはマイコの方を振り向きながらレバーを操作する。「魔女たちに近づけってことですか?」

「ええ、」マイコは頷き、リンプの方を見る。「リンプ、紅華を私に着せて」

「え?」リンプの口から低い音が飛び出た。「紅華を!?」

「マイコ様、」ケンタロウは狼狽えるような声を出す。「何を言い出すんですか?」

「理論上は可能よね?」マイコはニッコリと二人に微笑み掛ける。「蒼葉に蓄積されたエネルギアを紅華に送り込んで、一時的に、起動させることは可能よね? 可能なはずだわ、どうなの?」

「……全く、どうして、そんなことまで頭が回るんですか?」ケンタロウは額を押さえて黙り込み、片目だけ動かしてリンプを見る。

「アンジュに私の炎を見せたいの、私の炎でアンジュのハートに火をつける、いえ、厳密には私の炎じゃないけれど、ええ、私たちの炎だから、細かいことに拘らなければ一緒よね?」

 リンプはケンタロウを一度睨むように見て、マイコの目を見て、小さく頷いた。「ええ、でも、きっと十秒もありません、コントロールの仕方だって、きっと、この世界で今までなかった方法です、蒼葉の備蓄されたエネルギアを紅華に回しながら、蒼葉と紅華を同時に起動させる、冷却と加熱を同時に行うことは、三つの作業を同時に行うことはとても、危険です、いえ、冷却と加熱を同時に行うことだって、ええ、単純に紅華を起動させることだって難しいのに、エネルギアの変換作業を一緒に行うだなんて、それは、」そこまでリンプは早口で言って、そして肩を揺らして息を吐き、胸の前で五指を組み、マイコに向かって微笑んだ。「きっとマイコ様しか出来ないことなのでしょうね」

「ありがとっ」

 リンプはトランクを開けた。

 ミゼットは左へカーブする。

 上空の魔女は空を移動していた。

 シデンを先頭に、北へ。

 アリスは素早い動作で石炭を蒸気機関に放り込み、ミゼットの限界の速度に挑戦する。

 その速度は魔女に比べて遅いけれど。

 ミゼットの本気は。

 馬車を追い抜いた。


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