第四章⑥
幻想的な煌めきを放つミラーボールの下。
ステージに立つソフィアは酒に酔っていた。
酔っ払って、バランスを崩しながらも、頭の回転はいつもの速度じゃなかった。
乗りに乗っている、そういう感じ。
私がいる未来はきっと、とても、もっと、素敵なものだと、ソフィアは歌う。
ソフィアはそうだと思う。
マリエ。
マリエと一緒にいるから。
マリエが何かを言ったわけじゃないけれど。
とりあえず。
マリエとずっと一緒にいれば、未来は素敵なものになる気がする。
ソフィアは勝手に思った。
近づけるって。
そう思った。
魔女として。
無茶なことが出来るんじゃないかって。
……そうか。
ソフィアは考えながら、気付く。
私はフェアリィ・テイルの魔女のように。
魔女らしい、無茶なことをこの世界でやってみたいのかもしれない。
なんて漠然で、簡単。
そして分かりにく、微妙な気付き。
酔っているから、自分の気付きに納得できるのか。
しかし、頭の回転の速度は普通じゃない。
だから気付くことが出来たのかもしれない。
この気付きが正解じゃなくて、間違いなのかもしれないけれど。
言語化し、納得して、未来に向けてのランプが灯ったような気になった。
いや、酔いが回ったゆえの、錯覚か?
その可能性は、高いだろう。
しかし、奥歯に挟まっていたものがとれたような、とても楽な気持ちになっている。
酔いが覚めて、朝になったら、この気持ちを忘れてしまっているかもしれないけれど。
でも。
歯車が噛み合ったような気持ちになったのは、事実。
ソフィアはだから、叫びたくなった。
この気持ちを叫びたい。
誰かに聞かせたい。
マリエに、聞かせたい。
分からせたい。
ソフィアが今確かに感じている、信じられないくらいの興奮を。
聞いてほしい。
ソフィアは曲のサビに差し掛かる直前に短く深く呼吸をして、自分が今とてもはしゃいでいるのが分かった、吸った空気を、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
と高い声と一緒に吐き出した。
その瞬間。
いや、二秒遅れて。
ソフィアの見ている世界はまるで止まっているようになった。
クァンドの開店から閉店まで鳴り止むことのないミケのピアノが止まり。
豪奢なオーケストラの演奏も止まり。
ソフィアの歌声に耳を傾けていた人たちの視線は。
「きゃあああああっ!」とそんな声にならない、奇声を発したマリエに集中した。
その声がとてもソフィアの耳に普通じゃないって訴えるから。
ソフィアは歌い続けることは出来なかった。
なぜか恐怖に近い感情を抱き、震えた。
マリエの方に視線を持ち上げる。
マリエはシデン、ミッキィ、ドナルドと一緒に、ステージから見て、左上の横にせり出したバルコニィで円卓を囲んでいただけなのだ。円卓を囲みながらソフィアのステージを見ていただけなのだ。ただそれだけなのに、彼女は今、とても苦しそうに黒頭巾に隠れた頭を両手で押さえ、呻き声を上げている。
そして。
マリエは静かになった。
何事もなかったかのように姿勢よく立ち上がり。
ソフィアを睥睨した。
今まで見たことのない、マリエの表情。
丸い目が大きく見開かれ、それがギョロッと動き、ソフィアの姿を捕まえた。
背中が震えた。
マリエじゃない。
ソフィアはそんなことあり得ないのに、そう思った。
「マリエ?」
ドナルドが大きな手でマリエの小さな肩を触った。
次の瞬間。
ドナルドの肩に吸い込まれるように細い光が煌めき、飛んだ。
そしてドナルドの肩から血が噴き出る。噴水のように勢い良く血が舞った。
マリエがやったのだと理解するのに、時間はかからない。
マリエの金色の髪の輝きは黒い頭巾を透過して、ついに頭巾を糸くず残さず焼いた。
マリエは露出したとてつもない金色の髪の毛を輝かせながら、ドナルドの方に振り返る。
ドナルドは肩を押さえながらも、怯む表情を見せなかった。顔つきをそのままに、マリエの異常を理解し、暴力を振るう決意を彼が固めるのに時間はかからなかった。ドナルドは拳を硬め、腕を振り上げた。
マリエはフワリと跳躍して、簡単にドナルドの一撃を避け、円卓の上に乗り、くるりと回転してブーツの爪先でドナルドの側頭部を蹴った。
ドナルドは揺れるが倒れない。一瞬、彼の顔に笑みが見えた。
ミッキィがワインのボトルでマリエの背中を狙っていた。上から下へ振り落とす。盛大な音がしたのはそれは、マリエが体の重心を僅かに左に移動させて避け、ボトルが円卓に当たって砕けたからだ。
マリエはブーツの底でミッキィの顔を蹴った。ミッキィは背中から倒れた。
マリエは円卓の上で割れたワインボトルを拾って、踵を中心にクルッと回転し、ドナルドに向かって構えた。
ドナルドはファイティング・ポーズでリズムを取り、左のジャブを軽く出し、右ストレートをマリエに伸ばした。
マリエは僅かに後ろに下がって、右ストレートを避け、右手に持っていた割れたボトルの鋭い方を前にして、ドナルドの傷ついた肩へ放った。
傷口に刺さり、ドナルドは呻き声を上げた。
マリエはしなやかな動作でドナルドの側頭部を再び蹴った。
まだドナルドは倒れない。
もう一度マリエはドナルドの側頭部を蹴った。今度は低い位置だった。
顎に入ったのか、ドナルドは大きくよろめく。
マリエはその隙を見逃さずに、全体重を掛け、踏み倒すようにドナルドの胸元にブーツの底をぶつけた。
ドナルドは背中から倒れた。
マリエはドナルドの肩に刺さったワインボトルの底を二度踏み付けた。
フロアに呻き声が響く。
マリエは隅で震えるシデンを一瞥、再び、ソフィアの方を見て、確かに微笑んで、バルコニィに続く階段を降り、壁沿いの通路を淀みなく歩いて、ソフィアが立つステージの正面、フロア中央の階段を登った先に立った。
視線が確かに交差して。
マリエが笑った。
「ハイエン!」
ソフィアは咄嗟に魔法を編んでいた。
無色の色を煌めかせ、鋭く高速回転する風を編んだ。
風はマリエを捉えた。
しかし、マリエはソフィアの風よりも早く、バリアを編んでいた。
マリエの背後の分厚い扉は吹き飛んだが。
光の魔女の絶対障壁シエルミラがマリエの前にあって。
ただ、マリエの金色の髪が揺れただけに過ぎなかった。
マリエはシエルミラを解き、またソフィアを見て笑う。
そして、声高らかに言った。
「死にたくない奴はここから出ろ、」マリエの声だがしかし、その口調は限りなく男のものだった。「破壊を始めるぞ、俺は今からあの魔女を、焼け付く炎で破壊しようと思うんだ、俺は力を抑えるつもりはない、目が焼ける光を出し惜しみする気もない、さあ、もうすぐ始める、すぐにはやらない、ゆっくりやる、一緒に巻き込まれても構わないというのだったらここにいても幸せだろう、幸せに死ねるだろう、しかしそういうことを思うのは特別な人間だけなんだろう? 死にたいと思うのは特別な人間だけなんだろう、だったらここから出ろ、死にたくないやつはここから出るんだ、もう一度デイライトを見たい奴はここから出るんだ!」
沢山の悲鳴が上がった。
一瞬で、客席から人が消える。
オーケストラも全員、逃げ出した。
支配人のカサブランカとミケを残して。
そしてマリエは、ゆっくりと階段を降り始めた。
ソフィアはだから……。
とにかく……。
えっと……。
やっぱり……。
……そうだ。
……なにが?
何かを考えることが、出来ないみたいだ。




