第二章③
「蒼い着物を着るのなんて十一歳のとき以来だわ」
伊達マイコは神尾ケンタロウが持って来た蒼い着物に着替えた。着物と言っても裾は短く、鎖骨と肩は露出している。マイコは自分の白く透き通る肌を露出することは嫌いじゃないけれど、ケンタロウはやっぱり嫌がる。
「なんですか、コレ?」
「なんですかって、」マイコはニコニコしながらケンタロウの前で一回転した。長い振袖が舞う。「ケンタロウが持って来たものでしょ?」
「回らないで下さいよ」ケンタロウは眉を潜め額に手をやる。
「え、二十九歳のくせに回るなって」マイコはケンタロウを睨む。
「いえ、そんな、回るマイコ様はとても魅力的です、素敵です、僕は舞い踊るマイコ様を見て、一生をマイコ様に捧げようと思ったんです、永遠にマイコ様の傍にいることを誓ったんです」
「もう一回、」マイコはニコニコしてあげた。「回ろうか?」
「僕がデザインしたものを、あの仕立屋、勝手にアレンジして」
仕立屋はクァンドの隣にあって、ミストラル・リンプというまだ十代の若い被服デザイナが経営している。マイコが昨日着ていた赤いドレスも彼女がデザインしたものだった。
「私は好きだけどな、文化融合っていう感じで、」マイコは身に付けた蒼い着物を見ながら言う。「……あれ、え、もしかして、この服って私たちが依頼していたやつ?」
「いえ、違います、」ケンタロウは首を横に振る。「リンプの腕は確かにいい、素晴らしい、彼女に偶然出会えたのもこの大陸に来た価値があったと言ってもいい、でも、彼女は着物を扱ったことなんてないと思いましたから、一度試作させたんです、詳細な設計図を渡して材料も渡してやらせたんですが、こんなんじゃ、アレを任せることなんて出来ません、彼女はシンデラ人にしては真面目だと思っていたんですが、どうやら眼鏡に騙されてしまっていたようです、裏を掛かれたような複雑な気分ですよ」
「アレも、こんな感じで構わないけどな、」マイコはこのデザインを気に入っていた。「アヤコもきっと喜ぶだろうし」
「ええ、姫は喜ぶでしょうね、」ケンタロウはマイコの太ももをじっと見る。「だって、なんていうか、とてもよく見えているんですから」
「リンプはアーティストよ、工学を扱っているわけじゃないんだし、設計図通りなんて、困るんじゃない、自分の溢れ出る感情に困ると思うんだ、そう思わない?」
「露出を増やすことで芸術の価値が上がると思っているんだったら彼女はアマチュアですよ、プロじゃない、プロなら僕の設計図通りに作ってくれなきゃ、彼女のデザインを認めるのは、それからですよ、」ケンタロウは早口で言って部屋の扉に向かった。「リンプのところに行ってきます、文句を言ってきます」
「可哀そうだから、止めなよ」
そのとき、扉を誰かがノックした。
「はい、」ケンタロウが素早く反応して扉を引いた。「……リンプ?」
扉をノックしていたのは仕立屋のリンプだった。明るいブラウンのストレートヘアに、丸い眼鏡。彼女の着ているものは普通のブラウスに、折り目のついたベージュのロングスカート。彼女はとても派手な服をデザインするのに、来ている服はいつも地味だ。僅かに頬をピンク色にしたリンプはケンタロウを見上げるように見て言う。「ケンタロウ、あの、今、大丈夫かな?」
マイコはリンプがケンタロウをデートに誘いに来たのかと思った。リンプの仕立屋に訪れ、彼女とおしゃべりをするのがこの大陸でのマイコの日課になりつつあった。露骨ではないが、リンプはケンタロウの話を聞きたがった。マイコとケンタロウの人間関係を聞きたがった。宇和島の姫と、鶴島城下に住む絡繰り技師の息子、それ以下でもそれ以上でもない、ということを話すとリンプはマイコから目を逸らし少し息を吐いた。そういう反応だったから、近い未来にデートの誘いがあるだろうと予測していたのだが、今日はどうやら違うようだ。
「あの、マケイラ様がケンタロウとマイコさんたちに会いたいって」
「マケイラ?」
「ほら、さっきいた、マダムのことよ、金貨をたくさんくれるお得意さんなの、」リンプはケンタロウに言って視線をベッドに腰掛けるマイコに向けた。リンプは小さく頭を下げて微笑む。「わぁ、やっぱり素敵ですね、どこか、お気に召さない箇所はありますか?」
「箇所、というか、全部、」ケンタロウはマイコの横に立って右腕を広げた。「全部、僕の設計図と違うじゃないか」
「違わないわよ、」マイコは首を横に振る。「全部、気に入っているわ、ありがとう、素敵なデザインだわ」
「それじゃあ、次のも、そんな感じで仕立てましょうか?」リンプは微笑みながら手の平を合わせた。
「ええ、お願い」
「いや、駄目ですよ、駄目だ、」ケンタロウはリンプの前に立つ。「次は設計図通りだ」
「えー、」リンプは可愛く不満を漏らす。ケンタロウの前だから可愛い子ぶっているとマイコは推測。「そんな、設計図通りなんて、つまんなーい」
「ねぇ、リンプ、」マイコは顎に手を当てる。「マケイラって言った?」
「はい、」リンプは姿勢を正して頷く。「マケイラ様です、家に招待したいともおっしゃってました」
「マーブル財団の?」
「ええ、着物を見られて、それについて細かいことが知りたいと、今、外の馬車の中にいらっしゃいます、マケイラ様のこと、ご存じだったのですか?」
マイコは微笑んで、ケンタロウを見る。「どう思う?」
「え?」ケンタロウはこめかみを触る。「ああ、ちょっと、理解し辛いことですね」
「でしょう?」マイコは立ち上がり、窓の外を見た。道を挟んで向かいの店先に、確かに馬車は止まっている。「向こうからのアプローチは今までなかったことですからね」
「えっと、何の話ですか?」リンプは部屋に入ってきた。
「次は設計図通りにするんだぞ、」ケンタロウはリンプとマイコの間に立ち、人差し指を向けて威圧的に言う。「いいか、アレンジしたら許さないからな、絶対に文句を言うからな」
「えー、」リンプは頬を膨らませる。「でも、マイコ様は気に入ってくれたみたいだし」
「違う、本当はお怒りなんだ、でも、リンプを悲しませないように嘘を付いているんだよ、マイコ様に気を使わせるなよ、気持ちを察しろよ、察しなさいよ、マイコ様を満足させるには設計図通りが一番なんだ、お前の余計なアレンジはいらないんだよ、そうだ、余計なことはするんじゃない」
リンプの瞳は少し潤んでいた。「……最低」
「お前のアレンジの方が最低だ」
言われ、リンプは盛大に泣き出してしまった。「うわぁん」
「最低はあんたの方よ!」マイコはケンタロウの頭を手の平でバシッと叩いた。「謝りなさい!」
「ごめんなさい」ケンタロウは素直にリンプに謝った。
「謝ったからどうか許してあげてね」マイコは微笑む。
「うー」リンプは唸ってケンタロウを睨んでいる。
「ケンタロウ、どうしたら、リンプの機嫌が直ると思う?」
ケンタロウはこめかみを触って悩む。「……お金ですか?」
マイコはケンタロウの頭を手の平で叩いた。「おい、なんていうか、おいっ!」
「うー」リンプは唸ってケンタロウを睨んでいる。
「叩かれた理由があの、全く分からないんですけど、」ケンタロウは頭を振る。「いや、別に、マイコ様に叩かれることは、嫌じゃありませんけど」
「今度、ピクニックに行くこと、」マイコはケンタロウを睨んで提案した。「分かった?」
「もちろん、マイコ様となら、どこへだって行きますよ」
「違う、違うでしょ、」マイコは額に手を当て、首を横に振る。「リンプとケンタロウ、二人でピクニックに行って来いって言ってるのよ」
「え?」リンプは手の平で頬を包んだ。「ピクニック?」
「は?」ケンタロウは眉を潜める。「なぜ?」
「それでリンプの機嫌が治るのよ、ね、」マイコはリンプにウインクした。「ケンタロウには絶対に分からない理論でしょうけど、治るのよ」
リンプは手の平で頬を包んで、なんだか止まってしまった。
ケンタロウはそんなリンプを不思議そうに見ている。「……まぁ、マイコ様がおっしゃるのなら」
とにかく悩んでいても始まらない。
恋と一緒だね。
「リンプ、行くわ」マイコは髪を櫛で梳いた。
リンプはびくっと反応した。「ふぇ、ピクニックに?」
「マケイラ様のところによ」