第二章①
クァンドというパブで働く、ミケというピアニストが作ってくれたナポリタンを甲原ルッカは急いで食べた。お腹はペコペコだった。空腹は満たされた。そんなルッカをマロリィ・マンブルズはニコニコしながら観察している。円卓の対面に座る、魅力的でピンクな彼女に急いで食事をする姿を見られるのはとてつもなく恥ずかしかった。しかし彼女の笑顔に恥ずかしい部分を見られることはとてつもなく幸福なのではないのか、とも思えた。そう思えるほど、ルッカは彼女に夢中なのだ。彼女に酔っている。そんな感じ。そんな分析結果。ルッカは水を飲み、マロリィを一瞥して、微笑み、そして、左右に座る魔女を見た。
ルッカの右手に座るのは、女装男子ミッキィが召喚したドラゴンとの戦闘の際、箒に乗ってマロリィをキャッチして助けた群青色の髪の魔女。水の魔女のカブリエラ・スタージス・ビゲロ。彼女はルッカと同じ十四歳。背はルッカよりも小さいが、彼女の表情はどことなく大人びている。服装はマロリィと同じ形のワンピース。色は淡い青。ネクタイの色はマロリィと同じ濃いピンク。そしてマントを羽織っていた。「そんなに急いで食べなくてもいいのに、ひっくり返したりしないから、大丈夫なのに」
「あ、はい、」ルッカはカブリエラから水の魔女特有の暴力的な何かを感じて、困る。「……えっと、おいしくて」
「当たり前だよ、」ピアノのメンテナンスをしているミケが言う。「ルッカは、日本人?」
「はい、」ルッカは頷く。少し驚いていた。シンデラに来てから、日本人だと言われることは初めてだった。東洋人だとは把握されても、小さな極東世界の名前を知る人はシンデラには少ない。「でも、どうして?」
「宮殿の料理長に教わったんだ、日本人だった、日本人はイングリッシュが下手くそだから分かるのよ」ミケはくくっと笑う。
ルッカは苦笑い。「……あの、宮殿って?」
「ああ、私、前はファーファルタウにいて、ベルズアッバス宮殿に住んでたの、信じられないかもしれないけど、王立楽団でピアノを弾いてたんだよ、この指でね、」ミケはピアノを一音鳴らして、耳を澄ませた。「うん、問題はないな」
「へぇ、凄い」ルッカは胸の前で五指を組んだ。
「ありがとよ」ミケは持ち上げた手を左右に動かしてぶっきらぼうに言って、カウンタの奥の方に消えた。
「ふうん、日本から、」左手に座るのは、緑の髪の色の魔女。ショートヘア。淡い緑色のワンピースを着ている。濃いピンク色のネクタイは緩い。彼女の顔立ちはルッカに近いが、イングリッシュの発音はルッカよりも数段上だった。「私は上海よ、アヘンで滅茶苦茶になった上海から来ました、あなたの世界は舵取りを間違えないように、祈っています、」彼女は陰鬱な表情でルッカに握手を求めた。「ああ、私の名前はネイチャ、よろしく、ルッカ」
「うん、」ルッカはネイチャの手を触る。彼女は笑顔で、彼女からはとてもいい香りがするが、やはり陰のようなものが見える。戦争の影響だろう。戦争で上海は滅茶苦茶になったのだ。その衝撃は日本にも確かに届いていた。そして時代はとても忙しくなった。「よろしくね、ネイチャ」
「さて、コレで四人の魔女が揃った」マロリィは表情を変えて言う。
「揃う?」ルッカは首を傾げた。
「ええ、揃った」
「何か意味が?」ネイチャが聞く。
「意味なんてないでしょ、」カブリエラが口を開く。「ただマロリィのコレクションが一人増えただけ」
「コレクション?」ルッカは首を傾げた。
「四人揃えば何でも出来る、」マロリィはこっちを見つめてくる。「そうでしょ、ルッカ?」
「え、あ、うん、」ルッカは要領を得ない。「……何でもって、つまり、何?」
「マーブル財団からクラウンを取り戻すんだ、」マロリィは立ち上がり、指先をクルクルと回し、店内を歩き始めた。「長い時間を掛けてわざわざ日本からクラウンを探しに来たルッカを悲しませることになるのかもしれないんだけど、」
「え、待って、マロリィ、クラウンって、あの、金色の、凄く緻密で精巧な造りの、王冠のこと?」
「ファンダメンタル・ピュア・クラウン、」マロリィは歯切れよく言ってルッカを見て首を傾げた。「……え、まさか、私の推測、間違ってた?」
「うん、そうだよ、私はあの王冠を探しに来たんじゃなくて、信じられないかもしれないけど、温泉を掘りに来たの、黄金の湯を探しに」
「黄金の湯?」マロリィは眉を潜めた。「何それ、二人とも、知ってる?」
ネイチャは無言で首を横に振る。
カブリエラは眉を潜めた。「聞いたことないわね、そんな嘘が出回ったのかしら」
「いや、本当に、あるかなんて分からないことで、ただ、日本にそういう、ええ、古い時代の日本には黄金の湯が沸いていて、そこに体を沈めるとどんな病気でも治る、そういう温泉があった、いえ、もちろん、真実かは分からないこと、ただの言い伝えに過ぎないこと、でも、この時代に伝わっていることだから、真実かもしれない、そういうものがあるのかもしれない、ゴールド・ラッシュに沸くシンデラにはあるのかもしれない、友達がね、病気なの、原因不明の病、不治の病で、だから、私はここにいるの、黄金の湯を探すために」
ネイチャはじっとルッカのことを見ている。
「お伽噺ね」カブリエラは口元だけで笑った。
「笑わないでよ」ルッカは少しムカついた。
「でも面白い、」カブリエラは円卓に頬杖付く。「そう思わない、マロリィ?」
「別に面白いなんて思わない、でも、」マロリィは壁際のソファに座り、足を組んだ。「ルッカが見つけたいっていうなら手を貸すよ」
「え、本当?」ルッカは嬉しくなった。「嬉しい、マロリィが手伝ってくれるのなら、なんていうか、凄く近づく気がするよ」
「それじゃあ、契約しようか?」マロリィは笑顔になって立ち上がり、ルッカの後ろに来て肩を触って耳元で囁く。「私がルッカに手を貸す代わりに、ルッカは私の魔女になる、いいよね?」
「え、私がマロリィの魔女にって、その、召使いとか?」ルッカは少し猥褻なことを想像して顔が熱くなった。「……え、つまり、どういうことなの?」
「恥ずかしいこと言わせないでよ、」マロリィはふざけた声を出す。そして後ろからルッカを抱き締めた。「分かってるんだろ?」
「え、いや、」ルッカは微笑みながら熱い頬を触る。「分かんないよ」
「ふうん、まぁ、いいや、」マロリィはルッカから離れる。「契約は成立?」
「う、うん、」ルッカはマロリィの方を見れない。「よく分かんないけど、構わないよ」
「会えてよかった、」マロリィはニコニコしながら席に戻る。「いや、ずっとルッカに会うことはまるで、決まっていたんだよ」
「よく分かんないけど、」ルッカは視線が定まらない。「素敵」
「うん、素敵、」マロリィはうっとりと微笑んでみせる。「……ああ、そうだ、話はクラウンのことに戻るんだけど、ルッカは私の魔女になったのだから、手を貸して欲しいの、一緒にクラウンをマーブル財団から取り戻す、それがカブリエルとの契約だから」
「ああ、契約するんじゃなかったかな、」カブリエルは苦笑する。「ルッカ、考え直すなら今のうちよ、この契約は破棄できないんだから、コレクションになるっていうことはね、つまりコレクションになることなんだから、自由は諦めなさい、マロリィ・コレクションであることを自覚しないと、きっと変になるよ」
カブリエルは大きな声で笑う。ルッカはそれに合わせて笑う。カブリエルも夜はマロリィに猥褻なことをされているのだろう。それを想像して、ルッカは変な気分になる。左の方を見ると、ネイチャがルッカを観察している。「……ネイチャの契約は?」
ネイチャは凄く可愛らしい笑顔で言う。「マネー」
「シンプルね、」ルッカはネイチャに微笑む。「分かりやすい」
「それだけじゃないよ、」ネイチャはルッカの手を触ってきた。驚く。絡めてくる。顔を近づけてくる。「それだけじゃないんだよなぁ」
つまり、どういうことだろう?
ネイチャの考えていることはルッカには全く分からないことの一つだと思う。
「おっほん、」マロリィは咳払いする。マロリィはルッカを睨んでいた。マロリィはコレクション同士がいちゃつくのは嫌なのかもしれない。「とにかく、ルッカの素敵なシャベルの力が必要なの、クラウンを取り戻すために、今日みたいに優雅に男たちを蹴散らして欲しい、黄金の温泉は、それからでもいい? 大丈夫、四人、揃えば簡単にことは進むよ、三人と四人で、仕事のスピードは、全然違うんだもん」
「うん、分かった、」ルッカは頷く。「私、マロリィの魔女だもん、もちろん手を貸すよ」
「あらあら、なんていうか、」カブリエラは愉快そうだった。「ピュアね」
「うん、すっごくピュアだ、」マロリィも頷く。「古い時代からの言い伝えを信じて一人でシンデラに来るなんて、シャベルで闇雲に地面を掘ったって探し出せるものでもないでしょうに、それとも、何か当てがあって?」
「一人じゃないよ、ダウジングの魔法を編める魔女と一緒に……、ああ!」
ルッカは声を上げて立ち上がる。伊香保シデンのことを思い出したのだ。
「急にどうしたの?」マロリィは丸い目を丸くした。
「マロリィ、私以外に、いなかった? 私の他に、紫の髪の魔女も、一緒に、王冠があった場所にいて、同じ日本人、私は彼女と一緒に、シンデラに帰る蒸気船に乗り込んで、幕府の認可も得ずに乗り込んで、一緒にシンデラに来て、一緒に、」
マロリィは首を横に振る。「分からないわ、昨夜、マーブル財団の収容所に運びこまれたのはルッカだけよ、それは、うん、絶対に間違いないことだから」
「……絶対に?」
「うん、」マロリィは真面目な目で頷いた。「確かな情報だよ、確かな情報があったから、私はルッカのことを助けたんだ」
「そう、ありがとう、助けてくれて、」ルッカは無理に微笑んで座る。「……どうしよう、シデン、どこにいるんだろう」
ルッカの目が熱くなる。
涙が溜まる。
ずっと一緒だったから。
彼女が近くにいないことが、とても悲しかった。
ルッカは俯いて、目を擦った。
「ガブリエラ、ごめんね、」マロリィは優しい声で言う。「シデンという娘は可愛いの?」
「え?」
「可愛いか、可愛くないか、」ガブリエラは澄ました顔で言う。「重要よ」
「可愛いよ、すっごく、すっごく、」ルッカは声を大きくして主張した。「可愛いよ!」
マロリィは指を鳴らし立ち上がる。「よし、決まり、五人が揃うね、あ、ネイチャも来てよ」
「ご利用ありがとうございます」ネイチャは濃いピンクのネクタイのキュッと締める。そしてルッカにウインクした。
「ミケ、お代、置いとくよ、」マロニィは札束をテーブルの上に置く。「ああ、早く会いたいな、ね、ルッカも早く会いたいでしょ?」




