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断罪令嬢を拾った辺境宿に、王国が捨てた有能な女たちが集まってくる ~転生支配人と断罪令嬢の宿再生記~  作者: 宿木ロク


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第1話 壊れた馬車と壊れかけの宿

※本作は、ノクターンノベルズ週間ランキング1位を獲得したR18版を、一般向けに構成から書き直した独立版です。

 八つの客室の鍵は朝から一本も減らなかった。


 帳場の壁に同じ間隔で並んでいる。空室八。宿泊客、ゼロ。


 その下で、借金の催告状だけがやけに立派な朱印を見せていた。


 商業ギルドへの借金、金貨四十枚。返済期限は秋の収穫祭。


 この国の金は銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨五枚で金貨一枚だ。つまり金貨四十枚は考えたくもない額である。


 俺は鍵を端から指で弾き、最後の一本で止めた。


 雨の日の宿屋ほど、暇な商売はない。


 街道を行く客が動かないからだ。動かない客は泊まらないし、泊まらない客は金を落とさない。単純な話だった。


 ラグナ街道の宿場町ミレットは、王都から馬車で十日の辺境にある。ともしび亭は、王都へ延びる街道と山側から下りてくる古い荷道がぶつかる角に建つ。客室八つの古宿だ。


 昔は荷馬車がこの角で夜を明かしたらしい。今は荷の流れが変わり、旧道を使うのは近在の百姓とたまの湯治客くらい。合流点という立地だけが立派で、肝心の客が来ない。


 雨脚が強まるたび、旧道の轍がひとつずつ消えていく。


 今日も客の代わりに催告状と向き合う一日になりそうだった。


「カイ。あんた夕飯どうすんだい」


 厨房からマーサばあさんが顔を出した。通いの従業員。というか、うち唯一の従業員だ。


「客が来たら考える」


「来ないよ、この雨じゃ」


「だよなあ」


 鍵を一本持ち上げてみる。


 誰にも渡さず、元の釘へ戻した。


 そのまま客は来ず、日が傾いた頃だった。


 外で、何かがへし折れる音がした。


 ばきん、という景気のいい音。続いて、馬のいななきと男たちの怒鳴り声。


 窓に張りつくと、夕暮れの雨の中、宿の真ん前で一台の馬車が斜めに傾いていた。車輪が泥へめり込み、車体の腹が落ちている。


 車軸だ。真ん中から折れていた。


 ただの馬車じゃない。窓に鉄格子がある。護送馬車だった。


 御者台の脇では、雨に濡れた魔物避けの香炉が消えかけの煙を細く吐いている。


「おいおい」


 雨具を被って外へ出ると、御者台の男二人が馬車を蹴りながら言い争っていた。役人にしては人相が悪い。雇われの護送人というところか。


「直せるわけねえだろ、こんな辺境で!」


「じゃあどうすんだよ。あと三日はかかるぞ、流刑地まで」


「知るか。……おい、いいこと思いついた」


「いいこと」と言った男は、実にいやな笑い方をした。


 仕事を投げる直前の顔である。前世で散々見た。


 男は鉄格子の扉を開け、中へ顎をしゃくった。


「降りろ。ここまでだ」


「……どういうことかしら」


 雨音の中でも通る硬質で澄んだ声がした。


「書類上はあんたを送り届けたことにする。こっちはそれで終わりだ。あとは好きにしな」


「正気なの? あなたたち、職務を――」


「罪人が職務を語るなよ」


 男は笑って、女を雨の中へ引きずり降ろした。


 もう一人が馬車から馬を外す。二人はそのまま跨がり、来た道を引き返していった。壊れた馬車と女だけを残して。


 蹄の音が雨に消えていく。


 残された女は去った男たちを見ていなかった。


 傾いた馬車へ戻り、泥の中へ膝をつく。御者台の脇で、魔物避けの香炉から最後の煙が消えかけていた。


 女は雨を吸った灰を指で除け、底に残った赤い火を確かめた。


「それを軒下へ運んで」


 初対面の俺へいきなり命令である。


「自分より先にそっちですか」


「香が切れれば、雨上がりに山から魔物が寄る。馬車を片づける人間が危ないでしょう」


 言いながら、自分で香炉を持ち上げようとする。濡れた鉄へ触れた指が跳ね、白い指先が赤くなった。それでも二度目は、袖越しに取っ手を掴んだ。


 仕方なく俺が取っ手を持ち、宿の軒下まで運んだ。香炉の蓋を少しずらすと、細い煙が戻ってくる。


 煙が戻ると、女は傾いた馬車へ目をやった。


「車軸は今夜中に直せるの」


「無理ですね。町の職人を呼んでも、明日の昼です」


「そう」


 女は傾いた馬車を見てから、ともしび亭の看板へ目を移した。


「なら、部屋を用意しなさい」


 ずぶ濡れで、無一文で、護送人に捨てられた直後とは思えない言い方だった。


 嫌な予感しかしなかった。


 ◇ ◇ ◇


 扉の鈴が鳴った。


 女が入ってくる。


 ずぶ濡れだった。濡れた髪が頬と首筋へ張りつき、旅装は雨を吸って黒く沈んでいる。土間に水滴が点々と線を引いた。


 考えるより先に手が動いた。


 棚から乾いた布を二枚引き抜き、差し出す。


「どうぞ。まず拭いてください。風邪ひきますよ」


 頭の中で何が起きていようが、客の前では先に手を出す。前世から、そういう仕事をしてきた。


 白状すると、一度だけ見た。


 気づけば、濡れた布越しの身体の線を目で追っていた。前世の中身が若い身体へ入っていると、こういう時に困る。血の巡りが素直すぎる。


 視線を顔へ戻し、竈の火に鍋をかけた。


 宿の主人が濡れた客へ出すものは決まっている。布と白湯だ。


 女は布を一瞥した。受け取らない。代わりに宿の中をぐるりと見回した。


 年季の入った梁。継ぎの当たった長椅子。空の食卓だけは数が多い。


 査定の目だった。それも素人の目じゃない。値踏みの速さで分かる。


「……古いけれど、掃除は行き届いているのね」


「どうも」


「暖炉前の席が玄関に背を向けているわ。王都の貴族なら、あそこには座らない。扉も従者も見えないもの」


「……どうも?」


 初対面の宿に対する第一声がそれか。


 ずぶ濡れの罪人がまず貴族の警戒心を気にするのか。


 湯気の立ち始めた椀を卓へ置いた。女はそれも一瞥しただけだった。


 濡れた前髪の下から俺を見る。菫色の瞳だった。夕闇の宿で、そこだけ光っているような紫。


 そして彼女は顎を上げ、当然のように言い放った。


「一番いい部屋を用意なさい」


「……いらっしゃいませ、から始めてもいいですか」


「早くなさい。見て分からないの? 濡れているのよ」


 分かる。むしろ、分かりすぎて困っている。


「湯も沸かしなさい。食事は温かいものを。それから着替えを。サイズはわたしを見れば分かるでしょう」


 見れば分かる、の部分で視線が一瞬迷子になりかけた。危ない。


「注文が三つ増えましたね」


「四つよ。髪を乾かす火も」


「お客さん。先に一つだけ」


 俺は宿帳を開いた。


「一番いい部屋に湯と食事。前払いで銅貨二十枚です」


 女の動きが止まった。


 ほんの一瞬だけその目の奥が揺れる。


 彼女は懐へ手をやり、何もない場所を二度探った。それから何事もなかったように、指を揃えて手を下ろした。


「……持ち合わせは没収されたわ。国にね」


 護送馬車。罪人。没収。


 全部つながっている。つながっているが、うちは慈善事業じゃない。借金金貨四十枚の宿は、心を鬼にしないと冬を越せない。


 厨房の暖簾の陰から、マーサがこちらを窺っていた。目が《あんた、どうすんだい》と言っている。


 俺が聞きたい。


「でしたら――」


「わたしの名を聞けば、態度が変わるはずよ」


 女は濡れた髪を払った。水滴が飛ぶ。


 その仕草だけを見れば、女王だった。無一文のくせに。


「セラフィーナ・ヴァンドールよ」


 ――背筋が冷えた。


 その名前は知っている。


 俺はカイ、二十三歳。ともしび亭の若主人。


 ただし、中身は佐伯航。前世で三十四年を生きた、ホテル運営会社の事業再生担当だった。潰れかけたホテルへ送り込まれては立て直す仕事を十年やり、最後はオフィスの床で心臓が止まった。


 前世を思い出したのは半年前。この身体の寝台の上だった。


 以来、雨漏りを塞ぎ、腐った床を張り替え、傾いた裏塀を起こしてきた。売上を増やす前に、客を泊めても危なくない宿へ戻す。再生というより、まず止血だった。先代が残したわずかな金も、ほとんどそこへ消えた。


 そして、この世界には見覚えがある。


 グランセル王国。王太子アルディス。妹が夢中でやっていた乙女ゲーム『聖乙女のロンド』と設定がそっくり同じなのだ。


 とはいえ、俺の知識は妹のプレイ画面を横目で見た程度の断片だった。攻略対象の顔も半分は覚えていない。


 それでも、セラフィーナ・ヴァンドールの名だけははっきり覚えていた。


 公爵令嬢。王太子アルディスの婚約者。ゲーム終盤、王太子暗殺未遂の罪で断罪され、爵位を剥奪されて、物語から退場する悪役令嬢。


 妹が画面の前で「ざまあ!」と叫んでいた。罪状は確か毒による王太子暗殺未遂。


 王太子が茶会の床へ倒れた一枚絵だけは妙に覚えている。卓には手つかずの茶があり、隅の香炉から細い煙が上がっていた。


 その断罪で、ゲームは大団円へ向かった。


 最後に映ったのは王太子が聖女ミレイユへ手を差し出す一枚絵だった。


 つまり今はエンディングの後だ。


 この女がこの先どうなるのかは誰も知らない。妹も攻略サイトも知らない。


 シナリオの外側がずぶ濡れで俺の宿に立っている。


 心臓が嫌な速さで打った。


 関わるな、と前世の危機管理が言う。


 だが、さっきの席の指摘が頭から離れなかった。俺にはない王都の客の視点だ。


「……あの、それって」


「あら。辺境でも、わたしの名は轟いているようね」


 轟いているのは別の意味でだと思う。国中に。罪人として。


 だが目の前の女は胸を張ったままだった。


 無一文で、ずぶ濡れで、国に捨てられて。それでも背筋だけは一本の槍みたいに真っ直ぐだった。


 それを見ているうちに、断るための言葉が出てこなくなった。


 いやいや、待て。相手は王国が捨てた大罪人だぞ。関わったら、宿ごと危ない。断れ。丁重に断って――


「なにを黙っているの」


 セラフィーナは濡れたまま、帳場の俺を真っ直ぐ見下ろした。


「空き部屋くらい、あるのでしょう?」


 俺は壁を見た。


 八つの鍵が朝と同じ順で並んでいる。


 ある。


 悲しいことに、全部。


 俺は端の釘から鍵を一本外した。


 金属の触れ合う音が空っぽの食堂に小さく響いた。


 その鍵を濡れた女の前へ差し出した。


 この鍵を渡したら、たぶん俺の人生は変わる。

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