『変質』
ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス
・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。
・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。
「あのさ、話がしたいんだ」
「…………」
タスクの申し出に、カイの眉間に深く皺が寄った。
テーブルの上には、最近作り慣れてきた豆と野菜のスープとパンが並んでいる。それから今夜は特別に、おばさんから貰ったとっておきの腸詰を焼いたものも添えて。
無言で食べ進めていたカイは、態と音を立ててスプーンを置いた。相変わらず難しい顔をしているし、タスクとはろくに目を合わせようともしない。
「お前と話したいことは無い」
「俺にはあるんだって!」
「……」
カイの唸るような溜息が二人の間に響く。妹の存在には絶対に触れないと心に決めているし、伝えたいことはきっとカイにとって必要な情報だと思っている。だから、今夜は「やっぱり無し」だとか「何でもない」と逃げる訳にはいかなかった。
「お願いだよ。俺の話を聞いてほしい」
真っ直ぐカイを見据えて、初めて"お願い"を乞うた。
その表情も視線も全て――彼の妹そっくりなのだとタスクには分からない。けれど、それを受けて途端に苦々しい表情を浮かべたカイは、再度低く呻くような溜息を吐き出した。
「…………はあ、分かった」
「――! よ、良かったぁ……」
不承不承ながらも諾を得られたタスクは、気が抜けて背もたれにくったりと身を預けた。一方で眉間に皺を寄せたままのカイはスプーンを手に取り、豆と野菜のスープを再び口に運び始める。どうやら食べている間に自分の話を聞いてくれるらしいと察したタスクは、慌てて椅子の上で姿勢を正した。
タスクは一度、深呼吸をする。伝えたいことは夕飯を作りながら考えていたから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
「近衛聖騎士さまと、カイって何が違うと思う?」
「藪から棒になんだ」
「ああ、ええっと、そうじゃなくて」
出だしで失敗した、とタスクは頭を抱えた。考えていたことが一気にごちゃまぜになりそうで、慌てて伝えたいことの端を手繰り寄せる。
そう、違うこと。何故近衛聖騎士と普通の人は違うのか、どうしてあんなに近衛聖騎士が強いのか、カイに足りないものはなんなのか。それをどうしても伝えたかった。
「近衛聖騎士さまの戦ってる姿と、あんたが戦ってる姿って全然違くて」
「それはそうだろ」
何を当たり前の事を言っているのか、と呆れた視線がタスクに突き刺さる。
「そうなんだけど、そうじゃないんだってば。えっと、近衛聖騎士さまが使ってる剣には、人の形をした白い光がずっと傍にいるんだ。他の聖騎士さまもそうだよ。でも、カイが使ってる武器には黒いもやもやがあって」
「……それで?」
「二人が戦ってるとき、白い光は近衛聖騎士さまと一つになってたんだ。なんかこう……動きを強くしてる、みたいな。でも、カイの黒いやつはただくっついているだけって感じなんだ」
身振り手振りで説明しながら、カイがじっとこちらを見つめていることに気付いた。
「……単純に武器だとか、訓練されている奴とそうでない一般市民の差かと思っていたが」
「ち、違う。……カイが黒いもやもやの使い方を変えたら、」
カイがスープを掬っていたスプーンは器に沈められたままだ。
何を考えているのか、タスクには分からない。これを伝えて、カイによってこの街がどうなるのかも分からないけれど――自分を助けてくれた恩には報いたい、と思っている。だから、見えていることはどうしても伝えたかった。
「カイは、もっと強くなれるって、俺思ったんだ。ど、どう、かな……?」
馬鹿げている、と言われるかもしれない。次から話を聞いてくれないかもしれない。居ないものとして扱われることは、嫌だ。
恐る恐る、カイを見つめる。じわりと冷たい汗が掌に滲んで、誤魔化す為にズボンでごしごし擦った。
「……。――まだ、余地があるってことか」
ぽつり、とカイから零れた声は大きなものではない。けれど、不思議と部屋に響いたように聞こえて、タスクはぱっと顔を上げる。
「役に、立ちそう……?」
そろりとした声で問えば、カイは僅かに目を瞠って――眦をほんの微かに和らげた。
「――ああ。助かった」
「――!」
――嬉しい。
そう、これは"嬉しい"だ。ほんの少しでも、この人の助けになった。その事実が堪らなく嬉しかった。タスクの表情はふにゃふにゃに緩んで、なんだか鼻の奥がつんと痛む。
「へへ、なら良かった」
「…………」
「……あ、そうだ。あのさ、明日のスープは塩漬け肉の脂身が使えるから楽しみにしててよ」
「……ああ」
タスクは、すっかり冷めてしまった豆と野菜のスープにパンを浸す。
ああ、今日が一番"嬉しくて楽しい"夕飯だ、と汁気でふやけたパンを何度も噛み締めた。
◆
しん、と静まり返った暗闇。白光が届かない細い路地まで”獲物”を追い詰めた。
「ぁ……あ、悪魔……! やめろ、来るな!」
両手を大きく振って"悪魔"を拒絶する神官の姿はひどく滑稽で無様だ。
一歩、また一歩とカイは距離を詰めていく。靴の裏が砂を踏む度に、ざり、ざり、と路地に音が響いている。
「い、いやだ、死にたくない、ルシエルさまっ、どうか私を……ッ!」
「――神が、救う訳がない」
「ヒ、ぃっ、く、くるなくるな! 来るな!」
今日で神官を襲うのは何人目だろうか。壊した『神の雫』は何個目になるだろうか。 それぞれ十を超えたあたりで、カイは数えることを止めた。
まだ『欺瞞の釘』は余裕がある。とは言え、こうして末端の存在に使い続けていれば、いつしか限界は来る事も分かっている。それでも壊し続けるしか自分には選択肢が無いと思っていた。
壊し続けていれば、いずれ"供給"は途絶えるだろう。ああいっそ、"生産元"を直接壊せたらどれ程良いだろうか。
――がつん、と太い鉄杭が神官を打ち据える。
次いで、握り締められていた『神の雫』を脆くさせ――鉄槌で粉々にする。
恐怖に顔を歪ませた神官が、そのまま気を失う姿にほの暗い悦びを抱いた。粉々に壊した白い結晶に、ヘルムで隠れた口が歪に歪む。
靴底で『神の雫』だったものを何度も踏みつける。この結晶もかつては人であった者だったとしても、これは"カナエ"じゃない。”カナエ”でないのならば、カイの心は動くことはない。ただの壊すべき対象に過ぎない。
「今夜は、あと二人か」
昼間見定めた神官二人が、今夜この近辺を通ることは調べが付いている。
どれだけ悪魔騒ぎで中枢が混乱しようとも、信仰を得る為に神殿は神官に奇跡を行使させる必要があるのだから。武力を持つ聖騎士と言えど、数多いる末端の神官一人ずつに護衛が出来る訳でもない。ソウエイと名乗る近衛聖騎士が神官ササグの護衛に割り当てられたことが例外中の例外だったのだと、カイは数多の"狩り"の末に理解した。
タスクが話した内容が、どこまで自身に影響するかは未知数だ。
『欺瞞』の力を使うだけでなく、自分の身体と一体化させる手段を考えなければならない。それがたとえ、今度こそ不可逆的な変質をもたらすとしてもだ。
――試してみる価値はある。
躊躇うことは無い。今の自分には失うものなど無いのだから。この身一つで目的が果たせるのならば、使えるものは何だって使えば良い。
「……一時的な強化、じゃなく恒久的な変質を望めば――」
ああ、だとしたら『悪魔』についてもっと知識が必要だ。かつてルシエルが滅ぼしたとされる存在は――一体どんな力を持っていたのか。
神殿によって失われている物も多いだろう。運よく免れた物がどれほど残っているかも分からない。
学者が調べるような具体的な内容じゃなくて良い。自分の想像力を越えるものがあれば、それで十分だ。自分が持つ力は、あくまでも"どうしたいか"の認知に関わるものなのだから。
思考を巡らせながら、カイはゆっくりと歩き出す。
ざり、ざり、と、ただ暗い路地に音が響いていた。
〈続く〉




