第十八章その1 同じ屋根の下で
「さあ、召し上がれ!」
南さんがウィリアムズ家にやってきたその日の夜は、やっぱり庭でのバーベキューだった。8月の夜風はちょっと冷たいけれども、これぞ外国って感じがするな。
ちなみに家に入ってすぐにアイリーンがハグしてきたのにはさすがの南さんも面食らっていたが、ついでといった具合で帰宅した俺にもハグしてきた際には南さんはふふっと微笑みながらもすさまじい無言の圧力を放っていたのはまた別のお話。
「わ、美味しい!」
南さんは串から引っこ抜いたラム肉を頬張りながら、その味に感激する。
「本当、ウィリアムズさんにはお世話になっているよ。俺みたいなデブでも満足できるくらいに食べさせてくれるんだもん」
言いながら俺はすでに3本目の串に手を伸ばす。
「そうよ、じゃんじゃん食べてね!」
ホストマザーのマライアさんが焼きたての肉や野菜を大皿に盛り、どんとテーブルの上に置いた。
楽しい夕食はあっという間に過ぎ去り、夜を迎える。
怪我しているのでいつものように明日の早朝練習はできないが、いつも早く寝ているおかげで俺はかなり早い時間から眠気を感じてしまうようになっていた。いわゆる早寝早起きだな。
南さんも10時間のフライトで疲れがたまっているのだろう、食後にはふわあと何度も口に手をあてて欠伸をしていた。
「じゃあ、お休み」
そして寝間着代わりに持ってきたカンタベリーのスウェットに着替えた南さんは、2階のゲストルームに消えてしまった。普段は来客が来たときだけ使うこの部屋も、この日のためにと何日も前から徹底的に掃除したんだよな。
俺はギシギシと床を鳴らしながら屋根裏部屋への階段を上る。
半年前より背も伸びて大人っぽくなったものの、南さんは南さんのままだ。俺はほっと安心して、自室のドアノブに手をかける。
だが、待ってほしい。俺は取っ手を握ったところでぴたりと動きを止めてしまった。
落ち着いて考えてみると、これってかなりすごい状況なんじゃないか?
自分の寝ている真下の部屋で彼女が寝ているとか。これから半月ほど彼女といっしょに暮らすことになるなんて、なんだか落ち着かない。
眠気は感じているのに脳が眠らせてくれない。布団に潜り込んだあとも悶々と様々な感情が湧き出でるせいで、俺は何度も寝返りを打っていた。
やがて夕食後のアフターディナーティーが原因だろうか、トイレのために俺は部屋を出て階段を降りる。
その際にゲストルームの前を通りがかったのでふと見てみると、南さんはもう寝ているのだろう、ドアの隙間からは明かりすら漏れていなかった。
「お前たち、もっと腰を入れろ!」
翌日の学校では、オースティン先生がいつもの調子でラグビークラスの生徒たちを指導していた。マシンを相手にスクラムを組むフォワード8人を見ていると、よくもまあ自分はいつもあんな痛くてムサくてしんどそうなことやっているなと改めて感心してしまう。
まだ足首の包帯が取れないので、この日の俺はベンチに腰掛けてダンベルを使った上半身のトレーニングに励んでいた。
スクラム練習が一段落着き、汗だくになったフォワードの面々が水分補給のため俺の座るベンチに群がる。
「ふいい、オースティン先生いつもよりきついよ」
「やっぱU-14が負けちまったからだろうな。来年は絶対勝てるようにって」
そう会話を交わして、グビグビとドリンクを飲むフォワードたち。
我が校のU-14チームは一昨日の試合で敗れ、地区のベスト4での敗退となってしまった。結局うちの部で決勝に進めたのは俺たちU-15と、ハミッシュ・マクラーセンらの属する学校代表チームだけだ。
そして一昨日はU-14と学校代表の試合が同じ会場で、時間をずらして開催された。その後の息子の出場する試合のためにも、オースティン先生はU-14の試合も観戦していたらしい。
「おもしろかったんだぜぇ、オースティン先生があのキマイラシャツ着て応援してるとこ。で、応援中に熱入って力入れたら、ビリビリ真っ二つに破れちまったんだもんよ」
やっぱりリアルケンシロウになってしまったか。あれ、縫製が甘いなって思ってたんだよ。
「太一、もうお前らにかかってんだからなー」
「頼むよ、お前らは俺たち1年生の希望の星なんだから」
本来の年代よりひとつ上のU-15に属している俺やニカウは、他のクラスメイトにとっては羨ましい存在なのだろう。だがそれは羨望の的であると同時に、自分たちの代表でもある。彼らの期待に応えるためにも、下手なプレーはできない。
「決勝戦、しっかり治して俺たちの分も頑張ってくれよ」
「おう、任せろ!」
俺はそう言ってどんと自分の胸を打った。実力的に勝てるか勝てないかはわからない。だが戦う前から萎縮していては、誰が相手でも勝てないのはわかっている。
以前の人生では実力の劣るスポーツ選手が「絶対に勝ちますよ」と言うのを見て、なんだこのビッグマウスっぷりはと嘲笑うこともあった。だが今になれば、彼らがああ言わざるを得ない気持ちも十分に理解できる。
今日は部活も無く、足も完治していないので学校が終わればすぐに帰宅する。試合は近いが、変に焦って怪我を悪化させてしまえばそれこそ無意味だ。
いつもの何倍もの時間をかけて、松葉杖を操って家への道を歩く。ようやくウィリアムズ家の屋根が見えてきた頃には、もう腕がパンパンになっていた。
しかし今日がいつもと違うのは、俺の足だけではない。
「で、何でみんなついてきてんだよ」
俺はくるっと振り返る。そこには和久田君、キム、ニカウの1年生トリオが並んで立っていたのだった。
「そりゃあまあ……」
「怪我した太一が心配だからに決まってんだろ」
「だよねぇ」
「見え透いた嘘吐くな!」
白々しい1年生どもめ。全員目が泳いでいる。
だが今日はそれだけではない。
「ホームステイ先のお姉さんに日本から遊びに来た幼馴染だぁあ? 羨ましすぎんだよこのデブ!」
どこで聞きつけたのか、U-15フルバックのジェイソン・リーも怨嗟と嫉妬で狂いそうな顔を貼り付けて、ついてきていたのだった。
うん、この人からは一切の虚飾が感じられないな。漫画だと血の涙とか流しそうな勢いだ。
「同じ屋根の下で女の子2人と暮らしているとか、どこのジャパニーズ・アニメだよ! これはあれか、部屋入ったら着替え中で『きゃあ太一さんのエッチ!』とかいうやべー日常を楽しんでるのか!?」
「そんな妄想できるジェイソンの方がやべーよ」
的確なツッコミを入れるキムはじめ、1年生4人がドン引きする。
今日はアイリーンがネットボール部の練習で帰宅が遅い。彼女を介して追い払うこともできず、どうしようかと頭を抱えたその時だった。
「あ、太一おかえり!」
俺は慌てて頭を上げた。
なんと、外出していたのか道路の向こうから南さんがこっちに向かって歩いてくるではないか!
手にはビニール袋を提げている。おそらく近くの店まで歩いて買い物にでも出ていたのだろう。
「あら、お友達?」
当然、俺の後ろのオマケどもにも気付いた彼女は興味ありげに男子4人組を覗き込む。
そして大方の予想通り、真っ先に反応したのはアホのジェイソンだった。
「はい、ジェイソンと申します。太一君とはいつも仲良くさせてもらっております」
さっきのめらめらと燃やしていた炎はどこへやら、ピカーンと輝く白い歯を見せつけてジェイソンは爽やかな笑顔を南さんに向けた。




