第十一章その5 ラグビー……もう疲れちゃった
一日目の試合はすべて終わり、俺たちはバスで新横浜駅近くのホテルに向かう。ここは新幹線駅の近くとあって大きなホテルが密集しており、宿泊施設には困らない。
だが驚いたことに、なんと他のチームも同じホテルで宿泊していたのだった。大会出場選手のために協会が用意してくれたのだろう。
夕食はホテルの食堂で食べ放題のバイキングだ。ハムに巻き寿司にローストビーフに、和洋中様々な料理が大量に並べられ、俺たちは席から立ってさらに料理を盛っていく。
しかし小学生とはいえラガーマンばかりとなると、食べる量も半端ない。ホテルのスタッフは並べてはたちまち消えていく料理を、目の回る忙しさで次々と作っては配膳していった。本当、ご苦労様です。
そしてこの夕食は同時に、他のチームとの交流の時間でもある。
「いや、そっちのフォワード強過ぎでしょ」
「いやいや、あんな凄いパスうちの県じゃ見たこと無いよ」
あちこちでチームの垣根を越えて子供たちが談笑している。勝ち負けだけでなく、こうやって親睦を深めるのもスポーツの良いところだなと、俺は大皿に山盛りの炒飯を盛りながら聞き耳を立てていた。
「よう、久しぶりやなぁ」
そんな俺に背後から話しかけてくる少年が一名。手にした皿には溢れんばかりの酢豚がのっかっていた。
「あ、石井君!」
そう、大阪代表天王寺スクールの誇るフッカーにして将来の日本代表、石井君だ。
昨年の時点で今の俺ほどの大きさのあった彼は、1年経ってさらに大きく成長していた。もう相撲部屋にしれっと混ざっていても、誰も違和感を覚えないだろう。
「カップ戦出場おめでとうな。まさか金沢、あの小倉南まで倒してまうくらい強くなってたんやなぁ」
「そんなの、天王寺もきっちり勝ち進んでるじゃないか。明日はもっと強いってこと見せつけてやるからな」
「ほう、おもろいこと言いよるなぁ」
カップ戦に進んだのは俺たち金沢に加え、大阪代表天王寺スクール、京都代表伏見桃山スクール、大阪代表堺スクールの4チームだ。さすが激戦区、関西からは今年も3チームが上位に進出している。
そして俺たちの次の相手はなんと伏見桃山だ。こちらも驚異的なフットワークが武器の将来の日本代表、秦君を擁している。菅平では金沢は完封させられてしまった因縁の相手でもある。
そんなこんなで夕食を済ませた俺は、部屋に戻るため食堂を出る。
「おい、いたか?」
「いや、こっちにもいない」
だがエレベーターホールに差し掛かった時、あっちにこっちに走り回る少年たちの姿を目にしてふと足を止めた。どうやら誰かを探しているようだ。
「どうしたの?」
俺が声をかけると、少年は「あ、金沢の」と瞬きする。シャツには『小倉南ラグビースクール』とプリントされていた。
「すみません、うちの和久田、見てませんか?」
和久田君は食事をさっさと済ませると、先に部屋に帰ってしまったらしい。だが他のメンバーが戻ったとき、部屋に和久田君はおらず、携帯電話も荷物も部屋に残されていたそうだ。
フロントのスタッフからは和久田君が外出するのを見ていないと聞いた。そうなるとまだホテルのどこかにいる可能性が高い。
「トイレか?」
「どっかの部屋に隠れてるのか?」
思い付く限りの場所を当たる仲間たちに混ざって、俺も彼を探した。
そんな時、非常階段の看板が目に入る。防火性も備えた金属製の扉が、ずんと立ちはだかっている。
俺は誘われるようにドアノブに手をかけると、重々しい音を立てながらも金属扉はゆっくりと開いた。
まさか。なんとなくだが直感に従い、俺は非常階段を上った。
そして勘は的中した。最上階、屋上に続く扉の前に、九州ナンバーワンスクラムハーフの和久田君は小さく座り込んでいた。
「和久田君!」
「あ、小森君。カップ戦進出おめでとう」
そう言って笑う和久田君の顔には、困憊の色が見えていた。
「おめでとう、じゃないよ。どうしたのさこんなところで」
俺はしゃがんで和久田君と目線を合わせる。彼は三角座りのまま顔を埋めると、弱々しく漏らしたのだった。
「ラグビー……もう疲れちゃった」
「疲れた?」
「僕、練習の時はもちろん、学校でもお風呂でもご飯の時でも、ずっとラグビーのことばかり考えてきたんだ。何するにもラグビーのため、勝つためだって、そのためならどんなこともしてきたんだ」
和久田君はぽつぽつと話す。その声には諦めもこもっていた。
「でも、今日試合で負けてしまって……しかも僕はトライのひとつも取れなくって。そう思うと今まで僕は何してきたんだろうって、急にどうでもよくなってきちゃったんだ」
俺は今理解した。なぜこんな日本代表にもなりそうなプレーヤーである和久田君のことを、なぜ名前すらも聞いたことが無かったのか。
やり直す前の人生、小学校か中学校か、はたまた高校かはわからないが、彼はどこかで負けてしまったのだ。
和久田君は父親がラグビー名門校のコーチで、物心ついた頃からラグビーをやってきたと聞いている。きっと俺には想像もできないほど、凄まじい指導を受けてきたのだろう。
物腰柔らかく内気な性格だが、ラグビーに対する理想は誰よりも高く、それに見合う自信も備えている。そんな自分がこれまで12年の人生すべてかけて注ぎ込んできたラグビーで、一番の大舞台で敗れてしまったら?
一種の燃え尽き症候群だろう。昨年の準優勝という成績にも及ばなくなってしまった今、和久田君の自我は今まさに崩壊寸前だった。
ここで強く言っても逆効果だと、なんとなくそんな気がする。俺は彼の隣によっこいしょと座り込み、「和久田君」と切り出した。
「聞いてくれよ。俺、来年からニュージーランドに留学することになってるんだ」
顔を隠したまま、和久田君の身体がびくっと震える。
「コーチから聞いたんだけど、ニュージーランドじゃ中学生の年齢で身長2メートル近くある子がいたり、体重が120キロあったり、100mを11秒台で走ったり、とにかく日本よりずっとレベルが高いらしい。運動神経の良い子が、みんなラグビーをプレーするからだってさ」
何話してんだ、突然?
きっと和久田君もそう思っているだろうが、話は聞いているようで少しだけ目を覗かせる。
「たぶん俺があっち行っても、よくいる珍しくもないただのデブにしか過ぎないだろうし、なかなか勝てるもんじゃないと思う。でも俺は行くよ、負けるとわかっていても。だって今負けたことって、いつか必ずもっと大きな勝ちにつながっているって思うから」
そこで和久田君ははっと顔を上げた。よし、あと少しだ。
「よく考えてもみろよ。金沢が今日勝てたのは、前に和久田君たちに負けたからなんだぞ。あの練習試合がなかったら、俺たち関東大会で負けてたかもしれないってくらいピンチだったんだから」
そう話す頃には、和久田君の顔からは先ほどのずんと沈んだ重々しさも消え去り、代わりにいつもの奥手ながら闘志溢れる凛々しさが宿っていた。
「ねえ小森君」
少し間を置いて、和久田君が俺の方を向いた。
「僕もいっしょに行っていい? ニュージーランド」
これは予想していなかった。俺の方が驚かされて、言葉を失ってしまう。
「僕、もっと強い相手と戦いたい。たくさん負けて、そしてもっと強くなりたい」
「もちろん。てかひとりだと心細いから是非!」
俺は和久田君の肩を強くつかむ。彼の実力なら、いっしょにニュージーランドに行ってもきっと大丈夫だ。
「うん、ありがとう」
そしてぱあっと明るい笑顔を向ける和久田君。彼の目からは一筋、涙がつーっと伝っていた。
「ねえ小森君」
そして涙を拭いながら、和久田君は続ける。
「僕は明日プレート戦で優勝する。だからそっちは絶対にカップ戦で優勝してね!」
「当ったり前よ!」
これはラガーマンの約束だ。俺と和久田君は握り拳を突き合わせた。




