第十一章その1 地元の声援
寒さと乾燥で耳も痛く思えてくる2月。
ヨーロッパでは欧州最強国を決める六カ国対抗、いわゆるシックス・ネイションズが大詰めを迎えている。毎年繰り返される伝統の熱戦であるが、今年はワールドカップを控えているとあって各国の仕上がり具合を見定めるには絶好の機会、世界のメディアとラグビーファンが大会を注視していた。
一方、日本ではRリーグが全ての日程を終えてシーズンオフに突入し、スタジアムではアマチュアのラグビー選手が汗を流していた。俺たちの属する小学生ミニラグビーにおいても、16チームが争う全国大会が開催される。
そして今年の開催地はなんと……我らが横浜市の日産スタジアムである。
「すっご……」
早朝、誰もいない芝の上に立った金沢スクールのメンバーは、普段見ることのできない日本最大規模の競技場の壮観に茫然と口を開いていた。
「でっけえ……」
コートの上から見る7万人以上収容のスタジアムの景色は圧巻の一言。巨大なスタンドにぐるっと周囲を取り囲まれ、まるで自分が世界の中心に立っているような気さえする。
4年前、ワールドカップのスコットランド戦で俺が座っていたのはこの中の席のひとつに過ぎなかった。しかし今、俺はその真ん中にいる。いつの間にか立つ場所が変わってしまったと思うと、ラグビーに尽くしてきた数年間の苦労も報われるというものだ。
早朝からバスでここまで来た俺たちは、もう3時間ほどでこの場で最初の試合を迎える。今は静寂に包まれている朝の巨大競技場は、その時になればどれほどの歓声に包まれるのだろう。
ちなみに大会はこれまで通り今日、明日と2日にわたって開かれるので、今夜はメンバーみんなで近くのホテルに宿泊することになっている。トラブルで試合に間に合いませんでした、とかなったら笑いごとにすらならないからな。
開会式の時間が迫るにつれて、観客席には人が入り始める。
「おい、見ろよあれ」
入場ゲートからスタンドを覗いてみると、この大会のために全国から多くの人が集まっているのを改めて実感する。
観客席では京都代表伏見桃山スクールや、大阪代表天王寺スクールらチームの応援旗が広げられ、ベンチ入りを逃した選手や保護者、各地協会の関係者が今か今かと開会を待ちわびていた。
「はは、スター選手になった気分だな」
さすがの西川君も乾いた笑いを浮かべている。陸上トラックを備えているので観客席までは距離があるものの、その分規模も大きいのでこれまでのスタジアムとはスケールが違うのだ。
だが俺にとって一番の心配は、この舞台ではない。そんなもんボールを持ってコートの上に立てば、周りの声もすべてシャットアウトできる。
「串田君、大丈夫?」
ここに来てからというものいつもの天真爛漫っぷりはどこに置き忘れてしまったのか、壁際にじっとうずくまっている5年生プロップに俺は声をかけた。
「はい、平気です」
串田君はにかっと笑って答えるが、やはりその笑顔はこわばっていた。
だか彼がこうなるのも仕方ない。何せ金沢と同じグループに、串田君の古巣である小倉南がいるのだから。
俺たちと同じ組になったのは奈良代表生駒山スクール、三重代表鳥羽スクール、そして福岡代表小倉南スクールだ。カップ戦に進むにはこの4組のトーナメントを勝ち抜くしかない。
そして勝ち進んだ場合、小倉南とは2回戦で当たることになる。実力を発揮すれば小倉南の一回戦突破は堅く、逆に俺たちは1回戦で激戦地関西を勝ち抜いた生駒山スクールにだって敗れる可能性もあるのだ。
「油断ならねえな……」
思わず俺は呟いた。
ここから先、楽な試合はひとつとしてない。毎試合死力を尽くさねば、1トライも奪えず終わってしまうだろう。
「なんだなんだ、まだ開会式も始まってないのに、もうお葬式みたいなムードになっちまって」
キャプテンの浜崎が軽口をたたく。しかし彼自身も声が震えて裏返っており、いつものようにキレの良い口上は鳴りを潜めていた。
「お、おーう! みんなやっちまおうぜ!」
チアゴが威勢よく拳を振り上げる。しかしあからさまなまでの空元気に、他のメンバーも「おう……」と気弱な返事しかできない。
ここに来るまではみんな日産スタジアムとかすげー、なんて言っていたのに。いざ巨大な観客席を目にすると、プレッシャーですっかり委縮してしまっていた。
「金沢スクール、がんばー!」
その時、外から聞こえてきた声に俺たち全員がびくりと顔を上げた。
慌てて入場ゲートから顔を出し、観客席に目を向ける。
なんとそこには、俺たちもよく見知った顔が並んでいたのだった。
「太一、勝ったらサンマーメン無料食べ放題な!」
「ホームのチームは勝率に有意な差が出るよ! つまり勝てるよ金沢は!」
「小森、あんた亜希奈のためにも死ぬ気で頑張りなさいよ!」
クラスのみんなだ。ハルキや『先生』といった男子だけでなく、伊藤さんをはじめとした女子、そして本物の先生も来てくれている。
「小森君、いっちゃえ!」
当然、南さんも立ち上がっていた。
そう名指しで応援されたのが聞こえたのか、にたっと笑ったチアゴが俺の脇腹をつんつんとつついてくるので、俺は頭を一発小突き返してやった。
「負けんじゃねえぞ金沢!」
「俺たちに勝ったなら勝ってこい!」
「優勝しねえと化けて出るからな!」
関東大会で戦った立川スクールのメンバーもユニフォームを着て集まっている。それだけではない、県予選や関東大会で戦ったチームも、このスタジアムに駆けつけていた。
そんなみんなの顔を見ていると、目の奥の方がじわっと熱くなってくる。雰囲気に気圧されていた金沢のメンバーも親しい顔を見つけてか、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
「みんな、ちょっと聞いてくれ」
そんな中改まった様子で、浜崎がこほんと咳払いする。
「ラグビーの感謝はラグビーで返せ。今テキトーに作った名言だ」
それは名言とは言わんだろ。けれども言いたいことは分かる。
「ホームの応援を無駄にするな、応援してくれるみんなのためにも、全力で行こうぜ!」
浜崎の気迫のこもった言葉。俺たちは一体となって「おう!」と返した。
さあ、6年間の集大成だ。全力でぶつかっていこう!




