第十章その6 覚悟
「小森、あんた亜希奈の気持ちにちゃんと応えてあげてる?」
伊藤さんは例の行き止まりの階段まで俺を連れて行くと、後ろで束ねた髪を揺らしながら感情を無理に抑え込んでいるような声で尋ねてきたのだった。
伊藤さんもここ最近まで受験があったので周囲のことにあまり関心を向けられなかった。だがそれでも、俺と南さんの関係が今一ぎくしゃくしたままであることは察している。
「どうにかしたいんだけど、うまくいってるとは言えないね……」
俺は目を逸らしながら小さく答える。
「なるほど、あんたもちゃんと考えてはいるわけね。じゃあ彼氏として、これからどうするかは決めてるの?」
「いや、彼氏ってそんな」
「え、違うの?」
きょとんとした目を見せる。普段、彼女はこんな顔、滅多に人に見せない。
「うん、実はまだ……」
やっぱり周りからはそう見えるんだろうな。そりゃあそこまで親しくしていたんだもの、仕方ない。
本当、あの楽しかった頃のように過ごせるにはどうしたらよいものか……。
「情けないわね、男のくせに!」
途端、伊藤さんの口から鋭い叱責が轟く。あまりに突然のことだったので、俺は雷に打たれたように跳び上がって硬直してしまった。
伊藤さんはぎろりと目を吊り上げて一歩一歩と俺に迫る。その瞳は怒ってもいるが、まるで今にも泣き出しそうなほど潤んでいた。
「亜希奈はあんたから好きだ、付き合ってくださいって言われるのをずっと待ってたのよ! 周りからはどう見たって付き合っている関係でも、ちゃんと言葉を交わして恋人として認められないとダメなのよ。あんたずっと一緒にいて、そんなことにも気付いてなかったの!?」
そうまくし立てながら、彼女は俺の突き出た腹を手の平で何度も押してくるので、勢いに負けた俺はただただ後退するしかなかった。
伊藤さんの気迫に圧されていただけではない。彼女の言う通り、俺はまだ南さんに対して一度も「好きです、付き合ってください」と自らの気持ちを打ち明けたことは無い。
俺はずっと受け身のままだった。南さんから好意を寄せられているのはとっくの前から気付いていたし、実際に彼女の好意に甘えていっしょに楽しく過ごしていた。
彼女はあんなにアピールしてくれていたのだ。それに乗っかりながら、俺は何もしていなかった。そのことに今ようやく気付いて、俺は何も反論できないでいたのだった。
「留学するあんたに向かって亜希奈の方から付き合ってくださいなんて言えるわけないでしょ。亜希奈にどうして欲しいのかあんたの態度がはっきりしないせいで、あの子はあんたにどう接すればいいのかわからなかったのよ。あんたそこまで考えたことある!?」
言い返す言葉も無い。ただただ俺は黙っていた。
そんな俺をひとしきり怒鳴り散らした伊藤さんはやがて感情の高ぶりも収まったのか、ふうと一回溜息を吐く。そしてさっきまでの激昂が嘘のように、静かに諭すように話し出す。
「別に亜希奈を振ったってかまわない。付き合いたくないなら断っても私は責めない。でもね、どっちつかずの宙ぶらりんな態度は絶対にダメ、男ならどっちか覚悟を決めなさい」
俺はうんうんと頷いた。中身30超えて小学生にこんな風に叱られるなんて悲しくなるが、これは小学生だからと内心で南さんを軽く見ていた俺に対する罰なのかもしれない。
「じゃあ、他の子がもう来てるから、私は先行くね。これからどうするか、白黒はっきりつけなさいよ」
そう言って階段を降りていく伊藤さん。クラスを束ねる女帝の背中は、厳しくも頼もしかった。
「俺がすべきこと……」
ぼそっと呟き、俺はぎゅっと拳に力を入れる。俺はついに覚悟を決めた。
その日、一旦家に帰ってからのことだった。
「小森君、どうしたの?」
人も少ない近所の神社、ランドセルを置いてすぐ走ってきたのか、南さんははあはあと息切れしながら先に境内で待っていた俺に歩み寄る。
スマホで「大切な話があるから、神社に来れる?」とメッセージを送ったら、彼女は「今行く」と速攻で返事を返してきたのだ。
「南さん」
枯れ葉も舞う冬の境内。俺の目の前でぴたりと立ち止まった南さんを見て、俺はぐっと拳に力を入れた。
「長いこと言えなくてごめん。でも中学で離ればなれになる前に、しっかりと伝えておこうと思って」
「へ?」
「好きだ」
俺の発した一言に、南さんはぽかんと口を開けて固まっていた。風が吹いて髪の毛が乱れても、直すこともできないほどに。
「俺、やっぱり南さんのことが好きだ。ニュージーランドに行っても、その気持ちはずっと変わらない。だから……これからも、中学が別になっても、留学しても、ずっと好きでいてほしいんだ!」
南さんが顔を隠すように、そっと自分の口を押さえる。それでも彼女は何も言い返すこともなく、じっと俺に目を向けてこちらの話を聞いてくれている。
「約束するよ、俺はニュージーランドでもっとラグビーうまくなって、そして日本に戻ってくる。その時、南さんにはまた俺といっしょにいてほしい」
俺は言いながらそっと手を伸ばした。
彼女は差し出された俺の手を両手でつかむ。冬なのに温かい、心地よい人肌だった。
それを南さんはゆっくりと自分の額に当て、そのまま顔をうずめてしまった。それからしばらく、彼女はこの状態で止まってしまう。だがしばらくして再び顔を上げた時、彼女は目からぼろぼろと涙をこぼしていた。
「そんなの、当たり前でしょ」
頬は赤く染まり、わき目もふらず嗚咽を漏らす。人前では泣かない彼女の、初めて俺に見せる顔だった。
「私はずっとずっと前から、その気持ちだったよ」
そして頬に涙を伝わらせながらも、南さんはにこりと微笑みを見せてくれたのだった。
「南さん……!」
告白というかつてない大仕事を成し遂げた達成感と幸福感のせいか、俺は目の前のすべてが最高の物事のようにさえ思えた。薄暗さを帯びたこの時間の空も光が差し、何でもない冬の境内の景色でさえもまるで絶景のように映る。
そして同時に決心もする。俺はこの子のためにラグビーを続けていくんだと。
将来、日本に戻って最高のプレーを南さんに見せるために。
「と言うかね」
そう感慨に浸る俺の手を振り払い、南さんは涙をたくわえた笑顔のまま一歩俺に近付く。
「さっさと気付け!」
そして表情を何一つ変えないまま、彼女は俺の腹に拳を一発ドスっと打ち込んだのだった。今の一撃はいけないところに入ったようで、俺は「おうふ!」と情けなくも崩れ落ちる。
そんなこんなで俺たちはようやく一歩、上の段階へと進むことができたのだった。




