第七章その3 因縁の対決
午後になっても会場には冷たい風が吹き続けた。観客もこの寒さに耐えられなくなってきたのか、朝一番のような元気な応援はなりを潜めている。
ブロックトーナメント2戦目。いよいよ超強豪天王寺ラグビースクールとの決戦だ。
ここで勝ったチームがカップ戦トーナメント、つまり1位を賭けた戦いの場に進むことができる。逆に言えば負ければその時点で優勝の可能性は無くなるのがこの大会のきびしいところだ。
「勝てるかな、本当に……」
コートの上で不安に駆られる俺。身体が震えているのは寒さのせいだろうか。
その時、俺の耳に聞き慣れた声が届く。
「小森くーん!」
はっと飛び上がり、きょろきょろと周囲を見回す。そして観客席に目を向けると、そこにいるはずのない人物が座っていたのだった。
「み、南さん!?」
なんと、同級生の南さんが観客席の最前列で大きく手を振っていたのだ。
まさかの応援のために来てくれたのか。それもわざわざ神戸まで。
「ひゅー羨ましいな小森、カッコいいとこ見せてくれよ」
俺と南さんの顔を交互に見比べ、浜崎が茶々を入れた。こいつは初詣ですでに南さんと会っているから、俺と彼女の関係も概ね把握している。
「うるさい!」
俺は浜崎の背中をバシンと叩く。うちのスタンドオフは痛みで顔を歪ませながらも、にへっと下品に笑っていた。
しかしおかげで緊張が取れた。ガチガチに固まっていた身体も、幾分か楽になった気がする。
そして試合前の挨拶、両チームが一列になって顔を合わせる。
「まさかホンマに全国で会えるとはなぁ、嬉しいで、俺」
俺の目の前に立ったのは石井君だった。夏に会った時より、縦にも横にもさらに大きくなっている。
「そういう約束だったからね。今度も絶対に負けないよ」
「でかいこと言うやんけ、お互い手加減は一切なしやぞ」
試合前の舌戦も、石井君は楽しんでいるように見えた。
「こら、無駄口叩くな!」
鬼頭君にぴしゃりと叱られ、そこからは俺も石井君も黙り込む。
そしてホイッスルとともに試合が始まった。試合開始早々、天王寺は大柄なフォワード3人を横一列にした強行突破を図る。
「させるか!」
俺がタックルで前進を止めるが、相手はその直前に別のフォワードにパスを回していた。ひとりひとりが重戦車のような体格だ、タックルを入れても倒し切ることはできず、むしろこちらの方が体力を消費している気さえする。
そして前線の守備が乱れ始めた時、石井君はすかさずバックスにボールを回す。受け取ったのは敵のウイングだった。
ウイングは立川の馬原君にも劣らぬ快足を見せ、俺たちの守備をかいくぐる。
「まずい!」
単騎芝の上を駆け抜ける敵ウイング。だがそこにフルバックの西川君がとびかかり、寸でのところでトライを防いだのだった。
ほっと一安心するものの、ずっとこの状態が続くのはマズい。相手が無尽蔵のスタミナの持ち主であることは夏の練習試合でも証明済み、持久戦に持ち込まれて不利なのはこちらだ。
その後、試合は互いに何度も攻め込む機会を作りながらも得点まではつながらず、0対0のまま時間だけが過ぎていった。金沢ボールで再開するも相手はまるで動きを読んだかのように対応し、守備の裏へボールを回すことができない。
後半になっても試合展開は変わらなかった。むしろ時間経過とともに金沢スクール全員が息切れを起こし、徐々に徐々に自陣側に後退させられている。俺たちがこの窮地を脱するには、相手の隙を突いてカウンターを仕掛けるくらいしかない。
そして後半もあとわずかとなった時のこと。相手のミスで俺たちボールのスクラムを獲得しての再開というチャンスが巡ってきたのだ。
「残り時間からするとラストチャンスだ、絶対にトライを決めるぞ!」
「みんな、死ぬ気で攻め込めや!」
両軍のキャプテンがそろって自分のチームを鼓舞する。
ここが正念場だ。俺たちフォワードは無言で頷き合い、そこら中すり傷だらけの身体を鞭打ってスクラムを組んだ。
フォワードが腕を回してスクラムを組み、その真ん中で鬼頭君がボールを足で後ろに転がす。
そのボールをスクラムハーフが掴んで持ち上げた瞬間、相手スタンドオフがだっと駆け出し、金沢の司令塔であるスタンドオフの浜崎にプレッシャーをかけてきたのだ。
「ええ、あ!」
浜崎は素早く後ろにパスを回したものの、突如近付いてくる相手に手元が狂ったのか、送球のコースが乱れてしまった。そして至近距離で勢いづいたボールをパスされたバックスはそれを受け止め切れず、前に落としてしまったのだった。
「ノックオン!」
無情にもレフェリーの声がスタジアムに響く。
金沢のメンバーはええっと目を点にして、そのまま2秒ほど固まってしまった。終了間際に訪れた大ピンチに、歓喜に沸き立つ天王寺メンバーの脇で俺たちは言葉を失う。
「ごめん、みんな」
致命的なミスを犯し、今にも泣き出しそうな浜崎。そんな彼にフルバックの西川君が駆け寄ると、「気にすんな、まだ勝負はついてねえよ」と優しく背中を叩いた。
「絶対にここを守れ! あと少しだ、みんなならできる!」
鬼頭君がその名の通り鬼のように吠えながら俺たちを立ち直らせる。フォワードは急いでスクラムの準備をし、バックスはゴールラインを守るため横一列になって最終防衛ラインを形成した。
俺たちのゴールライン前ギリギリでの相手スクラム。相手はスクラムからボールを出した途端、すぐにバックスにボールを回してそのまま全力で突っ込んできたのだった。
すぐに西川君がタックルで相手の前進を防ぐ。しかし敵は倒れると同時に別選手にボールを回し、その選手もまた身体を低くして弾丸のように突破を図る。急いで俺がタックルで押し倒すも、やはりボールはすぐに別選手に回されるのだった。
相手はまったく手を抜く様子がない。力づくで身体をねじ込ませ、強引にトライを奪うつもりだ。
何度も何度も、タックルとパスを繰り返す必死の攻防戦。観客の応援のボルテージも最高潮に達し、「いけいけ!」「守れ!」といずれのサイドも声が枯れるまで大声を出し続けた。
そしてとうとう、相手はついに石井君にボールを回す。彼なら今の疲弊した俺たちなんて軽くぶっ飛ばしてしまうだろう。
それだけはさせまいと、俺と鬼頭君はふたりがかりで止めに入った。
しかし彼はそれを見越していた。金沢から重量級ふたりがタックルに加われば、天王寺に数的優位が生まれる。
石井君は躊躇する暇もなく、別のバックスに素早くパスを回したのだ。
しまった、と思った時には既に遅かった。ボールを受け取ったバックスは守りの薄くなっていたタッチライン近くまで全速力で駆け抜けると、そのままゴールラインに飛び込んだ。
そこに駆けつけた西川君が敵選手にタックルを入れる。真横からの鋭いタックルに体勢を崩し、よろける敵バックス。
しかし相手はタッチラインの外に押し出されるより先に、ボールをゴールラインの真上に叩き付けていたのだった。
「トライ!」
レフェリーの声を聞いて、ゴールを決めたバックスは立ち上がって雄叫びをあげる。同時に、試合終了の笛が響き、天王寺の勝利は確定した。
トライを奪ったバックスに天王寺のメンバーが駆け寄り、全員で抱き合って勝利を喜ぶ。一方の金沢スクールは全員が足元から崩れ、芝の上にへたり込んでしまった。
「くそ、くそ、くそ!」
何度も何度も地面を叩きつける西川君。彼がこれをするのは、心の底から悔しく思っている時だけだ。
「そんな、あと少しだったのに……」
試合終了と同時に全身が痛み出した。試合の興奮で脳が痛覚を遮断していたのが、そのスイッチがいきなり切れてしまったようだ。
「無理だ、このまま延長戦になっても結局は押し切られていた。あそこまで攻め込ませてしまった時点で、俺たちは負けだったんだよ」
隣で座り込んでいた鬼頭君が冷静に言い放つ。しかしその顔を見ると強く歯を食いしばり、悔しさを必死にこらえているのは明らかだった。
だが彼は数秒間の沈黙の後、突如前触れも無く力強く立ち上がったのだった。
「おい、何ボケっとしてんだよ」
そして茫然自失する金沢のメンバーを見回し、怒鳴り散らす。その声にメンバーは我に返り、キャプテンに顔を向けた。
「試合には負けたけど、俺たちはまだ終わってはいない。順位決定戦があるだろ」
そう、これで全国大会は終わりではない。明日、5~8位を決定するトーナメントが俺たちを待っている。
そしてこれはただの順位決定戦ではない。このトーナメントで優勝したチームには、皿を象ったトロフィーが贈られるのがラグビーの良いところだ。
「プレート優勝、何が何でも成し遂げるぞ」
強く言い放つ鬼頭君。彼の力強い言葉に俺たちはうんと頷き、ひとりまたひとりと立ち上がったのだった。




