第三章その6 終わらない祭り
「うわ、すっごい人数」
次の日曜日、ラグビースクールの練習と並行して開かれた体験入校には、普段からは考えられないくらいの人数が参加していた。
先週のアイルランド戦に続いて、日本代表は昨日のサモア戦でも勝利を収めた。特に最後のスクラム合戦はまさに両国のフォワードが死力を尽くした激闘で、結果を知っている俺でも思わず手に汗握ってテレビに見入ってしまった。
アイルランド戦をきっかけにラグビー熱が急激に高まったところでの、最初の試合だ。その試合の詳細は大々的に報道され、野外に設けられたパブリックビューイングには大勢の人々が押し寄せスタジアムにも劣らない声援を画面の向こうに送った。
ラグビーが定着した未来の世界でも、ここまでの熱狂は珍しい。やはり地元開催という追い風は大きいようだ。
そして勇敢な選手たちのプレーを見て、うちの子にもラグビーを習わせたいと思う親が現れるのも自然な流れ。全国各地のスクールで体験入校が超満員になっていた。
そりゃラグビー界も乗るしかないよな、このビッグウェーブに。
そんな金沢スクールの体験入校生はほぼ全員がラグビーボールを持つこと自体初めてで、まともな投げ方も身についていない。しかしただひとり、すでに何年もラグビーを続けているかのような動きで他を圧倒する子がいた。
「おい、あいつ本当に初心者か?」
ざわついた上級生が指差すのは、うちのクラスの西川君だった。
他を置き去りにする快足、敵の妨害を出し抜くステップ、さらには正確なキック。すぐ近くで繰り出される異次元のプレーに、スクールの生徒もまったく練習に集中できなかった。
あれ以降3年1組の面々は、毎日放課後のラグビーに打ち込んでいる。他のクラスの児童も混じって人数も増えたので、最近では紅白戦もできるようになったほどだ。
そこですでに絶対的エースに君臨していた西川君は、やはり経験者と比べても遜色ない技量を持ち合わせていた。彼が入校してくれれば金沢スクールが一気に強くなってくれること間違いなしだ。
「こら、ボケっとしてないで練習しろ!」
コーチからのお叱りに、俺たちは急いで練習に戻る。
身体のでかい俺は5、6年生を相手に練習することもあった。9人制ミニラグビーで揉まれた高学年の動きは中学年のものとはレベルが違う。小柄な選手でもタックルで俺を倒してしまうこともある。
だが今日の上級生のプレーには、いつも以上に力がこもっていた。
パスは受け取る側のことをまったく意識していないほど鋭く速く、隙あらばキックで守備の裏を取ろうとする。さらにはふたりがかりでのタックルなど、まるで俺に恨みをぶつけてくるかのような仕打ち。
「なんだか今日、いつもより当たり強いですね」
俺は倒されて打った背中の痛みに顔を歪めながら、ドリンクを飲む5年生に声をかける。
「すまん、でもあいつが入ってきたら俺のポジションがやばいんだ。今は良くても中学3年になったらいっしょにプレーするから、追い越されないようにみんな必死なんだよ」
そう苦々しく返す上級生に、俺はまあそうだわなと同意した。
強い選手が加わることはチーム全体の士気にもつながるようだ。
「はぁー、おもしろかった!」
すでに時計は10時を回っているにもかかわらず、夜空の下の俺は興奮して落ち着かなかった。俺は自分の着た日本代表ジャージの裾を握りしめ、溢れ出る興奮を少しでも和らげた。
日産スタジアムこと横浜国際総合競技場。収容能力7万2000人以上の日本最大の競技場を67666人が一斉に後にすると、最寄りの新横浜駅までの道はぎっしりと人で埋め尽くされた。
あんなに声を裏返してはしゃいだのに、人々の熱気は未だ冷めやまぬようで、あちこちから日本語やら英語やらで歓声が聞こえてくる。
「最高の試合だったな、この日のために生きてきたんじゃないかって思うくらいだったよ」
俺と同じ赤のボーダーに桜のエンブレムのジャージを着た父さんも、声を子供のように昂らせる。
この日はグループリーグ最終戦、日本対スコットランドの大一番。
現在全勝の日本と、すでにアイルランドに1敗しているスコットランド。両者決勝トーナメント進出を賭けた、どちらに転ぶかまったく予想のつかないカードだった。
結果は28対21で日本の勝ち。だがその内容は前半に差をつけた日本が、後半粘り強く追い上げてきたスコットランドからなんとか逃げ切ったという薄氷の勝利だった。もしもっと長く試合が続いていたら、結果は変わっていたかもしれない。
そんなひとつの試合としても名勝負と呼ぶにふさわしいものだが、この試合の持つそれ以上の意味に、世界中の人々が興奮した。
グループリーグ全勝での決勝トーナメント進出という歴史的瞬間を、俺はこの目で目撃したのだ。
1987年から始まったラグビーワールドカップの歴史において、日本のようなティア1以外の国がグループリーグで全勝したのは初めてのことだった。前回大会で3勝1敗ながら勝ち点の差で決勝トーナメント進出を逃した初めての国になった日本は、またしても新たな偉業を世界のラグビー史に刻み込んだのである。
前の人生では俺はまだ小さく、当時はラグビーにもそこまで関心が無かったので流行ってるなくらいにしか思っていなかった。知識として日本ラグビーはここから盛り返したと理解しているくらいだった。
だが当事者としてこの時代の熱狂を改めて体験してみると、たしかにこれはセンセーショナルな出来事だわと実感する。
ここからプロリーグの創設や南半球対抗戦への参加で日本のラグビーが躍進するのかと思うと、この2019年10月13日というのは歴史が動いたまさにその日だろう。
明日の学校は、またラグビーの話題で持ち切りだろう。
で、ラグビーボールを持ってきたハルキが教室でパスをして、先生に見つかって雷が落ちる流れまでが目に浮かぶ。




