幕間 月野優の献身
─~♪~♪~♪─
輝と共に生徒会へ向かう道中、懐から着信音が聞こえてきた。画面を見ると、どうやら結愛からの電話らしい。
「…っと、ごめん輝。結愛から電話だ」
俺は通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。すると聞こえてきたのは、知らない声だ。
《もしもし、副会長? ごめん番号を知らなかったから結愛の携帯貸してもらったよ》
「…あなたは?」
《演劇部、副部長の火野 聡です、ちょっと頼み事があって。……副会長さ、"女装"するでしょ?》
俺は驚いた。それは誰にも言ってなかった事実だからだ。
「えっ、ああ…するけど……どうして知ってるんだ?」
《俺もそうだから。なんつうか…雰囲気で分かったんだよね》
「凄いな…、俺は貴方のこと女性だと思ってたけど……」
《ほんと? へへっ、それ以上の誉め言葉は無いかもね。…で、頼みっていうのがさ……炎治部長をお姫様にして欲しいんだ》
…そう言われたところで、理解できる筈もなく。
「……ごめん、もう少し詳しく頼む」
《今度の劇でね、"高身長のお姫様"が出てくるんだ。その役、背が高ければ高いほど深みが出てくるから、是非とも身長194cmを誇る炎治部長に演じて頂きたいんだけど…彼女、お姫様が絶望的に下手でさ。ほんとに、どう頑張っても"王子様"になるんだよね。炎治部長も頑張ってはいるんだけど……やっぱりあの人、恋に落とす側なんだよ》
「…それが、女装とどう関係が?」
《大ありだよ。女装ってのはつまりさ、いかに"可愛く見せるか"って部分があるでしょ? 骨格を隠して、立ち姿を工夫して、声も作って…女の子より女の子らしくあろうとする意思があるよね》
「それを炎治にやると?」
《そ。……まぁ正直言って苦肉の策だよ、これで駄目なら、この台本は諦める…。どう副会長? 助けてくれないかな…?》
「……分かった、でも今からはちょっと…あー、待ってくれ」
マイクをミュートにし、隣の輝を見る。すると俺が口を開く前に、輝は微笑んだ。
「私は構いませんよ。……というか勇気先輩の顔でする女装にとても興味があるので是非そちらを優先しましょう」
「別に、俺が女装するわけでもないと思うけど……分かった。じゃあそうするか」
ミュートを解除し、通話を再開する。
「もしもし聡? ごめん待たせた。頼み事は了解したよ、とりあえず今からそっちに行けば良いか?」
《まじかありがとう! うん、来てくれれば良いよ。待ってるね!》
聡は嬉しそうに笑って、通話を切った。
「じゃあ輝、行ってくる」
「はい、私も近くに居ますね」
輝はそう言って、ふっと消えた。
「結局そうなるのか……」
俺は呆れつつ、演劇部室に急いだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
─ガチャッ─
演劇部室に入ると、そこでは…。
「ちょっと聡ちゃん先輩、なんで私だけ目隠しするんですか?」
「まーまー、こういうのはサプライズにした方が衝撃がおっきいんだって。これから変身するのは結愛のお義兄さんなんだし?」
演劇部副部長火野 聡が、結愛に目隠しを着けていた。しかし優しく、どこかほんわかとした雰囲気だったので。俺は少し安心した。
「来たぞ、聡」
聡の名前を呼ぶと、彼はパッとこちらを向いて目を輝かせる。
彼の姿は、可憐な美少女そのものだった。透き通った空色の髪と、夕焼け色の瞳がきらきらと輝いている。演劇部が騒動を起こしたときよりも着飾っているのは確かであり、人形のように儚く、華やかだ。ただ、声だけは、辛うじて男性のそれであると分かった。
「おー副会長! よく来てくれたね! ささ、早速始めちゃおうよ。更衣室は準備してあるからさ!」
聡は素早く俺の後ろに回り込み、背中を押してくる。
「えっ、待て聡。俺も女装するのか!?」
「当然でしょー、説得力を持たせないといけないじゃん? "大きい男の人でも愛らしい女の子になれます"ってね! ほらほら行こう行こう!」
聡は更に、ぐいぐいと背中を押してくる。
「わ、分かったよ押すな聡…!」
彼の言い分にも納得できるし、俺は仕方なく更衣室に入っていった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
更衣室の中は既に聡が手を加えたらしく。女装に役立つ品が並べられている。
「さ、まずは副会長のお手並み拝見かな。自由に着替えてよ、衣装も沢山あるし」
「…分かった」
化粧品や衣装を流し見て方向性を決めた後、俺は上着を脱ぐ。
「あーそうそう、俺、見学してても良い? 女装仲間って少なくてさ」
「ああ良いぞ、ご自由に」
言いながら、コルセットを手に取った。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──ねぇ、個人的に聞きたいことあるんだけどさ、色々聞いても良いかな」
作業中、ふと聡が話しかけてきた。
「良いぞ、なんだ?」
「女装のきっかけ…聞きたい。こんな機会初めてだし」
「きっかけか…。"向こうの生徒会"に、"かわいい女の子になりたい男性のためのファッションブランド"を立ち上げたい生徒が居てな、彼女の協力をずっとしてたんだ」
「えっ、それじゃあ頼まれて仕方なく…みたいな?」
「まぁそうかもしれないが…、頼まれ事には乗り気な質だし、結構喜んで協力してたよ。それで暫くしたら、一人で出来るようになってた」
「そうなんだ……その人って、どんな人?」
「どんな人…か」
ふと、彼女の顔を思い出す。いまやずっと遠くに行ってしまったような気がするけど…『相原 理華』が、彼女の名だ。……そうだ、覚えてる。
「彼女は…男性嫌いでな。彼女自身はそれを克服したいと思っていて、辿り着いたのがとある女装配信者だ。その人の女装は完璧で、見た目はもちろん、仕草も、声も"かわいい女の子"だった。それに衝撃を受けた彼女は「男が嫌いなのは見た目が男だからなんだ」と悟って……さっき話した通りだ。今じゃもう、男性を見れば真っ先に「どうしたらかわいい女の子にできるか」を考えてしまうから嫌う暇がないらしいぞ」
「すご…尊敬するわ……」
「だろ? 実際、彼女は研究熱心でな。色々叩き込まれたよ。お陰で俺の女装も"完璧"になってしまった……」
「へっ?」
─かたん─
化粧道具を置いて、立ち上がる。化粧についてはスタートラインの中のスタートライン。今さら語ることもあるまい。ただ"女の子の顔"になれば良い。……その実、習得にはめちゃめちゃ苦労したけどな。
選んだ服は単純に学生服だ。服以外にも色々と手を加えて体つきを調整しており、その上で出来る限り露出を減らして男性らしい身体を隠し、隠す。この辺りは学生服のアレンジセンスの問題だが…、それも理華に叩き込まれたので大丈夫。で、当然ながらスカートだ。この学校、スカートとズボンは選択自由なので敢えてスカートに変える必要など実は全くない、しかし「女装の醍醐味とはつまり"変化"だよ副会長」。要するに、普段と違う方を履けという理華の教えだ。ここまで来るのに並々ならぬ研究と努力があった……。彼女との日々を思い出すと懐かしさで(もしくは辛さを思い出したのかもしれない)涙が出そうになるが…大丈夫、きっとまた会える、だから泣く必要もない。
髪型は普遍的なセミロングを選択した。理華の教えによると、「"飾らないかわいさ"を完成させてこその女装なんだよ副会長!」…とのことだ。まぁ理華の個人的な信念だが、言わば師匠である彼女が言うんだ。だから髪型は複雑にアレンジせず、シンプルなもので勝負する。
そして最も真剣に向き合わなくてはならないのが、仕草だ。つまり"かわいい"の研究、追求である。…これについて理華の談では「可愛い,かわいい,カワイイ,KAWAIIはすべて別のものだし、人によって定義も違うのだよ副会長」らしいから、ここで言う"かわいい"は師匠である理華が定義する"かわいい"だ。小さく、か弱く、柔らかく。この仕草や身振り手振りを磨けば磨くほど、完成に近付いていく。
そうして俺は、"かわいい女の子"になった。服装、顔、髪型、立ち姿。理華に仕込まれた全てを発揮する。そうすれば、誰がどこから見ても"かわいい女の子"に見える筈だ。
「わぁ……! 凄いね副会長! 匠の業だよ! もうどこからどう見たって女の子にしか見えない!」
聡が目を輝かせて俺を見た。…まだ驚くのは早いぞ聡、ここからだ。理華が最も重視していて、最も特訓が長引いた最後の仕上げ。言わば理華の研究、その終着点!
「ありがとう、聡」
完璧な"女の子の声"だ。
「どゥッ!? へェッ!!?」
─ガタッダン!!─
聡はなんとも酷い声を上げ、大きく音を立ててのけ反った。
「だ、大丈夫? 聡」
「だッ…だだ、大丈夫なわけ無いでしょ!? 何してんのそれ!? え、性転換じゃんもう!」
「特訓の成果だよ。血が滲む…直前には止めてたけど、それくらいの特訓」
「やっば……、副会長俺なんかよりも大先輩じゃん……」
「あはは、全部理華のおかげだよ。…あぁ、理華っていうのが、例の私の師匠ね」
「凄い、一人称まで自然に変わってる…。…理華さん、一体何者なんだ……。ってかほんと、"一般的な女子生徒"みたいな風貌なのがヤバいって…! 目立ち過ぎない、社会に自然と溶け込める完璧な姿……ッ!! それでいて底抜けにかわいい! 188cmでその愛らしさ! 凄い、凄すぎるよ副会長!」
「…悪い気はしないかな」
女装の技術や、その姿を誉められることは、つまり理華を誉められている様なものだ。嬉しい筈だよ、生徒を誉められて嬉しくない副生徒会長がどこに居る。
「じゃあ早速皆へ見せに行こう! そして炎治部長をお姫様にしようッ!」
聡はまた素早く俺の後ろに回り込んで、ぐいぐいと背中を押してくる。
「ちょ、分かってるから…! 興奮しすぎだよ聡…」
「こんなときも声の維持出来てるとか奇跡だねまじで…!!」
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─ガチャッ!─
「終わったよ皆ー!」
聡は元気よく扉を開けて、演劇部の皆に報告する。同時に、全員の目が此方に向く。…この感覚、最初は苦手だったけど……気にならなくなるもんだな……。
「──……えっと…どちら様ですか?」
演劇部員、美柳焔が混乱して訊いてきた。気持ちは分かる、俺も別人になっているという自覚があるから。
「星野勇気だよ、私が」
声を作ったまま、俺はそう答えた。
「……えっ? いやいや、だって声……えっ?」
焔は相当な混乱に陥っているらしい。……正直言って、こういう反応を見るのは楽しい。
「副会長、やっぱ君の女装完璧すぎるよ。ここまで来たら女装じゃなくて"変身"だね、比喩じゃなく。じゃあ、皆に信じてもらう為に声戻してあげないと」
「…そうだね」
俺は小さく深呼吸して、声を取り戻す。
「俺が、星野勇気だ。見ての通り女装してきた」
その瞬間、部室内が一気にざわつく。……そうか、今の姿をこういう形で見せるのは初めてだったか。なるほど、手応えありだ。良かったな理華、貴女の技術は、認められているぞ!
「どうかな皆! 体格の良い方だった副会長がここまでになるんだ。この技術を使えば、炎治部長をお姫様にすることだって可能な筈だよ! どうか諦めないで欲しい!」
聡の声に、部員達は顔を見合わせ、頷く。その後代表してか、焔が一歩前に出る。
「副会長、私からもお願いして良いですか? 炎治部長、あれからずっと元気が無くて…。やはり演劇を通して元の姿を取り戻して差し上げたいんですッ!!」
演劇部の活動に裏打ちされた大きな声と共に、焔は頭を下げた。…こんな懇願をされて、断れるかよ。
「ああ、もちろんだ。協力する」
「ありがとうございますッ!!」
≪ありがとうございますッ!!≫
焔だけでなく、他の部員たちも頭を下げて、感謝を述べてきた。俺も嬉しかった、部長の片平炎治があの騒動を起こして…演劇部のその後が気になっていたから、力になれるのなら本当に良かった。
「──あ、あのー! 聡ちゃん先輩!? 私を置いてかないでくださいー!」
と、目隠しをされている結愛が騒ぎ出す。聞いた聡は笑顔を浮かべ、結愛の後ろに回って目隠しに手を添えた。
「ごめんごめん結愛! 今外すね! 見て驚け~? ──はいっ!」
聡はいたずらっぽく笑いながら、目隠しを外す。結愛は眩しさに目を細めながら全体を見渡し、そして予想通りの声を出す。
「……この人が義兄さん…ですか?」
楽しくなってきた。俺は手を上げて宣言する、しかし声を作って。
「そう。私だよ、結愛」
「え……、えっ……? 冗談……」
そして、声を戻す。
「冗談じゃ、ないぞ」
「ッ!? ……す、すご…! えっ、ほんとに義兄さんなの!?」
「ああ、本当に俺だ。…ええと、どうかな?」
「凄い…凄いよ義兄さん、すごくかわいい! 一演者として尊敬する! こんな別人になれるなんて…! ね、あのさ、今だけ"義姉さん"って呼んでも良い? 寧ろそう呼ばないと失礼な気がしてきた」
俺は再び声を作って、応える。
「うん、良いよ。好きに呼んで」
「わぁ…! うん、義姉さん!」
・・・・・・・・・・・・・・・
「──で…肝心の炎治はどこに?」
一通り盛り上がった後、俺は炎治の居場所を尋ねた。
「それが……あちらに」
焔が指した場所は、部室の隅だった。そこには確かに演劇部長、片平炎治が居た。…前よりも雰囲気がまるで違う、暗く重い空気を背負ったまま、台本を片手にぶつぶつと呟いている。
「あれが…炎治?」
「はい…。あれからずっとあんな調子で……。舞台には立ってくれるんです、演技にも曇りはありません。…けどそれ以外は、ずっと一人で……。多分、今の私たちの会話すら聞こえていないと思います」
「…そっか、じゃあ好都合かもね。焔、今から私の正体、隠して貰えない?」
「は、はい、分かりましたッ!」
「ありがとう焔。じゃあ聡、行こっか」
俺は演劇部員にそう告げて、聡と共に炎治の元へ近づいていく。そうすると、炎治の声が少しずつ聞こえてきた。
「……「嗚呼、私では、叶いませんわ……、この身では、貴女に触れることすら──」……違うな、もっと儚く愛らしくだ。……ぼくもそろそろ、苦手を克服するべきなんだけどな……」
炎治は、しかし台本と真剣に向き合っていた。
「炎治部長? ちょっと良いですか」
俺は初対面を装って話しかけた。"生徒会"という肩書きは、炎治にとって思い出したくないものの筈だから。炎治は俺の声を認識すると、ゆっくり顔を上げた。
「……きみは?」
「初めまして、月野 優っていいます。聡に「うちの部長をお姫様にして欲しい」と呼ばれて…」
そして、『星野勇気』じゃないもう一つの名を告げた。この名は理華が付けてくれた…"私"の名だ。これを名乗るとき、私は確かに『月野優』という一人の人間として自立するのだ。
「聡のともだちかい? …大きいねきみは、ぼくが見下ろさなくて済む女のひとだなんて久しぶりだ」
「はは…私の誇りです。それで聡、何から始めれば良いかな…?」
「簡単だよ! 取り敢えず、炎治部長を"かわいい女の子"にしよう! 今の炎治部長は色々と超越した"格好良すぎるひと"だからね。まずは格好良いをかわいいに変換しよう!」
「なるほど…、分かったよ聡」
「え、ま、待ってくれふたりとも。優くんはともかく、聡はぼくのこと知ってるだろう? かわいくするなんてそう簡単に──」
「──いえ、出来ます」
「…優くん?」
「まずは一度、私に任せて貰えませんか。似た身長のよしみとして、そして私を選んでくれた聡を信じて」
「……そこまで言われたら断れないな…。分かったよ優、きみにお願いする。ぼくのことは、炎治と呼んでくれて構わないよ」
「…うん、任せて炎治。貴女のこと、まずは最高にかわいくしてみせる!」
私は小さく拳を作って意気込んだ。誰かに化粧を施したりは初めてじゃない、理華としていた研究と特訓は"二人で"行っていたものだ。私が理華の化粧をしたり、服を選んだりもしょっちゅうあった。"向こうの生徒会長"を巻き込んだりもしていた。だから他人をかわいくするのにも慣れている。
「さ、行きましょう炎治部長! 優を信じて!」
私達は炎治の背中を押して、更衣室へ連れていった。
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率直に言って、作業は非常に楽しかった。だってなにより、炎治は素材が良い! 理華の技術によって作られ、理華によって名付けられた私だ。その半身に『相原理華』その人が乗り移っているとしても間違いではない。だからか知らないが、誰かを飾るというのはたまらなく楽しいのだ。あとは聡に台本も見せてもらって、そのイメージにも近付けた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
─ガチャッ!─
私は勢い強く扉を開け放った。だって傑作だ! 早く皆に見せたいさ!
「出来たよ、皆!」
明るい声で、そう告げる。今の私は、きっと笑顔だろう。
部員の視線がこちらへ向く。そして、聡に背中を押され、炎治が姿を現した。
「……うん、やはり恥ずかしいな。少しだけ」
部員から感嘆の声が聞こえる。狙い通りだ、炎治には対極を目指してもらったから。このお話の"お姫様"は気弱で、しかしふわふわとかわいい人だ。時代背景やコンセプトアートからゴスロリが似合うだろうと決めて、リボンとフリルをふんだんに使い人形のような可憐さを追求した。
理華の教えは"飾らないかわいさ"だ。…が、しかし。"飾ったかわいさ"も、また良いものだ。それもその筈、飾らないかわいさは、飾ったかわいさが無ければ存在し得ないのだから。故に理華はどちらも極めていて、受け継いだ私もそれを伝えることが出来る。
……けれど、やはりと言うかなんと言うか。懸念していたことが起きた。
「…炎治」
「ん…なんだい優?」
「さっきの恥じらいは……"可愛い"けれど"かわいい"じゃない!」
「な、何だって!? ……いや、本当に意味が分からないんだけれど…同じじゃないのかい?」
私は近くのホワイトボードを引っ張ってきて、慣れた手つきでペンを持つ。
「いまさっき炎治が見せた恥じらいは……この"可愛い"。そして目指すべきものはこちら、"かわいい"」
「えっ…字面だけなんだ」
「研究を重ねるとね、とんでもなく種類が多いって分かるんだよこの言葉は。本来はこうやって区別するべきでもないんだけど、便宜上そうさせてもらうね。…で、炎治は今"かわいい"姿をしていてそれを演じるのだから、"かわいい"反応、仕草をしなければならないんです!」
「つ、つまり…?」
「ここからが本番ってこと。貴女は演者だよ炎治、役の姿に着飾ったからには…炎治なら分かるよね?」
これは、理華が私にいつも言っていたことだ。「"かわいい女の子"の姿をしているなら、常にかわいくいるんだよ」…と。発端は男性嫌いだけど、これがかわいいの追求として昇華されたのだ。きっと演技にも当てはまる。…そして見事に、読みは当たった。
炎治はハッとして、改めて自分の姿を見た。自分が"かわいいお姫様"になっているのだと。そして思った筈だ、「演者としてこの役を演じるのが、己の使命なのだ」と!
「──そうだね、これはぼくにしか出来ない役だ。苦手だなんて言っていられない、全力で向き合わないと」
「その意気だよ炎治。よーし、それじゃあ特訓だ、演劇部の皆にも協力して貰おう。良いよね焔?」
そう言って、私は焔に目配せした。焔は強く頷いた後、炎治の手を取る。
「炎治部長、私達は貴女のことが大好きです。どうか、私達のことも頼ってください。私達は、炎治部長に着いていくと決めた…演劇部ですから」
焔は炎治の手を強く握って、情熱をぶちまけた。炎治は震える手で、焔のそれを握り返す。
「焔……。…そうだね、部長のぼくがいつまでも落ち込んでいてはいけないな……。みんなには本当、助けられてばかりだ……」
炎治はそのまま焔を引き寄せ、強く抱き締めた。
「ごめんねほむら、……ありがとう」
その様子を眺めて、聡は小さく息を漏らす。
「……やっぱり焔は、"特別"なんだろうなぁ……」
「聡…?」
「焔は二年で、炎治をずうっと尊敬してて…だけどいつも対等だった。だからあの時、炎治を止められたんだろうね。……ははっ、情けないや。本来は副部長の俺がやるべきなんだろうにさ……真白ちゃんに投げ飛ばされたあのとき、"バチが当たった"って思ったよ」
聡はどこか悲しく笑った後、こちらを向く。
「…ごめんね、あんなことして」
「……大丈夫だ、気持ちは分かる。──さて、そうと決まれば炎治! 素人だからって加減はしないからね、覚悟してよ」
「ああ、望むところさ優!」
そうして、炎治を"かわいいお姫様"にするための特訓が始まった。
・・・・・・・・・・・・・・・
結論から言って、炎治の習得速度は凄まじいものだった。流石は演劇部長と言うべきか、見事な吸収力だ。…短時間でどんどんかわいくなっていく炎治を見て、私は少し妬けてしまったけど……これこそが炎治が皆に愛される所以なんだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──…あー、今のはちょっと優雅過ぎだね、格好良かったよ炎治。もう少し小さく柔らかく…、こうやって手を内側から回すようにしてみて」
「…こう?」
「そうそれ! かわいい! で、次の足運びなんだけど…焔、ちょっと炎治の足元見ててあげてくれる?」
「はいッ!、優先輩ッ!!」
炎治の隣に立って、手本となるよう一緒に足を動かす。実演が主なので教える側にも体力が必要だけど…、そこは演劇部員の協力のもあり余裕を持てている。特訓は真っ当に、そして順調に進んでいた。
……進んでいた筈だったのだけど、物事にはトラブルが付き物なのかな……?
「──見えたッー!!」
突然、聡が大声を上げた。
「わっ!? ど、どうしたの聡!?」
「見えたよ…優ッ! 君のおかげで新しい景色が、新しい物語がッ!! ──ちょっと待ってて皆! すぐ書き上げるからッ!」
聡はそう言って、自分の鞄からPCを取り出して、作業に飛び込んだ。
「え、ええ……?」
当然私は混乱する。…けれど混乱しているのは私だけらしく、演劇部員達はそれを暖かく見守るだけだった。
「え…炎治、一体何が起きてるの?」
「これかい? 聡の"加筆"だよ。この台本は聡が書いたものでね、聡は練習中に新たな演出を思い付くと、ああしてその場で加筆を始めるんだ。そしてその内容は…いつも素晴らしい。…そろそろ終わるんじゃないかい?」
「えっ早くない?」
「まぁ元々の台本に何かを足すわけだからね。聡はこちらのことも考えてくれてるから、対応しやすいように早めに仕上げてくれるんだ」
─パチンッ!─
指を鳴らす音が部室内に響いた。聡が作業を終わらせたときの癖なのだろう、それは合図にもなり、演劇部員達は聡の周りへ集まった。
「出来た…ッ!! これだよ! 漠然と何かが足りないと思っていたけどこういうことだったんだ! ──優ッ!!」
聡は、噛み締めるように私の名前を呼んだ。
「え、私?」
「君、舞台に立ってくれ!!」
──それは、炎治にも予想外だった様で。
「「えええェッ!?」」
私と炎治で、声が重なった。
「な、何で私が!? 無理だよ素人だもん!」
「いいや、君は一流の演者だよ優! それは俺が保証する! 君は炎治部長の妹として、"姉妹姫"になるんだッ!!」
「えっ、登場人物を増やすのかい聡!?」
「うん、炎治! 心配しなくても大丈夫、簡単な調整だけで済むから! だから後は、優が頷くだけ! それだけでこの物語は進化するんだ! ね、いいでしょ!?」
聡がきらきらとした目でこちらを見る。断り辛い…空気だな……。
「え、えぇ……でも私は──」
「…仕方ないな、ぼくからもお願いするよ優。聡が言うのなら、きっと必要なんだろう」
観念したように、炎治が私に頭を下げてきた。
「炎治……」
すると、炎治に呼応して演劇部員達も頭を下げた。
「私からもお願いしますッ!! 優先輩は自分を素人だと言いますが、その"演じる力"があれば何の問題もありませんッ!!」
「私も…義姉さんが舞台に立つところ見てみたい! お願いします!」
「焔…、結愛まで……」
全員の視線を一身に受ける。こんなの、断れるわけ無いって!
「……分かった、私で良ければ力になる。実際、断る理由も無いし」
返答を聞いて、聡はぱっと笑って私の手を取った。
「ありがとうッ!! ありがとう優ッ!! じゃあ早速着替えよう! 炎治がゴスロリなら優は──」
「──甘ロリ?」
「分かってるじゃないか…! 大丈夫、優の実力なら着こなせるよッ!! さあ行こうッ! さあさあッ!!」
聡は私の後ろに回り込み、ぐいぐいと背中を押してくる。
「わ、分かったから聡! 少し落ち着いてってば…!」
「こんな逸材を前に落ち着いてなんかいられないって! ……ふはは…! 良い劇になるぞォ…! ははは…あーっはっはっはッ!!」
…彼はなんとも、楽しそうに笑う。なんだか聞いてる内にこっちまで楽しくなってくる声だった。
『月野優』として演劇に……、何だか信じられない。…それでも、誰かの力になれるならそれでも良いのかな。だって姿が変わっても──
──私は副生徒会長だから!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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時間は進んで、もう放課後も終わろうとしている頃。"俺"は月野優として演劇の練習を終えた後、屋上に来ていた。
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─ぴとっ─
景色を見ながら紅茶を飲んでいると、ふと冷たい感触が頬を襲う。
「うわっ!? 誰だ──……って、…炎治?」
「やあ、副会長。それ奢るよ。……と言っても、きみはもう同じのを飲んでるんだな…。良い趣味してるね副会長」
「あ、ああどうも…。炎治はどうしたんだ急に、何か用でも?」
「別に? ただ、お礼をしたくてね」
「お礼? 俺は何もしてないけど……」
「あははっ! ぼくを励ましてくれたじゃないか、月野優くん?」
「……よく気付いたな」
「これでもぼくは演劇部長さ、何とか見抜けたよ。……本当に完成されてたから気付いたのは練習の終わり際だったけどね。まったく、見事と言う他無い」
「貴女にそう言って貰えるとは…、ありがとう炎治」
「おや…先に言われてしまったな……。ぼくの方こそ、ありがとう。皆との歩き方を思い出させてくれて。…ほんとうにありがとう、ゆうき」
「……ああ、貴女達が健やかに過ごせるなら…それ以上は無いな」
「君も人が良いね…、美咲のことも安心だな……。…それで勇気、もう"かわいい"とは言ってくれないのかい?」
「言って欲しいのか?」
「ははっ、まさか! …やっぱりぼくは、"片平炎治"だよ。誰よりも格好良い演劇部長。……きみもそうだろう?」
「ああ、当然だ」
どこに居ても、どんな姿になっても、これまでも、これからも。
──俺はずっと、『星野勇気』だ。
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─カシャッ─
ふと、シャッター音が鳴った。
「…待たせたな、輝」
その名を呼ぶと、宇宮輝が目の前に現れる。
「ふふ…全然退屈しませんでしたよ。良い写真が沢山撮れました」
「ぶれないな、貴女は……。それじゃあ行くか、大分遅れたけど…まぁ生徒会のことだ、皆まだ生徒会室にいると思う。顔合わせくらいは出来るだろ」
「そうですね、行きましょう」
一周回り、星野勇気と宇宮輝は、生徒会室に向かった。




