八回
第八回:栄光の解体
およそ知性というものは、己を救うためにあるのではなく、己が如何に救い難いかを証明するためにある。
先刻までの荒れ狂う情動は、ホドという名の冷徹な論理の防壁によって、忽ちの内に「記述」という名の標本箱の中へ閉じ込められた。余がどれほど喉を枯らして叫ぼうとも、その叫びは、物語の整合性を保つための「狂気の独白」として、整然たる文脈の中に配置されてしまうのである。
余は机に向かい、震える指で羽ペンを執った。余という存在の固有性を、この世界の法理に訴えかけようと試みたのである。
しかし、紙の上に現れる文字は、余の意志とは無関係に、公爵令嬢カタリナとしての「正しい反省文」や「醜悪な遺書」へと、自動的に翻訳されてゆく。
その文字の列を眺めた瞬間、余の視界から「意味」が剥落し、脳漿が沸騰するような目眩が余を襲った。
余が「真実」を記そうとするたび、指先は軽やかに、かつ残酷なほど優雅に、余を破滅させるための「嘘」を紡ぎ出す。そのあまりに滑らかなペン運びは、まるで余の知性が、余という主人を裏切って物語の奴隷に成り下がったかのようであった。余は、己の思考が文字という形を成した途端、それが「余を殺すための毒」へと変質してゆく過程を、ただ無力に、吐き気を堪えながら見守るしかなかったのである。
これこそが栄光という名の虚構の完成である。
余の精神が産み出すあらゆる思考は、この世界という精巧な言語体系によって濾過され、純化され、最後には「悪役令嬢」という概念を補強するための記号へと還元される。余という一個の人間は、最早意味を運ぶための「型」に過ぎず、その中身が何であるかは、この物語の栄光にとってはどうでも良い事なのだ。
「なるほど、余が考えれば考えるほど、余の言葉は余のものではなくなる訳だ」
余は自ら綴った端麗な文字を眺め、其処に「私」という魂の居場所が、一文字分も残って居らぬことに、暗澹たる納得を覚えた。
知性は余を解放するどころか、余をこの「物語」という名の檻の中に、より論理的に、より強固に釘付けにするための金槌として機能して居る。
余という自意識は、自らの知能によって、自らの死を丁寧に記述させられて居るのである。




