表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/12

七回

第七回:勝利ネツァクの混濁

 およそ人間というものは、いよいよ滅びるという瀬戸際せとぎわに至って、思わぬ醜態をさらすものである。

 先刻さきほどまで余を包んで居た静謐せいひつな調和は、突如として内側から突き上げられた「生への渇望」によって、もろくも瓦解がかいを始めた。それは知性による反駁はんばくではなく、もっと泥臭い、獣の如き本能的感情ネツァク氾濫はんらんであった。

 「余は、まだ死にたくない」

 幽閉された部屋の冷たい床をむしりながら、余ののどは獣のような呻きを放つ。理知ビナーティファレトも、この煮え繰りかえるような情動の前には一文字いちもんじの役にも立たぬ。

 余は、自らの爪が剥がれ、指先から血が滴るのも構わず、その血で床に「余」という文字を幾度も、幾度も書き殴った。

 物語が余を「カタリナ」という記号に封じ込めようとするならば、余はこの器の鮮血を以て、世界という紙面に消えぬ染みを残してやる。文字は歪み、重なり合い、やがて判別不能な赤黒い塊へと成り果てたが、その無意味な反復の中にこそ、余の執念は宿って居た。誰に読まれるためでもない、ただ世界という静止した美に対する、生理的な「呪い」としての自署。そのあまりに稚拙で、それゆえに根源的な生の証明に、余は法悦にも似た身震いを感じて居た。

 余は窓を叩き、扉を蹴り、自らの髪を振り乱して、完成された「悲劇 of 令嬢」という虚像を自らの手で汚辱おじょくまみれさせた。

 この乱痴気らんちき騒ぎこそが、余という個人の「勝利」である。世界が望む美しい結末を拒絶し、醜く、卑しく、どこまでも「私」であり続けようとする、出口なき執念であった。

 「お嬢様、どうかお静まりください!」

 侍女たちが血相を変えて余を組み伏せる。彼女たちの目には、神聖な聖域を汚す「狂気」の影が映って居る。

 余はその恐怖に満ちた視線を浴びながら、奇妙な高揚こうようを覚えた。余が狂えば狂うほど、物語の歯車はきしみ、完成された救済のシナリオに、人間という名の「汚れ」がにじんでゆく。

 

 だが、この勝利は、あまりにむなしい。

 余がどれほど喉を枯らして叫ぼうとも、その叫び声さえもが、やがては「悪役令嬢の末路」という章をいろど凄惨せいさんなスパイスとして、物語の中に吸い込まれてゆく予感があった。

 

 煮えたぎる感情の底で、余は己の「生」が、もはや使い古された言葉の羅列に過ぎぬことを悟りつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ