七回
第七回:勝利の混濁
およそ人間というものは、いよいよ滅びるという瀬戸際に至って、思わぬ醜態を晒すものである。
先刻まで余を包んで居た静謐な調和は、突如として内側から突き上げられた「生への渇望」によって、脆くも瓦解を始めた。それは知性による反駁ではなく、もっと泥臭い、獣の如き本能的感情の氾濫であった。
「余は、まだ死にたくない」
幽閉された部屋の冷たい床を掻き毟りながら、余の喉は獣のような呻きを放つ。理知も美も、この煮え繰りかえるような情動の前には一文字の役にも立たぬ。
余は、自らの爪が剥がれ、指先から血が滴るのも構わず、その血で床に「余」という文字を幾度も、幾度も書き殴った。
物語が余を「カタリナ」という記号に封じ込めようとするならば、余はこの器の鮮血を以て、世界という紙面に消えぬ染みを残してやる。文字は歪み、重なり合い、やがて判別不能な赤黒い塊へと成り果てたが、その無意味な反復の中にこそ、余の執念は宿って居た。誰に読まれるためでもない、ただ世界という静止した美に対する、生理的な「呪い」としての自署。そのあまりに稚拙で、それゆえに根源的な生の証明に、余は法悦にも似た身震いを感じて居た。
余は窓を叩き、扉を蹴り、自らの髪を振り乱して、完成された「悲劇 of 令嬢」という虚像を自らの手で汚辱に塗れさせた。
この乱痴気騒ぎこそが、余という個人の「勝利」である。世界が望む美しい結末を拒絶し、醜く、卑しく、どこまでも「私」であり続けようとする、出口なき執念であった。
「お嬢様、どうかお静まりください!」
侍女たちが血相を変えて余を組み伏せる。彼女たちの目には、神聖な聖域を汚す「狂気」の影が映って居る。
余はその恐怖に満ちた視線を浴びながら、奇妙な高揚を覚えた。余が狂えば狂うほど、物語の歯車は軋み、完成された救済のシナリオに、人間という名の「汚れ」が滲んでゆく。
だが、この勝利は、あまりに虚しい。
余がどれほど喉を枯らして叫ぼうとも、その叫び声さえもが、やがては「悪役令嬢の末路」という章を彩る凄惨なスパイスとして、物語の中に吸い込まれてゆく予感があった。
煮え滾る感情の底で、余は己の「生」が、もはや使い古された言葉の羅列に過ぎぬことを悟りつつあった。




