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十一回

第十一回:知識ダアトの深淵

 およそ真理を理解するということは、自己の立脚地を喪失することに他ならない。

 王子の差し出したてのひらの熱が、単なる摂氏せっしの温度差ではなく、一人の人間が他者を慈しむという、計器では測り知れぬ重みであることを、余は知ってしまった。

 それが、耐えられなかった。

 余は、余のものではない肉体で、この聖なる温もりをかすめ取って居る。余がこの器の中で「生きる」ことは、即ち、この少女に向けられたはずの愛を、永遠に偽造し続けることに他ならない。

 

 知性は、もはや余を救わない。ただ、この「理解ダアト」という名の残酷な光が、余の犯した、存在そのものの罪を冷徹に照らし出して居た。

 

 「……すまない。私には、これを受け取る資格がないのだ」

 

 彼女の喉を使い、余は初めて、自分の言葉としてそれを放った。鈴を転がすような少女の声が、悲劇的なまでの純粋さを伴って、静寂の中に吸い込まれてゆく。

 

 余は、手近にあった鋭利なガラスの破片を、震える指先で拾い上げた。肉体は、恐怖に戦慄わななき、生きたいと叫んで居る。だが、余の知性は、かつてないほどにいで居た。

 

 余は、彼女の細い手首に、その冷たい切っ先を当てた。

 あふれ出した鮮血は、驚くほど熱く、余の指先を、魂を、呪いのような情熱でき尽くさんとした。 だが、その熱量に比例するように、余の精神は極北の氷の如く透き通り、自らの「死」という名の完璧な論理を完成させてゆく。肉体が最後に見せた「生の絶頂」を、精神が「無の静寂」で呑み込んでゆく。それは、簒奪者たる余が、この王国マルクトに対して捧げ得る、唯一の誠実な返礼であった。

 

 次第に、意識が遠のいてゆく。

 少女の熱が、混ざり合い、薄まり、最後には一つの白い光となって霧散してゆく。

 

 余は、最後に、誰にも聞こえない声で、彼女の喉を使って呟いた。

 「……ありがとう」


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