17話
翌朝。
カズキは、規定起床時刻の三分前に目を覚ました。
コンテナハウスの薄い天井を、湿気がじわじわと侵食している。配線の隙間から滴る水滴が、一定の間隔で床を叩いていた。惑星V-084特有の粘着質な大気は、呼吸するだけで肺の内側に薄い膜を張るような不快感を残す。
リンカーが自動的に起動し、視界に数値を展開した。
【 心拍数:58 】
【 血中酸素濃度:正常 】
【 睡眠効率:61% 】
――低い。
だが、問題はない。
この環境で「最適」を求めること自体が、すでに非現実的だった。
隣のベッドから、104番が上体を起こす気配がした。
「188番、起きてるな」
「ああ」
「外、見ろ」
短い言葉。
だが、その声にはわずかな緊張が混じっていた。
カズキは無言で立ち上がり、コンテナの観測窓に歩み寄る。
そして――息を止めた。
基地外縁、防壁の向こう。
そこに、“敵”がいた。
人型兵士。確認できるだけで二十以上。散開し、遮蔽物を取りながらこちらを観測している。装備はエネルギーライフル系。射程、精度ともにこちらと同等以上。
距離、約五百メートル。
完全な交戦距離だった。
「……なんで撃たない」
思わず、声に出ていた。
基地内は、異様なほど静かだった。
警報は鳴っていない。搬送車両はいつも通りのルートを走行し、補給ドックでは新型装備の搬入作業が続いている。巨人族の兵士は、防壁にもたれかかり、巨大なライフルを地面に突き立てたまま、欠伸をしていた。
戦闘前特有の張り詰めた空気が、どこにもない。
「命令は出てる」
104番が言う。
「“適当に警戒”だとさ」
昨夜の着陸放送と、同じ文言。
カズキはリンカーを通じて戦術情報を引き出す。
敵の位置、熱源、射線予測、命中確率。
すべてがクリアに表示される。
撃てば当たる。
いや、外す方が難しい。
それでも――
誰も撃たない。
沈黙が続く。
五分。
十分。
時間の感覚が曖昧になり始めた頃――
パンッ。
乾いた発砲音が、一つだけ鳴った。
敵側からだった。
弾は大きく逸れ、防壁の手前で土煙を上げる。
遅れて。
こちら側からも、一発。
同じように、外れた軌道。
それで終わりだった。
「……今のは」
「“出勤報告”だ」
背後から、知らない声がした。
振り返ると、見知らぬ兵士が壁にもたれかかっている。制服は着崩れ、XM-22は肩に引っかけるだけ。明らかに規律から逸脱しているが、それを咎める者はいない。
「中央に“今日も戦ってます”って見せるためのな」
「……ふざけてるのか」
「全員、本気だ」
男はあっさりと言った。
「撃ちすぎれば補給が削られる。戦果を出しすぎれば配置転換。目立てば死ぬ」
そして、視線だけで外の敵を示す。
「向こうも同じだ」
カズキは窓の外を見る。
敵兵の一人が、こちらを見ながらライフルを地面に立てかけていた。
撃つ気配は、ない。
「だから、“ちょうどいい戦争”をやる」
その言葉は、妙に完成されていた。
理屈として破綻していない。
だが――
何かが決定的に間違っている。
「……それは、戦争じゃない」
「だろうな」
男は肩をすくめる。
「だから、ここじゃ“業務”って呼ぶ」
その一言で、すべてが繋がった。
戦闘はノルマ。
発砲は記録。
生存は成果。
そして――
戦争そのものが、維持されるべき“仕組み”。
「稼ぎたいなら、撃つな」
男は続ける。
「拾え」
「拾う?」
「後で分かる」
それだけ言って、男は手を振り、歩き去っていった。
その背中には、戦場にいる人間特有の緊張が一切なかった。
午前の“警戒業務”は、それで終わった。
交戦時間、約十五分。
発砲数、双方合わせて四発。
死者、ゼロ。
負傷者、ゼロ。
カズキのリンカーには、自動的に戦闘ログが記録されていた。
【 交戦評価:軽度接触 】
【 任務達成率:100% 】
その数値を見た瞬間、強い吐き気を覚えた。
午後。
カズキは補給ドックへ向かっていた。
目的は装備の更新――のはずだった。
だが、その途中で足を止める。
妙な一角があった。
公式の整備ラインから外れた、コンテナ群の裏手。
配線がむき出しになり、簡易照明が不規則に明滅している。明らかに正規設備ではない。
だが、人の出入りがある。
兵士だけではない。
異形の存在も混じっていた。
液体のように揺らぐ身体を持つもの。
重力を無視して浮遊するもの。
その中心にあるのは――
「……改造屋か」
思わず呟く。
リンカーが微かにノイズを吐いた。
【 未認可ネットワークを検出 】
104番が横に並ぶ。
「聞いたことある。リンカーの拡張やってる連中だ」
「合法なのか」
「グレーだな」
その答えは、この基地では“許可されている”のと同義だった。
中から声が聞こえる。
「反応速度を上げたい? なら神経ラインを一段階深く潜らせろ。保証はしないがな」
「視覚補助は? 熱源だけじゃ足りない」
「追加で位相フィルタを噛ませる。代わりにノイズは増えるぞ」
完全に、商売の会話だった。
カズキは無意識に首の後ろに手をやる。
シンカー端子。
その奥にあるリンカーが、微かに脈打っていた。
――拡張できる。
その事実が、妙に現実味を帯びて迫ってくる。
この戦場では、強さは支給されるものではない。
“買う”ものだ。
あるいは、“作る”ものだ。
「……どうする、188」
104番が低く言う。
「やるか?」
カズキは、しばらく答えなかった。
視線の先では、一人の兵士が椅子に縛り付けられ、頭部に直接ケーブルを接続されている。身体が小刻みに震え、歯を食いしばっている。
だが、その目は――
どこか、期待していた。
「……まだいい」
カズキは、静かに言った。
「まずは、この戦場を理解する」
104番は鼻で笑う。
「慎重だな」
「当然だ」
だが――
カズキの指先は、無意識にシンカー端子をなぞっていた。
脳の奥で、微かなノイズが走る。
それは不快ではなかった。
むしろ――
どこか“懐かしい”感覚だった。
その夜。
カズキはベッドに横たわりながら、目を閉じなかった。
リンカーを低出力で起動し続ける。
視界の奥に、微かな波形が揺れている。
この基地に来てから、明らかに増えたノイズ。
訓練施設ではエラーとして処理されていたもの。
だが今は――
違う。
それは、ただの不具合ではない。
何かの“残滓”。
あるいは――
“記録”。
「……なんなんだよ、お前は」
誰に向けたのか分からない問いが、静かに漏れた。
答えはない。
ただ、リンカーが一瞬だけ強く脈動した。
まるで――
“応答した”かのように。




