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1話

 地球連合、第14区徴兵管理局。

 灰色の壁と、消毒液の匂いが微かに混じった空気が停滞する空間。カズキは、自分の順番を待つ間、何度も手のひらの汗をズボンで拭った。


「次の方、3番窓口へ」


 無機質な合成音声に促され、カズキは重い足取りで進んだ。

 デスクの向こう側に座る中年男性の役人は、ひどく疲れた顔をしていた。山積みのホログラム書類を指先で弾きながら、一度もカズキと目を合わせることなく、事務的な口調で告げる。


「成人、成瀬カズキ。国民識別番号 77-0912。徴兵令に基づき、本日付で第一種軍事義務が発生します」


 役人の指が空を切ると、カズキの目の前に青白いホログラムの確認画面が浮かび上がった。


【 軍事サービス形態の最終確認 】

[ 規約 A:DNA提供によるクローン代行入隊 ]

[ 規約 B:現役兵としての実身志願 ]


 現代において、これを選択肢と呼ぶ者はいない。誰もが「規約 A」を選び、自分の遺伝子情報を差し出す。身代わりのクローンが戦場へ行き、自分は地球でこれまでの生活を続ける。それがこの社会の「当たり前」であり、徴兵制が暴動を起こさずに維持されている唯一の理由だった。


「……内容を確認し、同意のボタンを押してください」


 役人の声は、まるで台本を読み上げるように抑揚がない。

 カズキは震える指を伸ばした。左側にある、クローン送致を意味する「同意」のボタン。これを押せば、すべては終わる。事務的な手続き、少し余裕が生まれ家に帰る前に何か食べるものを買おうか、今日は朝から変に緊張して食べ物が喉を通らなかった。


 カズキがボタンを叩いた、その瞬間。


 コンマ数秒、役人の指が止まった。

 彼は、カズキの背後にある次を待つ列を気にするように一瞬視線を逸らしたが、すぐに思い直したようにカズキを正視した。


「……」


 役人の唇が、かすかに震えた。

 何かを言いかけ、喉の奥で言葉を飲み込むような動き。彼の瞳に、一瞬だけ深い葛藤と、言いようのない同情が混じった色が浮かぶ。

 だが、彼は何も言わなかった。

 深く、重い吐息をひとつ。彼はそのまま視線を端末に落とし、いつも通りに事務処理を完結させた。


「手続き、完了しました。……入隊おめでとうございます」


(ん?待ってた時に聞いたことない言葉だな)


 それが意識がなくなる前に最後に聞いた言葉だった。

 カズキが席を立とうとした瞬間、足元の床が、まるで存在しないかのように消失した感覚に襲われた。


 視界が歪む。

 役所の天井が、役人の顔が、水面に投げられた石のように波打ち、崩れていく。

 背後から誰かに呼ばれたような気がしたが、その声は遠く、激しい耳鳴りに掻き消された。


「個体、確保。……移送シークエンスを開始」


 誰の声か。

 自分の体が、重力から解き放たれて虚空を漂っているような感覚。

 次に、冷たい金属が肌に触れる感触があった。後頭部に押し当てられる、鋭い機械の先端。


「リンカー、挿入。……骨伝導、安定。結合を開始する」


 意識の深淵で、何かが脳に「食らいついてくる」のがわかった。

 脳そのものに痛覚はないはずだ。しかし、神経の束が直接、未知の電圧で焼かれるような、擬似的な激痛が走る。

 後頭部で、ドリルが頭蓋骨を削る微かな、だが逃げ場のない振動が骨を通じて全身に響き渡る。


「……あ、……」


 叫ぼうとしても、肺が動かない。

 やがて、後頭部に「居座るような熱」が灯った。それは、自分の脳ではない異物が、神経系に強引にバイパスされた証だった。


「……同期、エラー。……プロトコル、不一致」

「……構わん。そのままコンテナへ。計画通りだ」


 意識はそこで、真っ暗な闇に突き落とされた。



「――起きろ。おい、聞こえてんのか」


 頬を叩かれる衝撃で、カズキは目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、ひどく低い、鉄錆の浮いた天井だった。

 激しい頭痛。それも、頭の表面ではなく、脳の奥深くを誰かに握りつぶされているような、鈍い圧迫感。


 カズキは、反射的に後頭部に手をやった。

「ッ……!」

 指先に触れたのは、まだ新しく、血の滲むような手術の縫合痕だった。皮膚をホッチキスで留めたような、無機質な凸凹が指に伝わる。

 さらに指を下ろすと、首筋に、冷たい硬質のポートが埋め込まれているのがわかった。


「……ここは、どこだ……?」


 掠れた声で問いかける。

「輸送船の中だよ。地球はもう、数光年先だ」


 答えたのは、隣のベッドに座っていた男だった。

 その男の顔を見て、カズキは凍りついた。

 男は、どこか見覚えのある、だが全く知らない顔をしていた。そして彼もまた、首筋には自分と同じ銀色のポートがあり、枕元には薄い金属板のような端末――**『シンカー』**を置いていた。


「俺たちは第109期新兵。さっき、最初のパッチの読み込みが終わったところだ」


 男は、自分の首のポートを指差して、淡々と続けた。

「お前だけ、なかなか起きないから死んだかと思ったぜ。……ほら、お前の分だ」


 手渡された『シンカー』。

 カズキがその冷たい金属の表面に触れた瞬間。

 脳内のリンカーが、火花を散らすような熱を持って「覚醒」した。


 一度も見たことがない、触れたこともないはずの端末。

 だが、カズキの脳内には、流れるように操作手順が浮かんできた。

 どのボタンが起動で、どのメニューが通信を司り、どうすれば首のポートを介して自分自身を軍のサーバーへ「接続」できるのか。

 まるで、長い年月、この端末を使い続けてきたベテラン兵士のような確信が、脳を支配する。


「(なんだ、これ……どうして、知っているんだ?)」


 カズキは震える手で『シンカー』を首のポートに近づけた。

 周囲の兵士たちは、次々と自分の『シンカー』を接続し、安堵したような、あるいは感情を削ぎ落とされたような顔になっていく。彼らは地球に自分の本体を残してきたクローンたちだ。同期することで、恐怖を捨てている。


 カズキも、吸い込まれるように端子をポートへ差し込んだ。


『――接続。』

『個体識別、照会中……』

『警告。システムプロトコルに重大な乖離を検知』

『同期パッチ、書き込み失敗。……対象は、規格外のオリジナルです』


 視界に浮かぶ、真っ赤なエラーログ。

 他の連中には訪れている「平穏」が、カズキにだけは訪れない。


「……嘘だろ」


 カズキは、窓の外を流れる虚無の宇宙を見た。

 自分は確かに、クローンを送るためのボタンを押した。

 あの役人は、何を見たのか。あの葛藤は何だったのか。


 自分だけが、人格の消去も、恐怖の抑制も、バックアップの保証もないまま、生身で放り出された。

 加速する輸送船の振動が、後頭部の傷跡を激しく叩く。


「まもなく到着だ。準備しろ。……歓迎するぜ、惑星ゼノスへ」


 誰かの声が、遠くで響いた。

 それは、やり直しのきかない地獄の、始まりの合図だった。

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