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未神


『魔法使いの末裔』こと式の紡ぐ話は、創には退屈なものだった。苦痛さえ伴う退屈な話であって、そう然るべきなのだ。


 高校生を委縮させる妄想に囚われ、夢と現実の区別もついていない。自分という存在を大きく、広くさせ他人を魅せることの、どこに必死さを感じるのか。


 具材を水で溶かし、紙の端にまで絵を描こうとしても――絵の具本来の色は使えないことくらい、理智的さを自慢するこの後輩なら判ってくれるだろうに。


「知っていましたか? 海にいるウミヘビってあれ、(ウナギ)の仲間なんですよ。どんな味がするんでしょうか。食べてみたいです」


 鰻と名づけられるからには美味しいのではないか。蒲焼きにしたり煮てシャリに乗せたり、玉子に巻いても高級さが活き続ける。


 独特に体形を進化させた魚に創は同情する。

 細長く、鱗がない。早くは泳げず潜ることにも向いていない。調味料や飯と合わせると大金をはたいてでも舌に突っ込みたくなる。


 まるで、人間に食べられるために身体を作り変えられたみたいではないか。


「その機会をくれないので残念でなりません。骨が多く調理させる段階から人を遠ざけてしまうのです。そんなんだから魚のくせに海蛇なんて名前を付けられ、仲間外れにされるんですよ」


 好かれ、食べられる努力をしなさい。食べられる側からすれば魔法使いの漏らす不満はたまったものではなかった。


 自然下の鰻は絶滅が危惧されている。穴子も年々値段が上がってきた。

 土用の丑の日とは夏の暑さを乗り切るのに精のつく物を食すところから始まったイベントであるのに、母はこの日が来ると一年で最も力の抜けた声で台所に立つ。


 これが現代の食卓の風景なのだ。参加する資格がないのは得てして、幸運に恵まれた証拠なのかもしれない。


 絶滅を叫ばれ、適切な数で管理される。それならいっそのことひと思いに滅べばいい。


 干渉の幸福度は双方には分け与えられない。悲劇しか――()()()()()()のだから。


「式くんに好かれると面倒そうだから、どんな味だったかは、言わない方がいいね」

「先輩も食べてませんよ?」

「え、さっき、私が食べたのって」

「式の話、聴いてなかったんですか? 聴く気はありますか? 先輩が食べたのは海蛇(ウミヘビ)の肉です――海蛇のじゃありません」


 肯定と否定を同一の単語で語る式に、創は矛盾を覚えなかった。だとすると。


「――そんな」


 式の考えを否定したいがためにあの例を参考に立てた。あの段階に自力で到達した創には本当に今さらだった。


 鰻も穴子も海蛇も、ウナギ目に分類される大きく分けて魚の一種というだけで、独立した全く別の生き物。


 式も創も、ニンゲンという枠組みでは同じだ。酷く曖昧な分類の上に創は式と隔てられている。同じ学校に通い、同じ制服を着合っている。同じ人間と言われる機会もあろう。


 だが創は創。式は式。同じなのは『人間』という、都合よく単一化された名称だけ。


「かの高名たる三上創先輩にとっては、聞き苦しい話になることでありましょう。たとえ同じ言葉であっても、それは悪名高い代名詞として語り継がれることもあるんです」


 これといって取り留めのない魚を悪者のように強調させる所以。


 爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ウミヘビ科。肺で呼吸するので水中に顔を出し、鱗で全身を覆っている。


「他には特徴として、水中を泳ぐ時は平べったい尻尾をくねらせます。でも、なんといっても毒があるということでしょうか。毒一筋で(キング)の名までもらった蛇さんの親戚は伊達ではありません」


 海を泳ぐ蛇の毒は神経毒で、動物の動きを麻痺させる。用途の目的は捕食だが肺呼吸の生物を溺死させる危険極まりない。


 悪意極まりなかった。陸でしか生きられない生物を溺れさせるなど。


 今まさに、創は水圧に圧し潰される感覚で問い掛けた。


「私、毒蛇を食べちゃったの?」

「蛇毒は経口摂取しても害はありません。胃袋のph値は酸性の液体でも高いので毒程度、簡単に分解されます。先輩が心配したようなことは、死んでも起こりませんよ」


 安堵というよりは、まるで避けたかった事態が起こることを期待していたとでも、思考を誘導するような言葉を選んでこちらの心に植えつけてくる。


 不快自体は感じるが、この後輩に限って創は恨みを持てない。


 自分と、それ以外に鏡を立てるような接し方。それしかできない人間の名がこの世界での式折々であり、別の存在を後輩に求めても、それでは式として、ここにこうして()っている彼の規定を根本から否定していた。


 人格を否定し、彼を罰しても根本的な問題の解決の代替には利かない。


 とはいえ質さなねばならない事実については反証の義務が確定している。


 当事者であり――被害者である創には。


「毒で死ぬより厄介なことが、こうして私に起きたじゃない。式くんも見たよね、私が」


 魔法使いの攻撃を受けて干上がった腕。不死の力で再生し新たに生えた腕を創は式に見せつけた。


 創の肌を輝かせる鱗。傷を受けた皮を脱ぎ捨て、空気と日光に乾いていったあの光景を、これを見ても忘れたとは創は言わせなかった。


「ほう。綺麗に剥けると惚れ惚れしますね。脱皮の痕もない」


 感心したように肌にまじまじと視線を詰めてくる。腕を照れて隠して、背中を向けても褒められたことに対する感情までは創でも誤魔化し切れない。


「で、でしょう」

「では式の言ったことは間違いだと、先輩はおっしゃるのですね」

「どうかな。反対するつもり、それだけは私にはないよ?」


 創は今でも式のことを信じている。


「人魚の肉を食べたって、最初に言ったのは式くんだし」


 後輩を信じるのが、先輩の務め。


「正しい。間違っている。そんなことを❝どうでもいいこと❞にして、先輩は式を信じる」

「疑うのと、同じくらい酷いことかもしれないけど」


 無条件に疑うくらいなら、誰かを無条件に信じる。


 正しいことができるくらい人間ができていない自覚があるから、綺麗に映る行動を取る。人を傷つけるのは糸を切るくらい簡単で、甘えだから。


 いつ切れてもいいように、切れた時のことばかり考えを巡らせ糸の結び方を覚える――むずかしい方を選ぶ生き方をしたかった。


「同じ? ――人の生き方の中でも最低最悪ですよ。先輩は誰も信じなんかいません」

「……そんなことない、ないよ?」


 困り果てたように頭を抱えた式。


「段階を踏んでいくのが馬鹿らしくなりました。では教えましょう、先輩――蛇もまた不死身の生き物で有名なんですよ」


 人類最古の文字で書かれた叙事詩に登場する王、ギルガメッシュは不死を求め旅した。旅の末、霊薬を手に入れた王の目を盗み、薬を飲み込んだ蛇は皮を脱ぐようになり、最初の不死の生物となった。


 ギリシャ神話のアスクレピオスの持つ杖にも蛇は巻き付いており、アスクレピオスは医の神として崇拝されている。死からも復活させる力を持つ神の象徴は現代社会でも使われていた。


 不死。再生。復活。


 長い身でとぐろを巻き、二枚の舌を覗かせる不快な生き物の司る面を式から聴かされた創は、わけも判らず憤る後輩に言い返す気で、翻すように手を挙げた。


「魚は脱皮しないし、そもそも陸と水じゃあ、鱗が乾燥に耐えられるか違いはすぐに表れるしね」


 人魚の時も驚いたけど――そんな貴重なものを食べてしまっていたとは。


「けど、やっぱり式くんの言うことは可笑しいよッ。だってどれだけ特別でも、蛇だよ? ――蛇を食べて不死身になるなんて」


 蛇毒を食べることで死に至る毒を無効できると、不安がっていた創を落胆させた式の発言としてはこれもまたあり得るが、全く以て『魔法使いの末裔』らしい発言の転換だと納得は遅れてもやってこない。


「そうですよ、その通りです。どこまで突きつめても、先輩が食べた蛇はどこにでもいる蛇でした。海で暮らすこと、それ以外はね」


 蛇を登場させる食文化こそ、地域を問わず割とポピュラーなのが実のところだ。地を這い廻り隙に潜り、虫も鳥も鼠でさえ丸吞みにして口から毒を吐く生き物を食べる文化などあるはずもない。


 浅慮に結論を急ぎたくなる衝動も、また式は尊敬の念を抱くが。

 非日常はすぐ身近に存在し、愛されている。


 毒蛇を漬けた酒は滋養にもいい。飲み方のバリエーションにも富んだ工夫がされ、ブランド商品もある。


 海蛇料理は貴族の舌も唸らせた歴史もある高級食材だ。その味が仇となって絶滅の危機に瀕していると式から教えても、創を怒らせるだけ。


 下手に刺激をしないよう、判らないことにぽっかりと心に穴が空いた創に、式は注意しつつ蛇の話はここまでとした。


「蛇を食べても、不死身にはなれない――だから式達は『ニンゲン』とセカイから定義をもらっているんですよ先輩?」


 彼女には突きつけなければならなかった。


 蛇を食べたのがほかの誰でもない――三上創である現実を。


「この事態を収拾するのに最も適した手段として、先輩の家系を調べました。先輩と式って、家が親戚同士だったんですよ」


「私と、式くんが……ということは、私も魔法使いの末裔!?」

「そういうニチアサ八時三十分みたいな展開にはなりません。横文字は紙と違った尺で面白くしないといけませんしね。式は式の家の名前と権力を、現在の当主から間借りしているよそ者に過ぎませんので」


 魔法使いの血を引いたそのせいで、蛇を食べて不思議な力に目覚めたという話ではない。


 もう、この後輩のなにを信じればいいのやら。


「親戚というのは本当ですよ。先輩が特別の家系、その末裔であるのも」

「特別って、いきなりそんなこと言われても……」

「この街、限定ですけどね。先輩って、地元の神社とか行く方ですか」


 人並みに神様は信じている性格だ。初詣には家族で毎年行って、一年のささやかな欲を神前に打ち明け。


「おみくじの結果が悪いと三回までなら引き直す」

「そういや、先輩の名前にも三が入ってましたっけ。運試しに自分の名前を願掛けにするとは、ええ根性しておまんなぁ?」


 関西弁かどうかも怪しい謎の方言。機嫌が世界恐慌並みに下落しているのだけ式は幸運にも創に通じた。


「願掛けって。自分の名前をそんなことには使わないよ。ご利益があるって式くんは思う?」


 今だって式は三上先輩、三上先輩と。


三上(みかみ)なんて、無駄遣いしても仕方ないくらい、ありふれた名前よ」

「いいえ先輩。先輩のお名前は、この新三巫市(しんさんかんなぎし)のみにしか存在しない――存在を許されていない名です」


 創は自分自身でも知らない、二つの名前を持っていた。かつてこの街で、神を創る実験を取り図り、失敗に終わった三つの家系と三人の巫女。


 その家系は実験を始める前から知っていた。


人は神に(あら)ず。神に非ずんばそれ即ち霊長となり。


「式くん――」

「人が本当に創れるとする神なら、神ではない。神に近く、神のよう……けれど、絶対に神そのものではない」

「式くん、どうしよう! 私の手、手、手がぁあ!?」


 式が話している最中にも、創の指から爪は剥がれ落ちる。


 爪の剥がれた指は横に裂け、舌をちろちろと出し始めた。


「私の指が、みんな蛇に! これも、蛇を食べちゃったせい!?」

「だから先輩が食べたのは普通の、乾燥した蛇ですよ。潰れ掛けた骨董屋の店主が心を慰めるために、安く買い叩いた」

「なんでもいい、いいからなんとかして……いたい、いたいの!」


 ――うそつき。二枚舌。


「ああ全く、本当にイラつく人だな。それが先輩の、三上創本来の姿でしょ」

「私、の……?」


 他人の意見に乗っかって、常に『誰かのひとつ下』に自分を置く。


「考えが間違っていると、都合が悪くなるとその人のせいにしやすいように」

「私は、そんなニンゲンじゃ」


 痛いと喚いていた創が、式に撤回を要求すべく賑やかになった手を伸ばしてきた。


「式くんに、この私のなにがわかるっていうの?」

「わかりっこないですよ。わかって、それで、困るのは先輩じゃあありませんか」


 自分の世界に完璧に閉じ籠れるようにするにはどうすればいいか。


 創が――作り変えてしまった(セカイ)では、この先の未来に『満月事件』は起こらない。彼女の毒によって運命を狂わされたことに人は気づかない。


「……あれ、式くん?」


 憤りの収まらない式に、創の手の蛇は隣同士と鳴き合う。


 こういう時、いたはずではなかった。巫戯ける主を叱りつける、メイドのような存在が。


「今回は損な役回りをさせて、すいませんでした」


 式の告解に赦しを示す、一発の軌跡が創の腕を吹き飛ばした。胴体、頸も。


 三発分、対物ライフルが創の身体を轟音で食い荒らした。


 ❝――時間稼ぎ、していたってこと?❞


「式は重要なキャラじゃあありません。この物語の主人公は、紛れもなく、あなたです」


 だが。


「ズルはいけません」


 転がる首から身体を生やした創は遊園地を駆け下りるようにして逃走を図った。


 裸の少女が夜の遊園地を逃げ回らせるという心情はないので、雀はすでに狙撃ポイントを離脱し追跡を始めただろう。


 そんな式の想定を裏切るのに雀は追跡に全神経を使い、距離の概念をも凌駕していた。


 先回りして針路を妨害された創の絶え絶えになった息を吐く口。


 手りゅう弾を押し込み、紐を結んだピンを一斉に引き抜く。遊園地に上がる花火というには単色の炸裂だ。


「私を、殺すの」


 首を失っても這いずる創の声は、指の一本から聞こえた。


「どうやったら、死んでくれるんですか?」

「私を殺しても、空木さんには、なんの得にもならないよ……? こんな、なにも持ってない、女子高生に」

「女子高生も魔法使いも一つしか持ってないモノを、先輩は『二つ』も持っています」


 生き物は、生きている間は生しか持ってない。命が尽きる時、死を受け取る。


 どちらか一方しか持てない命を二つ同時に持てるモノを、世間一般では『ニンゲン』とは呼ばれなかった。


「できるかどうかはわかりませんが。とにかくやってみます」


 生えた首の流す涙。それが止まることはない。創に成熟期が訪れることはもうないのだから。蛇という外的要因を取り込むまで覚醒もできなかった。


 少女の名がニンゲンに勝ちの目があるのを期待させる。


 未神創(ミカミそう)は、ニンゲンの武器でも雀には殺せるのかもしれない。


「もうこれ以上、痛いこと……しないで」


 創のことは、彼女のセカイの影響から脱した今でも想うことは雀にはある。不幸な事件に巻き込まれた彼女を、式の命で監視していたのはほかの誰でもない。


 ぐずぐずしていると、赤の他人が殺しにくるかも。創の相談に乗れる余裕は雀にはない。


 神ではない――しかしそれでも神に最も近い生命体になった創を、痛みを伴うことなく殺す手段もまたない。


 対物ライフルの残段数にいくら余裕があるところで、今、恐怖に震える彼女に向けた銃口から放たれるこの一発は最後にはならない。それは確実だ。


「我慢しろ、とは私の口からは言えません。逃げたげればどうぞ。これは不可抗力、私に先輩を苦しませる気はありません」


 女子高生のメイドの指で引くには重すぎる。引き金は絞るまでに言い切るには十分な重さだった。


「私がこの手で苦しませて死ぬと約束したのは、一人しかいないので」


 秘密は打ち明けられ、互いを知り。


 一発の銃声は、夜の訪れた世界に滲むように、世界に言い遺される。


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