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魔法使いは帽子を被っていた

 新三巫の西区に店を構える美容室『レッド・クイーン』は廃業寸前で、今日も今日とて閑古鳥が鳴く。ハサミが髪を軽快に切る音でもない、ドライヤーが乾かす音も。


 雑談で客を退屈にさせるべき店員の口は、鏡に映る掃除中の自分の姿に、ため息を漏らした。

 (ほうき)でわざわざ掃かなくたって床には一欠片の毛だって見当たらない。


 ここで働き出し、最初は退屈を紛らわすために始めたが、いよいよもって頭がどうかなってしまいそうだった。


「どう羊歌(ようか)ちゃん。この店にはもう慣れたかい?」

「はい!」


 洗剤の在庫を集計するのに奥へ入っていた女性店主が休憩がてら店を覗けば、元気な挨拶が返ってきたので笑顔を頬張った。


「よかった。こっちはまだ、もうちょっとかかるから。掃除、頑張りたまえよー」


 事務作業に戻った店長に形だけでも活き込んだ頷きを返したものの、緊張する必要はない。なんなら、四六時中見張られても塵一つ見逃がさないくらい掃除は上達したと、ここ三ヶ月で謎の自信が湧いてきた。


 時間を無駄にしている。だが牛抱羊歌(うしだきようか)には金が必要だった。


 あらかじめに明確にしておく。羊歌の夢は美容師になることではなかった。店長とも別に師弟関係ではなく、あくまで――あくまで彼女は潰れかかかったこの美容師のダメ店長、羊歌はこれまで辞めてきた先輩方、美容師候補の中で生き残った最後のバイトなだけ。


 そもそも羊歌個人は、自分を平凡な人間と評価していた。中小企業の平社員の父とスーパーでパートリーダーをする母から産まれた一人娘は『へいぼん』とパソコンと打てば、自分の名前に変換されるだろう。


 だが、平凡で平和な家庭の経済力だと、受験に備えて予備校に通うことはできないと両親から言われた。釘というのは刺すものなのに、眉間に金槌で打たれた。


 就職するならきちんと大学には行きなさい。だけどお金は出せません。

 ぼかしてもくれない両親は正直になることこそが優しさと言い、優しくされた羊歌は反論をまくしたてた。高校まで不自由なく行かせてくれたのに、これでは育児を放棄されたも同然じゃないか。


 そうじゃない――お金がかからなかったのはね、お前が子どもだったからだ。


 人情。愛情。情がどうのとか、そんなドラマチックな要素が入る隙間もない現実を平凡な両親から無情にも告げられた羊歌は、父がそうして大学に行ったように、バイト雑誌を広げた。


 どれもこれも忙しく大変そうだったので、学校の近くの美容室に応募したら受かった。通学路沿い。毎日見ていて客の出入りも少ない。美容師になる予定も今のところ、技術と共に羊歌にはないからハサミを握る心配も無用。


 予備校に通う金と時間を手に入る。受験を控えた女子高生には天職だった。


 月謝を払うまでいればいいのだし、いつ潰れたって遜色しなくて済む。


 いつだったか、同じ予備校に通っている同級生に語った覚えがあった。バイト先の暇について。愚痴ばかり一方的に言うと気を害すると羊歌なりに気を遣い、楽に稼げる自慢を間に挟んだ。


「よかったら、ミユキに聴かせてくれないかしら? 言ってくれないかしら? そのお友達がお嬢ちゃんに、なんて返したのか」


 箒を床に棄てた羊歌が悲鳴に喉を焼いた。


 両肩を絞めた手にふり向くよう強要されたのに驚いたのもそうだったが。


「いらっしゃいませ! ようこそ、美容師レッド・ハウス……へ……?」

「あらあらあらあらあら。店長さん? 『赤の女王(レッド・クイーン)』――この美容師は不思議の国のアリスに強い影響を受けているのね。白黒の壁紙はチェス盤をイメージしていると、ミユキはすぐに判ってしまった。判って、読み取ったからこそミユキの身体は今、ここにこうして立っている。でも残念――箱がよくても、そこにどんなニンゲンがいるかが、場所の価値を決めるもの。服装には、見た目には、細心の注意を払うことよ」


 その客が帽子を取り軽やかなステップを床に鳴らせば、頬が緩むいい匂いが彼――もしくは彼女からした。


「す、素敵なお召し物、それにお化粧ですね」

「……いい、とてもいいわ店長さん。八三点! 帽子屋はミユキの初恋の人なの。紳士で、狂っていて、帽子の似合う殿方にミユキは憧れているの。恋焦がれているの!」


 白塗りにトランプの柄を落書きした細い(かお)。舐めるように近づいてきた貌に羊歌は思わず歯を剝いてたじろいてしまった。


「あなたはどう思うか、ミユキにすぐ言ってくれなかった。遅れるのは人として罪よ、罪は償うのがとても大変なの。三九点、赤点ギリギリよ」


 逃げる羊歌の顔を片方の目が追いかけ回した。時計の模様をしたコンタクトレンズは特殊かと思ったが、特殊なのは彼――もしくは彼女の眼球そのものだったらしい。


 義眼に直接彫られた模様は、零時零零分を刺した時計盤であった。


「バイトさんなのに、不思議の国のアリスはお嫌い?」


 平時の羊歌なら嘘をつかなかった。ルイス・キャロルにも恨みはなかったが。


 細胞レベルで『帽子屋』を再現したような、奇抜な風体に酔い痴れる性別不明な化粧を施したこの人物には接客とはいえ笑うこともままならなかった。


「あの、このお時間に、ご予約の電話を入れられた……有言実行(あれことみゆき)様でしょうか」


 事務作業の側らに用意していた予約表に目を通した店長に、実行は頭を見せた。


 ソフトモヒカンに刈った髪は桃赤紫(フクシャ)


「いい香りだと思わない? 染料には実際のフクシアを使っているの。見た目には自分でこだわる主義で。だから、髪を他人に切ってもらう必要はミユキにはないの。あなた達は黙って……『イイもんの魔法使い』に美容室で集まった情報をあげて、イイもんの力になる、そのためだけに生きていればいい。知りたいの、どこにいるの……ミカミソウって、どこのだれ?」


 美容室を情報屋かなにかと勘違いしているのか。あいにく、反社会的な活動で生計を立てている家があるのはこの地区ではない。


 しかし人を探している。たったこの一言だけを伝え終えるのに十分間もポーズをこまめに変えなければならないとは実に苦労する生き方だ。まどろっこしい、美容室に手間と時間、嘘まで費やしたのも踏まえ、いちいち受け手の癪に障ってくれる。


「あの。警察の方かなにかですか?」


 もはや腰がすっかり低くなった店長の質問。まあこの場ではっきりしておかないと、自分達が置かれた状況には安心できなかった。喉の底から震え汗で身体もべとべとだった。


 嘘でも警察だと言えば少しは信用したのに。こんな刃物や銃とは比較にもならない怪しさを爆発させる奴がなぜ、口だけは見た目通りの正直なのか。


 ノーと無駄なく切り捨てられた店長の目は涙に腫れ上がった。生きて帰れたら、店の内装から不思議の国のアリスに関する要素は大金を積んで消すことだろう。ピエロも見れない、帽子も一生被らなくなる。


「三上創について話したら、帰ってくれますか」

「羊歌ちゃん、なにか……知ってるの……?」


 藁にも縋る想いに店長は羊歌の支えを欲してきた。


「こう見えて、ミユキはあなた達と違って忙しい身なの。せかいのへいわをまもるため」

「言っておきますけど。私達だって、仕事中です」


 支え合って立つ健気な二人を、帽子のつばから嘲笑が見下ろした。


「認知機能に欠陥、致命的な不全が疑われる。知っているかどうか怪しいものだ」


 地頭は悪い。金だけ欲しがる性根だって腐り果てていた。そんな後先考えた大人に肩を貸すことになってしまった羊歌だって、忘れたくないくらい嫌いな人間だっていた。


「親しい間柄なんて、口が裂けても言えませんけど。居場所くらいは知っている」

「……変だ、妙だ、おかしかった。魔法使いの目は正義の目、ごまかせない」


 体よく追い出そうと選んだ言葉がわざとらしかった。

 有言実行(あれことみゆき)の手に挟まれた羊歌に店長の悲鳴が喉の奥で弾けた。


「嘘をついても無駄。溜まりに溜まって、破裂寸前ね。ミカミソウは、あなたというニンゲンに憎まれている」

「に……憎んでなんか。あいつが私に言ったのよ」


 話すような話題ではない。美容院ですら。


 羊歌に限った話ではなかった。腐っただれかを身近で見つけ正す。


 (ただ)す。罰す。聖母なんか嫌味で呼ばれるのを裏返しに誉め言葉と受け取って、調子に乗ってひとりごとに聞く耳を立てるなんて、迷惑だった。


「不誠実な話だ。楽して稼ぎたいと適当な店を選ぶなんて」


 自称『イイもんの魔法使い』は羊歌の話を聴いてあの聖母と同意見だった。


 正義なんて言葉を恥ずかしげもなく理解する奴は、結局、曲がったことを正しいとは認めない。


「羊歌ちゃん、面接の時……お客さんがいなくても、店番、頑張るって。私、店長として嬉しかったのに」

「店長はいいですよね。バイトが全員辞めた後でも、お店続けられて」


 好きという気持ちが、美容師になる夢が叶ったとそれだけで、生きていられるのだから。

 

 お金のためだけに働くんじゃない。

 

 お金には変えられないモノが人生にはある。


「私は平凡な、どこにでもいるタダの受験を控えた女子高生なんです。叶えたい夢なんてない。でもね。夢とかなくても、お金がないと、平凡な人間はどこでだって生きていけないんです! 頑張る頑張らない以前に、希望とか絶望とか前に、お金を稼がないと話にならないんですよ」


 金では買えないものがある。そんなの、石油でも掘り当て死ぬまで贅沢しても使い切れない金にうんざりしているか、無一文に地べたの残飯を漁る毎日に悟りを開いたよほどの貧乏人。


 生活に応じて手持ちの金額が増えたり減ったり、ゴミを漁らなくても、消費期限ギリギリ廃棄寸前のコンビニ弁当を棚で探すような、そんな中途半端に金を持っている人間にとっては、金稼ぎが人生を豊かにするたった一つの手立てだった。


 楽して生きる。学生の夢、ナンバーワン。


「羊歌ちゃんが、そんなこと考える子だったなんて」

「店長、美容師で人とたくさん話すのに、そんなのも見抜けなかったんですか。今時の学生なんてこんなもんですよ?」


 酔いが醒めた直後のように、酷い顔で羊歌を見てきた。


「信じてたのに……」

「手遅れもいいとこだったんですよ。店長こそ、店を閉めて、普通に働いたらどうですか」

「いや。諦めるのはまだ早い!」


 美容室の椅子を土台に有言実行は照明の逆行を浴び、両手を羽ばたかせるように地面に降り立った。


「まだなにか?」


 創の居場所に関する情報は洗いざらい話したのだから、店をいい加減出て行ってほしかった二人に構ってもくれなかった。


「ここに足を踏み入れたのは、偶然ではなかった。正義に導かれたミユキは、悪を倒す前に、君達を救うという任務を仰せつかっていたんだね! しあわせだなぁ……今日はなんて素晴らしい日なんだろう」


 天使を迎えるかのように帽子屋の影武者は天井に手を広げた。


「ミカミソウについて教えてくれたお礼だ、君達の絶望は、ミユキの魔法で救ってあげよう。もう悲しむ必要なないんだ」

「なにを馬鹿な。これ以上居座るなら警察に通報しますから」


 翳してきた手を払った羊歌は電話機を掴んだ。


 もちろん、百当番にかけるため。


「えーっと番号は……あれ、てんちょー。けいさちゅってぇ……にゃんばん、だっけ?」

「ん~~。しらなーい。あたちがおでんわかけりゅー」


 大人用の服に埋もれた女の子が二人、美容室の真ん中で、無邪気に受話器を取り合う。


「ああ。ゼロはなにを掛けてもゼロになり、万物に『限り』をつける素晴らしい概念」


+++


「おい。これで何件目だ」

「二十七件目です。いづれも」

「一目見りゃわかるよ。この店の店長と、バイトの子で、間違いないんだな」


 現場を保存している男達は警察官に変装こそしているが、堅気は堅気じゃなくても、裏社会の人間だった。


「バイトの嬢ちゃんは、坊ちゃんと同じ高校だろ。探ってんのが敵にバレた、これは……その警告か」


 並んで倒れた遺体に男は最悪の想定を口走った。


「西病院には、普段通り、身元不明で処理しろ。おいだれか、毛布持ってこい! こんな場所にいつまでも寝かせておくじゃねえ!?」


 冷や汗を唾と飛ばした男は汗で背中の入れ墨を透かし言った。強面と憧れ兄弟の契りを結んだ兄貴分の、そのウサギのような怯えようには肝を冷やした。だが彼も毛布にくるんだ遺体を一刻も楽な場所に持っていきたかった。


 嬰児、それも焦げたように枯れ果てたのを床にいつまでも放置するなんて、ニンゲンとしての遺伝子が許さなかった。


「また例の死殺しカウンター・オブ・チェインみたいな奴が。それにはあまりにも、こいつは」


 怪物の仕業にしても、その惨さからは、動機とか本能とか。


 まるで理解できなかった。


「『魔法使いの』の坊ちゃんでしたら、判るんですかい?」

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