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空席

 その時は、声が出なかった。


 うだるような暑さと鼻をくすぐる汗の酸味な匂い。とは裏腹に、視覚が脳に伝達する情報にはまるで現実感がなかった。酷く曖昧、夢か幻の認識に近かった。


 本音を言うと、この時までは半信半疑で、ここまで来るのに犯した罪の意識なんてモノはなかった。


 夜の帳が下りた旧校舎にて、岡成見は。


 死んだはずのクラスメイトと再会した。


+++


 七月三十一日。

 

 成見は自室の机につき宿題をしていた。


 今日は木曜日、目覚まし時計の針は正午を差そうとしていた。


 いつもなら学校にいる時間帯。

 身体は至って健康、成見が休む理由はない。


 決して仮病や嘘をついたわけではなく――休みなのは成見の方ではなかった。


「はあ……」


 大きな声でため息をつくと成見は宿題の手を止めた。


 今、家には成見ひとりだった。母親は仕事に出かけ、父は、もうこの家には帰ってこない。


 まだ続けるか、ここで一旦休憩し少し早いが作り置きしてある昼食を片付けてしまおうか。

 朝昼夜とペースを守り消費してきた夏休みの宿題も、あと三日もあれば終わる。全てを課題に使った夏休みも、あと三十三日担保がある。この世界は七日で創られたらしいが、なるほどそれも納得だった。


 神様も同じ、他にやることがなかったのだ。

 暇、そして余裕さえあれば、天地を創造し光で昼と夜とを分け、大地に植物を生やし海を注いで、人だって創れた。他の宇宙にまだ地球のような生命の星がないのは、きっとまだ別の神々は宿題に追われている。そうに違いない。


 空腹か、はたまた暑さのせいか余計なことばかり考えてしまう。


 成見の部屋にクーラーはあった。しかしコンセントは抜かれ開け放った窓からぬるぬると生温い風が入ってきた。


 一ヶ月以上もの間、成見は家で過ごす。夏休みなのだから当たり前。が、誰もいないはずの平日にひとりいるだけで、電気代、水道代、一食分多い昼食代、などなど。今、部屋の電気を点ける、トイレで水を流す、これだけでも金は発生していた。


 親子二人で生きていくためには、多少の我慢も義務だった。


 息子を生かすため、今も母は必死で働いている。贅沢を止め、休みも週に一度。たまの休日も溜まった家事を済ませるだけで一日が終わってしまう。


 愛息を心配させまいと気丈に振る舞おうとする母親を見、ため息一つ洩らしてくれない彼女に、信用されていないような、成見は悶々とした憤りを感じていた。


 たった一人の肉親なら、なんでも話して欲しい。


 そう思う成見も、また、母親を気遣い、本心を秘密していた。似た者同士な親と子だった。


 一階には母の焼うどんがラップにくるんで置いてある。


 かつお出汁香るうどん、箸で掴んだ野菜からしたたる肉汁。母の焼うどんは熱の籠るリビングでも暑さを忘れさせた。


 階段を下りようと、成見は教科書を閉じた。


 机の横にかけておいたカバンが落ちた。


「ッ!?」


 突然鳴り響いた音に成見は机から飛び跳ねた。


「なっなんだよ!」


 胸を打つほどの動揺から思ったことが思わず口をついて出た。

 刹那、訪れた静寂。ありもしない気配が背に覆いかぶさる。背後を見れば、だれかが話しかけてきそう。


 成見は、部屋に充満した自分の気配に怯えていた。


「あ、あーあー。フックが折れたのかぁ。しょーがないなまったくもぅ」


 怖がるあまり、今起きたことを成見は実況する。


 床には折れたフックが転がってあり、宿題を出す際に開いたカバンからノートや教科書やらが一面に散乱し足の踏み場もなかった。


 そこに埋もれるような形で、一枚のルーズリーフが二つ折りの状態であった。


『おかえりさんのよびだしかた』……それは成見の学校で流行っている、七不思議七番目の言い伝え。

 

 HB鉛筆の手書きレポートは全文がひらがなで書かれていた。

 小学生が習う漢字まで丁寧に。文章は難解で、下に下に読み進めると深い迷路に囚われるかのような錯覚を覚えた。だがどうしてか、不快な気分にはならなかった。


 成見は自分の学校に七不思議があるのは認識していた。時おり同級生の間でも話題になる。


 コミュニケーション能力が今だ未発達な中学生にとって、噂や都市伝説は会話のトレーニングに最適だった。嘘と真が入り交じる七不思議において、正しさを求めるのはナンセンス。そこで起こるやり取り、過程こそが本質であり、結論は副産物に過ぎない。


 この、七不思議について記したという論文も、内容ではなくひらがなという文体にある種の創作、読み手の心を掴もうとする小説のような作り手の意図が垣間見えた。


 しかし、なぜ、七不思議“七番目”?


 曰く『おかえりさん』を()ぶには、生きた動物を供物に捧げ、抜き採った新鮮な血で魔法陣を描かなければならない……らしい。


 この紙をクラスメイトに渡されてから、成見はそれまで興味のなかった学校の七不思議、その特性について考えるようになった。


 先にもあったが、七不思議は他人とのコミュニケーション力を鍛える面がある。


だが、このレポートは、そんな七不思議の定義からはあまりにも逸脱していた。


『七』という具体的な数まで指定されておきながら、不思議は『六つ』までしかなく、最後の七つ目はだれも知らない。新三巫市だけでなく、それは全国共通のことだった。


 ――七不思議を七つ全て知ってしまうと、その者に不幸が訪れる――


 従って、七不思議を語る上で、あらかじめ空席を設けておくのがマナーだった。


 そうでなくては、完全に暴かれた七不思議は不思議ではなくなってしまう。知るモノを人は恐れないのだ。昼に見た枯れ尾花を、だれも恐れないのと同じく。

 そうと判ったから、クラスメイトもこれを作った後、人に披露せず、かといって手間暇時間かけて書き上げたレポートを処分出来ず、悩んだ末、成見に押し付けたのだ。なんとはた迷惑な話か。


 生き返らせたい人。


 頭では否定しつつ、七不思議の最後を知った岡成見は、その秘密に惹かれていった。


 成見のクラスにもあったのだ。


 今はだれも近寄りたがらない、空席となってしまった席が。

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