インスタントな想い出
担任が連れてきた二人について、岡成見の第一印象。
あの火原井毬里が果たしてどんな助っ人を呼ぶかと期待してみれば。
ああ、そう。
正直……期待していた。
一人は奇抜な装いの女。傷でもあるのか顔半分を髪で隠し、黒鉄を糸状に編んで梳かした如きの髪からこちらを覗き見るのは、飢えた野獣すら氷結させる眼光。この世全ての人類を憎むような殺気、哀愁。
空木雀という、姿形からはとても想像できない女が侍るように寄り添うのは、これまた競う奇天烈な男。
同性、おまけに歳が上とは思えない。これといって体育会系でもない自分と比べても華奢な手足。会って一瞬苗木と見間違えたほどだった。
一体なにが面白いのか、常ににやにやと笑みを張り付け、二言目には馬鹿の一つ覚えのように『自分は魔法使いの末裔』と自称する。
人助けどころか、こいつら助けられる側だろ、と。
……それが、どうして。
「あら、成見のおともだち?」
「はい、式折々と申します。こっちは姉の」
「……雀デス」
姉とそう呼ばれることがそんなにも嫌なのか、玄関先で大通りまで聞こえそうなため息を吐くメイド。魂が口から出そうだ。
「もう! 〝おねえちゃん〟たら。すいません、なんか緊張しちゃってるみたいで」
「成見にこんな素敵なおともだちがいるなんて、おかあさん知らなかったわ。どうして教えてくれなかったの」
もう! と肩を叩かれても。
仮に友だちだったとして、胡散臭さが服着て歩いているようなこの二人を母には絶対紹介しなかった。
「お母さん。恐縮ですが、成見くんとは友だちじゃありません」
「えっ……?」
断言され、戸惑った母が成見と式を比較した。
「式と息子さんは友だち、ではなくて……親友です」
馴れ馴れしく肩に腕なんか廻しながら言う式から熟れた果実のような匂いが漂ってきた。
いつ、お前みたいに言い表そうとも言葉を詰まらせる奴と親友になったのか。
「息子さんとは、親友を通り越して最早血を分けた兄弟のように想い合っています」
勝手にどんどん兄弟を増やさないでほしかった。
本当、全くどうしてこんなことに……。
急に『家に行きたい』と言い出され、ついてくるなり道中でもずっとこんな調子だった。
学校で仲のいいクラスメイトがいたことがそんなに嬉しかったのか、式らに部屋を案内しようと母までついてきた。
「ここが、成見くんの部屋ですか」
本棚に陳列したマンガ雑誌。勉強机。小学校進学と同時期に買ってもらい今は骨組みの木材がセピア色に色褪せたシングルベッド。
別段、特記事項もないごくごく平凡な中学生の部屋に式は興味津々だった。
「イカ臭くもなければ、きちんと整頓されている。息子さんは、本当に男の子ですか?」
ドンっ!
肘で式の鳩尾を抉る雀。
「すいません。この子、耳掃除をさぼってしまったせいで垢が脳にまで到達して、こうして時々おかしなことを言うんです。どうかお気になさらず」
「そ、そう。私も掃除はたまにしかしないの。以後気を付けるわ?」
「ちなみに、私は式の姉ではありません。ただの成見さんのお友だちですので」
「ここで訂正するほど嫌がってたんですか……?」
あばらを押さえ悶える式は涙目だった。
吐いた唾で床を汚さないでほしい。
「そんなことより。これより神聖なガールズトークですので。悪いが席を外してはもらえないでしょうか」
家全体に範囲を拡げても、現在ここにいるのは男一人に女が二人。あとはネジどころか脳味噌全部をどこかに落っことしてきた魔法使いの末裔が一匹。
「俺、ついでにこの人も、ついているんですが」
「女子が一人混ざれば、そこで行わるのはガールズトークなんです。それとも、この私を野郎呼ばわりするおつもりで?」
いやそこは会話でいい。
オセロじゃないんだから、性別の多い方が少ない異性を変える理屈もなし。
「……あそうだ、私、お菓子買ってくるわね!」
リクエストも聞かぬまま、成見母は部屋を出た。
ばたん、と、一階の物音は玄関の閉まる音だった。
「逃げましたね」
残念がっているのか壁に手を置いて項垂れる雀に早速ツッコミを入れる。
「いや、あれには逃げるだろ普通」
あれ、というかお前らと形容すべきか。
嘆かわしいと……窓に映した、紅く染めた頬に両手を添えた自分に雀はうっとりとする。
「珍しく、ボケてみましたのに。やはり、美貌と笑いは、共存できないのですね……」
まさか、と、そう成見は確信する。
この人、恐らくクールキャラでいく気皆無だ。
「こちらは、成見さんがお撮りに?」
「え……ああ」
雀同様、一般的な中学生の部屋の風景に見慣れない代物に式も注目した。
「ポラロイドカメラですか。いい趣味をしていらっしゃる」
コルクボードに張られた写真を一枚剥がし、感心するように唸る式折々。
鳥の写真のほか、住宅街、公園で遊ぶ子ども、雑踏などなど、白黒の写真はどれもこれといって映えない風景写真ばかりだった。
「式も昔持っていました。95、最新機種です」
また面白くもない冗談を。
それが本当なら、こいつは、還暦を迎えてから高校受験を受けたことになる。
「好きなんですか、写真」
訊ねたのは雀だった。
「どうしてそうなる」
「今時、現像して写真を部屋に飾る若者なんていません。データに何百枚と残りますから。
わざわざ重いカメラを構え、数枚しか部屋に飾らないなんて……よっぽどの物好きです」
「ずいぶんと言ってくれるじゃないか」
まあ、なにも言い返せないのだが。
どうせ、この女も、写真とは画面に映る単なる粒子の集合体に違いないのだろう。
あんなモノ、写真とは呼べない。
本物の写真はいい。特にインスタントは。
被写体が認識するよりも速く、一瞬で時間を切り取ってしまう。静止した時の中で、写真は色褪せていく。
フィルムの中で、閉じ込められた時間は、確かに動いているのだ。
「そういえば、例の田地寝音さんに関する写真が一枚もありませんね。ここに来ればてっきりあると踏んでいたのですが」
式が一通り部屋を探索するが、やはりそれらしき人物が写った写真は見当たらない。
彼らが口実を作ってまで来た理由が判った。
「こんな所に田地の写真があるわけないじゃん」
「どうします、坊ちゃま」
腕を組みながら式は天を仰ぐ。
「時間の無駄だったな」
「……そう! 写真がないなら、ここで撮ればいいんです。成見さんに田地さんが見えるなら、カメラで撮って、今すぐ現像することだって可能でしょう?」
「成見さん、カメラをここに」
二人に壁に追い立てられ、成見は渋々クローゼットに隠していたポラロイドカメラを引っ張り出した。
「これまた、ずいぶん古い型ですね。きっかけは?」
「離婚した親父が、餞別にってくれたんだ。処分に困ったカメラを赤の他人に押し付けただけさ」
埃の被った黒光りする中古カメラを手に力が入る。
「カーテン閉めてくれない? 写りが悪くなる」
「坊ちゃま、カーテンを」
薄明るい部屋で、久々にカメラを成見は構えた。
仕事一筋で写真だけが唯一の生き甲斐にしていた父。単身赴任ばかりで、金がない金がないが口癖で、家族旅行もクリスマスも、誕生日にプレゼント一つ貰った試しがない。
母よりも若い、泊まった旅館の仲居と部屋で行為に及び、その罪悪感から贈られたたった一つの想い出が、壊れかけのポラロイドカメラだった。
部屋の一角をレンズに捉える。
今でもカメラを向けると、覗き込んだレンズの向こうに父の気配を感じた。
滞在先にも彼はカメラを持って行っていた。
行為の合間、夫の汗に濡れる浴衣のはだけた見知らぬ若い女を写した何百にも及ぶ想い出が不倫の動かぬ証拠となった。
自分を労わらなかったからだと夫は言い訳するように家族を責め、真面目だった夫を変えてしまった自責の念から、妻は弁護士の後押しも無視し慰謝料も求めなかった。
だから、成見はカメラを構えた。
このカメラも、あの身勝手な父の共犯なのだ。
ならば――壊れるまで使い潰してやろう。
閃光が迸り、指に伝わる刺激に次元が閉じ込められた確かな実感を覚える。
かつての熱と喘ぎ声が、甦った気がした。




