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八話 哀れなる転移者に恩恵を

 女子供老人で構成される一団は、各々の感情を抱えながら森林の中を歩いていた。辺りに物音の一切は無く、嫌な静寂が立ちこめている。


 その集団の先頭で、ミタツとミクルは神妙な面持ちのまま、淡々と脚を前へと動かしていた。そこに思考の余地は無く、ただ時折背後のため息に釣られ重たい吐息を漏らすだけ。


 ふとミクルが不安そうに口を開いた。


「……コウタロウ、大丈夫かな」

「大丈夫だよ。きっと、コウタロウとはまた会える」


 その「大丈夫」がただの気休めであることを感じながら、だがなんとかその言葉をミタツは絞り出す。貼り付けた笑顔は引きつっている。


 するとミクルの隣に一人の女が並んだ。


「ま、あいつなら大丈夫だよ。なんだかんだリーダーみたいにみんなを仕切ってくれてたんだ。そう易々と死ぬやつじゃない。だろ?」


 リリはたくましい笑みで二人に訊く。その笑顔は二人を安心させ、思わず頬が緩んだ。


 そうだ。コウタロウが死ぬわけがない。それにアレックスもいるのだ。きっと恩恵が発動して、どうにかして帰ってきてくれる。


 ミタツは、そう無理矢理決めつけて自分の心の中に押し込んだ。その時。


「いたぞ! 異界人だ!」

「――みんな! 走って!」


 ミタツの声を皮切りに、一団は脱兎のごとく駆け出す。しかしもちろん足腰の弱い老人は、足取りもおぼつかず、列は縦に伸びるばかり。


 そこで、先頭を走るミタツは、リリの肩を引いて立ち止まる。驚いた顔をしたリリの目の前に、手の平をはみ出すサイズの角張った石を突き出した。


「時間を稼ぐ。これ、ナイフにして!」

「で、でもあんた」

「いいんだ、早く! みんなも脚を止めないで! ミクル、後は任せたよ!」


 その声で、ミクルは自分が脚を止めていたことに気がついた。ミクルは不安そうにミタツの目を見つめる。それにミタツはただ一つうなずいた。


 ミクルは拳に力を込める。言いたいことはたくさんある。なんで死にに行くのとか、そんなような言葉が浮かんでは、目の前の、リリから石のナイフを受け取るミタツを見る度どこかへ消えていく。


 ミクルの後ろには、ここから進む道を知らない人々が立っていた。


 ミタツは、ミクルの碧眼に視線を合わせる。


「ミクル、行ってくれ」

「――――うん。またね」

「うん、またね」


 ミクルは踵を返して森林の奥へと駆けていく。何も言わずに走り出したミクルを、他の人々も追って森の中へと消えていく。


 残されたリリに、ミタツは声をかける。


「ごめんね。足止めしちゃって。もう大丈夫。あとは任せて」

「……いいや、あたしも残るよ。今更戻ったところで」

「リリはミクルの側にいてあげてくれない? リリもわかってると思うけど、ああ見えてミクルって人見知りだよね。だから、寂しがる。……立ち直れなく、なるよ」

「ならあたしたちが二人で生き残ればいい! なんと言おうとあたしは残るよ。あたしだって恩恵者なんだよ。戦力に、なるでしょ」


 切迫した状況。リリは怖い表情で、脅すようにミタツに歩み寄る。リリはミタツより一回り背が高い。それが相まって、ミタツは身じろぎする。しかし、後ずさりはしない。


 意を決して、ミタツは口を開いた。


「リリは戦力じゃない。……友達だよ。僕の、僕の仲間の」

「それは、あたしにだって同じことが――」


 そこまでいいかけて、リリは口をつぐんだ。


「……わかった。じゃあね。あとでひっぱたいてやるから」

「うん」


 そう言い残して、リリはもう見えなくなってしまったみんなの背中を追った。あっちの方まで敵が来ていないといいな。そんな間の抜けたことを考えていると、騒がしい蹄の音がやってきた。


 二人の騎士は馬にまたがり、シンプルなチェーンメイルを上半身に纏っていた。もちろん防御力が決して低いわけではない。ミタツの手に持つ石のナイフなどでは、鎧に傷すらつけられない。


 ミタツは唇を噛んだ。


「……時間稼ぎにもならなそうだね」


 騎士の一人が大きな剣を振りかざす。ミタツはこの世界にやって来た時の体育の授業を思い出し、石のナイフで防御を試みる。


 騎士が馬上から放った鉄の剣の一撃は、容易くナイフを砕き――ミタツの左肩から心臓、胸骨までを切り裂いた。


 痛くは無かった。痛みは、地球にいたころに、父という化け物のおかげで慣れている。平衡感覚を失い倒れていく中、虐待によって真っ黒な痣に染まった右腕が視界に入った。


 ――そういえば、僕はいっつもこう思ってたよな。


「……死にたく、ないな」


 感覚の無い顔の皮膚の上を、滴が伝う。体が、地にぶつかる。


 瞬間。


『――哀れなる転移者に、恩恵を』


 心臓が高く高く体を打った。


 騎士たちが、ミタツを置いて駆け出そうとした。


「――待てよ」


 すでに死んだはずの少年の声に、二人は馬を止めた。


 その表情は、恐怖と驚愕に染まり、そのうちの片方は顔を怒りに染めていた。


「この恩恵者めがあああぁぁぁ!」


 馬を下り、立ち上がろうとするミタツに鬼の形相で斬りかかる。避ける術を持たないミタツは、なんの抵抗もせずにその左腕を切り落とされる。


 刹那、地面に落ちるはずの左腕はそこに無く、代わりに断面が見えたはずのミタツの左腕は元の位置に納まっていた。


 それを確認しても尚、男は何度もミタツを斬る。もう一人の男も加わり、袋のネズミのようにミタツは何度も殺された。


 首も切られた。心臓も貫かれた。下半身は離れた。頭蓋骨はぶち割られた。脊髄は折られるし、顔面の形が無くなるほど殴打された――はずなのに。


 瞬きのうちに元通り。首も心臓も下半身も頭蓋骨も脊髄も顔面の形状もただひとつわずかにすら変化しない。


 ついには怒りも消え、恐怖だけが残った騎士達は、間抜けな叫び声をあげる。


「なんなんだ! なんなんだよ畜生が! これだから転移者は嫌いなんだ! 化け物が!」


 馬に颯爽とまたがり、二人の騎士はリリの消えた方を向く。その二頭の馬の尻に、ミタツは壊されたナイフの破片を突き刺した。


 痛みに馬がのたうち回り、二人の騎士は無様に馬の上から転げ落ちる。


「……僕だって、痛みがないわけじゃ、ないんだよ」


 痛覚は、わずかに残っていた。それに痛みには慣れても死には慣れない。何度も殺される異常な感覚で、ミタツは全身から冷や汗をかいていた。頭も痺れて回らない。ただ、こいつらを行かせてはならない。


 ミタツは石の破片を掲げる。その右腕を――切れ味の無くなった剣が穿った。


 ボキリと奇妙な音を立てて右腕がひしゃげて曲がる。


 その右腕は、治らなかった。


「――なん、で」


 ミタツは痛み、よりも強い違和感にうめく。


 ミタツは死を確信する。頭をよぎるのはコウタロウやミクルの顔。走馬灯は止まらない。


 ミタツに剣が向けられて――それは力なく地面へと落下した。


 なぜかと思い顔を上げる。そこにいたのは、男の首を切り裂く背の小さなローブの姿。


 もう一人の騎士が恐怖に剣を振り回す。それを華麗に交わしたその時、体の線が見えた。翻るローブ。その下に隠された無数の暗記。細い腰。そして――胸部の膨らみ。


「この恩恵者どもがああぁぁぁ!」

「――悪いね。生憎とボクは恩恵者じゃないんだ」


 ローブの袖からナイフのようなものが飛び出し、男の眉間に突き刺さった。そのまま男は顔面から地面へと倒れ込む。


 そのナイフを回収しながら、ローブの女の子はフードを外す。短い銀髪が明るく輝き、その凜々しい横顔は女豹を彷彿とさせる。


 彼女はくるりとローブを広げながら優雅にこちらを振り向く。


「良かったね、ボクが間に合って」

「うん。本当に……」


 そう返事をしながら、ミタツは折れた右腕をかばいながら立ち上がる。


「だけど、君は未だに危機の最中だ」

「……え?」


 ミタツの背筋を悪寒が走る。ミタツはこの少女が敵だということを想像した。だがそれよりも話のスケールは大きい。


「君はおそらく、その能力を測るために、様々な実験を受けるだろう。何しろ――この世界唯一の、自己回復を持つ恩恵だからね」


 ミタツは言葉を詰まらせた。まさか。この民主主義。非人道的な行動はとことん弾圧されるような民主主義国家に限ってそんなことがあると。


「……やっぱり?」


 しかしミタツはわかっていた。この世界はそこまで美しくはないと。


 諦めたように無意識に左手で握っていた破片をぽろぽろと落とす。切れていた手の傷は一瞬で塞がり、血の跡のみが残った。


「そこで、提案があるんだ」


 少女はミタツのわずかしたから視線を向ける。その口角は自然とつり上がっていて、何やら楽しそうにも見えるその表情は、ミタツを少し緊張させる。


 そして少女は“提案”する。


「――ボクの助手になって欲しい」


 そう言って、幼い暗殺者は健気に笑ったのだった。 

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