偽造された証拠
公開審議が始まって三日目、議場の空気は、勝利の余韻から疑念の色へ変わっていた。
各地の証人が次々と壇上に立ち、災害記録の改竄を語った。失われた村の名、遅れて届いた警告、消された調律師の署名。ひとつひとつの証言は確かに重なり、評議会の古い制度が隠してきたものを明らかにしていた。
だが、すべてが順調に進んでいるわけではなかった。
「新しい証拠が提出されたそうです」
ヴァルターが、厚い封筒を机の上に置いた。
リゼットは封を見つめた。蝋には評議会の紋章が押されている。けれど、その周囲に薄い赤色の音がまとわりついていた。
「これは、どこから?」
「今朝、匿名で届いた。内容は、君が記録を改竄し、エドガル様に辺境の利権を与えるよう脅したというものだ」
エドガルの眉がわずかに動いた。
「利権?」
「魔力水路の修理事業を、辺境の職人組合に独占させる契約を結んだ。その見返りに、リゼットが虚偽の警告を作った――そう書かれている」
リゼットは封筒から書類を取り出した。
そこには、確かに自分の署名があった。文字の癖も、署名の最後に伸びる線も、見慣れたものと同じだった。
議場の外では、すでに噂が広がっているらしい。窓の向こうから、人々のざわめきが聞こえていた。
「リゼットは本当に、辺境領主と手を組んで評議会を倒そうとしたのか」
「身分のない娘が、急に英雄になったと思ったら……」
声は小さくても、音ははっきり色として見えた。疑念の黄土色が、議場の壁際に溜まっていく。
エドガルが書類を手に取った。
「これは偽造だ」
「どうして断言できるのですか」
リゼットが尋ねると、彼は紙の端を見た。
「日付だ。契約を結んだのは、君が辺境へ来る前になっている」
「それだけでは、記録の誤りだと言われるでしょう」
「ならば、別の方法で確かめよう」
リゼットは書類を机に広げた。目で見ても、紙の質も墨の濃さも本物らしい。だが、彼女が指先を近づけると、紙の奥からかすかな音が響いた。
音は濁った紫だった。
「この紙には、二つの音がある」
「二つ?」
「最初に書かれた音と、あとから重ねられた音。署名の部分だけ、色が違う」
ヴァルターが息を呑んだ。
「署名だけを写したのか」
「たぶん。けれど、写した人は私の署名を知っていた。以前の報告書から切り取ったのでしょう」
リゼットは目を閉じ、紙の上に指を置いた。
署名の下から、細い銀色の響きが立ち上がる。その音は遠く、場所を探しているようだった。
「この署名は、私のものではありません」
「音で判別したものを、議場で証拠として認めさせられるか?」
エドガルの問いに、リゼットはすぐ答えられなかった。
これまで彼女の力は、正しいとわかっていても、資格がないという理由で退けられてきた。今度は相手がその弱点を狙っている。
「私の感覚だけでは足りません」
「では、君の感覚を確かめられる人間を呼ぶ」
エドガルは立ち上がった。
「この署名が作られた場所を探そう」
「議場を離れるのですか」
「領主として、私は他人の判断を待つだけではいられないと決めた。これは私に関わる告発でもある」
ヴァルターが地図を広げた。
「偽造に使われた紙は、王都の南区にある公文書工房のものです。そこでは評議会向けの記録用紙を作っている」
「なら、そこへ行きましょう」
リゼットは書類を包み直した。
議場を出ると、通路には人々が集まっていた。彼らの視線には、昨日までとは違う色が混ざっている。信頼だけではない。試すような、恐れるような色だった。
ひとりの少女が、リゼットの袖をつまんだ。
「あなたは、本当に嘘をついていない?」
リゼットはしゃがみ、少女と目を合わせた。
「確かめに行くの。私の言葉だけを信じなくていい。見て、聞いて、自分で決めて」
少女はしばらく黙り、それから小さく頷いた。
南区へ向かう馬車の中で、エドガルは窓の外を見ていた。
「疑われるのは、怖いか」
「はい」
リゼットは正直に答えた。
「でも、疑われないために黙ることは、もうしたくありません」
「私も同じだ」
彼の声には、以前のような迷いがなかった。
やがて、古い石造りの工房が見えてきた。入口には鍵がかかり、窓はすべて内側から閉じられている。
リゼットが扉に手を触れた。
中から、紙を燃やす音がした。
赤い音が、激しく跳ねた。
「誰かが証拠を消しています」
エドガルが兵士に合図を送る。
「扉を開けろ!」
閂が外され、扉が内側へ倒れた。
煙の向こうに、ひとりの男が立っていた。手には燃えかけた帳簿がある。彼は逃げようとしたが、窓の前にはすでにヴァルターが回り込んでいた。
「遅かったな」
男は笑った。
「帳簿など、いくらでも作れる。お前たちが正義を語るたび、別の証拠を出せばいい」
リゼットは燃えかけた帳簿を見た。
炎の中に、いくつもの色が渦巻いている。偽造された署名。書き換えられた日付。そして、まだ焼けていない一行。
そこには、リゼットの名ではなく、別の調律師の名が記されていた。
その人物は、五年前から行方不明になっているはずだった。
リゼットの胸に、冷たい青が広がった。
「この帳簿を作った人は、まだ生きています」
エドガルが振り返る。
「誰だ」
リゼットは、焼け残った文字を見つめた。
「私たちが、ずっと死んだと思っていた人です」
工房の外で、王都の鐘が一打鳴った。
その音は、警告ではなかった。
まだ終わっていない秘密が、闇の中からこちらを見つめている音だった。




