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鳴らない鐘を、あなたと調律する  作者: 銀細工ナギ


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16/20

偽造された証拠

 公開審議が始まって三日目、議場の空気は、勝利の余韻から疑念の色へ変わっていた。


 各地の証人が次々と壇上に立ち、災害記録の改竄を語った。失われた村の名、遅れて届いた警告、消された調律師の署名。ひとつひとつの証言は確かに重なり、評議会の古い制度が隠してきたものを明らかにしていた。


 だが、すべてが順調に進んでいるわけではなかった。


「新しい証拠が提出されたそうです」


 ヴァルターが、厚い封筒を机の上に置いた。


 リゼットは封を見つめた。蝋には評議会の紋章が押されている。けれど、その周囲に薄い赤色の音がまとわりついていた。


「これは、どこから?」


「今朝、匿名で届いた。内容は、君が記録を改竄し、エドガル様に辺境の利権を与えるよう脅したというものだ」


 エドガルの眉がわずかに動いた。


「利権?」


「魔力水路の修理事業を、辺境の職人組合に独占させる契約を結んだ。その見返りに、リゼットが虚偽の警告を作った――そう書かれている」


 リゼットは封筒から書類を取り出した。


 そこには、確かに自分の署名があった。文字の癖も、署名の最後に伸びる線も、見慣れたものと同じだった。


 議場の外では、すでに噂が広がっているらしい。窓の向こうから、人々のざわめきが聞こえていた。


「リゼットは本当に、辺境領主と手を組んで評議会を倒そうとしたのか」


「身分のない娘が、急に英雄になったと思ったら……」


 声は小さくても、音ははっきり色として見えた。疑念の黄土色が、議場の壁際に溜まっていく。


 エドガルが書類を手に取った。


「これは偽造だ」


「どうして断言できるのですか」


 リゼットが尋ねると、彼は紙の端を見た。


「日付だ。契約を結んだのは、君が辺境へ来る前になっている」


「それだけでは、記録の誤りだと言われるでしょう」


「ならば、別の方法で確かめよう」


 リゼットは書類を机に広げた。目で見ても、紙の質も墨の濃さも本物らしい。だが、彼女が指先を近づけると、紙の奥からかすかな音が響いた。


 音は濁った紫だった。


「この紙には、二つの音がある」


「二つ?」


「最初に書かれた音と、あとから重ねられた音。署名の部分だけ、色が違う」


 ヴァルターが息を呑んだ。


「署名だけを写したのか」


「たぶん。けれど、写した人は私の署名を知っていた。以前の報告書から切り取ったのでしょう」


 リゼットは目を閉じ、紙の上に指を置いた。


 署名の下から、細い銀色の響きが立ち上がる。その音は遠く、場所を探しているようだった。


「この署名は、私のものではありません」


「音で判別したものを、議場で証拠として認めさせられるか?」


 エドガルの問いに、リゼットはすぐ答えられなかった。


 これまで彼女の力は、正しいとわかっていても、資格がないという理由で退けられてきた。今度は相手がその弱点を狙っている。


「私の感覚だけでは足りません」


「では、君の感覚を確かめられる人間を呼ぶ」


 エドガルは立ち上がった。


「この署名が作られた場所を探そう」


「議場を離れるのですか」


「領主として、私は他人の判断を待つだけではいられないと決めた。これは私に関わる告発でもある」


 ヴァルターが地図を広げた。


「偽造に使われた紙は、王都の南区にある公文書工房のものです。そこでは評議会向けの記録用紙を作っている」


「なら、そこへ行きましょう」


 リゼットは書類を包み直した。


 議場を出ると、通路には人々が集まっていた。彼らの視線には、昨日までとは違う色が混ざっている。信頼だけではない。試すような、恐れるような色だった。


 ひとりの少女が、リゼットの袖をつまんだ。


「あなたは、本当に嘘をついていない?」


 リゼットはしゃがみ、少女と目を合わせた。


「確かめに行くの。私の言葉だけを信じなくていい。見て、聞いて、自分で決めて」


 少女はしばらく黙り、それから小さく頷いた。


 南区へ向かう馬車の中で、エドガルは窓の外を見ていた。


「疑われるのは、怖いか」


「はい」


 リゼットは正直に答えた。


「でも、疑われないために黙ることは、もうしたくありません」


「私も同じだ」


 彼の声には、以前のような迷いがなかった。


 やがて、古い石造りの工房が見えてきた。入口には鍵がかかり、窓はすべて内側から閉じられている。


 リゼットが扉に手を触れた。


 中から、紙を燃やす音がした。


 赤い音が、激しく跳ねた。


「誰かが証拠を消しています」


 エドガルが兵士に合図を送る。


「扉を開けろ!」


 閂が外され、扉が内側へ倒れた。


 煙の向こうに、ひとりの男が立っていた。手には燃えかけた帳簿がある。彼は逃げようとしたが、窓の前にはすでにヴァルターが回り込んでいた。


「遅かったな」


 男は笑った。


「帳簿など、いくらでも作れる。お前たちが正義を語るたび、別の証拠を出せばいい」


 リゼットは燃えかけた帳簿を見た。


 炎の中に、いくつもの色が渦巻いている。偽造された署名。書き換えられた日付。そして、まだ焼けていない一行。


 そこには、リゼットの名ではなく、別の調律師の名が記されていた。


 その人物は、五年前から行方不明になっているはずだった。


 リゼットの胸に、冷たい青が広がった。


「この帳簿を作った人は、まだ生きています」


 エドガルが振り返る。


「誰だ」


 リゼットは、焼け残った文字を見つめた。


「私たちが、ずっと死んだと思っていた人です」


 工房の外で、王都の鐘が一打鳴った。


 その音は、警告ではなかった。


 まだ終わっていない秘密が、闇の中からこちらを見つめている音だった。

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