第十話 中国大返し
足音が、続いていた。
途切れない。
止まらない。
土を踏む音。
息をする音。
それだけが、道に残る。
進んでいる。
ただ、それだけは確かだった。
距離は、長い。
誰もが知っている。
常識では、間に合わない。
「……何日だ」
誰かが問う。
答える者はいない。
意味がないからだ。
進むしかない。
列は、伸びていた。
前も、後ろも見えない。
人が、歩いている。
ひたすらに。
足が重い。
体が動かない。
それでも――
止まらない。
「休め」
命が飛ぶ。
だが、短い。
座る。
息を整える。
すぐに――
「立て」
また動く。
誰も、不満を言わない。
言えないのではない。
言う意味がない。
(間に合う)
その言葉が、どこかにある。
誰が言ったのかは、分からない。
だが。
皆が、知っている。
前に、一人の男がいる。
豊臣秀吉。
歩いている。
変わらない速さで。
振り返らない。
確認しない。
それでも――
列は、乱れない。
「……なぜだ」
誰かが、呟く。
足は限界のはずだ。
体も、持たないはずだ。
それなのに。
進んでいる。
止まらない。
崩れない。
(速い)
その感覚だけが、ある。
景色が、変わっていく。
山を越え。
川を渡り。
夜を越え、また夜へ。
時間が、曖昧になる。
何日経ったのか。
分からない。
ただ。
進んでいる。
やがて――
誰かが、顔を上げた。
見覚えのある地形。
空気。
「……近い」
その一言で、何かが変わる。
疲労が消えたわけではない。
だが――
足が、軽くなる。
「間に合う」
誰かが、言った。
それは、確信だった。
なぜ、そう思えるのか。
理由はない。
だが。
前を行く男が、迷っていない。
それだけで、十分だった。
やがて――
軍は、目的地へと近づく。
ありえない速さで。
ありえない形で。
誰も、それを説明できない。
ただ一つ。
事実だけが、残る。
「間に合った」
その結果だけが。
後に。
この行軍は、語られる。
奇跡と。
あるいは、執念と。
だが――
そのどちらでもないと感じた者もいた。
ただ。
“そうなるように進んでいた”
それだけだと。
その中心にいた男は。
最後まで、迷わなかった。
豊臣秀吉。
なぜ間に合ったのか。
その答えを、知る者はいない




