534話 神、降臨す
「ぐ、ぁ……!?」
涼介はよろめき、頭を押さえた。
マーガスが驚いて手を離す。
(くそっ……なんだ……この痛みは……)
思考にノイズが走る。
記憶のピントが合わない。
そうだ、遥斗だ。
俺の親友。
唯一、俺と対等にわかり合える存在。
遥斗のおかげで、涼介は人でいられる。
遥斗はどこへ行った?
さっきまで、話をしていたはずだ。
久しぶりに会って、本気でぶつかり合って……。
もっと話をしたい。
話を聞いてもらいたい。
成し遂げた偉業を、一番に認めてもらいたい。
遥斗。遥斗。遥斗。
(……うるさい)
耳鳴りがする。
いや、泣き声だ。
「うあぁぁぁぁぁん!遥斗くん!遥斗くん!!」
少女の声。
エレナだ。
彼女は地面に伏し、誰かに覆いかぶさって泣きじゃくっている。
(エレナは……誰のために泣いているんだ?)
誰かが死んだのか?
この俺の完璧な世界の中で、誰が?
涼介は痛む頭を振りながら、エレナの方を見た。
彼女がしがみついている、その人物の顔。
血の気が失せ、蒼白になったその顔を見た瞬間。
パリンッ。
涼介の中で、何かが砕け散った。
記憶が、雪崩のように押し寄せる。
貫いた感触。
消えていく命の灯火。
「さようなら」と告げた自分の声。
——遥斗を殺したのは、俺だ。
そうだ。俺がやった。
俺が、俺の手で、唯一無二の親友の心臓を……。
「あ……ああ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!!?」
涼介は絶叫した。
喉が裂けんばかりの悲鳴。
それは勝利の雄叫びではない。
魂が引き裂かれる音だった。
「なんで……なんでこんなことに……!違う!違う!俺は……俺はただ……!」
世界を救いたかっただけだ。
みんなを守りたかっただけだ。
なのに、どうして俺は、一番守りたかったものを壊しているんだ?
「涼介!?どうしたの!しっかりして!」
「涼介君!」
錯乱する涼介に、千夏と美咲が駆け寄る。
二人が何かを叫んでいるが、涼介の耳には届かない。
世界が歪む。
色が混濁し、音はノイズへと変わる。
視界が暗転した。
暗闇の中、一人だけ佇む人影があった。
「……母さん?」
亡き母。
優しかった母が、そこに立っていた。
「涼介……」
「母さん!俺……俺は……取り返しのつかないことを……!」
涼介は子供のように泣きじゃくり、母の幻影に縋り付いた。
後悔と罪悪感で押しつぶされそうだった。
誰かに許されたかった。
誰かに、「お前は間違っていない」と言ってほしかった。
母は、優しく涼介を抱きしめた。
その温もりに、涼介は安堵する。
だが。
「——よくやったわね、涼介」
耳元で囁かれた声は、母のものであって、母のものではなかった。
身の毛もよだつような、邪悪で、粘着質な響き。
涼介が顔を上げる。
目の前にあったのは、慈愛に満ちた母の顔ではなかった。
異形の笑み。
「時は満ちた。死も、破壊も、消滅も……すべては今ここに!勇者のカルマをもって!」
「か、母……さん……?」
「我、顕現セリ!」
化け物が宣言した瞬間、涼介の意識が現実に引き戻された。
ドクンッ!!!!!
心臓が、内側から爆発したような衝撃。
遥斗に刺された傷、いや、遥斗を殺したという罪の楔が埋め込まれた胸の中央が、灼熱の痛みに支配される。
「ウギャァァァァァァァァァァァッ!!!」
涼介は仰向けに倒れ、のた打ち回った。
その胸が、異常なほどに膨れ上がる。
まるで、内側に別の生物がいて、外へ出ようと暴れているかのように。
「涼介!? 嘘でしょ、何これ!?」
千夏が悲鳴を上げて後ずさる。
メキメキメキッ……!
肋骨が砕ける音が響き渡る。
涼介の胸の皮膚が限界まで引き伸ばされ、裂ける。
ドパァァァァンッ!!
血飛沫と共に、涼介の胸を突き破って「何か」が飛び出した。
それは、涼介の心臓だった。
ドクドクと脈打ちながら、それは空中で急速に肥大化し、形を変えていく。
肉が盛り上がり、骨が形成され、皮膚が覆う。
現れたのは、裸身の女性の姿。
長い黒髪。
妖艶な肢体。
その顔立ちは、涼介に酷似していたが、纏う雰囲気は禍々しい神性そのものだった。
「ひっ……!」
美咲が腰を抜かす。
それは、かつて元の世界で見た涼介の母の面影を持ちながら、決定的に違う「絶対悪」もしくは「絶対神」の具現化。
その「女」の背後に、空間がガラスのように割れ、巨大な穴が開いた。
穴の向こうには、赤黒い泥のようなエネルギーが渦巻いている。
地獄。
いや、人間の精神の最深部にある、混沌の海。
——『イド』。
そこから溢れ出る無限のエネルギーを、「女」は呼吸するように吸い込んでいく。
イドに溜まっていたエネルギーが、彼女を通して再物質化されていく。
涼介は、胸に風穴を開けられたまま、ピクリとも動かなくなった。
彼という器を食い破り、真なる神が世界に産み落とされたのだ。
「オオオオオオオオオ……」
女が、産声のような、歓喜の叫びのような声を上げる。
その声だけで、大気が震え、崩壊しかけた大地に亀裂が走る。
勇者などという生易しいものではない。
魔物でもない。
世界の理そのもの。
神の降臨が、始まった。




