表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】最弱アイテム士は世界を科学する〜最弱の職業と呼ばれ誰にも期待されなかったけれど、気づけば現代知識で異世界の常識を変え無双していました〜  作者: 東雲 寛則
最終章 そして、

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

535/588

535話 涙のポーション

 世界が軋む音がする。

 それは物理的な大地の崩壊音であり、同時に、そこにいた者たちの理性が砕け散る音でもあった。


 誰もが、うめき声しか上げられない。

 目の前で起きた出来事が、あまりにも常軌を逸していたからだ。


 人の身体から、心臓が勝手に飛び出し、それが女の形をしたものへと変貌する。


 地獄の蓋が開いてしまったようなその光景に、もはや誰も現実感を抱くことなどできなかった 。


 思考停止。

 恐怖による麻痺。


 しかし、その中で千夏だけは違った。


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!涼介ぇぇぇぇぇッ!!」


 千夏は絶叫を上げながら、倒れ伏した涼介のもとへと転がるように走った。

 遅れて、美咲も弾かれたように駆け出す 。


「涼介!涼介!涼介!涼介!しっかりして!」


 千夏が涼介を抱き起そうとして、その手がぬらりと赤い液体に濡れた。

 涼介は胸から大量の血を噴き出しながら倒れていた。


 痙攣するように手足がピクピクと動いているが、もはや悲鳴を上げる力さえ残っていないようだ 。


「ひっ……!」


 その傷口を見て、美咲は血の気が引いた。

 胸の中央に、ぽっかりと風穴が開いている。

 肋骨は外側に向かってへし折られ、肉が花弁のように裂けている。


 そして何より——そこにあるべき臓器、心臓が、ない 。


 それは、誰がどう見ても取り返しのつかない傷。

 死を直感させる、虚無の穴。

 普通なら即死していてもおかしくない。


 意識が辛うじて保たれているのは、涼介のレベルと精神力が並外れているからに過ぎない。

 だが、それも時間の問題。


「死なせない……死なせないッ!」


 千夏は迷わず、傷口に手を突っ込んだ。


 ビクンッ!

 涼介の身体が大きく跳ねる。

 千夏の手首まで埋まるほどの深い穴から、さらにどす黒い血が噴き出す。


「気環生掌ッ!!」


 千夏が叫ぶ。

 彼女の全身から黄金色のオーラが噴出し、涼介の体内へと流し込まれていく。

 自身の気を直接相手の循環器系に干渉させ、強制的に生命活動を維持させる。


 ハイモンクの秘術。


 無くなった心臓の代わりに、千夏が自らの気で血液を無理やり循環させている、いわば生体人工心臓。


「あ……が……はっ……」


 涼介の顔に、わずかに赤みが戻る。

 うつろだった瞳が焦点を結び、目の前の千夏を捉えた。


 パクパクと口が動く。


「しゃべらないで!じっとしてて!今助けるから!」


 千夏が必死の形相で制止する。

 涼介はその言葉に素直に従い、力を抜いた。


 だが、美咲には分かっていた。

 こんなものは気休めに過ぎない、と。


 千夏の気功術はあくまで「循環」を代行しているだけ。

 根本的な解決——心臓の再生には至っていない。


 千夏は同時に『ヒーリング』も行っているが、傷が塞がる気配は微塵もなかった。

 彼女の治癒能力の限界を遥かに超えているのだ。


(どうしよう……どうすれば……)


 美咲は震える手で杖を握りしめた。

 彼女には治癒の魔法はない。


 千夏で無理なら、誰も無理だ。

 このままでは、千夏が力尽きた時が涼介が死ぬ時。


 助ける方法は、一つしかない。

 この世界で最高峰の回復アイテムを使うこと。

 そして、今、それを持っているのは——。


 美咲は顔を上げ、視線を巡らせた。

 そこには、冷たくなった遥斗の亡骸に縋り付いて泣いている、エレナの姿があった。


(……無理よ)


 美咲の理性が叫んだ。

 頼めるわけがない。

 涼介は、遥斗を殺した張本人だ。


 その涼介を助けるために、遥斗が遺したポーションをくれだなんて。


 鬼畜の所業だ。

 人として、最低最悪の行為だ。


 それでも。


 それでも美咲には、そうするしかなかった。


 それに縋るしかなかった。


(ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!)


 美咲は唇を噛み切り、遥斗の元へ——いや、エレナの元へと走った。


 厚かましいのは承知の上。

 罵倒されるのも、殴られるのも覚悟の上で。


「エ、エレナさん……!」


 美咲が声をかけると、エレナがのろりと顔を上げた。

 その瞳には生気がない。

 涙で濡れた顔は、感情が抜け落ちた人形のようだった。


「……お願い。ポーションを……遥斗君に使っていた、最上級の回復ポーションを、一本でいいから、分けてくれない……?」


 美咲の声は震えていた。

 地面に額を擦り付けんばかりに頭を下げる。


「涼介君が……死にそうなの。このままだと助からないの。だから……!」


 その言葉に、呆然と突っ立っていた大輔が反応した。


「は……?美咲、お前……」


 大輔は信じられないものを見る目で美咲を見た。

 それはいくらなんでも酷すぎる。


 死んだ遥斗を見る。


 そして、向こうで血溜まりに沈んでいる涼介を見る。


 二人とも、大輔にとっては大事な友人だった。

 誰かが死んでいいはずがない。

 涼介を助けたいという気持ちは、大輔にだってある。


 だが、遥斗を殺した涼介のために、遥斗を一番愛していたエレナに「助けてくれ」とは……口が裂けても言えない。

 それは人の心を踏みにじる行為だ。


 エレナが無言で美咲を見つめる。


 その虚ろな視線に射抜かれ、美咲は押しつぶされそうになった。


 後悔の念しかない。

 こんなことを頼む自分が憎い。

 できることなら、自分の命を差し出して許しを請いたい。


 けれど、美咲には「皆を元の世界に連れて帰る」という使命がある。


 だから、死ねない。

 恥も外聞も捨てて、頼むことしかできない。


「お願いします……!一生のお願いです……!」


 美咲は泣きながら懇願した。


 長い、長い、永遠にも感じる沈黙。


 やがて、エレナが動いた。


 彼女はマジックバッグの中から、数本のポーションを取り出した。

 さっき遥斗に使って、無駄に終わったのと同じもの。


 エレナはそれを、黙って美咲に差し出した。


「え……?」


 あまりの呆気なさに、美咲は思わず声を出した。

 罵られると思っていた。

 拒絶されると思っていた。


「……どうして……?」


 問いかける美咲に、エレナは涙をこらえ、唇を震わせながら言った。


「遥斗くんなら……きっと……きっと、そうするから」


 その一言に、美咲の胸がいっぱいになった。

 涙腺が決壊し、視界が歪む。


 遥斗なら。

 あのお人好しで、優しくて、最後まで誰かのために戦った彼なら。


 たとえ自分を殺した相手でも、目の前で死にそうになっていたら手を差し伸べるだろう。


 エレナは、遥斗の意思を継いだのだ。

 自分の憎しみよりも、遥斗が望むであろう「優しさ」を選んだのだ。


「っ……ありがとう……!ありがとうございます……!」


 美咲は何度も頭を下げ、ポーションを抱きしめた。

 そして、踵を返して走り出す。


 心の中で、遥斗とエレナに何度も礼を言い、そして何度も謝罪を繰り返しながら。


(ごめんね遥斗君。ありがとうエレナさん。……必ず、この恩は返すから!)


 美咲は千夏のもとへ滑り込む。


「千夏!これを!」

「美咲!!」


 美咲は震える手で『最上級HP回復ポーション』の蓋を開け、涼介の胸の傷口へと一気に振りかけた。


 スッ……!


 眩い緑色の光が涼介の身体を包み込む。

 ポーションの効果が発動した証だ。


「よかった……!」


 美咲と千夏は同時に安堵のため息をついた。

 これで助かる。


 心臓も再生し、また元気な涼介の声が聞ける。


 だが。


 光が収束していくにつれ、二人の表情が凍り付いた。


「……え?」


 傷が、塞がっていない。

 肉が盛り上がることも、心臓が再生することもない。


 ただ、ポーションの液体が血液と混ざり合い、虚しく流れ落ちていくだけ。


「な、なんで!?量が足りないの!?」


 美咲はもう一本、ポーションを取り出し、浴びせかけた。

 しかし、反応は同じだった。


 緑の光は発するが、肉体には何の変化も起きない。

 まるで、壊れた人形に水をかけているかのような無意味さ。


「なんでよ!?これ最上級なんでしょ!?まさかアイツら偽物を掴ませたんじゃ……!」


 千夏がヒステリックに叫び、エレナの方を睨む。

 美咲も一瞬、騙されたのかと思った。


 だが、すぐに首を振る。


 あんな顔をしていたエレナが、そんな卑劣なことをするとは到底思えない。


「じゃあ何でよ!どうして治らないのよぉ!!」


 千夏が泣き叫ぶ。


 その時。


「……無駄だろうな」


 静かな、しかし威厳のある声が響いた。

 アマテラスだ。

 彼はいつの間にか二人の背後に立ち、冷静な目で状況を見下ろしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ