528話 崩壊の序曲
耳鳴りが止まらない。
先ほどから涼介が何かを叫んでいるのが視界の端に見える。
口が動いている。
だが、その言葉は意味をなさず、雑音として遥斗の脳を通り抜けていく。
聞こえるのは、自身の荒い呼吸音と、心臓が早鐘を打つ音だけ。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ッ!!」
遥斗は獣のように吠え、がむしゃらに攻撃を繰り出した。
突き、薙ぎ、格闘、斬撃、魔法。
そこにはスキル体系も、剣術の型も、戦略もない。
ただ感情に任せた、めちゃくちゃな猛攻。
ドガガガガガガガッ!!
遥斗の攻撃が、涼介の『聖オーラ』を叩く。
しかし、涼介には届かない。
彼はまるで散歩でもするかのように、最小限の動きで遥斗の攻撃を捌き、あるいはあえて身体で受け止めている。
その表情には、余裕すら見えた。
(……ああ、そうか)
混濁する意識の中で、遥斗の思考の一部だけが、奇妙なほど冷徹に現状を分析していた。
勝てない。
涼介は、さらに強くなっている。
さっきの『アルティマイト』との一合で理解した。
遥斗の渾身の一撃でさえ……。
心身は死んだような遥斗ではどうすることも出来ない。
今はただ、憎悪という名のゾンビが動いているに過ぎないのだから。
だが、その嵐のような思考の中で、一点だけはっきりと意識できるものがあった。
『お母様ぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
ハルカの叫びだ。
どこかで、母を呼ぶ悲痛な声が、遥斗の魂に直接響いてくる。
自分の知らない所で生まれた、異父妹。
時空の歪みでハルカの方が遥斗より年上になってしまったが、それでも今は、不思議と血の繋がりを感じていた。
同じ痛みを共有できたからだろうか。
母を奪われた喪失感。
理不尽に引き裂かれた悲しみ。
その全てが、遥斗の中で共鳴していた。
(涼介……お前の正しさは、わかるよ)
世界を救うために犠牲を払う。
それは勇者として、指導者として、究極の正解なのかもしれない。
だが、涼介は「正しいだけ」だ。
時に正しさは、人の心を、小さな幸せを、残酷に押しつぶす。
(……もう、無理だ)
遥斗の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
全てに耐えきれなくなっていた。
自分の感情を処理しきれなくなっていた。
辛い。悲しい。痛い。悔しい。
涼介はそれをわかっているのか、悠然と遥斗の攻撃を受け続けている。
「吐き出せ遥斗。その痛みが、お前を強くする」とでも言いたげに。
遥斗はこの感情をどうにかしなければならなかった。
でなければ、この胸中で暴れ狂う炎は、己を焼き尽くし、友を焼き尽くし、世界すべてを灰にするだろう。
「ウオォォォォォォォォォォッ!!」
遥斗が狂ったように咆哮を上げた。
その瞬間、彼の中で『竜騎士』の力が臨界点を突破した。
バキバキバキッ!!
遥斗の身体を、黄金の光が包み込む。
皮膚が硬質化し、竜の鱗へと変化していく。
背中から骨が突き出し、皮膜が広がり、黄金の翼が形成される。
竜騎士最強形態——『ドラゴンフォーム』。
人の身を捨て、竜の因子を完全覚醒させる禁断の変身。
「……ほう、お前がそのレベルで竜騎士の力を操れるとはな」
涼介が初めて興味深そうに眉を上げた。
「グアァァァァァッ!!」
遥斗が黄金の翼を広げ、加速する。
それはこれまでの速度とは次元が違った。
空間を滑るように肉薄し、鋭利な爪と化した拳を振るう。
「フォトン・ゲイザー!」
涼介が足元から光の柱を噴出させる。
迎撃のカウンター。
だが。
「ドラゴンズ・イージス!!」
遥斗は瞬時に黒い糸を網目状に展開。
さらにそこへドラゴンの黄金オーラを流し込み、物理・魔法双方を遮断する最強の盾を顕現させた。
光の柱が盾に防がれ、四散する。
その爆風を突き破り、遥斗が突っ込む。
「グングニール!」
再度生成させた魔力の槍で強襲する。
涼介はそれを予期していたように、上空へひらりと舞い上がった。
「残念だが当たらないな」
「逃がすかッ!ゲイル・バインド!」
遥斗の左手から放たれた暴風が、鎖となって涼介の足に絡みついた。
『魔術師』の魔法と、『竜騎士』の腕力による拘束。
涼介の動きが、一瞬だけ封じられた。
「くっ……!」
「これでぇぇぇぇぇぇッ!!」
遥斗は矛先を涼介に向けた。
グングニールに、竜の力、風の魔力、そして自身の魂を削った憎しみの全てを集約させる。
「ドラゴンズ・インパクトォォォォォォッ!!!」
放たれたのは、巨大な竜の顎のようなエネルギー弾。
それは空間を食い破りながら、寸分たがわず涼介へと直撃コースを描く。
「『フォトン・シールド』多重展開ッ!!」
涼介が叫ぶ。
彼の前に、幾重もの光の障壁が出現する。
ドゴォォォォォォォォォォォォォン!!
着弾。
ドラゴンズ・インパクトの破壊力は凄まじかった。
一枚、二枚、三枚……涼介の絶対防御が、紙切れのように貫かれていく。
「……ッ!?」
涼介の驚愕の顔。
光の盾は全て砕け散り、竜の顎が涼介の身体を飲み込もうとする。
しかし。
シールドは、刹那の時間を涼介に与えていた。
そのコンマ数秒の間に、涼介は足元のゲイルバインドを強引に引きちぎり、僅かに身をよじったのだ。
ジュッ……!!
閃光が過ぎ去る。
ドラゴンズ・インパクトは、涼介の左半身を飲み込み、そのまま彼方の空へと消えていった。
「はぁ、はぁ……」
遥斗は肩で息をしながら、結果を見つめた。
視界が晴れていく。
そこには、左腕を失った涼介が浮いていた。
いや、失ってはいない。
肘から先が炭化し、黒く焼け焦げた棒のようになって垂れ下がっていた。
もう使い物にはならないだろう。
「……」
涼介は、無言で自分の左腕を眺めていた。
痛みを感じている様子はない。
ただ、その表情からは、先ほどまでの余裕や優越感、そして人間らしい感情が、みるみるうちに抜け落ちていくのが分かった。
そこに残ったのは、底冷えするような「無」。
遥斗は本能的に悟った。
涼介が変わった、と。




