464話 神 人
エレナがシエルに駆け寄る。
地面に倒れ伏した彼女の傍らに膝をつき、マジックバックからポーションを取り出した。
最上級HP回復ポーション。
緑色の液体が、僅かに光を放っている。
「シエル!」
呼びかけに返事はない。
意識がなく、気絶したままだ。
エレナは躊躇なく、ポーションの中身をシエルの体に振りかけた。
飲ませることは叶わない。
ならば、外傷に直接作用させるしかない。
緑の光が、シエルの体を包み込む。
傷が塞がっていく。
焦げた皮膚が再生し、呼吸が安定した。
それでも、目は開かない。
「シエルちゃん……」
命に別状はない。
だが、意識の回復には時間を要するのだろう。
緊張と戦闘の連続がシエルを消耗させていた。
先ほど押し負けたのも、それが原因の一つ。
体力が回復しても、戦力として期待するのは酷だった。
***
グランディスは、いや紫電を纏いし戦士は天空を舞っていた。
雷の翼が羽ばたくたびに空気が震える。
「はぁ!」
掌から放たれる雷撃が、ミラージュリヴァイアスを穿つ。
凄まじい轟音。
電流が白鯨の巨体を駆け巡り鱗を焦がす。
「グギャアアアアアア!!」
絶叫。
それは悲痛な、余りにも悲痛な叫びだった。
神獣の咆哮が戦場に響き渡る。
遠く、さくらは、その光景に目を背けた。
両手で耳を塞ぎ、顔を伏せる。
とてもではないが見ていられなかった。
中身は違っていても、家族の苦しむ姿を。
胸が締め付けられる。
呼吸が苦しい。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
心の中で、何度も謝罪を繰り返す。
「さくら……」
大輔の声が聞こえた。
肩に手を置かれる。
「大丈夫か?無理しなくたっていいんだぞ」
心配そうに仲間を気遣う。
その瞳は優しかった。
「……大丈夫」
さくらは、ゆっくりと顔を上げた。
開いた瞳に涙が浮かぶ。
「私は……大丈夫……だから」
震える声。
(ここには……守らなければならない仲間がいるんだ。遥斗君に頼まれた仕事もあるんだ)
視線が、エルウィラインたちに向く。
皆、怯え竦んでいる。
それでも、逃げずに戦おうとしていた。
彼らを守らなければ。
(この事態を招いたのは……全部、私のせいだから……逃げないよ)
自分の無力さが、恨めしい。
もっと強ければ。
もっと賢ければ。
こんなことには、ならなかったかもしれない。
(ミラ……)
さくらは、戦場を見据えた。
涙を拭うこともせず。
ただ、真っ直ぐに。
(これで終わらない……そんな予感がする)
モンスターテイマーの直感が囁いていた。
まだ何かが起こる、と。
***
ガルモは、怒り狂う。
ミラージュリヴァイアスの巨体が、地を這う。
鱗が剥がれ傷だらけだ。
もはや理性を維持するだけで精一杯。
「オマエラ……絶対に……コロス!!」
憎悪に満ちた声。
ガルモが、大きく息を吸い込んだ。
口内に、魔力が集まる。
ソニック・ロア。
破壊の咆哮が、グランディスに向けて放たれた。
音速の衝撃波が空気を裂く。
それは目に見えぬ死の奔流。
「くだらんな」
グランディスが片手を翳した。
雷は瞬時に壁と成す。
紫電の障壁はソニック・ロアを完全に遮断した。
音波と雷が激突し、互いに相殺される。
爆風が四方に散り、大地を削る。
グランディスは全くの無傷だった。
「ふん、やはりこの程度か……」
蔑むような視線。
ガルモの瞳が、血走る。
屈辱。
それは、耐え難い屈辱だった。
「ナラバ……コレはどうだ」
ミラージュリヴァイアスの鱗が、次々と剥がれ落ちる。
いや、切り離した。
青白く輝く鱗に、魔力が注入される。
それは生命を持つかのように、空中に浮遊し始めた。
スケイルフィッシュ。
神獣の鱗を武器と化すスキル。
「グオオオオ!!」
ガルモが咆哮と共に、無数の鱗が銃弾のように射出された。
それはもはや、弾幕。
空を埋め尽くす白い刃が、グランディスを包囲する。
全方位からの集中攻撃。
だが——
「無意味だな」
グランディスが、両腕を広げた。
全身から、雷が迸る。
放射状に放たれた電撃が、鱗を次々と撃ち落とす。
白い刃が、灰と化して消えていく。
完全なる殲滅。
力の差は歴然だった。
しかし、それはミラージュリヴァイアスにとっての好機だった。
雷を放射しているこの一瞬。
グランディスの動きが確かに止まっている。
攻撃による刹那の隙。
ガルモが、巨体を跳躍させた。
ミラージュリヴァイアスの全質量を乗せた押し潰し。
これで終わる!
しかし、その巨体が吹き飛んだ。
「ギャオォォォォォォォ!!」
悲鳴。
ミラージュリヴァイアスの体が、まるで風船のように宙を舞う。
背中から受けた衝撃は想像を絶するものだった。
地面に激突。
大地を揺らす。
「はぁ……間に合ったわね~」
「ええ、何とか」
マリエラとヘスティアの声が戦場に響く。
二人はすでに泥から脱出していた。
そして、攻撃のタイミングを計っていたのだ。
双皇覇——
白と黒の魔力の螺旋が、ミラージュリヴァイアスを直撃。
「ぐ……ぐぅぅ……」
ガルモが呻く。
もう、動けない。
体が、言うことを聞かない。
ダメージが深すぎる。
視界が、霞む。
意識が、遠のく。
(オレ……このママ……死ヌのか……?)
そんなことは、許さない。
許されるはずがない。
「マリ!もう一撃!」
ヘスティアが叫ぶ。
「ヘスに合わせるわ~!」
マリエラも構える。
二人の魔力が、再び共鳴し始める。
しかし、ミラージュリヴァイアスが動いた。
逃げだした?
いや、違う。
方向が、おかしい。
敵から離れるのではなく——何かに向かっている。
それは三人の異世界人。
誰も、何が起こるのか理解できない。
ミラージュリヴァイアスはレゾの前で止まる。
大きく口を開けた。
「……待てよ……おい……」
レゾの声が震える。
恐怖。
それは、純粋な恐怖だった。
「やめてくれ……!」
しかし——
レゾはそのまま飲み込まれた。
「ギャアアアア…………」
絶叫が途切れる。
次は、ヴァイス。
足が動かない彼女は、逃げることすらできない。
「いや……いやぁぁぁ……」
涙を流しながら、懇願する。
「助けて……誰か……」
続けて、ヴァイスも飲み込まれた。
最後は、ルドルフ。
自動人形と化していた彼は、もがくことしかできない。
三人とも——
ミラージュリヴァイアスに捕食された。
生きたまま。
誰も、言葉を発することができなかった。
あまりに、あまりに異常な光景。
エレナが、呆然と立ち尽くす。
ヘスティアとマリエラも、言葉を失っている。
その時、ミラージュリヴァイアスの体が、光り始めた。
白い光。
それは、神々しいまでの輝き。
巨体が、光の球へと変化していく。
形が崩れ、輪郭が曖昧になる。
やがて、完全な光球と化した。
直径十メートルほどの眩い光の塊。
それは宙を漂い、ゆっくりと移動する。
向かう先はグランディス。
光球が、彼の目の前で停止した。
そして縮小を始める。
どんどん小さくなる。
やがて、それは人間大のサイズになった。
光が収まり、中から現れたのは——
人影。
それは、人型をしていた。
しかし、明らかに人間ではない。
瞳は深い蒼。
まるで海のような、吸い込まれそうな色。
肌は金属のような光沢で、神秘的な輝きを放っている。
額には、小さな角。
そして顔は異形。
ミラージュリヴァイアスが人型を成した姿だった。
三人の異世界人の力を取り込み——
進化したのだ。
否。
神化したのだ。
もはや神獣ですらない。
モンスターと人の境界を越えた存在。
いわば——
神人。
そう呼ぶべき、新たな生命体だった。
神人の蒼い瞳が、殺意を持ってグランディスを見据える。
口のような亀裂が、僅かに動く。
「……さぁ殺し合おう」
声は、静かだった。
しかし、その一言には計り知れない力が込められていた。
空気が、震える。
大地が、軋む。
圧倒的な存在感。
それは、まさに超越者の顕現に他ならなかった。




