101話 心の声
岩肌に囲まれた狭い街道で、緊張が頂点に達していた。
「おい!無茶すんな!」
大輔の叫び声が、切り立った崖に反響する。
「撤退したほうがいいわ!」
美咲も必死に声を張り上げる。
しかし涼介は微動だにせず、巨獣と見つめ合ったままだ。彼の瞳を見れば、決して引く気がないのが分かる。
「いや、ある意味正解ですよ。ある意味ではね」
彼は優雅に埃を払いながら立ち上がる。その仕草は、先ほどの恐怖を微塵も感じさせない。
「どういう事だ」
大輔が苛立ちを隠せない声音で問う。
デミットは、まるで講義をするかのように静かに説明を始めた。
「ここで会えたのは僥倖と言わざるを得ません。なぜならミラージュリヴァイアスは知能が非常に高く、人語も理解し意思疎通も取れるといいます」
彼は巨獣を見上げながら続ける。
「ゆえに人とあまり接触せずに静かに暮らしている。しかし一度暴れ出すと人では太刀打ち出来ない力で全てを蹂躙するのです。その力を持つモンスターを神獣と呼び奉っている者もいます」
「余計にヤバいだろうが!」
大輔の声が険しく響く。その表情には、明らかな焦りの色が浮かんでいた。
デミットは落ち着いた口調で続ける。
「ミラージュリヴァイアスが何故暴れているかは私では理解しかねますが、次に出会えるのはいつになるか分かりません。1日後か1か月後か1年後か。何せ生きる神話ですから」
「そんな...」
美咲の声が震える。
グォォオオオオーーーン!
突如として、ミラージュリヴァイアスの咆哮が谷間を揺るがす。
空気が震え、地面までもが共鳴するような轟音。その威圧的な咆哮に、思わずさくらが蹲る。
「大丈夫、さくらさん」
美咲が心配そうに声をかける。るなも主の異変を感じ取ったのか、不安げに鳴きながらさくらの足元に寄り添う。
「...オマエ...ラカ?」
さくらが微かに呟く。その声は、まるで誰かの声を反復するかのようだった。
はっとした表情で、彼女は巨獣の目を見つめる。モンスターテイマーとしての直感が、何かを察知したのだ。
「み、みんな、もしかして...」
さくらの声が震えていた。感じ取った何かを伝えようとした瞬間、涼介の声が鋭く響く。
「美咲!行くぞ!」
涼介の体が青白い光に包まれる。強烈なオーラが周囲の空気を震わせた。
次の瞬間、彼は大地を蹴り上げ、まるで重力など存在しないかのように宙を舞う。新緑の試練洞窟での死闘を経て手に入れた勇者のスキル、「飛翔」の力だった。
「風よ!我が身を包みて彼方へ運べ!テイルウィンド!」
美咲の詠唱が響き渡り、彼女の体を緑色の風が包み、空を飛ぶ。二人は巨獣の注意を分散させるように、異なる方向から接近していく。
「フォトンエッジ!」
涼介の剣から発せられる光の刃が、ミラージュリヴァイアスの白い鱗を切り裂く。閃光が切り裂いた後には確かに傷跡は残ったものの、あまりに相手が大きすぎる。その攻撃がダメージになっているようには見えなかった。
「焔よ!我が敵を焼き尽くせ!ファイアブリッド!」
美咲の詠唱と共に、無数の炎弾が巨獣を襲う。新緑の試練洞窟で得た経験は、彼女の魔法の威力を格段に高めていた。一つ一つの炎弾は以前の倍以上の大きさで、その数も桁違いだ。しかし、巨獣の体表を焦がす程度の効果しか見られない。
さらに千夏が続く。彼女は宙を蹴り、その反動を利用してさらに上昇する。その動作を繰り返し、まるで空中の階段を駆け上がるかのように高度を稼いでいった。
「まさか...」
地上の大輔が絶句する中、千夏は信じられない行動に出た。彼女はミラージュリヴァイアスの巨大な背中に着地したのだ。
「百烈掌!」
気の力を込めた連続掌底が、白い鱗を打ち付ける。
しかし——。
「はれ?」
千夏の声が困惑に満ちている。全ての攻撃が、まるでゴムボールのように弾き返されてしまう。
その時、異変が起きた。ミラージュリヴァイアスの額に聳える巨大な角に、赤い光が集まり始める。
純白の角が、まるで溶けた鉄のように真っ赤に染まっていく。
「危ない!逃げて!」
美咲の警告が響く中、巨獣の必殺技が放たれた。
クリムゾン・ホーンレイ。凝縮された魔力が、まるで花火のように放射状に広がる。真紅の光線が四方八方を貫き、周囲の崖を次々と粉砕していく。その破壊力は、神獣の名に相応しいものだった。
真紅の光線が四方を貫く中、千夏だけは巨獣の背に身を寄せ、奇跡的に攻撃の対象から外れていた。土煙が辺りを覆い、視界は完全に遮られている。千夏は不安げに周囲を見回した。
「涼介くん...みんな...」
その呟きが漏れた直後、濃い土煙を切り裂くように、涼介と美咲の姿が飛び出してきた。二人とも無傷ではないものの、大きな怪我は負っていない様子だった。
「よかった...」
千夏の口から安堵のため息が漏れる。それは涼介の無事を確認できた喜びと、仲間全員の安否を気遣う思いが混ざり合っていた。
徐々に土煙が晴れていく。崖下では大輔が盾を構え、その陰でさくらとデミットが身を寄せていた。大輔の咄嗟の判断が、二人の命を救ったのだ。
さくらの頭の中に、奇妙な声が響き始めた。
「コイツラカ...コイツラガ...アタマノナカニ...ハイッテ...クルノカ」
その声は人語とも獣の唸りともつかない、不思議な響きを持っていた。さくらは直感的に理解した。これがミラージュリヴァイアスの声だと。モンスターテイマーとしての才能が、巨獣との意思疎通を可能にしているのだ。
(何、あなたは何が言いたいの?教えて)
さくらは心の中で静かに語りかける。るなが不安げに鳴きながら、彼女の足元に寄り添う。
「コエガ...ダレダ...イヤダ...キエルノハ...テキダ」
その声には、明らかな混乱と苦悩が込められていた。さくらの表情が強張る。巨獣の心の中で、何かが起きているのは明らかだった。それは単なる暴走や狂乱ではない。もっと深い、何かが——。




