第9話:ゼロ
「他のやつの方が絶対美味しいじゃないですか!」
俺は店を出るなり、リリーに文句を言った。
何故あんなゲテモノスープを好んで食べているのか俺には理解出来ない。
「あーあ、分かってないわね。あれを食べれば魔力を補うことが出来るのよ? それに他の物より美味しいし」
もうこの説明も何度も聞いた。
しかし何度聞いても無理だ。
あの黒いスープの中身は魔獣の肉らしい。
ここ魔界でも人間と同じように獣を頂く習慣があるのだが、あのスープの中には普段は絶対に使わない部位が入っているらしいのだ。
どうやらその使わない部位には大量の魔力が含まれていて、食べるだけで魔力を回復できるため一部の悪魔には人気らしい。
「俺が食った肉と野菜の炒め物とか、他のメニューは興味ないんですか?」
因みに不味いのはあのスープだけで、俺が追加で頼んだ炒め物は非常に美味しかった。
見たことも聞いたことも、もちろん食べたこともない食材だったが全然美味しく頂いた。
「確かに他の料理も美味しいわ、なんで言ったって城下町のお店だからね。でもね魔力を補給出来ないじゃない! 私たち悪魔にとっては空腹よりも魔力が優先なの! ぶっ倒れたなら分かるでしょ!?」
「はぁ……」
「魔力も補給出来て、しかも美味しい! これはもう食べるしかないでしょ」
「いやいや、おいしくないですよ」
「あのすみません」
絶賛討論中の俺らに声を掛けたのは男の悪魔だった。
大きい黒いキバに漆黒の翼。
そんな圧倒的な威圧感を誇る男が下手に話しかけてきた。
「入りたいです」
「あ……」
俺らがいたのは店の前、これじゃ他のお客さんが中に入れない。
「ご、ごめんなさい」
俺とリリーは平謝りした。
あんな下らない話で迷惑をかけるなんて申し訳なさすぎる。
「いえ、気にしないでください。ありがとうございました。それと」
「それと……?」
顔を上げて問う。
「私もゲテモノスープは美味しくないと思います」
男はニヤッと笑って中へ入っていった。
「えぇ!? うそでしょ!?」
一人は驚愕の声を上げた。
♂→♀
「でもせっかく遥々城下町まで来たんだからなんかしたいわね」
とりあえずさっきまでの論争は無かったことになったそうだ、まあいいや。
しかし本当にここには沢山の人(?)がいる。
こうやって通りを歩くだけでも肩がぶつかりそうになったりしてしまうのだ。
流石城下町といったところだ。
「アリア、なんかしたい事とかないの?」
「うえあっ!? すみません。えっとしたい事ですか? うーん」
正直今はそれどころではない。
道行く人とぶつからないようにリリーの手を握っているだけで精いっぱいだ。
てか今さっきぶつかったし。
「逆にリリーさんはなんか無いんですか?」
「そうね、私は……」
あれ、なんだ?
急に人の密度が減った気がする。
いや、気のせいではない。
確実に減っている。
俺らが歩くのと逆方向にどんどん人が流れて行っている。
流れる人の顔は、皆慌てていた。
「リリーさん、なんかみんなあっちに――」
振り返るとその原因が分かった。
ドシンドシンと地面が完全に揺れている。
そこには漆黒の影が居た。
特に何かの形というわけではなく、影がゆらゆらと炎のように蠢きながら近づいてきている。
「うわぁっ!? な、なんですか!?」
訳が分からない。
「アリア! 逃げるわよ!」
「は、はい!」
俺らも逆方向に身体の向きを変える。
「とりあえず走って!」
「はい!」
なんだあの後ろの物体は……?
あんなのはじめて、みた……?
「……?」
あれ……? 本当に初めてか……?
もう一度、俺は後ろを振り返る。
「アリア!? なに止まってんの!?」
周りの音が聞こえなくなった。
そして景色が消え、闇色の物体だけが空間に浮かんでいた。
この感覚は初めてではない。
前にもあった気がする。
塊がさらに近づいてくる。
あれ? なんだあれは……?
闇の一部分が光っている。
ここから見て塊の右後ろ側が。
あの光は一体……?
塊が大きく飛び跳ねた。
そしてその着地点には俺がいる。
ズドーン!
「……」
左側で塊が砂埃を上げていた。
そこはさっきまで俺が立っていた場所。
なんだ、身体が勝手に動いた。
そして目の前には闇の塊に浮かぶ光が。
俺は何をすればいいか分かった。
いや、分かるより先に身体が動いていた。
一気に距離を詰める。
右手がほのかに熱を持った。
手からバチバチと火花みたいなのが散っている気がする。
しかし確認はしなかった。
俺の視界には今、ターゲットの光しか映っていない!
「ふんッ!」
太古から身についている悪魔の本能的なやつなのか。
俺は今の自分の行動が分からない。
勝手に身体が動いていた。
視界にだんだんと色のついた景色が戻ってきた。
さっきまでの街並み、そして俺を囲う数々の悪魔たち。
「アリア……?」
ぺたんと地面に座り込むリリーがいた。
音も戻り、今は至って普通。
まるで一瞬だけ夢の中にいたみたいな、不思議な感覚。
ただ一つ、これが夢ではないと分かるのが、
「……」
俺の右手が突き刺していたこの闇色の塊だ。
なんか懐かしい、そんな感覚。
私の声をきっとあなたも――。