姫と王子、出会う
昔々から、リダレス帝国がある大陸とは別に、人の住む陸地があると言われて来た。
サフィーアは歴史の授業で大陸図を見ながら、そう説明された。リダレス帝国の海岸に船の残骸や、見知らぬ文明を感じさせる漂流物が稀にある。
海の向こうの、まだ見ぬ世界。
それが唐突に、サフィーアの現実にやって来た。いや、近付いた、と言う方が正しいだろう。
新しい造船技術が遠距離航行を可能にし、大陸間に中継地を置けば交易も可能である、と父皇帝が言い出したからだ。
とは言ってもまだ構想上の話。
ただ噂は独り歩きし、他国ではリダレス帝国は新大陸を発見し既に交易を開始している状態になっていた。
リダレス帝国の目は海の向こうに向いている、これを好機と、隣国ヴェンブルク王国が宣戦を布告したのは早計だった。
結果的に、二月での終戦。おまけに逆に領地に押し込まれ、国土を占領された。
何がしたかったのか? と、帝国は呆れ返った。
だがまあ、これで大陸中に牽制は出来た事だろうと、占領した国土と差し出された人質をそのまま受け取る事にしたのは、ヴェンブルク王国との交渉を早々に打ち切りたかったからだ。
リダレス帝国に人質として、ミューゼウス・ヴェンブルクがやって来て数日後。
皇帝は半年に一度ほど、家族を集めて晩餐会を開くのだが、その晩餐会が開かれて、ミューゼウスは皇帝家族の前に引き出された。
暗い色の多い帝国には珍しい髪の色と瞳の色を持った美少年は、下座で小さくなっていた。顔を俯け、用意された食事にもあまり手を付けない。
帝国の衣装を纏い、身綺麗にされている。皇帝としては来客、くらいに思っている。まあ宮殿の塔に軟禁してはいるが。
好奇、憐憫、同情、侮蔑。皇帝一家は物珍しそうにミューゼウスに視線をやるが、人質という名目上持て成しはしなかった。
会話も投げない。調子も尋ねない。
ただ、見ていた。
サフィーアは一度だけミューゼウスと目が合った気がしたが、その時の空虚な表情が折角の美貌を台無しにしていて、物語の王子様にときめく気持ちは失せてしまった。
諦めている。そんな風に思えた。
翌日、後宮ではその晩餐会が話題に上った。
サフィーアの母は第三と第四、それから第九の皇妃と仲が良い。四人で子供達の教育をしながら、他愛もない話に花を咲かせる優雅な毎日を過ごす。
サフィーアも刺繍を教わりながら皇妃の話を聞いていた。
「ミューゼウス王子も可哀想よねぇ」
「ヴェンブルクでの扱いも、アレだったんでしょう? 年もお1つしか変わらないのに、フィンセント王子とはくっきり明暗が分かれていらしたとか」
「ヴィンブルク国王はフィンセント王子ばかりを可愛がられていたと聞くわねぇ」
「うちとは違って、たった二人しか王子がいないのにね!」
第三皇妃は高位貴族の娘なので、日常会話でも言葉遣いが丁寧だ。同じ事を言っているのに、受ける印象が違うものだなぁとサフィーアは学ぶ。
「ミューゼウス王子のお母上はお亡くなりになっているのよね。伴もなくお一人では、不安でしょうしお寂しいでしょうね」
「なんか、ミューゼウス王子預けてさっさと帰っちゃったってね。あっち的にはさ、後継者争い? て言うの? にならなくてラッキーみたいな感じなんでしょ?」
第九皇妃は皇帝が視察中にその笑顔に惚れて召し上げた平民だ。市井の生活を教えてくれるお姉さん、ちょっと頭は弱い。子供は末の姫でまだ1歳。
後宮には多くの女性が居るが、皇妃と呼ばれるのは皇帝の子供を産んだ女性のみだ。
「おーじさま、かっこよかった!」
隣で絵を描いている妹姫は、無邪気に喜ぶ。多分ミューゼウスと自分の絵を描いている。
そうね、とサフィーアも心の内で同意した。
サフィーアは夢見る少女を卒業したので、見た目だけの男はいらない。そんなのは兄達だけで十分だ。
ひとしきりミューゼウス王子の境遇を不憫がった後、話は別の話題に移った。
人質としての価値の無い王子は、自分達の生活に影響しないだろう、そう結論付けて。
サフィーアの中でも半年に一度の晩餐会で顔を合わせるだけ、の、可哀相な王子として片付けられた。小娘の自分に出来る事は無いのである。
そんな風にして、三年が過ぎた。
11歳になったサフィーアは10歳でリダレス帝国の法律上成人したが、皇女であるがゆえ、後宮から出ることも出来ないまま、ただ成人したと言う事実があるだけだった。
男皇子は成人すると後宮から出され、それぞれの宮、あるいは王子宮に移される。
高位皇子皇女は、仰々しいミドルネームを与えられ、名前からして将来の優位を定められる。大々的に誕生祭を行い、国内外に広く知らされる。
それをされなかったサフィーアの立ち位置は、政略結婚の駒になれれば良い方だった。
皇帝からの寵は母にはとっくにない。サフィーアの嫁ぎ先によっては生家に戻るか、報酬を得て務めを終えるか、市井に堕ちるか――と言う具合。
サフィーアに嫁ぎ先がなければ、後宮の女官として生涯を拘束される事になる。腐っても帝家の血。易々と市井には降りられない。
仲の良かった皇妃達も疎遠になった。第三皇妃と第九皇妃が同じ頃に弟皇子を産み、派閥に変化が生じてしまった。
朗らかに居られたのは、子供が皇女だったため。後継者にならずとも、皇子の母と言うのはどうやら何かが違うらしい。
元々第二皇妃の派閥に入っていた四皇妃は、そのまま第二皇妃派ではあったものの、お互いの進退が不透明な今、付き合い方に慎重になっていた。
ただの家族の集まりだと思っていた晩餐会も、見方が変わった。
第一、第二、第三皇子は後継者争いのただ中。上が嫁いだ今、次の結婚相手を定められる第五皇女。お互いの顔色を窺い、腹を探り合う。人質であるミューゼウスには目もくれない。
――筈だった。
12歳の晩餐会で、第一皇子ナディール・シャー・ベラルディン・ディ・リダレスが、ミューゼウスの隣で楽し気に談笑し始めるまでは。
そしてミューゼウスは、臆する事無く応えている。
晩餐会場の目は二人に釘付けになった。口を噤み、耳を欹て、二人の会話に聞き耳を立てる。
サフィーアもまた、ミューゼウスの表情に目を奪われていた。何せ陰気に俯き、不幸だと顔に書いていた哀れな少年である。居場所のない国で独りを嘆いて、人生を諦めて光の失せた瞳をしていた。
その少年が堂々と背筋を伸ばし、真っ直ぐにナディールを見据え、話に耳を傾け、積極的に会話を続けている。時々微笑み、頷き、ナディールを笑わせている。
とても流暢な帝国語で。
人質としてやって来た時、ミューゼウスは共通語の大陸語しか話せなかった。敢えて皇帝が帝国語で話を振ると分かりませんと大陸語で答えて泣きそうになり、その後はもう誰にも話し掛けられなかった。
ミューゼウスの視線が、サフィーアに流れる。
目が合った、と思う。一瞬、確かに。
翳りのない、晴れ渡る空のような輝きを放つ瞳は、かの日の少年とはまったく違った。




