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16.会場にて

第48~51話

 黒布に覆われたまま、俺を入れた鳥籠が運ばれる。

 若い女たちの談笑や弦楽合奏の音が聞こえてくる。

 パーティーは、すでに始まっているようだ。

 その余興として、俺のお披露目ひろめがあるらしい。


「それでは、皆様に紹介いたします。

 これが、ネコと呼ばれる、噂の新種の動物でございます」


 司会者とおぼしき女の声がする。


 ばさっ。


 鳥籠を覆っていた黒い布が取り払われる。

 俺は、一瞬、まぶしさに目がくらむ。

 だが、すぐに目が慣れる。

 猫の瞳孔は、明るさの変化に素早く対応できるのだ。

 俺の目に入ったのは、籠を遠巻きに囲む着飾った若い淑女たちだった。

 ざっと四、五十人ほどいるだろう。

 短い静寂の後、会場は、どよめきに包まれる。


「まあ!」


「あああ!」


「なんて可愛らしいの!」


 パーティーの招待客たちは、口々に感嘆の声を発する。

 俺にとっては、飽きるほど経験したリアクションだが、悪い気はしない。


(それより、カトリーナは、どこにいるんだ?)


 辺りを見回す。

 カトリーナは、籠のすぐそばに立っていた。


「では、カトリーナ・プルサティッラ様。

 この新種を発見した経緯を話していただけませんか」


 司会者は、三十歳ぐらいの女性だ。

 招待された乙女たちよりは、やや地味なドレスを着ている。

 物腰や弁舌に気品がある。

 きっと、王宮の女官なのだろう。


「はい、わかりました」


 カトリーナは、少し照れくさそうな面持ちだ。

 最高級のドレスが、美しさを何倍にも高めている。

 さほど緊張した様子ではない。

 前日に俺の肉球をぷにぷにするなどした効果だろうか。


「あれは、数ヶ月前の、ある晴れた日のこと……」


 俺と出会った日のことを話し始める。


「……で、飼うことになったのです」


「貴重なお話をありがとうございました。

 ところで、質問なのですが……」


 司会者は、カトリーナに、俺に関する質問をする。

 カトリーナが答える。

 そんなやりとりを何度か繰り返す。




 そわそわ。

 そわそわ。


 会場全体が、そわそわした雰囲気になってくる。

 淑女たちが、司会者とカトリーナのやりとりに苛ついている。

 全員、俺に触りたい気持ちが抑えられなくなっているのだ。

 俺にはわかる。

 女たちの俺を見る目つきが、ちょっと恐い。

 獲物を狙う捕食者のようだ。


「司会のかた、少しよろしいかしら」


 一人の淑女が、手を上げる。


「何でしょうか」


「その動物に触りたいとおっしゃっている方がいるのですが」


 自分のことではないみたいな言い様だ。

 少しずるい。


「とのことですが、カトリーナ・プルサティッラ様、構いませんか」


「はい」


 カトリーナの返事で、会場に悲鳴にも似た歓声が上がる。


「うわあ!」


「きゃあ!」


 大勢が、俺のそばに集まってくる。


「皆さん、落ち着いてください」


 司会者が、参加者たちを制止する。


「やはり最初は、王妃様がふさわしいと思います。

 こちらにお越し願います」


 主催者であるワレリア王妃の登場だ。

 部屋の端にある特別席から歩いてくる。

 さすが王妃だけあって、優美さと威厳にあふれている。

 見た目には、四十歳ぐらいだろうか。

 想像より若かった。


「こんな可愛い生き物に触れられるなんて、嬉しいわ」


「ネ、ネコも光栄に思っていると思います」


 カトリーナは、王妃に深々とお辞儀をする。

 さすがに動作や口調に固さがある。


 司会者が、カトリーナに近づく。

 小声でカトリーナに問う。


「ところで、危なくはないとのことですが、本当に心配はないのですか。

 噛みついたりとか……」


「おとなしいから大丈夫です。

 ただ、手足の爪が意外と鋭いので、そこに気をつけてください」


 カトリーナが、俺を籠から出し、テーブルの上に置く。


「さあ、ネコ、王妃様のお相手をしてさしあげて」


「逃げ出したりはしないのですか」


「それも心配ありません。

 本当は、鳥籠に入れる必要もないほど利口なのです」


(それなのに、ずっと入れられてたんだからなあ)




「では、触らせてもらうわよ」


 王妃が、俺の頭から背中にかけてを撫でる。

 撫でられたりモフられたりに慣れている俺だが、何となく緊張する。


 なでなで。

 なでなで。


 撫でる手つきにも気品があるように感じる。

 気のせいだろうか。


「にゃあ」


「まあ、鳴き声まで愛らしい」


 王妃の表情が緩む。


(それにしても、俺も偉くなってしまったものだ。

 この国の王妃にまで撫でられてるんだからな。

 メガマウスのこともあるし、俺のことが人間に知られすぎるのは、いろいろと問題があるよな。

 安穏な生活が、どんどん遠ざかっていくなあ)


「実に優しい手触りの毛並みですわ。

 もっと撫でていたいのですが、これだけ人がいますとね」


 俺を触りたい人が、まだまだたくさんいる。

 触られ慣れてはいても、疲れそうだ。


「次は、誰にしましょうか」


 王妃は、淑女たちに目をやる。


「異国からの来賓である、あのお二方にいたしましょう」


 二人いるという外国人のうち、一人はすぐにわかる。

 褐色の肌とカラフルな民族衣装の少女が、さっきから見えていた。


「セルヴァル王国のアウラータ・カフラ姫様、ミョウゴ島のニッキ・ユキ様、どうぞこちらへ」


 司会者が、二人を呼ぶ。


「はあい」


 褐色の少女が返事をする。

 やはり外国人の一人だった。

 黄金と宝石の装身具が絡みついた派手な原色のドレスが、目にも鮮やかだ。

 喜び勇んで、俺のところに駆け寄ってくる。


 驚愕すべきは、もう一人のほうだ。

 その女は、それまで目立たない場所にいたらしい。

 俺は、その存在に気づかなかった。

 人垣をなす淑女たちの間からしずしずと進み出たのは、なんと和服!

 日本の着物を着た女だったのだ!



ᓚᘏᗢ



 司会者に呼ばれて、俺のそばに二人の少女がやってきた。

 一人は、セルヴァル王国のアウラータ・カフラ姫。

 もう一人は、ミョウゴ島のニッキ・ユキ。

 二人の恰好は、一人は南国風だ。

 もう一人は、不思議なことに、日本風だ。


「アウラータ姫様、触ってみますか?」


 司会者が尋ねる。


「もちろんであるぞよ」


 南国風の少女が答える。


(つまり、和服のほうが、ミョウゴ島のニッキ・ユキか。

 語感からして、ニッキ・ユキのほうが日本語っぽいもんな。

 ミョウゴ島とかいうのが、聞いたことがないので気になるが)


「おおお、セタリア王国にこんな可愛らしい生き物がいるとはのう。

 我が国のラーテルやリカオンより可愛らしいではないか」


 アウラータは、金色の瞳をきらきらと輝かせている。


(この世界って、猫はいないけどラーテルとリカオンは存在するのか。

 この人は、やはり前世の地球だとアフリカに当たる国から来たんだな)


 なでなで。

 もふもふ。

 なでなで。

 もふもふ。


「この生き物に出会えたのだから、この国に留学した甲斐があるというものだぞよ」


(留学生だったのか。

 ということは、日本人みたいな女の人も、そうなのかな)


「抱かせて欲しいぞよ」


「はい、どうぞ」


 カトリーナが答える。


「きゃうう、おお、よしよし」


 すりすり。

 すりすり。


 アウラータは、大はしゃぎだ。

 俺に頬摺りしたり、いろいろな抱き方を試したりする。

 子供っぽい性格のようだ。


「おとなしいところがよいのう。

 我が国には、動物はたくさんいるがの、なかなか人には懐かぬのぞよ」


「あの、そろそろ次に」


 司会者が、交替を促す。


「おお、そうであったな。

 では、ユキ殿、そなたも思う存分可愛がるがよいぞよ」


「え、ええ……」


 ニッキ・ユキが、しとやかな歩みで俺に近寄る。

 遠慮がちな様子だ。

 奥ゆかしい性格なのだろうか。




 ニッキ・ユキ。

 その外見は、確かに日本人である。

 切れ長の目。

 黒くて長い髪。

 ユキという名の通り、雪のように白い肌。

 灰色を基調とした和服は、生地は高級だが地味だ。

 アウラータとは、見た目も性格も対照的だ。


「ほんとに愛らしゅうございますわ」


 口元に笑みを浮かべ、細い指先で俺を撫でる。


 ぞくっ……。


 俺は、何か恐ろしいものを感じた。

 身の毛がよだつような感覚だ。

 実際に、体毛が逆立った。

 ユキの顔を見ると、口には笑みがあっても、目が笑っていないのだ。


 俺は、しばらく日本人の顔を見ていなかった。

 そのせいで、日本人の表情を読めなくなったのかとも思った。

 しかし、違う。

 やはり、ユキの目は、笑っていない。

 明らかに作り笑いだ。


(この人、猫のことが好きじゃないんだ)


 俺は、この世界で初めて日本人に出会った。

 同時に、猫好きではない人間にも初めて出会ってしまったのである。


(日本人なのに猫好きじゃないなんて!

 そりゃ日本にも猫嫌いはいるし、この人の住む日本が、前世と同じ日本とは限らないけどさ)


「ありがとうございました。

 よい経験になりましたわ」


 ユキは、数回だけ撫でただけで、俺から離れた。


「もうよろしいのですか」


「ええ」


 司会者の問いに、ユキは、集まった女たちに目をやりながら答える。

 順番が後の人への配慮だというアピールだ。

 猫好きでないことは、誰からも悟られた様子はない。


(この人は、単なる猫嫌いに過ぎないのだろうか。

 何かもっと怪しいものを感じるのだが)


 ただ猫が嫌いなだけなら、別に構わない。

 それ以上の何かがある。

 俺に恐怖感を抱かせる何かを、ユキは持っているような気がするのだ。




 その後、俺は、たくさんの淑女たちに撫でられ続けた。

 さすがに約五十人は人数が多すぎる。

 二十人目ぐらいで、ストレスが限界に達する。

 俺は、その場から逃げ出すことにした。


 ぴょーん。

 すたっ。


 テーブルの上から床に飛び降りる。


「きゃー」


「逃げたわ」


「早く捕まえないと」


 会場が騒ぎになる。

 俺は、遠くまで逃げるつもりはない。

 しばらく触られたくないだけだ。


「皆さん、安心してください」


 カトリーナが、会場内の人々に語りかける。


「あの子は、たまに気まぐれを起こして、どこかに行ってしまうことがあるのです。

 でも、またしばらくすると戻ってきます。

 どうか、そっとしておいてあげてくださいませ」


 しっかりと俺の考えを代弁してくれた。

 俺は、女たちの脚が林立する中を縫うように走り抜ける。

 部屋の端にブロンズの像があるのが目に入った。

 甲冑姿の騎士像だ。

 頭のてっぺんまでの高さが、二メートルほどある。


(あの上がいいな)


 たたたっ。

 ぴょーん。


 助走をつけ、垂直の壁に登る時の要領で、像の肩に跳び乗る。


「まあ、凄い」


「一瞬でレオンハルトの銅像に跳び乗ってしまったわ」


 図らずも、また淑女たちを感動させてしまった。

 銅像の周りに人だかりができる。


(撫でられ疲れたから、少し休むか)


 俺は、レオンハルトの肩に乗ったまま、目を閉じる。

 完全には眠らずに、意識をはっきりさせておく。

 人間たちがどんな話をするのかがが、気になるからだ。


「寝てしまったのかしら」


「気持ちよさそうな顔」


「起こさないようにしたほうがよろしいかと」


 皆は、俺が寝ていると思っているようだ。


「それでは、ネコを可愛がるのは中断して、ご歓談の時間としましょうか」


 司会者が、声量を落として提案する。


「それがよろしいと思います」


 王妃も賛同する。

 淑女たちは、広い部屋のあちこちに散らばってゆく。

 そばにいる相手との会話に花を咲かす。


(カトリーナは、どんな会話をしているのかな)


 俺は、目を閉じたまま、耳に神経を集中する。



ᓚᘏᗢ



 銅像の肩に乗った俺は、目を閉じて、ごく浅い眠りに入っている。

 耳と髭のチャンネルは、オンにしてままだ。

 音と空気で、会場の様子を窺っている。

 猫には、こういう器用な芸当も可能なのだ。


 ざわざわ。

 ひそひそ。

 ぺちゃくちゃ。


 様々な声が、耳に届く。

 俺の安眠を妨げないために音楽の演奏が止まっている。

 おかげで、人の声が聞き取りやすくなっている。


「可愛らしい寝顔ですわ」


「見ているだけで、こちらも気持ちよくなるような気がします」


 すぐ近くからの声だ。

 何人かは、銅像のそばで、ずっと俺を見続けている。


(カトリーナの声は聞こえるかな)


 耳を澄ます。

 たくさんの声や音の中からカトリーナの話し声を探す。




「……というわけなのです」


 やや離れた場所から、カトリーナが会話をしているのが聞こえた。


「すると、他には一匹も見つかってはおらぬのかや?」


 話の相手は、アウラータだ。


「はい、そうです」


「同じ生き物が他にはおらぬとは、考えづらいのではないのかの?」


「そこが、不思議なところなんです。

 普通なら、どこかに仲間がいそうなものなのですが」


(なぜか、そうなんだよなあ。

 この世界に、俺の同類はいないんだ……)


「お屋敷の庭で発見したとのことですが、どこから来たのか、心当たりはございませんのでありますか」


 次に質問した声は、ユキのだった。


「はい、元々どこに住んでいたのかもわからないのです」


(社交の場で二人の外国の令嬢を相手にするなんて、カトリーナも結構やるじゃないか)


「人の家の庭に突然現れる未知の生き物でございますか。

 それも、この世にたったの一匹……。

 不思議でございますわね」


 ユキが、俺のことを話している。

 意外と、俺に興味があるらしい。

 俺を嫌っていたようだったのに。

 カトリーナに話を合わせているだけなのだろうか。




 俺は、カトリーナたちの会話を聞き続けていた。

 すると、別の方向からの話し声が、不意に耳に飛び込んできた。


「……カトリーナ・プルサティッラって……」


「……生意気よねえ」


 カトリーナのことを話している人たちがいる。

 しかも、よい話ではなさそうだ。


「田舎者のくせに、パーティーの主役みたいに振る舞って……」


「たまたま珍しい生き物を見つけただけで、参加できる年齢でもないのに」


 カトリーナのことを妬んでいるようだ。

 そういう内容なので、俺の聴覚が過敏に反応したらしい。


(どこにでも性格の悪いやつはいるんだな。

 カトリーナの母が、厳しく立ち居振る舞いをしつけたのも、こういう連中に対抗するためだったんだ)


「あとで思い知らせてやりましょう」


「……恥をかかせるには……」


 ひそひそ。

 ごにょごにょ。


(何かよからぬ相談を始めたぞ。

 よく聞こえないなあ)


 俺は、目を見開く。

 会話の主のほうに目を向ける。

 二人の女が、部屋の端で、耳打ちをし合っている。


(あいつらだな。

 しっかり見張っていないと)


「あら、もう目を覚ましてしまったわ」


 レオンハルト像の近くにいた人が、俺が目を開けたことに気づく。

 また俺の周りに人が増える。

 自分のほうが、見張られている感じだ。

 この状態だと、俺が特定の人物を注目し続けているのは、不自然だ。

 カトリーナを性悪しょうわる女たちから守る手立ては、他にないものだろうか。

 そう考えていた時だ。


 ちょろちょろ。

 ちちち。


 俺の耳が、聞き慣れた音を感知した。

 人間には聞こえない、鼠の歩く音と鳴き声だ。

 パーティー会場のどこかに鼠がいるらしい。

 ミニメガマウスが一匹消滅しても、普通の鼠は残っているのだ。


(レオンハルトの像って、鼠除けのおまじないのはずなんだよな。

 なのに、役に立ってないじゃないか。

 いや、待てよ。

 この鼠は使えるかも)


 猫耳という高性能な集音装置で、音の発生源を探す。

 部屋の隅に置かれた大きな鉢植えの陰から聞こえる。

 鼠は、壁際をうろちょろしているのが普通だ。

 ドレスを着て悪巧みをしている鼠も、やや離れた位置の壁際にいる。

 好都合だ。


 ぴょーん。

 すたっ。


 俺は、銅像の上から床に飛び降りる。

 突然の急降下に淑女たちが驚く。


「まあ、あんな高いところから!」


「平気なのでしょうか」


「歩き出したわ」




 俺は、少し早足で歩く。

 目指すは、当然、鼠のいる場所だ。

 人間に目的を悟られないように、蛇行しながら進む。


「どこに行くのかしら」


「気品のある歩きかたね」


 鼠の隠れた植木鉢に近づく。

 前脚で床を叩く。

 わざと音を立て、鼠を脅すのだ。


 ちょろちょろ。


 鼠が動き出す。

 壁際には、立ち疲れた人が座る長椅子がある。

 人々は、鼠の存在に気づかない。


 ちょろちょろ。


 鼠は、長椅子の下を走って逃げる。

 二人の嫌なやつらがいるほうへ向かう。


(うまくいけば、あいつらに鼠をけしかけられるぞ。

 そうすれば、びっくりして悪さどころじゃなくなるはずだ)


「何かを探しているの?」


 いきなり、俺の背後から話しかけられた。

 カトリーナだ。


「小さいにもかかわらず、獲物を狙うライオンのようであるぞよ。

 勇ましいのう」


 アウラータも近づいてくる。

 他にも何人かが、俺の後ろに続く。

 その集団にユキの姿はない。

 悪役令嬢二人は、まだひそひそ話の最中だ。


(困ったな。

 お上品なレディーばかりだから、鼠が出たら大騒ぎなりそうだな)


「まさか、鼠がいるの?」


 カトリーナは、俺の姿勢が、鼠を追う時と同じだと気づいたらしい。


 ざわざわ。


「鼠ですって?」


 俺の周囲が、軽くざわめく。


 ちょろろろっ。


 鼠が、そのざわめきに驚いたらしい。

 長椅子の下から飛び出してきた。



ᓚᘏᗢ



「きゃあ」


「鼠よ」


 飛び出した鼠が、必死に走る。

 鼠の進行方向に悪女のうちの一人がいる。

 その衣装は、裾が床まで届く赤いドレスだ。


 ちょろろっ。


 鼠は、錯乱しているようだ。

 なぜか赤いドレスに飛びつき、素早くじ登る。

 それに気づいた女の顔が、恐怖でゆがむ。

 鼠が、胸元まで上がってくる。


「ぎょえええええっっ」


 女は、魔獣の咆哮ほうこうにも似た恐ろしい悲鳴を発する。

 激しく全身をくねらす。

 鼠を振り落とそうとしているのだ。

 勢い余って、自分のスカートを踏んで足がもつれる。

 転倒しそうになり、慌てて相方の女の服をつかむ。


「ちょっと、何?」


 つかまれた側は、事態を理解できていない。

 二人とも体のバランスを崩す。


「あ、とと……」


 二人で抱き合うようにしてテーブルに向かって倒れていく。

 土俵際でもつれ合う力士みたいだ。


 どんがらがっしゃーん。


 一つのテーブルがひっくり返る。

 弾みで、皿や食べ物が宙を舞う。

 二人の悪女は、盛大に情けない姿をさらすことになった。

 料理のソースを頭から浴びてしまっている。

 一見、血まみれなのかと思うほどだ。

 怪我はしていなさそうなのが、不幸中の幸いだ。

 鼠は、どこかへ走り去ってしまった。


(カトリーナを陥れようとした罰とはいえ、うまくいきすぎた。

 未遂なのに、ちょっと可哀想だったか)




 パーティーは、しばらく中断となる。

 会場全体に気まずい雰囲気が漂う。

 誰もが、二人に手を差し伸べるべきか否かを迷っている様子だ。

 こういう状況では、余計な手助けはよくないらしい。

 かえって淑女のプライドを傷つけてしまう場合がある。

 あえて知らぬふりをするのも、優しさであり、礼儀なのだ。

 貴族令嬢の扱いは、なんとも難しい。


 二人の悪役は、顔を真っ赤にして、逃げるように退室した。


(それにしても、鼠の多い世界だってのに、鼠一匹で取り乱しすぎだ。

 貴族の娘だと、鼠に慣れてたりはしないのかな)


「なんだか、あなたが鼠を追い出したことが原因で、こんなことになってしまったような気がするわ」


 カトリーナは、俺を床から持ち上げながら言う。

 かなり気にしているようだ。

 自分が被害者になりそうだったことを知らない。


「籠から出すべきではなかったのかしら」


「気にすることはありませんわ。

 こんな可愛い動物に罪はないのですから」


 カトリーナの横から声がした。

 話しかけた淑女の顔には、見覚えがあった。

 ジョセフィーヌ・メルヴァルだ。

 以前、俺を見るためにプルサティッラ家を訪れた少女である。

 魔女のサーナによる成りすましではなく、本物の方だ。

 今まで気づかなかったが、ジョセフィーヌも招待客の中にいたのだ。


「それに、私、あの人たちのことが苦手だったのです」


「え?」


「去年のパーティーでも、凄く嫌みな態度でしたの。

 あの人たちは、私たちのような地方貴族をさげすんでいるのです。

 隙あらば、恥をかかそうとしてきます。

 カトリーナさんにも、何かしたりしないかと心配していましたわ」


「そうですか……」


「ですから、ちょっと胸がすっとしましたわ」


 ジョセフィーヌは、肩をすくめて小さく笑う。

 カトリーナは、やや安心した表情になる。




 その後、パーティーは再開された。

 何事もなかったかのように進行し、終了した。

 俺とカトリーナが、プルサティッラ家の別邸に戻ったのは、夜遅くだった。

 その夜は、俺もカトリーナも、同じベッドでぐっすりと眠った。


「おはようございます、カトリーナお嬢様」


 メイドのリータとペギーが、カトリーナを起こしに来た。

 カーテンの隙間から差し込む日光が、薄暗い寝室に切れ目を入れている。

 光の角度からして、いつもの起床時間より遅い。


「おはよう。

 ああ、よく寝たわ」


 カトリーナは、ベッドで上半身を起こし、伸びをする。

 俺も一緒になって体の筋肉を伸ばす。

 久しぶりに鳥籠から解放された生活の喜びを味わう。

 籠の中は、十分な広さはあったものの、狭苦しい気分だった。


「本日は、馬車で王都の見物ですよ」


 ペギーが、カーテンを全開にする。

 一気に部屋が明るくなる。

 カトリーナは、手で目の上に庇を作り、窓の外を眺める。


「そうだったわね」


 昨日も一昨日も市内見物どころではなかった。

 カトリーナは、今日ようやく町中に出かけられる。

 本宅のある田舎と違い、都会には見所が多い。

 パーティーと同じくらい楽しみにしていたのだ。


(俺は、一足先にちょっとだけ町に出てたけどね)


 カトリーナが、化粧台の前に座る。

 リータが、カトリーナの髪を整える。


「昨日のパーティーでは、主役として活躍したんですってね。

 このお屋敷のメイドが、宮殿で働くメイドから聞いたのです」


 リータは、しゃべりながら作業を続ける。


「主役は、わたしよりもネコの方よ」


「その飼い主なら、同じく主役と言っても構わないと思います」


 ペギーも、リータを手伝いながら話す。


「そうかしら」


「ペギーも私も、ちょっと誇らしい気分なんです。

 私のような田舎者は、都会の上流階級から侮蔑されやすいもので」


「王都の伯爵令嬢が、鼠一匹のために大恥をかいたとも聞いています。

 その原因が、ネコにあるのだとかなんとか」


「そうかもしれないの。

 恨まれて仕返しでもされたらと思うと心配だわ」


「その時はその時です。

 家格からすれば、プルサティッラ家が劣っているわけではありません。

 何とでもなるはずです」


 リータは、自信ありげだ。

 自信の根拠は、ペットである俺にはわからない。

 カトリーナも、よくわかっていなさそうな表情だ。


(まあ、すでに起きてしまったことを俺が気にしてもしょうがない。

 後のことは、偉い人がどうにかしてくれ)




 カトリーナの身支度が終わった。

 次は朝食だ。

 俺と一緒に食堂に入る。

 カトリーナの母は、すでに自分の席に座っていた。


「おはようございます、お母様」


 カトリーナは、座ろうとするが、自分では椅子を動かさない。

 執事が椅子を動かすのに合わせて着席する。

 本宅にいる時より貴族らしい振る舞いだ。

 俺は、部屋の隅に設えられた俺専用の食事場所に案内された。


「おはよう、カトリーナ。

 よく眠れたかしら?」


「ええ、なんとか。

 これから王都の観光をして、明日からは帰りの旅です。

 しっかり疲れを取っておかないとなりませんからね」


「そのことなのですけどね、予定が変わってしまったの」


「ええっ?」


「今朝、急にこちらにお客様がいらっしゃることになったの。

 なので、町を見に行くのは、できなくなりそうなの」


 突然の来客とは、一体誰なのであろうか。

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