11.謎の女
第32~34話
「ああ、この優しい手触り。
なんて心地よいのかしら」
ジョセフィーヌが、両手で俺の体をさする。
すりすり。
すりすり。
(みんな、こうやって俺の毛並みを乱すんだよなあ。
あとで毛繕いが大変だ)
最近の俺は、モフられることに贅沢になってきた。
モフり慣れていない人からの扱いは、少し気分が悪い。
「可愛いだけではなくて、不思議な力を感じます」
ジョセフィーヌが、うっすらと笑みを浮かべる。
美しいが、どこか不気味な表情だ。
この不気味さに気づいたのは、俺だけらしい。
周りの人たちは、一緒になって楽しげに微笑んでいる。
「やはり、私の使い魔にふさわしい」
ジョセフィーヌが、周囲には聞こえない小声でつぶやく。
(何のことだ?)
俺は、意識を失っていた。
気がついた時、ジョセフィーヌの片腕に抱かれていた。
何が起きたのか、全くわからない。
状況を理解するために周囲を見回す。
青い空。
白い雲。
遠くに見える山脈。
ここは、地上ではない。
地上から何百メートルもの上空だ。
緑の地面が、遙か下に霞んでいる。
「お目覚めのようね」
「にゃ!」
「あなた、私の言葉がわかるわよね。
あなたを私の住まいへ案内するわ」
(一体何を言っているんだ、こいつは?
というか、どういう状況なんだ?)
「あの家の人には悪いけど、勝手に連れてきたの。
説得しても、あなたを渡してはくれないと思って」
ジョセフィーヌは、細い棒にまたがって飛行している。
プラチナブロンドの髪が、さらさらと風になびく。
俺は、体を伸ばしてジョセフィーヌの体の後ろを見た。
その棒の正体は、箒だった。
ということは……。
(こいつは、魔女なのか!)
一瞬驚いたが、もはや驚愕するほどでもない。
数日前には、妖精に出会った。
妖精がいるなら、魔女がいても不思議ではないだろう。
この世界では、俺も魔女や妖精と同類に等しい。
同類に好かれるのも、自然なことのような気もする。
断りもなく俺を連れてくるのは、納得が行かないが。
やがて、箒の進む先に険しい岩山が見えてきた。
石化したドラゴンを思わせる山容だ。
ごつごつした岩が、不気味な雰囲気を醸し出している。
いかにも魔物の類いが住んでいそうだ。
もし人間がこの山を知っていれば、「魔の山」などと呼んでいるだろう。
「さあ、もうすぐよ。
じっとしていてね」
ジョセフィーヌの箒は、徐々に高度を下げる。
岩山の中腹あたりに接近する。
ほぼ垂直に切り立った岩が、人間の近づくのを拒んでいる。
ひゅううう。
びゅびゅうううう。
風が強い。
下から上へ、渦巻くように吹いている。
俺の体は、不安定に揺れる。
今にも振り落とされそうで恐ろしい。
ジョセフィーヌは、慣れているようで、余裕の顔つきだ。
大きな岩の裂け目が、俺の眼前に迫る。
この中に何かがあるのだろうか。
暗くてよくわからない。
箒に乗ったまま、裂け目の中へと入ってゆく。
暗い中をしばらく奥へ進む。
空気が、ひんやりとしている。
ぴかっ。
急に洞窟内が明るくなる。
広い空間に木造の小さな小屋が建っている。
「驚いた?
私が帰ってくると明かりがつくようになっているのよ」
ジョセフィーヌが、小屋の前の地面に降り立つ。
箒は、自分から小屋の壁際まで飛んで、そこで動かなくなる。
小屋の扉が、ひとりでにすっと開く。
ジョセフィーヌは、俺を抱いたまま扉をくぐる。
屋内が明るくなる。
自動で扉が閉まる。
(自動ドアとは、前世以来だな)
俺は、周りを見渡す。
小屋の中は、外見の印象よりも小綺麗だ。
家具類は、貴族が使うような高級品ばかりだ。
「ネコさん、ようこそ我が家へ」
俺をテーブルの上に下ろす。
「私は、ジョセフィーヌ・メルヴァル……ではなくて、魔女のサーナ。
ジョセフィーヌの名前を借りていたの。
私を知る人は、私のことを『岩の割れ目に住み、山の高みを占める者』とも呼ぶわ」
いつの間にか、ジョセフィーヌ……ではなく、サーナの服装が替わっていた。
黒いローブ。
つばの広い尖った帽子。
典型的な魔女や女魔導師の恰好である。
(ほんとに魔女ってこんな服を着るんだなあ)
感心している俺の目の前に、皿がふわふわと飛んできた。
皿の上には、肉の切れ端が、いくつか乗っている。
「さあ、これでもお食べなさい」
俺の食べ物をわかっているようだ。
腹が減ってきたので、肉をいただくことにした。
美味だ。
プルサティッラ家の肉より旨いかもしれない。
魔女の出す食事なんて、考えてみれば、かなり怪しい。
何の肉なのか、気になるところだ。
だが、もう食べてしまった。
余計なことは気にしないようにしよう。
「ねえ、ネコさん。
あなた、私の使い魔になってみたいと思わない?」
猫の姿では、サーナに答えるのが難しい。
俺は、妖精に会った時のことを思い出す。
あの時の能力を発揮すれば、人の言葉を話せるようになる。
あの日以来、一度も能力を使っていなかった。
巨大化した時の感覚を思い起こし、意識を集中する。
ぐぐぐ……。
意外と簡単に、ライオンぐらいに大きくなった。
テーブルの上から体がはみ出し、皿と一緒に床に落ちた。
どてっ。
体が大きいと、小さい猫の時と同じ感覚で着地ができない。
床に転がってしまう。
「ドジったにゃ。
それで、使い魔とは、一体何のことにゃ?」
「これが、噂の巨大化の術なのね」
俺に関する噂が、人外の者たちの間に広まっているらしい。
サーナは、俺を興味深そうに見つめている。
「大きくなっても可愛いし、毛並みも綺麗だわ」
俺に抱きついてきた。
頬摺りをしたり撫でたりする。
すりすり。
もふもふ。
すりすり。
もふもふ。
(早く俺の質問に答えて欲しいんだが)
その時である。
ばんっ。
突然、大きな音がした。
小屋の扉が、むりやり開けられたのだ。
「ちゅう」
入ってきたやつの声には、聞き覚えがあった。
ᓚᘏᗢ
小屋に飛び込んできたのは、ミニメガマウスだった。
妖精のところで戦わされた偽物とは違う。
本物だ。
巨大な生きた鼠である。
作り物らしさなど、全くない。
(こんなのが洞窟の中にいたのか?
気づかなかったぞ。
俺は、メガマウスを感知できるんじゃなかったっけ)
人間の子供くらいの大きさ。
現実の鼠よりは丸っこい体型。
二本足で立っている。
これらの点は、偽ミニメガマウスと共通している。
小動物らしい可愛さは、皆無だ。
「ちゅ、ちゅう」
だいぶ怒っているようだ。
歯をむき出しにして、まるで臨戦態勢の闘犬だ。
短い両手を鳥のように上下にばたつかせている。
ばたばた。
ばたばた。
「あらあら、そんなに興奮しないで」
サーナは、俺に抱きついたままだ。
平然としている。
俺から離れ、ミニメガマウスに歩み寄る。
「お前は、あいつが敵になることがわかっているね」
ミニメガマウスは、俺に襲いかかりたいようだ。
サーナになだめられている。
なだめながら、俺に問いかける。
「ねえ、ネコさん。
このミニメガマウスと戦ってみない?」
「にゃ?」
この前、偽ミニメガマウスと戦わされたばかりだ。
また、やらなければならないのか。
迷惑な話だ。
「あなたが、妖精の偽ミニメガマウスと戦って勝ったのは知っているわ。
今度は、本物のミニメガマウスよ」
「どうして、俺とそいつを戦わせたいにゃ?」
「私の使い魔にふさわしいのが、どちらなのかを決めたいの」
「何を言ってるにゃ?」
サーナは、興奮するミニメガマウスの背中を手で押さえながら、話を続ける。
「私のような魔女には、使い魔と呼ばれる存在が必要なのよ。
今までは、この子を使い魔にしていたの。
でも、あなたのほうが、私の使い魔にふさわしい気がするのよね。
何となくだけど」
確かに、魔女と猫の組み合わせは、絵本などでよく目にする。
サーナは、自分と猫が相性がよいことを、第六感で知覚したのだろう。
俺が転生するまで、猫が存在しなかった世界なのにだ。
さすが魔女である。
もっとも、魔女の相方は、黒猫が多いと思う。
茶色の俺は、ちょっと似合わないかもしれない。
……そんなことを考えている場合ではなかった。
「なぜ、俺が、お前の使い魔にならなきゃいけないにゃ。
勝手に決められる筋合いは、どこにもないにゃ」
「そのほうが、人間のところにいるよりましだからよ。
私とあなたが組めば、私もあなたも魔力がもっと強くなるわ」
さも当然といった態度で微笑む。
妖精のシルヴァもそうだが、この世界の異種族は強引だ。
相手の都合を聞かずに、事を進めようとする傾向がある。
強引でない者は、俺の前に出てこないだけなのかもしれないけど。
「それでは、早速戦闘開始よ」
サーナが、ミニメガマウスから離れる。
ミニメガマウスは、待ってましたとばかりに、俺に向かってくる。
偽ミニメガマウスと同じような一直線の突進だ。
どどどどどっ。
俺は、すでに巨大化して能力が上昇している。
簡単に突進をかわすことができた。
どかっ。
ミニメガが、小屋の壁に激突する。
小屋全体が、大きく揺さぶられる。
ミニメガは、すぐに方向転換をする。
広くない小屋の中で俺を追い回す。
綺麗に設えられた家具類が、竜巻に飲まれたようにバラバラになる。
俺は、小屋の外に飛び出す。
ミニメガも俺に続く。
この場所は、岩に囲まれた洞窟の中だ。
洞窟の奥は、どうなっているのかわからない。
入り口のほうは、険しい崖だ。
(逃げるのは無理か。
こんな場所で、どうやって戦えばいいんだ?
相手は、作り物じゃない。
本物の巨大鼠だぞ。
こいつに勝つには、殺さなきゃならないけど、いつもの鼠退治みたいなわけにはいかないよなあ)
逃げながら対策を考える。
ミニメガの鋭い前歯が、俺の尻尾に迫る。
考えても仕方がない。
俺は、体の向きを百八十度変え、立ち止まる。
ばしっ。
ミニメガに片手の肉球で殴りつける。
綺麗に顔面にヒットした。
ミニメガの体が、岩の上を転がる。
そのまま岩壁にぶつかり、倒れる。
(俺にこんな力があったとはな。
以前に森の木を倒したから、これぐらい普通かもしれないけど)
「すごいわ。
これが、あなたの力なのね」
箒に乗ったサーナが、俺のそばに飛んでくる。
「これなら、メガマウスとも戦えそう」
「そんなこと言われても、まだ自分の力がよくわからないにゃ。
それに、メガマウスって、あいつの親分みたいなものなんだろにゃ?
勝てる自信がないにゃ」
「ちゅう」
「あら、ミニメガマウスが起き上がったわ」
どどどどどどっ。
猛スピードで襲い来る。
鬼気迫る形相だ。
口を大きく開く。
「ぐわあっ」
俺の顔を目がけて飛びかかる。
最大の武器である門歯が、俺の眼前で光る。
上下合わせて四本の剣のようだ。
こんなのに噛まれたら、ひとたまりもない。
(来たな)
今の俺は、動体視力が向上している。
冷静に相手の動きを見ることができる。
ばしっ。
俺は、再び肉球でミニメガを殴る。
ミニメガは、頭に肉球の打撃を受けた。
どごっ。
顔面を岩の地面にたたきつけられる。
そのまま動かなくなった。
「すごい一撃だったわね。
この技を『ネコパンチ』って呼びたいわ」
サーナは、俺の少し上を箒で浮遊している。
現在の使い魔が倒されたというのに、暢気な顔だ。
「さあ、早くとどめを刺して」
「いや、それはちょっと……にゃ」
ミニメガは、小さな鼠とは訳が違う。
噛み殺したり爪で切り裂けば、凄惨な光景となるだろう。
さすがに、ためらわれる。
「ちゅ……う……」
ミニメガが、意識を取り戻した。
よろよろと起き上がろうとする。
四つの前歯が、全て折れている。
口から血を流し、一層恐ろしげな顔つきだ。
ᓚᘏᗢ
「ちゅちゅうーっ」
ミニメガマウスが、今までと違う声を出す。
体を変なふうに揺らし始めた。
どうやら踊っているらしい。
見ているだけで力が抜けるような間の抜けた踊りだ。
(この動作、見たことがある。
偽ミニメガマウスがやったやつだ。
あの時は、大量のミニ偽ミニメガマウスが現れたんだ)
もぞもぞ。
もぞもぞ。
ミニメガの体毛の中から、普通の鼠が出てきた。
一匹、二匹、三匹……。
あっという間に、何百匹もの鼠が、ミニメガの足下を埋め尽くす。
ざわざわ。
ざわざわ。
「本体のミニメガマウスを殺さない限り、無限に鼠が湧き出てくるわよ」
サーナが、俺の頭上からアドバイスする。
「やはり、殺さなきゃならないのにゃ」
「ちゅうーっ」
けたたましいミニメガの叫びが、洞窟内に響く。
この声が合図だった。
鼠たちが、一斉に動き出す。
俺に向かって怒濤のごとく攻め寄せる。
ざざざざざっ。
ざざざざざっ。
俺は、跳び上がって、鼠の大群をかわす。
鼠たちは、向きを変えて俺を追う。
(この洞窟の中を逃げ続けるのは無理だ。
それに、鼠の数もどんどん増えてるぞ。
さっさとミニメガと勝負をつけるしかない)
俺は、意を決した。
ミニメガを目がけて突撃する。
鼠たちを踏み潰しながら走る。
前足の爪を立て、ミニメガに襲いかかる。
「ちゅう」
ミニメガが、俺の攻撃をよける。
俺の鋭い爪に恐れをなしたようだ。
この時、俺は、あることを思いついた。
今はライオンぐらいの大きさだが、もっと大きな体になれるのだった。
心で巨大化を念じる。
すぐに三メートルほどの体高になった。
「ちゅう」
ミニメガが、後ずさりする。
見るからにおびえている。
逃げ始めた。
「待つにゃ」
今度は、俺が追いかける番だ。
森で偽ミニメガマウスと戦った時は、木が邪魔だった。
この洞窟に木は生えていない。
俺のほうが有利だ。
俺は、巨体を軽々と走らせて、ミニメガを追跡する。
ミニメガは、必死に逃げ回る。
俺の足には、小さな鼠が何匹か噛みついているが、全く痛くはない。
追いかけているうちに、次第に猫の狩猟本能が目覚めてくる。
前足を伸ばし、ミニメガの尻尾を踏みつける。
どてっ。
ミニメガが倒れる。
俺は、本能の赴くまま、ミニメガの首に牙を立てる。
がぶっ。
「ぢゅっ」
ミニメガの断末魔の悲鳴だ。
動きが止まる。
全く苦戦した気がしなかった。
偽ミニメガマウスを相手に訓練したからだろうか。
ぷしゅぅ。
ミニメガの体が、変な音を立てた。
みるみるうちにミニメガが小さくなる。
まるで風船がしぼむようだ。
ついに普通の鼠の死骸になってしまった。
「なんだこれ? にゃ」
「魔力を失ったのよ」
サーナが、地面に降りてきた。
死んだミニメガを哀れむように見下ろす。
「ミニメガマウスは、メガマウスから魔力を与えられた子分なのよ。
死ねばこうなってしまうわ」
身をかがめ、ミニメガの死体に手をかざす。
何かの呪文を唱えると、死体が消えた。
他の鼠たちは、攻撃性を失い、地面をうろうろとしている。
「ミニメガマウスは、この世界の歪みから生まれた魔物。
この世界に生きる私が使い魔にする存在ではなかった。
いずれ、このように滅ぼされる運命にあったのよ」
「で、今度は、俺を使い魔とやらにするのか? にゃ」
「そうねえ……」
サーナは、顎を人差し指と親指で押さえながら考え込む。
「それに、プルサティッラ家の人たちが今頃どうしてるか、気になるにゃ。
突然俺がお前に連れ出されて、大騒ぎになっているはずにゃ」
「ああ、それは……」
サーナが何かを言おうとした、その時だった。
ごごごごごごっ。
突然、洞窟内に轟音が鳴り響く。
鼠たちは、パニックになって走り回る。
俺は、その場に立ち尽くす。
「まずいなあ」
サーナが、小声でつぶやく。
困ったような表情だ。
「サーナ!」
どこからともなく、女の声がした。
サーナの体が、ビクッと震える。
声の主は、サーナにとって、よほど恐い存在なのだろう。
俺も、何か恐ろしい気配を感じていた。
サーナより遙かに魔力の強い何者かが近づいてきている。
頭上に目をやる。
空間に黒い穴が開いている。
その穴から人の姿が出現した。
サーナと同じような黒い服装だ。
魔女に違いない。
空中で仁王立ちの姿勢だ。
「勝手に何をしておるのじゃ」
宙に浮いたまま、サーナを叱りつける。
「ええと、鼠の問題を解決するために、いろいろと」
「余計なことを。
おぬしのしていることは、この世の理を乱す行為じゃ」
「ですが、お母様」
サーナは、俺の前足に体を擦り寄せる。
(母親だったのか。
この魔女も、母親にはかなわないんだな)
「私がなんとかしたかったんです。
この子と一緒に」
「それが、余計だと言うのじゃ。
お仕置きじゃ」
ばばんっ。
雷のような光の塊が、サーナの頭上に落ちる。
「きゃっ」
サーナが、その場にへたり込む。
帽子が飛ばされ、頭から煙が出ている。
俺には、何の衝撃もなかった。
「そこの動物よ。
迷惑をかけてしまったようじゃな」
サーナの母親が、空中から地面に降りてきた。
近くで見ると、意外な姿だったので驚いた。
小さいのである。
ただ背が低いのではない。
サーナよりも小さな少女なのだ。




