最終話
3階はもう全ての照明を消しており、真っ暗なままだった。
だが、私がエレベーターから一歩外に出ると、照明が一斉についた。
ユウタくん、このやり方はやめて欲しい、慣れないし、怖い。
dスタジオまで足を運び、スタジオの中に入り、ぐるりと辺りを見回した。
ユウタくんは、最後列の端にちょこんと座っていた。
私は階段を登り、彼に来週のことを伝えるべく近づいて行った。
ユウタくんはこちらに気付き、ポップコーンを握りしめながらこちらへと手を振っていた。
「チン、遅かったじゃん!今日もコスモスやらなかったよ?」
「ごめんごめん、今みんな他に観たい映画があってね、なかなかコスモスが観れないんだ」
「そんなの、いいじゃん!僕ずいぶん待ったよ、座ってるのも疲れた!」
と、シートから飛び降り、ポップコーンは床に跳ねて落ちた。
スクリーンの下まで彼は駆けていくと、しゃがんだ。
散らかっちゃったな、片付けないと、と思ったが言葉には出さなかった。
ずっと映画が観たくて我慢しているのだ、少しは優しくしてあげてもいい。
また私が近寄ると、彼は寂しそうに言った。
「ボク、もう死んじゃってるんでしょ?」
とても、寂しそうだった。
「でも、コスモスをチンと観るって約束してたから、ずっとコスモスがやるの待ってたの。チンが大きくなってるのみて、わかったんだ、やっぱりボクは死んじゃってるんだって、いつも気づくとあの席にずっと座ってるの。トイレ行きたくなったから、ママに連れてってもらおうと思ったけど、ママもいないし、怖かった、寂しかったよ」
私は胸がキュッと締め付けられるのを感じた。
心臓を、ヒモで縛られるかのように、キュッと。
「大丈夫だよ、俺が来週の木曜日にコスモス観れるように映画館の人にお願いしたんだ。約束してた、コスモスvsジャスティス ザ・ファイナル、一緒に観ようよ」
すると彼は曇っていた表情からは考えられないほどに明るい顔になり、変身ポーズをとった。
「コスモス!」
と高らかに声を張り、拳を突き上げた。
その姿が、純粋すぎて、無垢すぎて、少し泣けた。
泣いてはいけない、私は、なんとかして、彼と約束をしに来たのだ。
「だから、来週の木曜日。夜の8時から始めるよ?それまで、他の映画館のお兄さんやお姉さんを驚かしちゃダメだよ」
ユウタくんは興奮し、とにかく喜んでいた。
「わかった!じゃあ次会える時、コスモスやるその前までに映画のチケット持ってきてくれる?ボク、入口からちゃんと入りたい!チンがチケット受け取る人やってよ!映画館ごっこしよ!」
チケットか、20年前はチケットだったもんな、と納得し、手書きでもいいから作らないとな、と思った。
「うん、約束だよ。ポップコーンも俺がちゃんと持ってくるからさ、チケットだけ持ってきてね、約束だよ?」
「うん!わかった!でもチン、臭いから!ちゃんとお風呂入って、シャンプーしてからきてね!」
と言うと彼は嬉しそうに階段を駆け上がり、靴を光らせ、仄暗い最後列の端まで行き、姿が見えなくなった。
約束ができた、これで、dスタジオのレイトショーで、怪異なことが起こることもあるまい。
床に散らばったポップコーンを片付け、考えた。チケット、臭い…臭いのはきっと汗とタバコだろう。子どもには確かに悪い。少し反省した。
チケットはどうしたものか、と、困ったが、スタッフの中に漫画家志望の絵が上手な人がいる。
彼女に頼んで一枚作ってもらおう、そう思い、急いで事情と情報を仔細に書いたメッセージを送り、報酬としてシフトの交代と飲み代の奢りで話がついた。
おかげで来月の七連勤が喜ばしく決まった。少し項垂れたが、私のやるべきことをやるのだ。最高のお見送りにしたい。
そうだ、入場特典として映画に出てくるコスモスやその他の怪獣やらのソフビをつけてあげよう。
そんなアイデアを思い浮かべながら、dスタジオの清掃を終え、退勤した。
翌日、私はおもちゃ屋とリサイクルショップを巡り巡った。
すると、ザクザクと見つかる見つかる。
こんなのいたな、懐かしい、と感慨深いものがあった。
ただ、やはり成人男性がそういったところにいると少し訝しげな目で見られてしまう。
少し恥ずかしかったが、約束のためだ。
いいものにしたい、それに尽きるのだ。
驚きの安さでソフビは揃い、彼にプレゼントするべく、家に帰りよく洗い、乾かした。
そうして、まもなくしてチケットができたよ、と報告があった。
お願いしていたように前売り券風に、当時のものとそっくりな絵で。
「映画のチケット作ってみたかったからさ、すごくいい機会だった!dスタの子用でしょ?チンがそれやるって聞いて、チケカウンターも盛り上がってた!そのホラー体験、絶対次の飲みで教えてよね」
「もち、任せといて、描いてくれてありがとね!」
大切に封を閉じ、エプロンにしまった。
また締め作業を他の人から代わり、全ての作業を終え、コスモス上映前日、ユウタくんにチケットを渡そうと3階に上がり、dスタジオまで出向いた。
一斉に3階の照明が全てついた。
慣れない。
するとやはり、いつもの席にユウタくんはいた。
私に気づくとまたポップコーンを跳ね上げ、散らかしながらこちらへと向かってきた。
「ポップコーンもったいないし、散らかしちゃよくないよ。ちゃんとルールできない人にはチケット渡せません」
と一喝すると、しっかり叱られた子どもの対応をとられ、少し笑ってしまった。
「はい、これ明日のコスモスのチケット。夜の8時からだからね?遅れて来ないように!」
封筒を渡し、ユウタくんは満面の笑みを浮かべた。
「やった!やった!」
チケットを見て、すごく嬉しそうだった。
「じゃあ、俺は帰るから、また明日ね」
と約束を交わした。
「チンも遅れないでね!」
と彼はチケットを持った手をブンブンと振っていた。
私は部屋に戻り、明日の支度をしていた。
ソフビの詰め合わせと、スタジオの貸切代、コスモスのDVD、それらをリュックに詰め、ユウタくんのことを想った。
これで彼が安心して心から眠れるように、手助けをしたい。
私が映画館に勤めることを知り、ずっと待たせていたのだ。
申し訳ない気持ちと、待っててくれてありがとう。そう思った。
明日はいいレイトショーになる、そう願い、眠りについた。
翌日、スタジオの貸切手続きを踏むべく、上映の2時間前にスタッフルームへ向かい、手続きを済ませ、映写室の扱い方を教わり、DVDプレイヤーを映写機に繋ぎ、リモコンで操作できることを確認し、上映時間を待った。
待ち時間は、タバコを吸うのを我慢した。
5歳児には悪影響すぎる。
コーヒーを飲み、休憩室のマンガを読み漁り、ようやく上映30分前になった。
リモコンを持ち、ポップコーンを買い、dスタジオの入場受付で、彼が来るのを待った。
ウルトラマンコスモス、放送当時毎週楽しみにしていたことを覚えている。
優しさと強さを併せ持ち、慈愛の心で怪獣と接する。
怪獣を理解し、救済する、そんなウルトラマンだった。
主題歌も印象的だった。
『戦いの場所は 心の中だ』
『自分にだけは決して負けない』
『ほんとうは敵なんかいない』
そんなフレーズばかりで、それがカッコいい、とまで思っていた。
そんなコスモスの如く、私はユウタくんに接したい。
上映15分前に、ユウタくんはトイレから現れた。
模範的な映画ファンの姿勢だ。
いつもdスタジオの中から見ていたのだろう。
ユウタくんはニコニコとし、こちらを見てチケットを高く掲げ、駆け寄ってきた。
彼の靴は光っていた。
また、それに負けないくらい彼の瞳は輝いていた。
「はい!チケット!」
やはり5歳だ、映画館ごっこをしているつもりなのだろう。
だから私もキチンと映画館スタッフらしい対応をとった。
「サクライユウタ様ですね、お待ちしておりました。こちらが、ご用意させていただいたポップコーン、オレンジジュースセットです。途中でトイレに行きたくならないように、あまり飲みすぎないこと。他の人の迷惑にならないようにポップコーンを食べること、きちんとお兄さんと約束してください」
「はい!」
と満面の笑みを浮かべていた。どこまで話を理解したかはわからないが、とにかく観れることが嬉しいのだろう。
「もう入っていい?入っていいの?どこに座ればいいの?」
「お客様、少々お待ちください」
そう言い、リュックからソフビを詰めた袋を取り出し、渡した。
「こちらは入場特典となっております。ポップコーンを置いた後に、中身を開けてください」
と伝えると、いよいよ興奮してきたようで、ドタドタと足踏みをしていた。
そんな姿をかわいらしく思いながら、映画館ごっこを一旦終え、いつもの私の口調で
「さあ!コスモス、観よう!ほら、中入って入って」
そう促し、私はポップコーンとオレンジジュースを持ち、自分で用意したアイスコーヒーと一緒に入場し、座席まで案内した。
いつも端で観ていたのだ、ぜひ、スクリーンの真ん前ど真ん中、そこで映画体験をして欲しい。
そう思い、誘導した。
ポップコーンを座席に置き、私は扉を閉めに向かった。
背中側から「コスモスの人形だ!」と大きな声が聞こえた。
よかった、喜んでくれたのだ。
8時の5分前になったため、扉をパタム、と閉め、場内アナウンスをするかのようにスクリーンの前に立ち「上映5分前です、ブザーの後に、映画が始まります!」とユウタくんに向けて喋った。
座席からは「はーい」と元気の良い声が聞こえてきた。
いい子だ。
8時になったため、私は自分の口で上映開始のブザーの音を出し、照明を消し、急いで席に戻りながらリモコンの再生ボタンを押した。
レイトショーが始まった。
ユウタくんは爛々と目を輝かせ、こちらを見て「始まるね!」と小声で話しかけてきた。
私は「シー」と口の前に人差し指を立て、スクリーンに目を向けるようジェスチャーした。
映画はやや難しい内容だった。
5歳児には物語が全てわかるわけではないだろう。
ウルトラマンの活躍が観たいのだ、コスモスが、優しく怪獣を鎮める。
そこを楽しみにしていたのだろう。彼は口を開けたまま、ポップコーンを手にしていた。
私は、映画そっちのけで、ユウタくんにばかり気を取られていた。
少し話は理解した上で、彼の一挙手一投足を眺めていた。
コスモスのカッコいいシーンに喜び、ジャスティスとの共闘にはしゃぎ、あっという間に映画の終わりを迎えた。
エンディングが流れ終わり、ユウタくんは拍手をしていた。
私も一緒に拍手した。
彼の映画の感動体験に、華を添えるように。
そうして語り始めた。
「チンはさ、コスモスみたいだよね。優しくて、強くて、カッコいい、コスモスになってるんだね」
と言ってくれた。
「そのままコスモスでいてね、優しいヒーローでい続けて欲しい」
5歳児からは想像もつかないような感想だった。
私は少し涙ぐみ、誤魔化すかのように席を立ち、スタジオの明かりをつけ、以上で上映を終了します、と振り返りながら言うと、もう席に彼はいなかった。
満足行ったのだろう。
彼は旅立つことができたのだ。
安堵感から、涙が出た。
少し心苦しいが、清掃に入った。
ポップコーンも、ソフビも、そこにはなかった。
彼の横顔が目に焼き付いて離れない。
病気さえなければ、私と同い年で、もしかしたらまだ交友を続けていたかもしれない。
私だけが大人になってしまった感覚と、彼の境遇を考えると涙が止まらなかった。
アイスコーヒーを飲みきり、ダストボックスに入れ、各スタジオの締め作業に入った。
夜の映画館を知っているか。
ひたひたと私の歩く音が館内に響き渡り、観客たちはそれぞれの思いを背負いながら、退館する。
薄暗い照明の下を歩き、帰路につく。
その補助を、私はスタッフとして成し遂げた。
誰もが感動体験に包まれながら、それぞれの日常へと戻っていく。
レイトショーは、それを増長させる。
すっかり真っ暗になった外を見て、館内全体をクローズし、もう何も残っていない。
静かで、がらんどうとした映画館を、ひたひたと歩く。
いつもの作業を終え、館内には私と社員の二人しかいない。
それを確認し、スタッフルームまで足を運び、社員にこう告げた。
「ノーゲスです」




