プロローグ
ひたひたと、夜の映画館を歩いたことが一度でもあるだろうか。
館内の照明はほぼ消え、来場者たちの帰り道だけを照明は照らす。
その照明は私を照らさない、小柄だが精悍な筋肉質の体つきで、就職活動をしながらフリーターとして影で働く私のことを、誰も考えない。
上映時間はあえてズラされているのだ。
90分で終わる映画があれば、180分かかる映画もある。
だから、21時台に終わる映画があれば、23時台に終わる映画もある。
そこから簡単な清掃と、忘れ物チェック(雨の日は傘の忘れ物が異様に多いのだ)、イーゼルの張り替え、スタジオの換気。
レイトショーのシステムで、何人もがお得に映画を鑑賞し、その感動体験後に自らの進む道だけを照らされ、映画の一部になったかのようになり、それぞれがまた誰も知らない物語の続きのような帰路に着く。
これぞレイトショーの醍醐味なのだ、と、映画館で働く私は思う(スタッフとしては、一人夜の映画館に残され、膨大な量の作業を行わなくてはならないので辟易とするのだが)
佳い映画を観れば、その興奮冷めやまぬままに、足取り軽く、その人の1日を終える。
後味の悪い映画を観れば、じんわりと、湿度の高い道をどんよりと歩く。
いずれにしても、そこに感動体験がある。
感動体験を味わいたいが故に映画館へ足を運ぶ。
スマホやタブレットでは味わうことのできない体験が、必ず映画館にはある。
大きなスクリーンで、精密に練られた音響で、味が濃いとクレームが入るまで言われているこの映画館のポップコーンを頬張りながら、一晩を味付けするのだ。
キャラメルのように甘いものがあれば、塩味のように手に残るベタつきを感じながら、手に汗握り、息を呑み、緊迫した瞬間を過ごす。
映画館というのは良いものだ。
レイトショーが終わる時間を把握し、その数分前、エンドロールが終わり、照明がつくその瞬間を狙って扉を開け、中に入り、そっと閉じる。
終わったのを確認し、扉を開け放ち、上映終了を客に告げ、ポップコーンやドリンクをダストボックスに入れるよう促し、退館するよう頭を下げる。
「ご来場いただきありがとうございました」と。
そして忘れ物がないかぐるりとスタジオ内を回り、客がいなくなったことを確認し、そのスタジオをパタムと閉める。この瞬間が、何度もある。そう、あの日までは。
翌日の朝一番に上映される映画のポスターをイーゼルに張り替える。
それが一通り済むと、そこのクローズ作業は終わる。
そして次の映画が終わるまで、タバコを蒸すか、アメリカのハイスクールのような無骨なスタッフルームでスタッフ達が持ち寄った漫画を読むか、仮眠をとるか、と選択肢をいくつも用意しておく。
私は、夜の屋上で、ぷかぷかとタバコを蒸し、時間になるのを待つ。
そしてスタジオまで降り、同じことを繰り返す。
スタジオ内に誰もいないか、トイレには客が入っていないか、グッズコーナーを見ている客がいないか、確認してからフロントに降り、来館用の扉に鍵をかける。
そして社員に一言、「ノーゲスです」と告げ、終電ギリギリまで作業をし、退館する。
終電を逃したらどう責任をとるつもりなんだ、といつも思う。
イレギュラーは常に存在する。
そう、どんなイレギュラーだって、存在するのだ。




