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無能だと追放された底辺付与術師、実は世界で唯一の【全自動・神級バフ】持ちでした 〜辺境でスローライフを送るはずが、俺が抜けて壊滅寸前の勇者パーティーが泣きついてきてももう遅い。  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第22話 アレン、村のために初めて怒る

 ドラン商会の馬車が去ったあとも、リーフェル村の広場には、少し重い空気が残っていた。


 いつものリーフェル村なら、昼前には畑の話か、ぷる太の井戸番の話か、門番老人の膝の話で笑いが起きている。


 だが今日は違う。


 村人たちは、馬車が消えた街道の方を何度も見ていた。


 契約書。


 偽薬。


 ガリオン男爵家。


 王都の商人。


 どれも、村の人たちにとっては慣れないものだ。


 魔物なら、柵を固めればいい。


 水路なら、泥を掻き出せばいい。


 畑なら、土を耕せばいい。


 けれど、契約書に書かれた細かい文字や、貴族の名前で押してくる相手は、剣や鍬ではどうにもならない。


「嫌な相手だったねぇ」


 マルタさんが腕を組んで言った。


 その声には怒りがある。


「偽の薬を売りつけようとするなんて、商人以前に人としてどうなんだい」


「王都では、ああいう商人もいるんですか?」


 ミナが不安そうに聞いた。


 俺は少し迷ってから答えた。


「いる。でも、みんながそうじゃない。バルドさんみたいな人もいるし、ギルドのマリナさんみたいに先に警告してくれる人もいる」


「じゃあ、あの人が悪い人?」


「少なくとも、今日持ってきた契約と薬は悪かった」


 悪い人、と言い切るのは簡単だ。


 でも、そう言い切ると、ミナには王都そのものが怖く見えてしまうかもしれない。


 俺が言葉を選んでいると、シルフィが隣で静かに言った。


「あの商人は、村の無知につけ込もうとしました。相手が知らないことを利用して、不利な契約を結ばせようとしたのです」


「むち?」


 ミナが首を傾げる。


「知らないことです」


「知らないと、だまされちゃうの?」


「はい。だから、知らないことを恥ずかしがらず、分かる人に聞くことが大切です」


「じゃあ、シルフィ先生に聞けばいい?」


「はい」


 シルフィは少しだけ表情を柔らかくした。


「契約書は、必ず誰かと一緒に読みましょう。難しい文字が並んでいる時ほど、急いで署名してはいけません」


 ミナは真剣に頷いた。


「わかった。変な紙には名前書かない」


「それでよいです」


 村長も頷く。


「皆も聞いたな。今後、外の者が契約書を持ってきたら、必ず儂かシルフィ、もしくはアレンに見せること。勝手に署名するな」


 村人たちが頷いた。


 その時、ぷる太が井戸のそばからぷるんと跳ねた。


 小さな旗が揺れる。


『井戸守り ぷる太』


「ぷる太も見る!」


 ミナが言った。


「ぷる!」


 ぷる太が返事をする。


「契約書を?」


 俺が聞くと、ぷる太はぷるぷる揺れた。


 読めるのだろうか。


 たぶん読めない。


 でも、偽薬は見抜いた。


「ぷる太には、薬や水が変じゃないか見てもらおうか」


「ぷる!」


 ぷる太は得意げだった。


 村長が重く息を吐いた。


「しかし、これで済むとは思えん」


「はい」


 シルフィは手元の契約書を見つめる。


「ドランという商人は、証拠を残しました。普通なら、一度退いて態勢を整えるはずです」


「態勢を整える?」


「自分の不利な証拠を取り戻すか、こちらの発言力を弱めるか。あるいは、後ろ盾の貴族を前に出すか」


 ガリオン男爵。


 その名前が、広場の空気をまた冷やした。


 俺は契約書を見た。


 細かい文字。


 見れば見るほど、嫌な紙だった。


 この紙一枚で、村の水も薬草も、作物も、俺自身の力も縛ろうとしていた。


 もしシルフィがいなければ。


 もしぷる太が偽薬を見つけなければ。


 もし村長が王都の貴族名に怯えていたら。


 この村は、どうなっていたのだろう。


 考えるだけで、胸の奥がざわついた。


     ◇


 昼食の前、マリナさんからの手紙が届いた。


 早馬で運ばれてきたそれを、門番老人が急いで村長の家へ持ってきた。


 俺とシルフィ、村長、マルタさんが集まったところで封を開ける。


 中身を読んだ村長の顔が、みるみる険しくなった。


「……遅かったか」


「何と?」


 シルフィが尋ねる。


 村長は手紙を俺たちへ渡した。


 そこには、ドラン商会がガリオン男爵家の後ろ盾を得てリーフェル方面へ向かった可能性があること、独占契約や付与術師本人への協力条項に注意すること、そして俺自身を契約の担保にしないように、という警告が書かれていた。


 俺は最後の一文で少し息を止めた。


『アレン様。村を守るためにも、ご自身を契約の担保にしないでください』


 マリナさんは、俺の性格を見抜いている。


 困っている人を見たら、何かしようとしてしまう。


 村に迷惑がかかると言われたら、自分が引き受ければいいと思ってしまう。


 そういうところを。


「師匠」


 シルフィが俺を見た。


「今、何を考えましたか」


「え?」


「顔に出ていました」


「……もし俺が少し協力すれば、村に迷惑がかからないなら、って一瞬思った」


 正直に言うと、シルフィの目が少し厳しくなった。


「駄目です」


「うん。分かってる」


「本当に?」


「分かってる。今日の契約書を見たから」


 俺は手紙を畳んだ。


「あれは、俺だけじゃなくて村も縛るものだった。俺が我慢すれば済む話じゃない」


 シルフィは少しだけ表情を緩めた。


「はい。その通りです」


 村長も頷く。


「アレン。お前さんは付与相談役だ。相談役が自分を差し出してどうする」


「すみません」


「謝るな。次に同じことを考えたら、まず相談しろ」


「はい」


 マルタさんが腕を組んだ。


「それにしても、マリナさんはありがたいね。こうして知らせてくれるなんて」


「王都にも、ちゃんと見てくれる人はいます」


 俺はそう言った。


 勇者パーティーでのことを考えると、王都そのものが少し遠く、怖く感じる時がある。


 でも、マリナさんのような人もいる。


 それは忘れたくなかった。


「問題は、ドランが次にどう出るかだ」


 村長が言う。


 その時、外から若者の声がした。


「村長! さっきの商人の馬車が、街道脇で止まってます!」


 全員が顔を上げた。


「戻ってきたのか?」


「違います! 護衛の一人が村の方へ走ってきてます!」


 嫌な予感がした。


     ◇


 護衛の男は、村の入口まで来ると、荒い息をしながら叫んだ。


「おい! 村長を出せ!」


 門番老人が槍を持って立ちはだかる。


「何用だ」


「うちの主人が体調を崩した! お前たちのスライムが薬を汚したせいだ!」


「何?」


 広場に人が集まり始める。


 俺たちも急いで入口へ向かった。


 護衛の男は顔を赤くして怒鳴っていた。


「さっきの瓶だ! あのスライムが触った後、主人が確認しようとして少し舐めたら気分が悪くなった! どう責任を取る!」


 村人たちがざわめく。


 ぷる太がミナの腕の中で、ぷるぷる震えた。


 怖がっているのではない。


 たぶん、怒っている。


 シルフィが冷静に言った。


「その瓶は偽薬でした。舐めて体調を崩したなら、原因は中身です」


「黙れ! お前らが薬を壊したんだろう!」


「壊したのではなく、偽装を解いたのです」


「難しい言葉でごまかすな!」


 護衛はわざと大声を出しているようだった。


 村人たちを不安にさせるためか。


 それとも、こちらに罪を認めさせるためか。


 俺は前に出た。


「ドランさんはどこに?」


「馬車だ。動けない」


「見に行きます」


「師匠」


 シルフィが止めるように声をかけた。


「大丈夫。治療はする。でも責任を認めるわけじゃない」


 シルフィは少しだけ考え、頷いた。


「私も同行します。村長様も」


「儂も行く」


 村長が杖を握った。


 マルタさんが俺に小さな布袋を渡してくる。


「薬草だよ。偽薬なんかよりずっとましさ」


「ありがとうございます」


 ぷる太もついてこようとした。


 ミナが抱きしめる。


「ぷる太も行く?」


「ぷる!」


「危ないかもしれないぞ」


「ぷるる!」


 ぷる太はかなりやる気だった。


 シルフィが真面目に言う。


「ぷる太は偽薬や毒素に敏感です。同行した方がよいかもしれません」


「分かった。じゃあ一緒に」


 こうして、俺、シルフィ、村長、ぷる太、門番老人、そして数人の村の若者が街道へ向かった。


     ◇


 ドランの馬車は、村から少し離れた街道脇に停まっていた。


 荷台の横で、ドランが腰を下ろしている。


 顔色は悪い。


 汗もかいている。


 ただ、倒れるほどではなさそうだった。


「アレン殿……」


 ドランは俺を見ると、苦しげに顔を上げた。


「ひどいことをしてくれましたね」


「まず状態を見ます」


 俺は膝をつき、彼の顔色と呼吸を確認した。


 舌の色。


 目の充血。


 額の汗。


 軽い中毒症状だ。


 命に関わるほどではないが、放っておけばしばらく苦しむだろう。


「どのくらい舐めました?」


「ほんの少しです」


 シルフィが小瓶を確認する。


「偽薬の成分が残っています。家畜用防腐液を薄めたものに、香草と甘味を加えていますね」


「私は知らなかった」


 ドランは弱々しく言う。


「本当に知らなかったのです。仕入れ元に騙された。私も被害者です」


 さっきまでの威圧は消え、今度は同情を誘う口調になっている。


 商人は表情を変えるのが早い。


 俺はマルタさんにもらった薬草を取り出した。


「これを噛んでください。苦いですが、吐き気は少し収まるはずです」


「治してくださるのですか」


「苦しんでいる人を放ってはおけません」


 ドランの目が一瞬だけ光った。


 しまった、と思った。


 だが、言ったこと自体は本心だ。


 俺は薬草に軽く付与をかけた。


 毒素を少しでも和らげるように。


 胃に負担がかからないように。


 ただ、それだけのつもりだった。


 薬草が淡く光る。


 ドランの顔色が、少しずつ戻っていく。


「……おお」


 彼は驚いたように自分の胸元を押さえた。


「これは……本当に」


「しばらく休んでください。水も飲みすぎないように」


「素晴らしい」


 ドランは小さく呟いた。


 その声の質が変わった。


 具合が良くなったことへの感謝ではない。


 価値ある商品を見つけた時の声だった。


 シルフィがすぐに俺の前へ出た。


「師匠への治療代は不要です。その代わり、今後この偽薬を販売しないことを約束してください」


「もちろんですとも」


 ドランは笑った。


 まだ顔色は悪いが、目はもう商人に戻っていた。


「しかし、今の治療。見事でした。アレン殿、あなたほどの付与術師が辺境村に留まっているのは、実に惜しい」


「その話はしません」


「いえいえ、そう警戒なさらず」


 彼は懐から別の紙を取り出そうとした。


 村長が低く言う。


「まだ契約書を出す気か」


「契約ではありません。これは、確認のための覚書です」


 シルフィが即座に言った。


「見せてください」


「いや、これはアレン殿個人に」


「見せてください」


 二度目の声は、さらに冷たかった。


 ドランは渋々、紙を差し出した。


 シルフィが読む。


 そして、すぐに表情を変えた。


「師匠」


「何?」


「これは覚書ではありません」


「では?」


「治療行為に関する専属協力契約です」


 空気が変わった。


 ドランは慌てて言う。


「表現の問題です」


「違います」


 シルフィは紙を広げたまま読み上げる。


「アレンはドラン商会およびガリオン男爵家関係者の治療、付与、品質改善に優先的に協力する。協力拒否の場合、リーフェル村で発生した薬害責任を問う場合がある」


「薬害責任?」


 俺はドランを見た。


 彼は笑みを作った。


「念のためです。今回、私が体調を崩したのは事実ですから」


「自分で偽薬を舐めたのに?」


「その偽薬を変質させたのは、そちらのスライムでしょう」


「変質ではなく、偽装が解けただけです」


「証明できますかな?」


 ドランの声が、少しずつ強くなっていく。


 治療されて元気を取り戻した途端、これだ。


 門番老人が槍を握りしめた。


「恩知らずめ」


「恩は感じていますとも。だから、アレン殿にはより良い場所で力を発揮していただきたいのです」


「その紙で脅しながらか」


 村長の声が低い。


 ドランは肩をすくめた。


「脅しとは人聞きが悪い。万が一の責任確認です」


 俺は、その紙を見た。


 治療した相手が、治療を利用してこちらを縛ろうとしている。


 胸の奥で、何かが静かに熱くなった。


 怒鳴りたいわけではない。


 殴りたいわけでもない。


 ただ、これは駄目だと思った。


 この人は、村の水や薬草だけでなく、ぷる太まで悪者にしようとしている。


 そして俺の「放っておけない」を利用しようとしている。


 それが、どうしても許せなかった。


「ドランさん」


 俺は静かに言った。


「はい?」


「その紙、もう一度見せてください」


「署名していただけますか」


「見せてください」


 俺の声が思ったより低かったのか、ドランは少しだけ身を引いた。


 シルフィが紙を俺に渡す。


 俺はその紙に触れた。


 契約用の紙だ。


 ただの羊皮紙ではない。


 薄く魔力が染み込んでいる。


 署名すると、簡易的な拘束力を持つタイプのものだろう。


 俺は、紙の魔力の流れを感じた。


 細い。


 いやらしい流れ。


 読みにくい場所に、いくつもの小さな結び目がある。


 悪意。


 ごまかし。


 責任転嫁。


 そういうものが、文字の裏に染みているような気がした。


「師匠?」


 シルフィが心配そうに呼ぶ。


 俺は頷いた。


「大丈夫」


 そして、付与を流した。


 攻撃ではない。


 破壊でもない。


 ただ、隠れているものが見えやすくなるように。


 曖昧な言葉が、曖昧なままで逃げられないように。


 紙に書かれた悪意が、きちんと形を持つように。


 それだけのつもりだった。


 羊皮紙が白く光った。


 ドランの顔が引きつる。


「何を……!」


 文字が変わり始めた。


 細かく、遠回しだった文章が、太く、分かりやすい言葉へ変わっていく。


『アレンを脅して協力させる』


『偽薬の責任をスライムになすりつける』


『リーフェル村を薬害で訴えると脅す』


『ガリオン男爵家の名を使い、村長を屈服させる』


 村人たちが息を呑んだ。


 シルフィも目を見開く。


「師匠……これは」


「俺にも分からない。でも、隠れていた意味が見えたんだと思う」


 ドランは青ざめ、紙を奪い返そうとした。


「返せ!」


 門番老人が槍の柄で彼の腕を止める。


「待て」


「それは私のものだ!」


「証拠だ」


 村長が言った。


 ドランの護衛が動こうとした。


 その瞬間、ぷる太が前に出た。


「ぷる」


 小さな声。


 だが、地面に薄い金色の波紋が広がった。


 護衛たちの足元が、ぴたりと止まる。


 動けないわけではない。


 けれど、動けば何かよくないことが起きると本能で分かるのだろう。


 二人は剣に手をかけたまま、動けなくなった。


 俺はドランを見た。


「ドランさん」


「な、何ですか」


「俺は、あなたを治療しました」


「ええ、ですから感謝して」


「でも、あなたはその治療を使って、俺と村を脅そうとした」


「誤解です!」


「誤解なら、この紙にそう出るはずです」


 俺は羊皮紙を持ち上げた。


 そこには、悪意がはっきり文字になっている。


 ドランの顔が歪む。


「こんなもの、魔術で改ざんしたに決まっている!」


「では、あなたの荷物も確認しましょう」


 シルフィが言った。


 ドランの肩が跳ねた。


「何?」


「契約書、偽薬、今の覚書。これだけ悪質な書類を用意しているのなら、他にも何かあるはずです」


「勝手に商人の荷を調べるなど」


「では、王都ギルドと商業裁定所の立ち会いで調べますか」


 ドランは黙った。


 その沈黙が答えに近かった。


 村長が若者たちに合図する。


「荷を開けろ。ただし、乱暴に扱うな。証拠として確認する」


 護衛が止めようとするが、ぷる太がぷるんと揺れるだけで動けない。


 若者たちが木箱を開ける。


 最初の箱には、偽薬の小瓶がいくつも入っていた。


 ラベルは立派だが、ぷる太が近づくだけで一部が黒く濁る。


 次の箱には、細かい契約書の束。


 さらに奥の革袋から、一通の封書が出てきた。


 封蝋には、ガリオン男爵家の紋章。


 村長が封書を開く。


 中の命令書を読んだ瞬間、眉間の皺が深くなった。


「……シルフィ」


 シルフィが受け取り、読み上げる。


「『リーフェル村の水、薬草、作物について、将来的な独占権を確保せよ。村長が渋る場合は、王都貴族との取引拒否による不利益を示唆せよ。付与術師アレンについては、可能であれば協力契約に組み込め。村への情を利用すること』」


 最後の一文で、俺の胸の奥がさらに熱くなった。


 村への情を利用する。


 やっぱり、そうだった。


 俺が村を大事に思っていることを、縛るために使うつもりだった。


 シルフィの声が少し震えた。


 怒りで。


「『必要であれば、薬害、契約不履行、貴族家への不敬など複数の名目で圧力をかけること』」


 村人たちがざわつく。


 ドランは完全に顔色を失っていた。


「それは……私の判断では」


「ガリオン男爵家の指示か」


 村長が聞く。


 ドランは黙る。


「答えろ」


「……私は、命じられただけです」


 逃げた。


 さっきまでガリオン男爵家の名を盾にしていた男が、今度はその名の陰へ逃げ込んだ。


 俺は静かに言った。


「命じられたから、村を騙してよかったんですか」


 ドランは俺を睨んだ。


「あなたに何が分かる。商売とはそういうものだ。力のある者が条件を決め、弱い者が従う。王都ではそれが普通だ」


「ここはリーフェル村です」


「だから何だ!」


 ドランが叫んだ。


「辺境の小村が、男爵家に逆らえると思うな!」


 その瞬間、周囲の空気が変わった。


 俺ではない。


 村人たちだ。


 マルタさん。


 門番老人。


 若者たち。


 村長。


 みんなの目が、静かに厳しくなった。


 ミナがぷる太をぎゅっと抱きしめる。


 ぷる太が小さく震える。


 俺は一歩前に出た。


「逆らうとか、従うとかじゃありません」


 声は、思ったより落ち着いていた。


「この村のものを大事にしない相手とは、取引しない。それだけです」


「綺麗事を」


「綺麗事でいいです」


 俺はドランを見た。


「少なくとも、偽薬を売りつけるよりはましです」


 ドランは言葉を詰まらせた。


 シルフィが契約書、偽薬、命令書をまとめる。


「これらは王都ギルドへ送ります。マリナ様にも報告します」


「待て。それは困る」


「困るでしょうね」


 シルフィは淡々と答えた。


「ですが、あなたが困ることは、こちらが証拠を隠す理由にはなりません」


 村長が言った。


「ドラン。お前たちはこの村から退去しろ。二度と村の者に契約を迫るな」


「……後悔するぞ」


 ドランは低く吐き捨てた。


「男爵家が黙っていない」


「なら、証拠付きで迎える」


 村長は一歩も引かない。


 俺も言った。


「次に来るなら、偽薬じゃなく、本当に良い品を持ってきてください。ちゃんとした契約なら、村長も話を聞きます」


 ドランは俺を見た。


 怒りと、理解できないという表情。


「あなたは……私を潰す気ではないのか」


「偽薬と悪い契約は止めます。でも、まともな商売なら拒む理由はありません」


「甘いな」


「そうかもしれません」


 俺は正直に答えた。


「でも、この村はそういう場所であってほしい」


 ドランは何も言わなかった。


 言えなかったのかもしれない。


 やがて、彼は護衛に命じて荷を積み直させた。


 偽薬、契約書、命令書の一部は証拠として村が預かった。


 馬車は、今度こそ逃げるように街道を去っていった。


     ◇


 村へ戻る途中、シルフィはずっと黙っていた。


 俺は少し気になって声をかける。


「シルフィ?」


「はい」


「怒ってる?」


「怒っています」


「俺に?」


「少しだけ」


「何で?」


 シルフィは足を止めた。


「師匠は、あの商人を治療しました」


「うん」


「その優しさは、師匠の良いところです。ですが、利用されやすいところでもあります」


「……うん」


「でも」


 シルフィは俺を見た。


「今日は、そのあとちゃんと線を引きました。利用されることを受け入れませんでした」


「そうかな」


「はい。ですから、怒っていますが、同じくらい安心しました」


「複雑だな」


「師匠が複雑なのです」


 俺は少し笑った。


 シルフィも、ほんの少しだけ笑った。


「それにしても、師匠の付与はまた新しい現象を起こしましたね」


「契約書の意味が見えるやつか」


「はい。悪意の可視化、あるいは契約意図の顕在化。非常に高度です」


「俺は、隠れてる意味が見えやすくなればと思っただけなんだけど」


「師匠の『だけ』は危険です」


「最近、そればっかりだ」


 シルフィは羽ペンを取り出す。


「記録します」


「今?」


「忘れないうちに」


「歩きながら?」


「できます」


「器用だな」


 ぷる太が足元で跳ねた。


「ぷる!」


「ぷる太も今日は大活躍だったな」


「ぷるる」


「井戸守りから薬守りに昇進するか?」


「ぷる!」


「冗談だぞ」


 ぷる太は少し残念そうに揺れた。


 村へ戻ると、ミナたちが駆け寄ってきた。


「アレンお兄ちゃん!」


「ぷる太!」


「大丈夫だった?」


「うん。大丈夫」


「悪い商人さん、やっつけた?」


「やっつけたというより、悪い紙を見つけた」


「紙をやっつけた!」


「まあ、そうかもしれない」


 子供たちが歓声を上げる。


 マルタさんは俺の顔を見るなり、少し安心したように息を吐いた。


「ちゃんと帰ってきたね」


「はい」


「よし。じゃあ、昼飯だ」


「この流れで昼飯なんですね」


「腹が減っている時に考え事をすると、ろくなことにならないからね」


 村長も頷いた。


「証拠は食後に整理する」


「村長さんまで」


「飯は大事だ」


 確かに、大事だ。


 俺は思わず笑った。


 偽薬。


 悪い契約。


 男爵家の命令書。


 問題は増えた。


 でも、村には昼飯がある。


 井戸水があり、畑があり、ぷる太がいて、シルフィが記録を書いている。


 そして俺は、今日初めて、村のために静かに怒った。


 怒っても、誰かを傷つけずに済んだ。


 隠れていた悪意を明るみに出し、村を守ることができた。


 それが少しだけ、誇らしかった。

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