7.フェンリル
フェンリルは動かず。ただじっとこちらを観察していた。
「どないすんねん?」
ケトがラヴァンに声をかける。
「俺もフェンリルに出会うのは二度目だ。どうする?」
「ど、どうするったって、に、逃げるか?」
俺は情けない声で答えた。
「俺は従魔にしたい」
ラヴァンが静かに言った。
「ええ! 俺はフェンリルなんかと戦えない。一瞬で殺されちまう!」
「はっ、レオンはケトと安全なところに隠れていろ!」
言い終えるより早く、ラヴァンは地面を蹴って、フェンリルへと飛び出していく。
「お、狼の群れは、どうすんだよ!」
「任せた!」
ラヴァンは風魔法で矢のような速度でフェンリルへ迫った。踏み込んだ瞬間、地面が弾け、砂利が四方へはね飛ぶ。フェンリルは巨体に似合わぬ俊敏さで身を沈め、牙を剥いた。その口元に青白い稲光が走る。次の瞬間、轟音とともに雷撃が放たれた。空気が焼け、夜の闇が昼のように白く染まる。ラヴァンは風の魔力をまとい、電撃を紙一重で避けた。
髪が逆立てながらラヴァンが笑った。
「はっ、こいつはすごい!」
フェンリルがそれに応えるように吠えた。
すぐにラヴァンの剣とフェンリルの牙が交差し、光と風がぶつかり合い、夜空に火花が散った。
ラヴァンの戦いぶりは、見惚れるほどだった。だが、いつまでも眺めている余裕はない。狼の群れが一斉に俺たちに飛びかかってきた。
「兄ちゃんの修行のためにも、ちょっとは残しといたらなあかんやろな」
ケトは軽口を叩きながら、あっという間に二匹の魔狼を倒していた。さすがに高位の魔物だ。だが俺も負けじと跳びかかってくる魔狼に必死に応戦する。
「わかったよ。やってやろうじゃね~か!」
俺は片手を突き出し炎を放った。炎は弧を描き魔狼の横腹をかすめて爆ぜる。すかさず剣に炎を込めて土を蹴り、身体を低く回転させる。魔狼の爪をかいくぐって炎をまとった刃で魔狼の腹を裂いた。フェンリルの出現にすっかり怖気づいていたが、その言葉でようやく冒険者の魂が戻ってきたようだ。俺は次の敵へと視線を向けた。
「これで終わりやな」
ケトはそう言うと黒猫の姿に戻った。
「はぁ、はぁ……」
最後の魔狼が崩れ落ち、俺は肩で息をする。
「あっちも終わったみたいやで」
ラヴァンとフェンリルがいる方向を見ると、二人が向かい合っているのが見えた。俺は邪魔にならないように静かに近づいていった。
ラヴァンは目の前のフェンリルと命がけとも思える交渉をしていた。二人の間には張りつめた空気が漂い、フェンリルの放つ威圧が俺の肌を粟立たせた。
「答えてみろ、人の子よ。狼とは何か、言って見せろ」
胸の奥に響くような低音が、夜気を震わせる。
「狼とは……知恵と誇り、両方を併せ持つ気高き獣だ」
ラヴァンが慎重に言葉を選びながら答えた。
これが従魔との契約交渉というやつかと俺は息をのんだ。魔物との契約は、まず魔物が問い、人間がそれに答える。そのやり取りの中で互いの心がその価値を認め合えたときにだけ契約は結ばれる。
「ほう。その答え、嘘ではなさそうだ。では次だ。お前は群れとは何だと考える?」
ラヴァンは一拍置き、静かに答えた。
「互いを縛る鎖ではなく、支え合いでもない。絆だ。苦労が伴うことが分かっていたとしても、共に在ろうとする意志だ」
「ふむ……悪くない答えだ。では最後に訊こう。お前は我より上か下か?」
ラヴァンは鼻で笑った。
「比べるものではない。生き方そのものが違う。上も下もあるものか」
「……よかろう、人の子よ。その答え、確かに聞き届けた。これをもって契約は成った」
「よし!」
契約は成立した。ラヴァンは思わずガッツポーズをとり、息を殺して見ていた俺に勢いよく抱きついてきた。
「これはレオンの手柄だ。お前について来てよかった!」
「お、俺は何もしてないよ!」
ラヴァンは抱きつきながら俺の背中をバンバン叩く。
「いいや、俺はここを何度も通ったが、フェンリルに会えたのはたったの二度だぞ?」
「フェンリルを倒したのはラヴァンじゃないか……」
「いいや、お前は絶対に強運の持ち主だ。これはエルフの感だ」
ラヴァンの興奮に水を差すように、フェンリルが言った。
「そんな事より、早く我に名を示せ」
「ああ、そうだったな。……なにがいい?」
ラヴァンは俺を見る。
「俺に聞くなよ」
「レオンに名付けてもらいたい」
「なら……フェアファングはどうだ?」
「フェアファング、か。どうだ?」
ラヴァンがフェンリルに向き直って訪ねた。
「ふむ……美しき牙、か。良い名だ。我が名にふさわしい」
「決まりだな」
俺とラヴァンは軽くハイタッチを交わした。
焚火の明かりが揺れ、ようやく静かな夜が戻ってきた。俺は横になりながら、フェンリルが契約を受け入れた瞬間を思い返していた。あの圧倒的な存在感。ただそこに立っているだけで、世界の重心が傾くような気高さ。いつか、あの力に届きたい。今の俺では、あまりにも遠すぎる願いだと分かっている。それでも、焚火の温もりに包まれながら、俺はそっと目を閉じ、いつか自分のものにできるほど強くなると心に誓った。
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