5.ふもとの牧草地
ラヴァンとの旅は楽しかった。長命のエルフである彼は、人間の何倍もの時を生きてきた。その分だけ語る話も尽きないようだった。宿屋で酒を酌み交わす時も、夜の焚火を囲むときも、その語らう時間はとても楽しかった。
かつてどこかの国の将軍も、興味半分でなったことがあると言っていた。エルフはエルフの掟により、本来は他国の要職についてはいけないらしい。なので、どこの国か聞いても、絶対に教えてくれなかった。
そんな夜の中で、ある夜俺も、自分の身の上話を打ち明けたくなった。大した話じゃないが、ラヴァンに聞いて欲しかったんだ。
俺は、ある貴族の妾の子として生まれた。母さんはその屋敷で女中として働いていた。よくある話だ。
だが父にはすでに正妻がいた。正妻にはまだ子がいなかったから、俺と母さんは“とりあえずの跡継ぎ“として屋敷に置かれていた。
それが変わったのは、正妻に娘が、つまり俺の妹が生まれたからだった。
俺たちは屋敷を追い出されることになったが、幼い子を連れて放り出すのは不憫だと、父が母さんを庇い“妹が三歳になるまで”との条件で、俺たちは屋敷に残ることが許された。
けれど、その父の気遣いは別の不幸を呼んだ。その間、正妻は母さんをひどくイジメたらしい。最初、俺は幼すぎて分からなかったが、五歳になる頃には母さんの沈んだ顔や声から、事情を察するようになって、正妻を憎むようになっていた。父や、しまいには妹まで嫌いになっていた。
だから、約束通り妹が三歳になり、屋敷を追い出されることになっても、母さんはその方がいいと言った。俺がどんどん暗く、荒んだ目になっていくのが悲しかったんだろう。
けれど、他に身寄りのない母さんが、ひとりで俺を育てるのは大変で、やっぱり俺は、正妻や父を恨み続けていた。母さんはそんな俺に「レオンが幸せなら、母さんは幸せよ」と言い聞かせるように何度も言った。
それで俺もやっと、誰かを恨んで生きていても何にもならない、そう思えるようになった。だから俺は、大切なことは母さんを幸せにすることだと考えて生きることにしたんだ。
今回の旅を決めた時、母さんは「父様があなたに持たせてくれたものよ」と言って、俺に小さな宝石を渡した。俺に何かあった時に使おうと大切にしまっていたらしい。そんなものがあるとは、ずっと知らなくて、俺はその宝石を手にした時、生まれて初めて父を想って泣いた。こんな形でしか、父との縁を感じれられずに生きてきたけれど、どうしようもなく涙が零れた。
俺はその宝石を売った金で、旅の支度を整えた。きっと母さんを助けると誓って。
「なんか、湿っぽい話になっちまってすまない」
俺は最後にこう締めくくった。
ラヴァンの顔を焚火越しに見ると、ラヴァンは静かに話し始めた。
「エルフはよそ者を拒む傾向が強い。エルフにとって森や静寂はかけがえのないものだ。だから人や他の種族の騒がしさを好まない。自分たちの場所を守りたいという思いが強くて、よそ者を招き入れるのはなかなか難しい」
「・・・聞いたことがある」
「最初はケトの相棒だというから、案内を引き受けたが、彼らの信頼を得られそうになければ、引き返すつもりだった。だがその話、聞けて良かった。きっと大丈夫だろう」
俺はなんだか気恥ずかしくなって、俯きながら小さく礼を言った。
「・・・ありがとう」
「ところで、ケトはもう寝たようだな」
ラヴァンは「静かに」と言うように、指を口元へ当てて俺に合図し、そっとケトのそばに身を寄せて横になった。
「俺はケトの柔らかい毛に埋もれて寝るとしよう」
その様子がおかしくて、俺は声を出さずに笑った。
そしてついに、俺たちは二峰山脈のふもとに立った。森の湿り気が薄れ、乾いた風が頬を撫でる。ふもとに広がる牧草地は、夕日に照らされて山羊がゆっくりと草を食んでいた。
その広い牧草地には、ポツンと一軒、家が立っていた。二階建てのその家は丸い屋根の上から煙突が一本伸びていた。一階部分は粗い石積みで固められていて、おそらく牧舎になっているのだろう。二階部分は太い丸太で作られていて、牧場主の生活スペースのようだった。
ラヴァンは足を止め、振り返って俺を見た。
「ここからは徒歩だ。ここに馬を預けよう」
ケトは馬から飛び降り、牧草に寝転がって伸びをした。
「背中が、痛なってもうたわ」
そのとき、遠くから黒い狼がこちらに向かって走ってきた。ケトはその姿を見てすぐに牙をむいた。
「ケト、大丈夫だ。あいつはオルドが飼っている魔狼だ」
「グルルル・・・ヴァウッ」
真っ黒な狼の姿をした魔獣が俺たちの前で止まり、低く威嚇するように鳴いた。
「従魔なのか?」
ラヴァンに聞くと、違うと言われた。
「会話のできない魔獣は従魔にできない。どうやったのか俺も知らんが、この先の牧場主が飼っている」
すると牧舎の中から、丸太のような腕をした大男が姿を現した。
「グリフ! そいつは客だ」
大男はラヴァンを見て、魔狼に手を振って合図を送った。
「久しぶりだな、ラヴァン」
「オルド。まだ生きてたか!」
ラヴァンは馬から下りると、手綱を引いて彼に歩み寄った。
「ふんっ、エルフに言われると冗談に聞こえんわ」
「すまん。元気だったか? 今日はマロンとノワールを預かって欲しい」
「二頭か? 珍しいな、連れがいるとは」
「ああ、今回は道案内を頼まれた。なあ、レオン?」
俺も馬を下りて挨拶をする。
「初めまして。レオンといいます」
「ほお、新米冒険者か?」
「・・・はい」
そこは冒険者でいいだろう・・・”新米”はいらないと思うんだが。
「まあ、入れ。茶でも出そう」
「ああ、この子にはミルクを頼む」
ラヴァンが言うと、オルドはケトを一瞥してにやりとした。
「馬は中に繋いでおけ」
オルドは使い込まれたエプロンを外して、壁のフックにかけると、俺たちを中へ案内してくれた。
中は広く、牛舎と馬房が並んでいる。馬たちは藁を噛みながらゆっくりと尾を揺らしていた。杭に馬の手綱を結んで、牧舎の中の階段を上がると、そこがオルドの家だった。室内は暖炉の火がパチパチと音を立てて、とても温かかった。
オルドはケトに温かいミルクを出し、俺たちには温かい蜂蜜酒を注いでくれた。木のテーブルに腰を下ろすと、オルドは言った。
「今年は雪解けが遅いぞ」
「そうか。まあ、装備は整えてきている」
ラヴァンが答える。
俺はポーチから地図を取り出し、テーブルに広げた。
「この谷沿いに歩いていくんだよな?」
「そうだ」
オルドが地図をなぞり、険しい谷を指し示した。
「東側の斜面には気を付けろ。雪崩が起きやすいから注意して進むんだぞ。それから、夜は魔狼が出る。火を絶やすなよ」
まるで冒険者ギルドの注意書きの様にオルドは言った。
「はい。分かりました」
「ラヴァンがいるなら、そう心配することもないがな」
オルドは笑って付け加えた。
その夜はオルドの家に泊めてもらった。夕食に出してくれたシチューは絶品で、普段はミルク以外の料理には、必ず文句を言うケトでさえ、素直にうまいと感想を漏らした。それに、取って置きだというソーセージとビスケットもご馳走になった。
夜は干し草に布を被せたベッドで寝た。草の匂いが心地よかった。その日は夢を見ることもなく深く眠る事ができた。明日からはいよいよ過酷な山越えが始まる。ここで英気を養えたことを、心からありがたく思った。
ここまでお付き合いありがとうございました。
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