【第29話/65日目】 初めて他人に抱かれたいと思った
放課後の教室で、雨音だけが響いていた。
窓の外は薄くけぶっていて、視界のすべてがぼやけていた。
人がいなくなった教室は、広くて、寒かった。
誰かの声がほしかった。
誰かの手がほしかった。
でも、誰の声を、誰の手を――求めているのか、自分でもはっきりとは言えなかった。
(……触れてほしい)
ふと、そんな思いが胸をよぎった。
理由なんてなかった。
恋しいとか、好きだとか、そういう確信すらない。
ただ、誰かにそっと抱きしめられて、“今の自分”を丸ごと包まれたかった。
鏡の中の“私”が笑っていても、
それが“誰にも愛されないまま変わっていく自分”だと思うと、怖かった。
“女になっていく”という呪い。
その残り日数を思い出すたびに、時計の音が身体の中で大きく響いていく。
あと三十五日。
(……このまま、“ひとり”のまま終わるのかな)
心がそうつぶやいたとき、不意にスマホが震えた。
《今、まだ教室? 傘、持ってないなら送ってく》
送り主は、悠真。
返信を打つ指先が、思ったよりも震えていた。
(なに期待してんだよ、俺)
けど、その優しさが、今夜の雨よりも温かく感じた。
校門の前。
傘を差して待っていた悠真は、何も言わず俺の頭にタオルをかぶせてくれた。
「……濡れてんな。ほら、もうちょいこっち寄れよ」
肩が触れた。
髪に触れた手のひらが、ひどくやさしかった。
ほんの一瞬。
「このまま抱きしめてくれたらいいのに」って、思ってしまった。
好きとか、恋とか。
そんな言葉を使えば、きっとすべてが壊れる気がした。
だから、黙ったまま傘の中にいた。
でもこの気持ちは、もう――
(……恋なんだろうな)
確かに、そう思ってしまった。
──65日目。“触れたい”じゃなく、“触れられたい”と思った。
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