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ちょっとしたコツ

 オムレツの返し方には、ちょっとしたコツがある。

 妙ママが近所の洋食屋から聞いた練習方法を繰り返すうち、コツが掴めてきた。

 フライパンに濡れた布巾を四つ折りにして、オムレツに見立てて乗せる。

 オムレツを焼いているつもりになって、左手で柄の中ほどを握る。

 柄を持ち上げて、フライパンを傾斜させる。

 ぼくは柄を下げていて、どうしても上手くひっくり返らない、と嘆いていた。

 奥側に寄せたオムレツを手前にひっくり返したければ、恐れずにフライパンの手前を持ち上げて、向こうを低くする。

 それから、右手を拳にして柄をトントンと叩く。

 濡れた布巾はひとりでに持ち上がり、手前へ折れて回ってくる。

 柄を叩き続けると、布巾は回転し続ける。

 なんだ、こんなに易しいことだったのかと納得がいった。

「なんか手慣れたよね、タク」

 モーニングコーヒーを飲みながら、妙ママが目を細めた。

「おかげ様で」

「毎朝、オムレツはちょっと飽きたけど」

「そうですね」

 そう言いつつも、その日の朝もぼくはプレーンオムレツを焼いた。

 ボウルに卵を割り、塩と胡椒をして、泡立てないようにさっと混ぜ合わせる。

 ふわっと仕上げるには、しつこく混ぜてはいけない。

 熱くなったフライパンにバターを溶かし、煙が出そうになったら、卵を流し込む。

 火加減は中火より、わずかに強いぐらい。卵を入れたら、すぐにかき混ぜる。

 右手で卵を混ぜながら、左手でフライパンを揺り動かす。

 半熟の状態になったら火から外し、卵をフライパンの先のほうに寄せる。

 卵を片寄せしたら、柄を二、三回と叩いて卵を回転させ、木の葉形に形を整える。

 形ができたら、皿に移す。

 皿のなかほどよりちょっと下加減、オムレツを置きたいところにフライパンの縁を当て、そのまま柄を皿のほうに傾けて返すと、綺麗な面が上側になる。

 オムレツはなかが半熟なのが美味しいので、半熟のすこし手前くらいで仕上げて、皿に乗せて出すまでのわずかな時間に余熱でちょうど良くなることまで計算に入れる。

 皿に移すと、なかから卵の汁がすこし染み出てくる。それを焼き立てのうちに食べると、今までの焦げたオムレツとは比べ物にならないほど美味しかった。

「いいじゃん、ここにチキンライスを挟んだら完璧だね」

 何日も同じメニューが続いているのに、妙ママは幸せそうに食べてくれる。

 仕上がりが良いと、手放しで喜んでくれる。

 思い出にある母は、いつも悲しい顔をしていた。

 妙ママはぼくの母親ではないけれど、母のように悲しくさせたりはしない。

 もっともっと喜んだ顔が見たい。

 母ではない女性に勝手に自分の母親像を重ねて、挙句「ママ」と呼ぶなんて、さすがに躊躇われるけれど、「妙」と呼び捨てにするのも気恥ずかしい。

 妙ママには呼び捨てにしなさいと指導されているけれど、せめて「妙さん」ぐらいで勘弁してほしい。

 夜は私が抱きついてばかりでぜんぜん公平(フェア)じゃないから、朝はタクから抱きつきなさい、というルールが課されてから何日か経ったが、そういうのは義務にしないでほしい。

 それはぼくだけの特権で、妙ママといっしょに働いているご褒美だから。

 妙ママは鼻歌を歌いながら食器を洗っている。

 そういえば今日の抱擁がまだだったなと思い、背中からそっと抱きしめてみた。

「妙、美味しかった?」

「……は? あ、え?」

 妙ママは洗剤が泡立っていた食器を取り落とし、シンクの水は流れっぱなし。

 半分ほど振り向いた顔は、完熟のトマトみたいに真っ赤になっていた。

 ひょっとして、妙ママは怒っているのだろうか。

 いつも呼び捨てにしなさいと言われていたので、そうしてみたのだけど、流れっぱなしの水が無言の拒否を示しているように思えた。

「ど、ど、ど、どど、どうしたの、タク……」

 道路工事でもしているみたいに、妙ママは動揺していた。

 やはり、年下に呼び捨てにされるのはお気に召さないようだった。

「妙さん、ごめんね。朝はぼくの時間だから」

 夜はあなたの時間で、朝はぼくの時間。

 だったら、昼はどっちの時間だろうか。

 抱擁の手を緩めると、妙ママはようやくシンクの水を止めた。

 こちらに振り返った妙ママは、不本意そうにぼくをみた。

「なんか手慣れたよね、タク」

「おかげ様で」

「……意味、分かってる?」

「オムレツを焼くの、上手くなったねってことですか」

「ちがう、ちーがーうー」

 妙ママは頬を膨らませて否定した。やはりぼくはまだまだ下手くそで、ちょっとオムレツを焼けたぐらいで慢心するな、と戒められているらしい。

「そうですよね。あとはチキンライスも作れなきゃいけないし、デミグラスソースも自分で作ったほうがいいんですよね」

 まだオムレツを焼けるようになっただけで、理想のオムライスには遠い。

 溜息をつくと、妙ママに頬っぺたをつねられた。

「作ってやろうじゃねえの、完璧なオムライス」

「なんで怒ってるんですか?」

「タクがオムライスしか見てないから」

 妙ママは喜怒哀楽の激しい性質だけど、時々なぜ怒っているのか分からないときがある。

「ごめんね、妙さん」

 怒っている理由が分からないことを謝ると、じろりと睨まれた。

「なんでタクが謝るの」

「ぼくがオムライスしか見てないからですか」

「ちが……くないな。そのとーりだわ」

 妙ママはしばらく押し黙り、それから名案を思い付いたとばかりに言った。

「ねえ、タク。めっちゃ美味しいオムライスを作れるようになったらさ」

「はい」

 さっきまで怒っていた妙ママの目がきらきらと輝いている。

「ランチ営業でもやる?」

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