看板
妙ママが「オムライス専門のランチ営業をしよう」と言い出したのは、いつぞや来訪した藤岡春斗との対話がきっかけだっだ。
店の前には辿り着いているのに、なかなか店内へと足へ踏み入れてこなかった春斗が、「入りづらい」と漏らしていたのが気がかりだったようだ。大学生になったばかりの少年が店名しか掲げていない小料理屋の扉を開くのはけっこうに敷居の高いことだと思うのだが、妙ママは純粋に落ち込んだ。
ぼくからすれば、どうということのないひと言に感じたが、店の居心地を良くすることに心血を注いでいる妙ママからすれば、聞き捨てならない感想のようだった。
「そっか、入りづらいか」
妙ママは営業が終わった後、ぶつぶつ繰り返していた。
美味しいお酒を飲んで、気の利いた小料理を食べて、いっぱい喋って、ストレスを捨てて帰って欲しい、という願いの詰まった店ではあるけれど、扉を開ける勇気が持てず、素通りしていった人もいただろう。
どんなに店を居心地よくしても、まずは店に入ってもらわなければ良さは伝わらない。
「もうちょっと気軽に楽しんでほしいよね」
いきなり小料理屋に入るのが難しければ、いっそ小料理屋でなくしてしまえばいい。
妙ママはそんな風に考えて、オムライス専門のランチ営業に行きついたようだ。
「やってやれないことはないと思いますけど」
ぼくが賛同すると、妙ママは魅力的な笑みを浮かべた。
「看板は蒼生君にお願いしよう。とにかく目立つやつ」
「作ってもらえますかね」
「七海ちゃん経由でお願いすれば大丈夫じゃない」
まだプレーンオムレツしか焼けておらず、オムライスを完成させたこともないのに、いきなり看板制作の話になるなんて、さすがに拙速であるように思えた。
「オムライスの名前はどうする?」
「ふつうにオムライスだけじゃだめなんですか」
「元祖オムライス、タンポポオムライス、花咲オムライス、名前を聞いただけで食べたくなるようなインパクトがほしいよね」
さっぱり思いつかないが、妙ママが何気なしに言った。
「匠のオムライスとかはどう?」
「それはちょっと……」
いくらなんでもハードルを上げ過ぎではないかと思う。
「だったらタクが考えなさいよ」
妙ママが分かりやすく機嫌を損ねたので、なんとか知恵を絞った。
オムライスを始めるのは「小料理 絶」の雰囲気を味わってもらいたいがための入り口で、お昼だけじゃなくて夜にも来てほしい、という希望があってのことだ。
絶の希望、縮めると、絶望……。
「絶望オムライス……」
頭に浮かんできた言葉をそのまま口にすると、妙ママはちょっと反応に困っていた。
「あんまり美味しそうに聞こえないな。インパクトはあるけど」
「絶妙オムライスより良くないですか」
「それはだめね。なんかすかした感じがする」
妙ママは腕組みをすると、しばらく思案した。
「絶望オムライス、絶望オムライス、絶望オムライス……」
ぶつぶつと繰り返し、妙ママはおもむろにスマートフォンを弄り出した。
「いや、意外と面白いか」
絵描きの蒼生司の恋人である茶島七海に連絡しているようだった。
「具体的にどんなイメージですか、って」
早速、返信があり、絶望と冠するオムライスの具体的なイメージを求められた。
「黄色い卵、黒いデミグラスソース、オレンジ色のチキンライス。それぐらいですかね」
「もうちょっと何かないですか、って」
それ以外にさしたるイメージも湧いてこなかったが、ふと思った。
「オムライスって宇宙船っぽいですよね」
「丸っこい宇宙船ですか、楕円の宇宙船ですか、って」
「どちらかというと楕円です」
聞き取りはそれで十分だったらしく、七海との連絡は途切れた。
「大まかなデザインができたらお持ちします、だって」




