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第二話「メインヒロインは嬉しさの余り歓喜する」


非日常に片足を突っ込んだ夜



十数分前



「寒いなぁ……」

 もう冬になりつつある夜空の下、康介は足早に家に向かっていた。

 その途中、家の近くにある空き地を通り抜けようとしたのだが……


「おぉ……不幸だな。今夜のお前は非常に不幸だった。うん。これで片付けてしまえ」

空き地の暗闇の中から、男の声で、そう聞こえた。

「は……?」

 康介の不思議そうな声が、闇に響いた瞬間。

 風を切って、何か巨大な細長い赤い物が康介の横を通り抜けた。

「へ……?」

 横を通り抜けた細長い物は、向かい側にあったコンクリートブロックの塀に突き刺さる。

 暗闇でも、その細長く赤い物の正体は分かった。



 鉄骨である。



 赤錆びた鉄骨。

 あのビルやら巨大建築物やらを構造する際に必須アイテムの鉄骨。

 鉄の骨、で、鉄骨。

 ラーメンに入れる事すら出来ない骨。


「……?」

 既に理解出来ない。

 何が起きたというのか。

 自分は普通に日常生活を送っていただけなのに。

 何故、唐突に、鉄骨を投げられなければいけないのか。

 訳が分からない。


「やはり初発は外すべきだろう? 何処の悪党も初発では殺さないさ。あぁ、そうさ。本物の悪党は初発で殺すが、俺が見て育ってきた悪党というのは小説やアニメ、漫画の中の悪党さ。そーゆー奴らは初発では絶対に殺さないのさ。これ、常識」

 そう言って、闇の中から出てきたのは黒髪ロングで紅い瞳の人物

 服装は何処かの工場の作業着を着ている。

 本来は青色なのだろう。所々に青い部分見られる。が、その男が着ている作業着は赤黒く染まっていた。


 驚愕で全く動けない康介に対して、ゆっくりと歩いて迫ってくる男。

「久々の殺人だからな。実に、いや、実に気合いが入る。何、此処暫くは溜まっていたアニメを見ていたんだ。本当にすまなかったな。ん……? 俺は今、何故、コイツに対して謝ったんだ? ……訳が分からない。まぁ、仕方あるまい」


 何……? 何が起こっているんだ……?


 脳内での処理が全く追いつかない状況で、康介が出来る事は、ただただ、震える事のみ。

「おぉ。震えているぞ。実に普通の反応だ。いや、実にお前は平凡だ。恥じる事など何も無いぐらいに。グゥレイト。グッジョブ。スンバラシィ。だな」

 よく見れば、左手に先ほどと全く同じ形状の物体を持っている。

 それが自分の背後の壁に突き刺さっている鉄骨と同じだと気付くのは、そう難しくなかった。

 というより、それこそ最初に気付くべき点だったのだが。

「ではでは。二撃目こそは当てよう。お前にいつまでも恐怖を与える訳にはいかない。実に俺は優しいな。いや……殺人を行う時点で悪人か。すまない。俺は悪人だった。一瞬でも、安楽死を期待したであろう、お前には非常に申し訳ない。だから、俺は謝ろう。……おぉ。ようやく、お前に謝る理由を見出したぞ! これで先ほどの謝罪の理由も納得でき……ないな。さっきのは過去の出来事。だが、今のはさっきより未来の出来事……むぅ。やはり理解できんぞ」

 右手を顎に当て、左手に持った鉄骨の先端を地面に突き刺し、考え込む男を前にして、康介の取った行動は


 に、逃げる……!!


 だが、気付かれないようにと、慎重に男から距離を取る。

 しかし


「おぉ。逃がすところだった。もう面倒だから考えるのはやめにした。死ね」

 不条理に、男が地面から先端を引っこ抜き、振り上げた鉄骨が康介の頭上に迫った。

 そんな走馬灯が見えても可笑しくない状況で、康介の視界の隅には、男の背後にあった鉄骨の山が見えた。


 何処の工場だよ……こんな空き地にこんな物を置いといたのはさ……


 半ば、生きる事を諦めたが故に、思いついた一言だった。

 



 

 そして……



 先ほどの場面に戻る。



「対峙するか。それもまた一興。されどされどされどされど。殺人鬼を相手にして生きて帰る自信はあるのか? 無ければ言おう。ただただ一言だけ言おう「帰れ」と。お前単体ならば、逃げるのは非常に簡単だろう」

 饒舌な男に対し、香奈は無言で男を睨み続ける。

 息を切らし、全身は震え、両手に持った鉄骨が似合わない少女。

 その少女の答えは「いや」だった。


 そんな少女の答えに、男は予想していたかの様に狂った笑いを浮かべ、言葉を返す。

「オーケーィ。では、殺そう。それはそれは饒舌に語りながら殺そう。今まで、お前の様な“化け物”に、俺は出会った事が無いからな。ひたすらに、息もつかぬまま、ただただ、喋り続けながら殺そう」

 その言葉の語尾で、男は駆け出した。


 その速度は尋常ではない。

 重い鉄骨を持っている事もそうだが、既に「人間」じゃない。

 康介の脳内では、その事のみが理解できた。


「では、死ね。生きていたら、更に喋り続けるが。まずは小手調べだ」

 矛盾した言葉を喋り続けながら、男は暴力に任せた斜めからの一撃を片手で繰り出す。

 それを先ほど叩き落した鉄骨を拾い、両手でしっかりと持って、受け止める。

 一瞬、激しい火花が二人の間の暗闇を照らす。

「おぉう。素晴らしい。そうでなくては。……すまん。今の「そうでなくては」は使いたかっただけだ」

 そう言い、空いている右手で拳を作り、香奈の腹部目掛けて放つ。

 両手で男の鉄骨の一撃を防いでいる香奈には、その拳を防ぐ手段など無かった。

 鉄骨ほどではないが、凶暴な一撃を腹部に喰らう香奈。


「ッ……!!」

 苦痛で顔を歪ませるが、怯まず、鉄骨をそのまま前に押し出す。

「凄まじいな! 女が俺の一撃を受けても立っていrうべらっ!?」

 前に押し出す事によって、競り合っていた男の鉄骨は、男の手から離れ、顔に直撃する。

 不意打ちともいえる一撃を受けた男だが、前のめりに倒れこむ事はせず、顔で鉄骨を受け止めていた。

 その際に、香奈は鉄骨を手放し、蹴りが男の腹部に仕返しといわんばかりに叩き込まれる。

「おぐっ!」

 怯み、醜い声を出している男の隙を見て、背後にずっと立っていた康介の手を取って、走り出す。


「康介……! 来て!」

「え? わ、わわっ!」

 強力な力に引っ張られ、康介も走り出す。


 また、腹部に蹴りを喰らった事により、男は仰向けに倒れ込んでしまう。

 もちろん。顔面で受け止めていた鉄骨は、そのまま男の顔の上に倒れ込む。

「あべっし!」

 そんな男の虚しい声が遠さかっていく康介の耳に届いた。






「はぁ……一体……どう……なってん……のさ!」

 街頭と月明かりのみが頼りな静寂な空間。

 虫たちは夜に鳴くのをやめ、家の明かりも何故か付いていない。

 そんな空き地から少し離れた道端の隅で息を切らしながら、康介は叫ぶ。

 常人の反応であろう。

 対する香奈は息切れこそ起こしているが、康介ほどではなかった。

「ごめん……私も、アイツについては全く知らない……とりあえず説明出来るのは、私自身の事だけ」

 そう言って、康介の顔と向き合った香奈の瞳は紅い。

「あれ……? 香奈……瞳の色って……紅かったっけ……?」

 その言葉に気まずそうに顔を逸らす香奈。

 しかし、そうしていても始まらないので、顔を再び康介に向け、香奈は静かに語りだした。

 自分自身の事を。


「康介……実は私……「吸血鬼」なんだ」

「……え?」

 幼馴染の衝撃発言。

 完璧に、今度こそ完璧に。

 康介の脳内は混乱に、パニックになった。


「家系全てが「吸血鬼」で……私は「人間になれる」吸血鬼なんだ……」

「は……はぁ……」

 顔を俯かせながら喋る香奈だったが、康介は驚愕を通り越して、どうしていいのか分からなくなっていた。


 理解不能。理解不能。


「ごめん! 今まで黙ってて……ただ……康介に知られて、怖がられるのだけは嫌だったの! で、でも……今日、嫌な予感がしたから、康介の家に行こうとしたら、康介が襲われてて! それで、それでつい!」

遂には涙が出て、顔を両手で押さえてしまう。

 そんな香奈を見て、最初こそおろおろしていた康介だったが、一つだけ分かった事がある。


 ん……?

 あぁ……何だ。分からない事だらけじゃないみたい。


「こ、こんな私なんか、怖いよね? 嫌だよね? ご、ごめんね……」

 泣き続ける。

 幼馴染は泣き続ける。

 自分の初めての友人にして「想い人」に自分を拒絶されるから。

 しかし、香奈にかけられた言葉は、棘のある言葉ではなかった。



「大丈夫。香奈が吸血鬼でも、俺は香奈から離れたりしないよ。だって、吸血鬼って分かっても、香奈は香奈だから」



笑顔で。

そう笑顔で答えた。


「こ、康介……康介ぇ……!」

 涙でくしゃくしゃになった顔のまま、康介の胸に飛び込む。

「うわっ……と……大丈夫だよ。大丈夫だから」

 そのまま香奈を抱きしめ、包み込む。

 康介の腕の中で、幼馴染で吸血鬼な女の子は泣いている。

 だけど、その涙は悲しさだけではなく、嬉しさも混じっていて……


 と、このまま続けば、結構いい話で終わるのだが。



ふと、遠くの地面のコンクリートが叩き割れる音がした。

「「!?」」

 音に驚き、すぐさま離れる二人。

 音は遠いが、定期的に聞こえてくる音は、確実に二人に近づいていた。

「さっきの奴……!?」

すぐさま、先ほどの恐怖が思い出される康介。

香奈は音のした方を振り返って見ていたが、すぐに何かを決意し、向き直る。

「あ、あのね。康介。先に謝っておくね。ごめん!」

振り返った顔は赤く染まっており、非常に可愛らしかったのだが、この場には最も相応しくない顔である。

その事に康介が疑問を持った、次の瞬間




康介の唇に香奈の唇が重なった。




甘い香り。

女の子特有の香りだ。

だが、今はそれよりも唇にあるこの感触。

柔らかい感触が心地よかった。


「!?!?!?」

 今日の中でも一際違った驚きを味わいながらも、康介の唇から香奈の唇が離れていく。


「これで康介に、「私の力の一部」が渡ったはずだよ。これで、康介もアイツと闘えるはず!」

「え……えぇ!?」

 驚愕は続く。

 今日は康介にとって、最も驚く日であった。

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